第2話 足音
舞い落ちた桜が、ひらひらと踊る。
授業も終わり、昼下がり。この道を歩くのは私一人だった。
今年は例年より桜の開花が早く、入学式が開かれる頃には全て散ってしまっているかもしれない。
そう言った初老の女性ニュースキャスターの顔を思い浮かべて、私はふっと笑った。
ここの並木の桜は、気候に逆らって大分頑張って咲き続けてくれているようだ。流石に満開とまではいかないがどの桜も一花一花美しく、誇らしげに小さな花びらをこちらに向けてくれている。
実のところを言えば桜の木達にとっては人間様の都合など知ったこっちゃないだろうが、それでも昨日の入学式、そして今日。人生の節目をこうして風情たっぷりに彩ってもらえるのはささやかながらに嬉しくて、私は制服のスカートに付いた花弁を払わず、柔らかに掌で包んだ。
……きっと私は、叔父さんに出会わなければこの光景に風情を感じることもきっと無かっただろう。
思わず緩んだ口元を結び直しながら、私は青い空を見上げる。
一際風が強く吹き、吹き飛ばされてきた新聞紙が頬を掠めてぴ、と赤い線を引いた。桜の花びらがどこまでも美しく散っていく。私は真白の頬を微かに桃に染め、暖かな陽気に目を細めて目一杯に春を感じた。頭上に広がる青は、どこまでも晴れ渡っている。
叔父さんが死んだのも、こんな日だった。
*
…………私は、まだ小さかった頃、「自分」のない子供だった。
個性のない子供、という意味ではない。寧ろ個性だけの意味に取ったら有り余る程に持っていた。
私は普通の子供なら興味を持つ筈のお人形遊びやおままごと、砂遊びにかけっこに、絵本にお話。そのどれを取っても、何に対しても興味がなかった。
両親と話すことにすら関心がなく、できない訳ではなくとも興味がないので行わない。何事にも興味を持つことができないからただぼうっと虚空を見つめて、昇った陽が翳るのを退屈そうに待っている。そんな子供だった。
要するに、好きな物も嫌いな物も何一つ持つことのできない、大層不気味な子供だったらしい。
一人取り残されても泣きもせず笑うでもなく、ただぼんやりとどこでもなく遠くを眺めているだけ。
何に興味を持つこともないが故に多少留守番をさせて帰ってきても微動だにしない私は活発で歩き回るだけ危険のあった姉と比べて育児としては大変に楽だったそうだが、それでも子供としてはかなり異常だ。
親族はそんな私の将来を想って揃って頭を痛めていたらしい。
このまま将来も何にも興味を持つことなく、娘が誰のことも好くことなく理解されずに孤独に過ごしていくことになったらどうしよう。我を貫き過ぎるあの娘は果たして社会に適応できるのだろうか、そんな議論が親族会議で飛び交い、祖父母も母方の叔母も揃って皆私の将来を心配していたとのことだ。何しろ、私は親族の思う子供のテンプレートに全く当てはまらなかった。
だが安心して欲しい、危惧した通りその娘は学校社会には全く馴染めていないが彼女は今も自分なりに極めて快適に過ごしている……と胸の中で数年越しに親族達に返答しながら、私は思い返す。
親族達は、きっと私を恐れていただろう。
子供という生き物は突発的で、極めて横暴な生物だ。育児本や心理学によって徐々にその実態が明らかになりつつはあるが、大人達にとっては未だ理解不能のUMAの一種。未だ子供と言える分類の私にだって、幼少の子供のことは全く理解できない。
そんな子供という生き物が更に突然変異で経験則にも頼れない、関わり方も起爆スイッチがどこかも計れない生命体に変異したのだからそれは恐ろしいに決まっている。
そんな思考が理解できない存在なんてエイリアンと一緒だ。
その為親族は最初こそ私との接触を試みようとすることはあったが、次第に手をこまねき、関わり合いを避けるようになった。
……ちなみに、それはネグレクト等に値するものではないので心配はしないで欲しい。寧ろ「ここで人と話せるようになっておかなければ将来困るだろう」と私を気遣って話しかけているのにも関わらず、「興味がないから」で堂々とシカトされる親族の方が可哀想だった。
そんな親族達の中で、唯一私が興味を持つことのできた人が居る。少し猫背で、鼻の下にも顎にも手入れのされていない無精髭。いつも襟元のくたびれた安っぽい黄色みがかったTシャツを着て、ぼさぼさの亜麻色の髪を肩まで伸ばした男の人。
私が唯一、親族で顔を覚えることのできた人だった。
毎日頻繁に顔を合わせ、お世話になる母と父はまず分かる。
何となく、顔は分からなくても雰囲気が他の人より遥かに壁がなくて、気安い。
だけれど他の親族はどうだ。全員が私に対して壁を持っているし、何人も何人も居るというのにわざわざ顔なんて覚えていられない。そうでなくとも、分厚い壁の向こうに霞んで見えるその顔はどれも同じに見えた。
だから私は親族達の顔が父母とその人を除いて、未だただ一つも覚えられていない。
なのにも関わらず私が彼の……叔父さんの顔を覚えられたのは、他でもない。親族の集まりの場に於いて、何をおいても彼が異質だったからだ。
幼い頃のこと、何やら今まで感じたことのない異常な気配を感じ取り、ぱっと顔を上げれば親族達が揃って眉間に皺を作り、嫌な顔をしていた。そんな異様な光景に、蔓延する悪意に、心が訳もなくざわついた。子供達に向ける、いつものべたべたと貼り付けた薄気味の悪い笑みではない。心底嫌悪するような、例えば駅のホームの吐瀉物へ向けるような顔付きだった。そんな親族達の取り繕われなくなったどす黒い感情は、扉から入ってきたすらりと背の高い痩せぎすの男性に向けられていて、私は目を見開いた。
「弱いものいじめをしちゃダメよ」と気味悪く笑いながら言い付けるように決まって口にする親族達が、たった一人の男性を塵を見るような目をして、最初から最後まで、全く仲間外れにしているのは如何にも滑稽で、同時に恐ろしかった。
彼らも大人だから「入れてあげない」なんて目に見えた仲間外れにはしない。だから今後どうするか、という他愛もない話の輪の中には入れてあげるけれど、その胸の内では誰も彼を歓迎していない。
久々に再開した親族ときゃっきゃと楽しそうに話していた、開かれていた心の扉が音を立てて……。ギィ、バタン。閉じられる。
こうなったら、いっそはっきり省いてくれた方がまださっぱりとして気持ちが良かったかもしれない。
大人達の好意悪意では成り立たない、どろどろと湿っぽい人間関係が、真綿でぎしぎしと彼の首を絞めている。
そんな光景を幻視して、私にとって何だかその場は妙に居心地が悪かった。
見るに堪えない。そんな風に、彼が現れる度、彼が一言口にする度に扉の閉まる音が立って異様に空気がざわつく。痛い程の冷たく嘲る視線が彼を刺す。敵意が目覚める、音がする。
だから私は、彼のことだけは覚えていた。
叔父さんは、親族の中の変わり者。生みの親からさえ疎まれ、私の両親も仲良くこそはしていても私への悪影響を最初は恐れていた。そんな彼が爪弾き者として扱われ始めたのは、大学に入らずどこへともなく浮浪するようになってからだ。
叔父さんには大学に入れる学力がなかった訳ではない。寧ろその逆だ。叔父さんはよく頭が回り記憶力に優れていて、授業をまともに受けなくともテストの点数だけは取れる秀才……当然、その分将来には期待が懸けられていた。県内で一番の大学に合格して、先行きは上々。有名企業への就職だって夢じゃなかった。
だが叔父さんには、こんなエピソードがある。
叔父さんは入学式の前に祖父母……つまり叔父さんの両親に打診し、「大学に入りたくない」と突然言い出したらしい。
祖父は「馬鹿なこと言うな」と叔父さんの言葉を一蹴し、叔父さんもその場では「そっか」と受け入れて笑ったようだったが、叔父さんはその後入学式の前に万引きをした。店舗から持ち去ったのは、たった一つの十円ガム。
叔父さんの入学は取り消された。
その前科を以て叔父さんはまんまと目論見通り大学入学を回避できた訳だが、周りは「大学に入りたくなかったから万引きしました」なんて信じる訳がない上、叔父さん自身は本心を言わない。
その為に叔父さんはたった一つの十円ガムを欲したが為に万引きをし、そのせいで有名大学への入学をふいにした浅ましい粗忽者にされてしまった。そんな醜聞を広げられた祖父母の視線は厳しく、「変わり者」の範疇を既に逸脱してしまった彼の犯罪行為に祖父母は叔父さんの矯正を考える、と言うよりはもう見捨て切って軽蔑していたらしい。
しかし、家族関係が取り返しのつかない事態になっても叔父さんはそれに対して一向に無関心、何も考えていたのかは分からない。ただ、彼が親族との関係を明確に悪化させたのはそれからだ。
叔父さんは大学入学を万引きで強引にキャンセルし、それを祖父母に詫びることもなくギクシャクとした家庭から程なくして一ヶ月で出て行った。
ニートになって親の脛を齧り続ける成人男性、という予想された地獄のような絵面を見ることがなかったのは叔父さんの両親にとっての唯一の救いだっただろうが、当時の祖父母は「それも長くは保つまい」と今日泣き付いてくるか今日帰ってくるか、帰ってきたらどうしよう、と毎日どきどきしていたらしい。
それはそうだ。そもそも叔父さんは高校時代にバイトをしていない。校則の厳しい進学校に通っていてバイトは長期休み以外では原則禁止されているし、そうでなくても家から遠い学校に毎日通学に二時間半。往復で五時間。叔父さんにはとてもバイトができる時間の余裕はなかった。
無欲な叔父さんがお小遣いを幾ら貯めて込んでいたってすぐに一人暮らしができる程世間は甘くない。手に職が付いていて、これからも家賃が払えるという保証がないと不動産屋はアパートの一室も借してはくれない筈だ。
その上祖父母には叔父さんに経済的援助をすると約束した覚えもなく、叔父さんに支援者は居ない。では勝手に誓約書などに祖父母の名義でサインをしたのかと思っても不審な引き落としなどは一切無かった。そんな全く財力のない十八歳の息子に、どうして長期の家出などができるのだ。どうせすぐに尻尾を巻いて帰ってくるに決まっている……。それが、当時の祖父母の考えだったらしい。
だがしかし、いつまで経っても叔父さんは実家に帰って来なかった。一年が経って、二年が経った。その間全く叔父さんからの音沙汰はなく、彼が生きているのかいないのか。それすらも分からない程叔父さんは祖父母の生活から全く姿を消し、噂の中にすらもその影を落とさない。
まるで弟という存在がまるごと消滅してしまったようだった、と父が話していたのを聞いたことがある。
最初はすぐに帰って来て私達に泣き付くに違いない、とたかを括っていた祖母も時が経つにつれ目に翳りを覚えさせ、次第に不安を宿すようになっていった。
忙しく、他のことを考える暇がない内は良い。しかしふと余裕ができて、深呼吸をし、腰を落ち着けた時だ。祖母はふと我に立ち帰り「息子は大丈夫だろうか。本当に生きているのだろうか」と言う発作的な不安に駆られ、パニックを起こすようになった。
叔父さんの兄である父は、当時二十八歳。既に母と結婚していたどころか、姉は五歳、私は二歳になっていた。
それでも父は母親を放っておくことはできず、祖父と共に祖母に付きっきりになって過呼吸を起こした祖母を宥めては「早く帰ってきてくれ」と心から願っていたらしい。
捜索願を出すこともできたが、当の祖母はそれを拒み、帰って来ないなら帰って来ないでいいのだと強がり更に祖父もそれに反対していたので父はその二人の意思を尊重して捜索願を出さず、ただそれでも全員が心の内ではどうか帰ってきてはくれないかと微かな希望を抱き、叔父さんが戻らぬまま時は経ち、全員がその度に絶望していた。
そんな苦難の翌年。
叔父さんは意外にも、何の心変わりかひょっこりと実家に顔を出したと言う。
成人式をすっぽかして二十一歳になった叔父さんは無精髭を生やしていて、開口一番いけしゃあしゃあと「近所の噂で大変そうだって聞いたもんで」と言ったらしい。
そして家出をした当時は持っていなかったゆったりとしたパーカーを着て、叔父さんはずかずかと縁を切った実家に上がり込み、祖母の前にそっと座った。
父に聞くところ、祖母はどうやら叔父さんが訪れる直前にまたパニックを起こしていたらしく、フローリングの床に座り込んでしまっていたらしい。
そんな祖母を、叔父さんは持ち前の口八丁手八丁で「自分は大丈夫だから心配してくれるな」「自分から家出してった奴が無計画な訳がないだろう」とそれはそれは上手いこと言いくるめて、「それじゃ」とひらひら手を振って去って行ったらしい。
父からすれば完全に拍子抜けだったとのことだ。
弟が帰ってきたらどう言葉をかけてやろうか、どう怒ってやろうか。どんな恨み節をぶつけてやろうか。そう三年間ずっと考え続けてきたのにも関わらず、弟の帰宅はあまりにも呆気なかった。
自分が三年間悩まされてきた母のパニックは前触れもなく、感傷もなくふらっと夏の綿雲のようにしれっと帰ってきた弟の二言三言で解決し、そもそもこの騒動の発端である弟は実家を懐かしがることも久方ぶりに会った父母や兄に特別言葉をかけることもしない。
短く別れの挨拶をし直して、それから彼は再び家を出て行った。
三年越しに再開した家族に対してあまりに素っ気ない。
あまりに薄情なその態度に父は本当は今出て行ったのは自分の実の弟ではないのではないか、そうも一瞬そう思ったそうなのだが、それと同時に心から安堵したらしい。そう、その時父は、弟にも人間としての親への情があり、人間としての善性があったことに心から安堵したのだ。
叔父さんは、私程ではないが変人の類に属していて、群れを成して人間関係で雁字搦めになり、自己を殺すことになるくらいなら群れを飛び出して孤立して生きる方がまだ心地良い、と思うタイプだ。人間関係が複雑化することを避け、自分の中には少しも立ち入らせない。
そんな叔父さんだったから、周りの人間は叔父さんを知ることができない。理解することができない。叔父さんはその隙を一分も与えてくれない。
理解できないもの、理不尽で論理で説明し尽くせないものは、人間にとっては脅威だ。
例えば幽霊なんかのロジックで言葉を尽くすことのできないものを恐れるように、弟は常に「得体が知れない」と何処か恐れられていて、そして自分自身も弟を恐れていた。それまでの弟は、何を考えているか分からないもの、まるで化け物のようだった、と父は母に向けて語っていた。
しかし、父は「でも」とはにかんで、母に言った。
叔父さんは、弟は、母の「大変な事態」を聞き付けて、ただそれだけの為に実家にやって来たのだ、と本当に嬉しそうに、父はただそれだけの事実を繰り返し繰り返し口にしていた。
いってしまえば普通普通のことだ。
母親の気が狂ってしまって、その要因となったのは家出した自分。ならばそれを治す責任は自分にあるし、自分なら治せる。そう思ったから叔父さんは実家に赴き、実際に母親のパニックの要因を取り除いて、そして用事が終わったから帰った。
ただそれだけのことなのだ。
特別善意があった第三者であるという訳でもなく、叔父さんのそれは自業自得……と言うのは何だか違うが、とにかくそれは、ボランティアや善行と言うには程遠い。
叔父さんはその時自分のしでかしたことの責任を自分で取った、ただそれだけのことだ。だから感謝を求めるのもお門違いだろうし、叔父さん自身もきっとそれが分かっていたから胸を張らなかった。
誇れることでも、誰かに感動を与えるようなことでもない。
しかし父は感慨深そうに、一雫の美酒でも舌の上に転がすように、しみじみとこう言っていた。
「あいつは、ただ血縁だからって情を感じたりしないよ。ずっと、あの時から、冷たくなった。だけど帰ってきたんだ。母さんのあれを治す為だけに。三年も帰って来なかったのに、というかあいつはきっと実家なんか一生帰る気無かったんだよ。それでも……」
母さんの為に帰ってきた。
そう、父は顔を誇らしげにへにゃりと緩ませる。
カツン、と軽く気持ちの良い音を立てて置かれたビール缶はもうきっと空で、ほろ酔いになった父の口は実によく回った。
酒を飲めば理性が働かなくなり、理性が働かなくなるものだ。
きっと、大して酒に強くはない父はその時嘘を吐くことはできなかっただろう。
しかしそれでも父は自身の弟がどれだけ優れた存在なのか、数少ない兄弟の思い出を懐かしそうに慈しみ、自身も噛み味わうようにぽつぽつと口にしていた。
そんな父と母の晩酌を扉の隙間から盗み聞いて、私はその時とても安心したのをよく覚えている。叔父さんはその大学入学拒否エピソードがあるが故親族から酷く嫌厭されているが、それでも実の兄は心の上だけでも味方であったこと。
人間として、叔父さんが自分以外の誰かからしっかりと愛着を持たれていたこと。大切にしたい、と思われていたこと。
叔父さんはきっと独りなのだ。
私は叔父さんのことをそう思っていたから、それが分かって私は父に強い親近感と心強さ、信頼を覚えたのだったか。
……血縁の中で親近感、と言うのもおかしな話ではあるが。
しかし、近親の父はそんな叔父さんの魅力が分かっても、実のところ他人にこれはこれっぽっちも理解できない。
側から見れば……少なくとも私の親族から見れば叔父さんの行動は万事に於いて親不孝。本人の視点でものが語られない時点で周囲は叔父さんの行動の真意を読み取れない。
ましてや理解しろと取扱説明書を渡したとして、常人の感性を有している限りは理解できる話ではないだろう。何しろ叔父さんというのは常人の尺度や一般的な人間を測る物差しでは中々測れる人ではない。私や父は叔父さんの魅力に先に触れて、それを魅力として受け留めることができたから叔父さんに好意を持っているがそうでなければ悲惨だ。
叔父さんの好意というのは、本人が「好意です」と声高に語らないだけに分かりにくい。
だから叔父さん生来のミステリアスな雰囲気も相まって、叔父さんの好意は嫌がらせと取られることも少なくはないのだ。そして叔父さん自身がそれに気付いても弁解や撤回を一切しようとしない為、更に誤解は広まって叔父さんへの認識は「嫌なことをする奴だ」というものに変わってしまう。
そうなるともう泥沼だ。
大人達の厳しい視線の中には、「嫌なことをする奴だ」という叔父さんという存在の前提がある為、叔父さんはその前提を余程覆すことをしなければそのイメージはずっと変わらない。
そしてまた「嫌なことをする奴だ」という認識が広まり、そのお陰で叔父さんはその一挙手一投足に一生後ろ指を指され続ける。
完璧な悪循環だ。
更にそのエピソードがあるのに付け加え、叔父さんが親族達に忌まれることになったターニングポイントがもう一つある。
叔父さんは職業不詳なのだ。
時には「ライターをやっている」と言ったり「公務員をやっている」と言ったり、言っていることに一貫性がない。
しかし独身なのもあるだろうがその割には親族の中では比較的上位に位置する貯蓄額で、何をしているか分からないのに財力だけはある。
……寧ろこれで不審に思わない方がおかしい。
更に叔父さんは今住んでいる所すらはぐらかして誰にも教えず、連絡先も教えられた番号に電話をしても大概繋がらない。
個人情報、プライバシーの漏洩は避けたいタイプなんです、といくら言われても親族に対してこれは不審に思われる筈だ。
私も叔父さんには好意的だが、流石にこれを「怪しくないです」と擁護できる程口は回らない。
かくして叔父さんは親類達から不審な男として敵視され、軽いとはいえ犯罪歴もある訳なので子供達に近付けまいと大人達は涙ぐましく努力し、気を張っていた訳だ。
叔父さんも「俺は万人ウケするタイプじゃねぇからなぁ」とケタケタと笑いながら嫌われていることは自負していると語っていたし、後に聞くところ叔父さんはできるだけ親族の子供達に悪影響を与えないよう適当にふらついて子供達に絡まれないよう動いていたようだが、その行動があったことは大人達も伝えられなければ分からない。その気遣いは全く伝わっていなかった。
そんな傍若無人な振る舞いに付け加え不審な来歴、親族殆どに嫌われている叔父さんにどうして私が懐くようになったのかというと、切っ掛けは父が行った一種の賭けだったらしい。
父は他の親族とは違い、叔父さんを信用していたし叔父さんに親族としての愛情は持っていた……。
だがそれと娘を自信を持って任せられるかは全くの別問題だ。冷静に考えたら当然のことである。叔父さんは本当に必要だと思った場所では分を弁えることのできる人であるし分不相応を自身で認識できる審美眼と客観的視点を持つことに優れた人であるが、「一般的にはこうしない方が良い」ということが分かっていても自分がやりたいと思えば行動に移す人だ。そしてそれが周囲に拒まれている程やりたがる人だ。
いや、本人はある程度気を回してその辺何とか母数を減らしているのだろうが、一度一度のインパクトが強すぎる故に回数が減っても全くその印象が薄れない。
まあともかく、その悪癖が出れば、子供への悪影響は間違いない訳だ。加えて親族達は、今まで叔父さんに一度たりとも子供を触れさせたことがなかった。つまり叔父さんは、治験のされていない治療薬のようなものだ。
子供に触れさせた経験がない為に触れさせた時どんな副作用が出るか分からないし、そもそも肝心の主作用より副作用の方が強く出るかもしれない。
実の所叔父さんも子供に目線を合わせて器用に接することはできるのだが、それが分かったのは関わらせた後。未施行のその時には、どんな嫌な化学反応が起こるか知れたものではなかった。
叔父さんという存在は、目に見えて毒と言えずとも大人達にとっては充分な刺激物だ。純真な子供に触れさせたくないという大人達の気持ちは痛い程分かる。
そして、子供の人生は、当然一度きりだ。一人一人の今の経験が後の人生となり、人格となり、そして自分以外の環境をも形作って行く……。親族達がここまで考えていたかどうかは不明だが、叔父さんのような破天荒の核弾頭の治験をして、お試し半分で失敗していいような子供の人生など、一つもないのだ。個性豊かで様々な考えを持った大人に触れることはその子供の考え方の枠組みを広げるが、まだ小さい内に触れるには明らかに猛毒の色をした叔父さんはリスクが高すぎる。
それなら子供達にとって害がないと多少なりとも証明されている大人達で子供達を守った方が、子供の人生を賭け事にはせずに済む。そうして彼らは健やかに育って、自分を守っていた揺籠の状態に気付き、それと同じように大人になってくれるだろう。
…………相手が、普通の子供なら。
そう、相手は押しも押されぬ、この私。何に対しても興味を持たず会話に興じることにさえ無関心だった、この私。
手強い相手である。
当時の私は……今はまともです、という訳ではないのだが明らかに普通の子供ではなかったし、私は引っ込み思案の次元では考えられない程幼少の頃よりはっきりとした社会不適合者だった。
個々の個性は尊重したいが、流石にこの子供を自然に任せるまま育ててはいけない。そう両親はいち早く危機感を覚え、更にその危機感はすぐに親族にまで伝播した。このままこの娘を自由気ままにさせていたらニートか引きこもり街道まっしぐらだ。
何かしら手を打たねばならない……そう考え、しかしどう動くか分からないエイリアンを相手に攻めあぐねていた親族一同。
そんな彼らを傍らに……。
「おじさん、あそぼ」
だぼだぼなズボンの裾をきゅっと握れば、叔父さんは振り返ってふっと微笑んだ。
「そうだなァ、叔父さんが特別に遊んでやろう」
「わたしがあそんであげるの」
「我ァ強ぇな」
夏山依織は、実にあっさり叔父に懐いた。
ま、良いんだけどな、とくしゃっと私の頭を掻き回し、叔父さんはにやりと笑った。変人にはやはり変人をという訳か何故か分からないが、治験前の治療薬を一か八かで与えるぎりぎりの賭けは、どうやら父の勝ちに終わったらしい。
私はそれ以来、叔父さんに酷く懐き、自分の世界を漸く少しだけ押し広げることに成功した。……どうして今まで、誰にも興味が持てなかったのに叔父さんだけには興味を持つことができたのかというとそれは……それは、今になって自分で考えても謎である。我が事ながら子供の琴線というものは……いや、子供であったのは関係ないかもしれない。私の琴線は、よく分からない。当時具体的に何を話したのかすら、記憶にない。
私の心には、とすん、と何某の矢の刺さるような運命的な出会いのような違和感があった。今まで出会ってきた他人とは違うもの……それを彼に感じたのだ。それが伴うものは恋情とは少し違っただろうが、私はその時まるで、一目惚れをした乙女のような気持ちだったかもしれない。したことないが。或いは、新しい原子を見つけた理科系の研究者の気持ちと言った方が正しいか。
とにかく私は、この人を離してはいけない。この人は私の人生にはきっと、必要な人だと確信していた。
かくして私はその日から叔父さんにべったり着いて回るようになり……ちなみにこれは叔父さんの談。
その時の私は既に叔父さんが嫌われていて、私と叔父さんの接触は親族達にとって手放しに喜べるではないのだということを知っていた為、私側としては逢引きする既婚者と愛人のようにその関係……度々お菓子を摘みながら親族達の悪口や滑稽で面白かった話などをする爛れた関係が親族達にばれないようにと一応気を張って陰ながらひっそりと会っていたつもりだった……。のだが。よく考えれば今まで全く無気力でコアラといい勝負……否、コアラに勝りナマケモノにギリギリ負ける程度動かなかった娘が叔父さんが現れる度先程までそこに居たのに忽然と姿を消していればばれるに決まっている。
私が思ったより親族達は私のことをよく見ていて、ましてやそれで父や母を欺けると思っていた私は浅はかだった。
ちなみに叔父さんは、それに関して「気付いてはいたけどなんか面白かったし何も言わんかったなァ。精一杯の悪足掻きって感じで秘密の会合も楽しかったぜ?ま、俺はその会合の情報は兄貴に横流ししてたけどなァ」とけたけたと笑いながら言及していた。
そんな当時の私は「言えよ。どうして無駄な努力をさせた。しれっとスパイをするな裏切り者」という気持ちにさせられたが……まぁ、それはちょっと置いておいて。親族達は私が叔父さんに懐く様に不安を覚えずにはいられなかったようだが、その時に限ってはぐっと辛抱をして、口出ししたいのを堪えていてくれたらしい。そのお陰で私の社交性は以前よりもぐっと上がり、興味の対象も大きく広がった。
……尤もそこで口に出さなかった分溜まった親族の鬱憤は自動的に叔父さんにぶつけられていたのだが、私の方には来なかったので良しとしよう。それに理由がこれでなくても叔父さんにはどちらにせよ何かしらの理由を付けて鬱憤はぶつけられる。私のせいだけではない。多分。
……これが、私の人生の一つ目の大きな分岐だ。叔父さんとの出会い、そして二つ目は勿論私の世界を決定的に色付けた、あのヒーローショー。
私の夢の原点。感受性を花開かせた、あの魔法のようなひと時。
あれから私は、初めて趣味と言えるものを持った。あのヒーローショー以来、私はテレビの中のヒーローにも何にも「ヒーロー」と名が付けば傾倒し、追いかけ回しては目を輝かせた。
……実は私は、両親のことをそこまで覚えていない。
彼らは叔父さん程影と業の濃い人ではなかったからだ……というのも勿論だが、私が小学五年生の頃、あの人達は亡くなっているのだ。
私と姉を叔父さんに預けて買い物に出ていた時、飲酒運転の車に轢かれてあの人達は交通事故で亡くなった。
こう言うと必ず「十一年も共に過ごしておいて覚えていないなんて」と嘆く人が居たが、私からすれば三年。
小学二年生で周囲に関心を持つようになり、興味を発芽させ、周囲を漸く認識し始めて、たったの三年だった。それだけしか、私はあの人達と心を共にできなかったのだ。
中学の同級生の大半を卒業した瞬間に忘れてしまうのとそう変わらない。新しい環境に入ってしまえば古い記憶は篩い落とされる。……ただ、それだけのことだったのだ。
親不孝者の娘である、とは我ながらに今でも思う。特に学校アンケートなんかに書かせられる「家族の思い出は何ですか」は、未だに捏造でしか書くことができない。お陰で日常的に行くスーパーの買い物に至福を見出す極めて感受性の強い心の温かい子供みたいになってしまった。
……両親は、決して私のような子供が欲しかった訳ではあるまい。
こんな娘を持ったばかりに両親にはとても苦労をさせてしまった。
こんな有様であるから、私は両親のことを殆ど空想でしか語れない。
愚かしいと、思う。
……けれども私には、たった一つだけ、確かに覚えていることがあった。
私がヒーローを追いかけてきゃっきゃと騒いでいる時、両親は必ず微笑んで、心底嬉しそうに笑っていてくれたのだ。
私達の親族というのは性格なのか何なのか、伝統を守りたがるところがあった。それも彼らは「女の子らしさ」「男の子らしさ」「子供らしさ」なんかに特別厳しい。
そんな親族の中に生まれたのが、「ヒーロー」というまさに「如何にも男の子の趣味」を持ったこの私。
勿論子供である私本人にその感情をぶつけることはないが、親族達はきっと父や母を白い目で見ていたことだろう。
「女の子なのにヒーロー物を見せるだなんて」「女の子は魔法少女物でしょ、チャンネル変えてあげてよ」なんて言われていたことは想像に難くない。
……それでも父と母は、一度として私のヒーロー好きを咎めることはなかった。
彼らは心底、私の人生に一条でも光が差したことをただ喜んで、微笑んでいてくれた。
愛情深い、人達だったのだろう。きっとそうなのだと、思う。私がここまで大きくなって感受性を成長させることができたのは、その父と母の陰ながらの支援があったからに他ならない。
私の人生の分岐点には、いつも必ず叔父さんと家族の姿があった。
……もしまた会えるなら、父と母は、顔貌さえ変わらずとも中身はまるで違うものになってしまった不肖の娘をまた娘と呼んでくれるだろうか。
*
今でも目を閉じれば思い出す。
……享年、三十三歳。
一年前の、空がどこまでも高い春だった。
亡くなる直前の暖かな春の陽気揺蕩う昼下がり、叔父さんは自身の死を予感して、「せめて死ぬなら夏が良かったなぁ」と笑った。
そんな叔父さんに、どうして夏が良いのか、と。そう聞いたのをよく覚えている。
「では夏まで生きれば良い」とは言えなかった。
寧ろ私は、切に願っていた。どうか夏が来る前に死んでくれ、と、どうか暖かく過ごしやすい陽気の内に死んでくれ、と叔父さんの願いを切り捨てて、心の内に深く深く願っていた。
肌寒くなり始める秋より、凍える冬より、春が良い。どうかその魂が彷徨っても凍て付いてやがて訪れ来る夏に溶かし殺されないよう、どうか春に死んでくれ。
そう、強く強く、願っていた。
叔父さんは、夏が嫌いだった。
……本人が明確にそう口にした訳ではない。だがしかし、私はずっと叔父さんは夏が嫌いなものと思っていたし、今もそうだと信じて疑っていない。
叔父さんは、夏が来る度、ずっと遠くを見ていた。
何処か遠く、どこでもないどこかを、叔父さんにしか見えない陽炎の夏を、ずっと追いかけていた。
そうした時の叔父さんは決まって感情の抜け落ちたような、疲労と歳月だけの滲んだ老成した表情をする。
人生百年。私から見ればずっと歳上でも、ずっとずっと先を生きる人生の先輩方から見ればまだまだ白毛も生えぬ若輩者の小僧だ。
それなのにも関わらず、その堅く結ばれた唇には、皺のまだない年若い顔には、まるでどこまでも人生を「生き切った」人間のような重みがあった。
その表情は恐ろしく人間らしいのに、私はそれを見て確か「抜け殻」のようだと思ったのだったか。
風に吹かれれば破れる。そんなしゃぼんのようなあのひとの危うさが、いつまでもこびり付いて忘れられない。
その瞳には複雑な愛情と苦悶の交錯したどこまでも暗く浮かんだ青が浮かんでいて、私は幼心にそれは「踏み入ってはいけない境界」なのだと、ずっと立ち入ることのできない無力を心苦しく思っていた。
私には、例え叔父さんが夏が好きだと言おうと、夏に死にたいと言おうと、そんなものは関係がなかった。
どうか夏だけには、叔父さんを攫って欲しくなかった。夏が叔父さんのその表情をさせるのなら、夏なんて消えてしまえと強く強く願った。
どうして夏が良かったのか、と聞かれた時の、叔父さんの返答はこうだった。
「好きなもんは最後に食べるタイプなんだよ」と。
叔父さんはずっと、最後までそうだった。
自分のことを追窮された時は、何一つとしてまともに答えず、大抵のことははぐらかす。結局叔父さんは私に多くのことを教えてはくれたが、自分が一番よく知っていて、他のことより教えるに易く苦労のない筈の自分のことだけは、迫り切った最期がすぐ目の前に刃となって迫るまで、教えてはくれなかった。そうして叔父さんはいつも通りのらりくらり、擦り切れたビーチサンダルを履きながら軽口を叩いてコンビニに行くような調子で天国へ行った。
…………いつもそうだった。叔父さんは、年老いた両親が天高い所へ消えてしまい、自身の兄と義姉が突然の交通事故で亡くなって、家族と呼べた、自身の理解者と呼べた人達が誰一人居なくなって天涯孤独の身となってもそうだった。彼は、心の深いところにある感情は外に少しも見せず、ただそこに立っていた。いつもなら機嫌良さげに薄く引き伸ばされている唇が、口角を僅かに落として閉じ合わせるように結ばれている。そのことに、私以外に気付いた者は居たのだろうか。いつもは愉しげに反った背中が何も語らず、沈鬱に黙りこくっていることに気付いた者は、私以外には居たのだろうか。
……少なくとも親族達は、泣きもせずただ家族の生前の写真をただ見つめていただけだった叔父さんのことを「親不孝」「薄情だ」と言って静かに罵った。
当時小学五年生だった私は、その黒い人間が群れを成して行われた会合の内容を正しく理解できずに、ただ大人達が迷惑そうにぼやくのに耳を傾けるだけ傾けてその場にぽつんと居座っているだけだった。だがしかし、私は彼の兄と義姉の葬儀の間、珍しく正装をした、彼のスーツの裾をぎゅっと握って決して離さないでいた。
逃してはならない、そんな奇妙な勘が働いたのだ。
叔父さんは物語の登場人物に一人は居そうな、「目を離せばそのまま消えそうな人だ」なんて儚さは到底持ち合わせていない。それどころか「消えたかもしれない」と心配させておいて、何の気無しにその間の数日数年が冗談でした、と言うようにひょっこりと現れるふざけたお人が、絶対に消えはしないどこかで心配を他所に悠々と生きているふざけたお人が、叔父さんという人なのだ。
消える訳がない。消えられるような、そんな図太いお人でもない。
そう、私は信じていたが、その一方。
その揺らぎを宿さない真っ直ぐな青色の奥の奥が、微かな悲哀を宿していたように、私には見えた。
私は叔父さんの理解者ではない。
血を分けた兄弟であった父であれば叔父さんの行動、指先一つの動き、伏せられた瞼からそこに込められた微細でいて雄弁な声を聞くことができたのかもしれないが、少なくともあの時、私にはそれを理解することは叶わなかった。
私は叔父さんを理解することができなかった。
言ってもらわなければ、分からなかった。
だが同時に、理解したいとも思っていた。
なのにもう、会えなくなる。
死の前日になって、何の悪戯か私はそれを漠然と理解した。
その唇に乗る言の葉に、がさつに頭を掻く手に、無精髭をなぞる指に込められた意味を知ることは、叶わなくなる。あの遠い瞳が何を見ているか知ることは、できなくなる。永遠に、再開は叶わなくなる。
…………もうあの人を知ることは、できなくなる。
その事実が徐々に現実味を帯びて来たその時、心の内で私の命を引き換えにしても構わないから、と縋ったのだ。
死んでくれ、頼むから、夏でなく、今すぐ、早くに死んでくれ。
そうもう既に願っていながら、そこにもう一つ重ねて私は強欲に縋った。
……叔父さんは、悪い人だった。もうお菓子を食べては駄目、とそう言い付けられた私に父と母に内緒で自身が食べていたお菓子を半分に割って私にくれたし、ハロウィンの悪戯を分かっていながら知らないふりをしてくれて、更にはさんすうのドリルが少しも解けず、えぐえぐ泣きながら勉強をしていて遂に癇癪を起こした姉に家から叩き出され、行く宛もなく彷徨っていた私を「姉ちゃんには内緒な」と遊園地に連れて行ってくれたような、そんな極悪人だった。
善性の一欠片もない、まるで悪魔みたいな人だった。
そんな悪人が行く場所は、天国でなく地獄に違いない。
だからきっと、地獄へ堕ちてくれる筈だ。
そう、私は信じるより他がなかった。生きてくれとも言えなかった。
もし私が今すぐに逝くのなら、私の行き先はどう足掻いても泣き喚いても、絶対にそこに違いない。だから叔父さん。どうか再び会うことのできる場所へ、お願いだから是非そこに堕ちていてください。
そうしなければ、会えなくなる。これが今生の別れになってしまう。
だから、お願いだから地獄へ堕ちてくれ。そうでないと、そうでないと、そうでないと……困る。
口に出して言いこそはしないが、そう縋った私の心象を知ってか知らずか、叔父さんはぼろぼろと涙を溢す私の頭をそっと撫で「こんな話がある」と静かに言った。
20××年の、三月一日。春のことだ。とある十八歳。街中のどこにでも居るような青年の、路傍のどこにでも落ちているような終末の話だった。世界的に有名で、私も同日に生まれたばかりに何度も何度も聞かされた悲劇。
某年三月一日。私が生まれ落ちた同日、宇宙がぽろりと落っことした隕石が、突如地球を襲ったのだ。
叔父さんが語ったのはその悲劇に渋谷で丁度出会わすことになった、哀れか幸福か分からぬ青年の話だった。
落下地点とされたのは、我らが日本。
それが判明したのは、もう地球に隕石が激突するまで一時間半もないと言われてからのことだった。
もうあなた達は助からないでしょう……。迂遠にそう伝えられた日本国民は動揺し、軒並みパニックを起こした。
当然だ。生き物は死を迫られればどうにか逃げようと言う理由の分からない生への執着の塊なのだから、だから「生き」物と言うのだから、突然そんなことを言われれば動揺し、騒ぎが起きるに決まっている。そうしていち早く状況を把握し、我に返った者達が喚き押し退けどうにか生き延びようと駅の地下シェルターへと一斉に走り始め、それにはっと我に返された後の者達もそれへ続いた。それはさながら、地獄絵図だった。
人が人を押し潰し、押し潰して押し合いへし合いながら、更に先へ先へ。下に沈んだ者から踏み潰されて死んで行き、隕石に殺される前に人に殺されて人が死ぬ。もうどちらが災害なのだか分からない様だった、と叔父さんは顔色を僅かに陰を落としてそう言った。
いつもの叔父さんとは何か様子が違う。
そう感じ取って身を硬くする私に、叔父さんは不意に振り返って情けねぇ顔、とへらりと笑った。
えぐえぐと泣く私を膝に乗せて、叔父さんは再び紡ぐように語り出す。中学三年生になり、小柄だとは言え子供の頃に比べれば成長した私の身体は病気の叔父さんには重い筈だったが、それでも叔父さんはそんな私を抱き寄せて、その頭を優しく撫でながら小さく笑うのだから、困った。この腕の中から抜けたくない。涙混じりですん、と鼻を鳴らすと何だか嫌な匂いがして、は、と私は息を呑んだ。
辺りに広がった白い掛け布団には死臭のようないやに無機質な匂いが染み付いていて、生者の気配を少しも感じない。
まるでここには……生きている人間がいないかのように、温かみを感じられない。
最後の灯火を振り絞って話しているのだ、と分かった。
しかしその割には声の抑揚はいつも通りで、違うところと言えば少しだけ間延びした穏やかな声色が僅かに硬くなり、少し早口になっているように思えた。
きっとそこまでいつもと変わって見えないのは、叔父さん自身が意識してそうしているのだ。
それを理解した私は堪らなくなって、額をぐりぐりと叔父さんの胸に擦り付けた。昔に比べてその胸はずっと薄く、骨張って硬い。
……結局、隕石の落下地点は逸れ、隕石が着弾したのは日本沖。その着水時の衝撃による津波こそ起こったものの、津波が押し寄せた時にはもう既にシェルターに避難していた為、津波による人的被害はゼロ。避難時に各地で起こった群衆雪崩により亡くなった死者は四千人にも上るのに対し、隕石は日本を擦りもせず、津波も「あれだ」と名の付く大地震よりは大したことはない。突如起こった未曾有の大災害、と呼ぶにはあまりに滑稽で、ありふれたような悲劇だった。
避難する時、あーれだけ人が死んだのに、隕石本人はだぁれ一人殺しちゃくんねーんだから参ったよなァ、と。そう語った叔父さんの顔が弱ったようで、酷く寂しげだったのが強く印象に残っている。その顔の翳りが辛く、私は叔父さんの背中に腕を回して抱き着いた。
元から肉が付いていなくて骨の浮いていた身体は、更に肉を失って、人間らしさより物のような無機質さが目立つ。私が叔父さんの肩口に顔を埋めて泣くと、叔父さんはゆるりと前に顔を倒して私の肩に頭を預ける。もう、居なくなってしまうのだ。
そんな実感が更に眦を熱くし、涙が止まらない。そんな私の耳元で、叔父さんは静かに囁いた。
「と、ここまでが」
十四年前の隕石で、お前も聞いたことある部分だな?と。
…………間違いない。
叔父さんは、悪人だった。
もうお菓子を食べては駄目、そう言い付けられた私に父と母に内緒で自身が食べていたお菓子を半分に割って私にくれたし、ハロウィンの悪戯を分かっていながら知らないふりをしてくれて、更にはさんすうのドリルが少しも解けず、えぐえぐ泣きながら勉強をしていて遂に癇癪を起こした姉に家から叩き出され、行く宛もなく彷徨っていた私を「姉ちゃんには内緒な」と遊園地に連れて行ってくれたような、そんな悪い人だった。
「なあ、依織」
ヴィランって、知ってるか?
……そう、国家機密を易々と姪に明け渡してしまうような、とんだ極悪人だった。
*
風に吹き飛ばされた新聞紙が、ばさばさと壁に縫い留められて音を立てる。その見出しは、こうだった。
『新たなヴィラン、狐面現る‼︎ 昨夜○○ビルの屋上から狐面を被った新たなヴィランが現れ、隣の××ビルを襲撃。駆け付けたヒーローが応戦するも狐面は最初に現れた仮面のヴィランに近い驚異的な再生能力を持っていて、惜しくも逃げられてしまったとのこと。これに対して警察は──』
風が止み、新聞紙は地面にぺしゃりと這いつくばった。……その新聞紙の片隅には、誰も気付かないような小さな赤い点がひっそりと滲んでいる。
ある少女の顔を抉った、密かな証拠。
しかしその新聞紙を罰そうと「少女の頰を抉ったこと」で誰かが彼を訴えようとしたとて、その主張はきっと通らない。……少女の頰は、滑らかに透き通っている。
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