第085話『禁書』
──伊織と宗剣との間合い。どちらも一足からの一撃がギリギリ届かない、絶妙な距離感を保っている。
今だ睨み合い。
しかして、伊織と宗剣──その両者の間には、重圧感すら滲ませる圧倒的な覇気が滲み合っているのだ。
「──」
「──っ!」
先に宗剣の方が動き出した。
動き自体は、そう速くはない。
だが、圧倒的な技術によって構成された足運びは、それこそ素人には瞬間移動をしたように見えるだろう。
《柳田流剣術、唐竹》
上段からの、振り下ろしによる数多ある中での最速の一撃。
先ほどの驚異的な足運びも相まって、一瞬で断ち斬られても何らおかしくはない。
果たしてこの一撃、反応をし対処までする武芸者は、何人いるのだろうか。
「──」
──目の前の伊織こそ、その該当者だった。
冷静にその一撃を対処し、そのまま宗剣の死角へと入り込む。
圧倒的な身体能力と、相手の知覚に反応をする感応性。縮地にも似た無音歩行術によって、伊織は一瞬にして背後へと回る。
それは、瞬間移動といったちゃちなものではない。
己の身体能力と技術によって裏付けされた、移動術であったのだ。
そして、袈裟切りによる一撃。
それは確かに、絶死の一撃に他ならなかった。
「──ほぅ。中々やるの」
「だったら、少しは反応を鈍らせてくれても良いんだがね」
「儂とで今だ現役。まだまた、年寄りの一時の狂演に付き合ってもらうぞ」
「──それはどうぞ、遺産目当てな若い女にでも言ってくれやっ!」
受け止められ、そして鍔迫り合いに持ち込まれる──。
そこで、身体能力と技術が競り合う。
均衡が崩れればそれは負け、勝り過ぎてもそれはそれで負けと成る。
そして、幾ばくかの均衡或いは鍔迫り合いは、意外なカタチで終焉とするのだ。
《模倣剣術、月歌》
伊織の鍔迫り合いが、変化をする。
それはまるで、月を描くよう──。
そして、月を描く幾つもの斬撃が、宗剣の体を吹き飛ばした。
「──中々。良い具合に仕上がってるの」
「老骨の火葬には、かなりの火力が必要だからな。死んでも知らないからな!」
「ほっほ。老骨は燃えにくい故、もう少しばかり持って来ないとな」
床に刻まれた幾つもの斬撃──。
刀を振るい終わった伊織が、その場に立つ。
対して宗剣は、余裕綽々な様子で相対をする。
「……」
「……」
斯くて、第二ラウンドが始まる──。
伊織には、宗剣を打倒する手が存在しない。
自慢の身体能力は、技術で勝る宗剣の前では、その相性が最悪だ。最悪、その勢いを合気の要領で回されかねない。
その上、技術でも伊織は宗剣に劣る。
伊織の剣術は、柳田流剣術であっても我流でしかない。宗剣に言わせてみれば、その系統樹とは別の進化をしているらしいが、その相性さは歴然だ。
「(──やっぱり。私の剣とクソジジィの剣との相性は最悪だな)」
そう結論付ける。
「──ほぅ。来ぬと言うというのなら、──儂から行かせて貰うぞ」
その言葉と共に宗剣が、その間合いを潰しに掛かる。
速度は、傍から見ればそう速くはないが、独特な歩法により相対する伊織には、かなりの速度に思えるだろう。
「──ぐっ!?」
その一撃を、伊織は真正面から受け止めた。
いや、その衝撃を受け流しつつではあるが、それでも物凄い威力。たとえ身体能力に富んだ伊織とは言え、押し切られかねない。
だがこれは、伊織の望んだ相対──。
故に伊織は、決死逆転の一手を謀る。
「──そこ」
《柳田我流体術、葉隼》
切り返すような後ろ回し蹴りが、宗剣の体に直撃をする。
その感覚から伊織は、宗剣がすぐさま対応をして衝撃を流した訳ではない、確かに直撃をした事を実感するのだ。
「──」
そのまま吹き飛ばされる宗剣の体──。
対して態度、体術の構えから剣術の構えへと変更をする伊織。
ここは、追撃する場面である。
確かに宗剣からの反撃の可能性は、非常に高いと言わざるを得なく、その反撃の一手で戦局がひっくり返される事もあり得る。
しかし、伊織の勝てる低い可能性を大幅に引き上げるためには、この一手の追撃をする必要もあった。
"虎穴に入らずんば虎子を得ず”──。そして伊織は、虎をも殺すであろう渾身の一撃を放とうと追撃をするのだ。
──だが、虎は虎でも窮奇であったと言わざるを得ない。
《柳田流剣術、■■■■》
「──」
「……」
一瞬、伊織は何が起きたのか分からなかった。
伊織の首に突きつけられた刀の切っ先。所謂、王手を掛けられたらしい。
しかして伊織とて、反撃の可能性には十分注意していたのだ。
驕りもなく、油断もない。
──ただ、伊織自身の首元に突きつけられた一手が、如実に結果だけを告げているのだった。
「──あぁ糞ッ!? 負けだ、負けましたとも!」
そう言って伊織は、敗北を認めた上で、握る刀を床へと置く。
金属音──しかしてそれは、死合い決着の音にも思えるのだ。
「──ほっほ。まだまだ若いもんに負ける訳にはいかぬとて」
──勝者、柳田宗剣。
/19
「──まったく。酷い目に会ったな」
「まだまだ若いもんには負けぬとて。──しかし、その腕、鈍っていなくて良かったぞ」
「あぁそうかい。それはとても残念だな」
その後、伊織と宗剣は、屋敷の門の前でやり取りをする。
一日過ごしていけと宗剣は言うが、生憎と忘れそうになるが柳田伊織は学生だ。明日は丁度、月曜日となる。
別に休んでも良いが、それをするだけのメリットは、当の伊織には存在しない。
精々、夜間強行で"梓ヶ丘”に着けば良いだけの話だ。
「(──結構キツイが、まぁどうにかなるでしょ)」
と、そんな風に、今後の事を伊織が考えている時の事だった──。
「──おぉ。そう言えば、お前の母親の件を伝えねばな」
「……私が負けたから、それはチャラでは?」
「大人は時に太っ腹と言われたくての、その度量を見せつけるとて」
何を言うか。その手の集まりに宗剣自身が赴けば称賛の嵐だろう。
そう思う伊織であったが、そこで彼女自身がそれを向かい合って言う必要が、一体何処にあるという話だ。
当の伊織は、精々苦虫を噛み潰しつつ、宗剣の話の続きに耳を傾けるのだった。
「──お前の母親はな──……」
その続きの言葉は、吹き荒れる風の中に消える。
だが伊織だけは、その衝撃的な事実を耳にし、ただただ信じられない出来事を聞いたかのように目を見開くばかりで、言葉なんて出ない。
「……──それは本当、か」
「あぁ本当ぞ。儂がお前相手に嘘をつく必要なんてないからの」
「……」
その事実を伊織は知っている。
だが、周知の間柄であっても、宗剣の口から放たれた言葉は、伊織の認識を崩すに十分と言えるのだった。
「……──そうか。ありがとう」
「ほっほ。礼には及ばぬて。孫にお菓子を与えるのは、糞ジジィの役目とて」
「……糞ジジィって、知ってたのかよ」
そんなやり取りをしつつ、伊織と宗剣は別れを告げる。
前に登ったこの千段階段も、登るとなれば辛いが、下るとなればそれは易し。
しっかりとした足取りで、伊織はただただ普通に帰路に着こうとしたのだった。
「──さて」
筈だった──。
伊織とて、このまま帰るつもりではあったのだ。
だが、伊織が屋敷から持ち出したこの書物を確認をする。
それだけはやっておきたかった事だ。
「──はてさて。後はこの本をどう使うかだが」
思循する。
もし、伊織の考える未来通りならば、この一手は彼女たちの輝かしい未来には必要と言わざるを得ない。
最悪、──全滅する可能性すらある。
その上、この手がバレようものなら、その効果は発揮されないと言っても良い。
あまりにもか細い希望。──だが、伊織にはその程度で十分であったのだ。
「──"冬の荒野”ほど辛くはない。ただ、私が出来る事をするだけの話だ」
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良いお年をー。
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