第069話『白夜』

「………もう、終わってしまったんですね」


 我ながら、──友達不孝なもので。

 最初こそ、蓮花は伊織の誘いをどうにか断るつもりだった。もっとも、心の何処かでそれは無理だと判断していたのだが。

 そして、伊織に連れて来られて始めた野球の試合。

 元々、蓮花には勝つ気なんて最初からなかった。彼女には野球の経験がないどころか運動音痴で、相手が野球経験者ばかりのチームで構成されていてどう勝てという話だ。


 だが、蓮花の心は一体どうしたものなのだろうか。

 最初こそ、勝つ気なんて更々なくて。だが、いつの間にか勝ちたいだなんて、分相応な事を思うようになってしまっていた。

 そして、──楽しかったのだ。


「もっと、こんな楽しい時間が続けばよかったのに」



 ♢♦♢♦♢



 ──“ケモノ”と戦うというのは、とても恐ろしい事だ。

 『人を喰らう怪物を倒して、人々を救う。そして、その対価として“何でも願いが叶う』、そんな特権を得る事ができる。


 だがそれは、表向きの話だった──。

 吐き気を催す“ケモノ”が人を生きたまま食らうという現実は、まともな神経の持ち主では受け入れる事のできない非現実。最後に凪が残した言葉にならない嗚咽が、今もこの耳に染み付いたままだ。


 いや、それだけならばまだ良かった──。

 あの後蓮花は、亡くなった凪とティファニーの葬式に出た。

 その葬式は、あまりにも簡素なものだった。一人一人丁寧に埋葬する形ではなく、その事件において死んだ人々を纏めて埋葬する形。そもそも、“ケモノ”に殺された彼等彼女等の死体なんて残らないのだから、しょうがない事のだ。


『………』


 だが、あまりにもそれは、──だった。

 人を喰らう“ケモノ”を殺して、人々を救う。

 しかし、道半ばで“ケモノ”に殺されて食われれば、何も残らない。人々は自分達を助けてくれた魔法少女たちを忘れ去って、今もこうしてのうのうと生きている。


『──なぁ、今回の事件で魔法少女が死んだらしいんだけど、誰か知っているか?』

『確か、……風使いの魔法少女と、あとは知らないな』

『でも、魔法少女と言うんだから、もっと犠牲者を減らして欲しいよねー』

『うんうん。名前だけが過大評価されていて。私たちが魔法少女だったら、もっとうまくできたのにねー』

『わかるー♪』

『見る目がないよねー♪』


『世間で言われている人を食べる“ケモノ”だって、一つの生き物です』

『そうだ!』

『故に私たちは、彼等と対等にそして共存していく道だってある筈です!』

『『そうだ! そうだ!』』


 そう、蓮花は……分からないのだ。

 人を助けたところで、それに対してのお礼がある訳ではない。その上、勝手に死ねばそこには何の今まで生きてきた意味すらもなくなってしまう。

 しかし、蓮花は人を助ける事を望んだ。

 だけれども、──こんななのだと、知らなかったのだ。



 ♢♦♢♦♢



 さて、マボロシの中へと戻ろうか。


 蓮花たちがいつも過ごしている日々は、マボロシである。

 当たり障りのない、暇が有り余るほどの平穏な日々な学園生活は、多くの人がそれを望まないほどに退屈なのであろう。

 だが彼等彼女等は、それが一体どれくらいの犠牲を強いて完成された、人のぬくもりがある温かな日々だとは理解をしていない。

 そう、つまらぬ日々というのは、誰かの犠牲によって存在を確立する、ユメマボロシだ。


「……。私は──」



 ──一体何のために生きればいいのだろうか。



「───馬鹿だな、お前は。生きる意味なんて最初から誰かに求めるなよ」


 いつの間にか俯いていた蓮花の視界に、伊織の顔が映り込む。

 如何やら、これまたいつの間にか試合の片付けは終わっていたらしく、他の皆はばらばらと変える途中らしかった。

 これには蓮花も、申し訳なさで一杯だ。


「伊織さん。ごめんなさい」

「………ごめんなさいって、一体何にだ」

「勿論、片付けをしていなくて──」



「お前、今一体何に謝った」



 重く、真空の中にでもいるみたいに、呼吸ができなくなってしまう。

 蓮花だって、分かっているのだ。

 今の謝罪は、何も片付けをしていなかった事に対しての謝罪ではなく、あの日何も出来なかった不出来な蓮花自身が赦して欲しくて、──つい謝罪をしてしまった。

 そして、無意識に零れ落ちる、一筋の涙。


 蓮花にだって、そんなつもりなんてなかった。

 だが、あの日の出来事と今日の事を何処か重ねてしまって、謝罪をしてしまった。

 それを受けた伊織だって、勿論怒る筈だ。心のない謝罪がどれだけ無意味で、どれだけ相手を侮辱する事か知っていた筈なのに。


「──なら。……なら、私は一体どうすればいいんですか!」


 嗚咽にも似た叫び声。

 他の人だってまだ残っているかもしれないのだというのに、他人を鑑みない自分勝手な言葉。

 それはきっと、──蓮花自身が初めて言葉にした本心だったのだろう。

 だが、──。


「──はっ。そんなもん、私が知る訳ないだろう」


「………えっ」

「私はお前ではない。他人の考えている事だって碌に分からないというのに、その先の人生を決めるなんて、私には過ぎた話だ」


 もっともな意見だった。

 反論もできないくらいに、我を通した意見だったのだろう。

 けど、蓮花が欲しいのはそんな言葉ではない──。


「でも、なら……」


 言葉はもう出ない。

 続けるべき言葉なんて、今更存在はしていないのだ。

 ──けれど伊織には、その言葉の先があった。


「……参ったなぁ。本当は自力で自らの答えにたどり着いてほしかったのだけど、如何やらそれは無理そうだ。」



「なぁ蓮花。お前は一体何のために戦っているんだ?」



 何のため?

 最初は、人々を救うためという、今にして思えば酷く曖昧で無価値なものだったのだろう。

 けれど、それを知った今はどうか。

 救う理由もなくて、何か叶えたい願いがある訳ではない。ましてや蓮花自身に、破滅めいた自殺願望が存在しているのではないのだ。

 ──蓮花の心は、まるで金メッキされたようなブリキで。

 それが剝がされた今となっては、もう何のための戦っているのか分からなくなってしまっていた。


「──もう、分からないんです。私たち魔法少女が戦場で無意味に死んで行って、他の人たちはすぐに忘れてしまう。そんな戦いに意味なんて、」

「──馬鹿だ。本当に馬鹿だ、お前は」

「えぇ、本当に私ってば、馬鹿だったんですね。今まで、人々のためにとか言っていて、それで散々白い目で見られていた理由がようやく分かりました」


 人を助けたいだなんて、だ。

 ──それを今更ながら、吐き気を覚える。

 間違ってばかりで、間違いだらけ。何一つとして報われなかったし、そもそも目的ですら間違っていた。

 あの事件の結末、最初は何故とか無意味に私自身が悪いのだと蓮花は結論に至っていたが、嗚呼きっと最初から間違っていたのだろう。


「──それでお前は、一体何のために戦う?」

「何の、ために……」

「別に、戦う理由がなければ、魔法少女を止めたっていいさ。人並みに生きて人並みに死ぬ幸福が、どれだけ幸福に満ち溢れているものなのか、お前は知っているだろ。だから──」




「──精々、を選ぶ事だな」




 空気が、重くなる。

 ……分かっているさ。

 此処数日、“ケモノ”と戦わない平穏な日常を蓮花は過ごしてみたのだけど、──あの戦場の惨劇を忘れた事は一度たりともなかった。


 嘔吐。

 フラッシュバックする、あの光景。

 あの惨劇が、手に付着した血液みたく、染み付いたまま消えないのだ。


「──」


 そう、伊織は蓮花に今度こそ自分自身で道を選べと、そう言っている。

 “ケモノ”に襲われた人を助けたところで、それに対しての見返りがある訳がない。──行きつく先は、『地獄』。

 こんな役目を捨てて平穏な日常に戻ったところで、あの惨劇の光景が拭い去れる訳がない。──行きつく先は、同じ『地獄』。

 故に、伊織は言っているだ。




 ──行きつく先が同じ『地獄』であるのなら、自分の納得する『地獄』を選べ、と。




 ………。

 ………………。

 ………………………。

 …………………………………。

 …………………………………………嗚呼。



 何処もかしこも、この世の全てが地獄だというのなら、きっと──私が納得できる地獄がいいなぁ。




「私は──っ」




「私は──っ」



「私は──っ」


「私は、──私が嫌いにならない、私が納得のできる、私が後悔をしない地獄を選びたいっ!」


「──そうか。精々、悔いのない選択をすることだな」


 夕暮れ時に、今日蓮花は初めて伊織の表情をまともに見た気がする。

 多分、きっとその通りなのだろう。

 蓮花はあの事件で自身の無力を知り、そんな蓮花自身に期待をしてくれていた人たちに合わせる顔がなかった。いや、落胆した表情をしているのではないかと、恐ろしくて見ていられなかっただけだ。

 けれど、──この瞬間勇気を振り絞って、初めて伊織の事を見た。


 そんな、蓮花の瞳に映った伊織の姿は、何処か儚げできっとほんの僅かであるのだろうけど、蓮花の事を心配してくれていた。

 ──正直言って、立ち止まっていいと慰めの言葉なんて要らなかったのだ。

 でも伊織は、歩けと、そう諭した。

 そう──。


「(──おかげで私は、私自身を嫌悪する事はなかった……)」






 それから少しばかり、蓮花と伊織は本当に他愛のない世間話を幾つかして、命の恩人たる伊織は去って行った。

 少しばかり、嬉しかった。

 ──おかげで、初めて過去と離別するために泣ける気がするのだから。

 流石に蓮花とて、道を示唆してくれた相手の目の前で泣くのは、避けたい話だった。


 そんな時だった。

 不本意ながらも泣きべそをかいている蓮花の元に、誰かが近づいてくる予感。

 普段なら、伊織かもしれないと蓮花は思うのだが、もう彼女は去った後だ。

 であるのならば、──一体誰?


「──泣いているのですか、蓮花さん」

「あ、涼音さん。すみません。お見苦しいところを見せてしまって」


 蓮花が振り向いた先にいたのは、涼音だった。

 はて、一体何の用だろうか。


「……それで、私に一体何の用ですか?」

「あぁ、そうでした。つい、すっかり忘れるところでした」


「──そう言えばさっき、に会いましたよね」


 確かに、蓮花は伊織に会った。

 それも、ただ伊織と会って話した訳ではない。人の生く道を、感謝しきれないほどに教えて貰った。

 もしかしたら、今こうして会っている涼音も、伊織に用があって先ほどまでいた蓮花の元を訪れていたのかもしれない。

 だが──。


「? いいえ、ボクは伊織に会いに来た訳ではなくて、蓮花さんに会いに来たと、さっきも言いましたよね」

「──? 伊織さんに会いに来たんじゃないんですか?」

「確かに、伊織にも用がありますけど、今回は蓮花──貴女に用があってここまできました」


 蓮花に心当たりは、……あると言えばある。

 ……お恥ずかしい事で。

 けれど、きっと伊織ならば、何を恥ずかしがっていると、意味も分からず怪訝そうな表情をしている事だろう。その光景がありありと思い浮かぶ。


「まぁよくも、人気がないとはいえ、びぃびぃ泣いていましたね」

「──っ!?」


 しかして、こうして直接蓮花自身が泣いていた事実を指摘されると、それ以上の羞恥心が彼女を襲った。具体的には、思考なんて碌に纏まらないし、自身でも分かるぐらいに顔が紅葉している事であろう。


 だが、──次の瞬間、空気が引き締まる思いだった。

 先ほどの、伊織の時に味わった空気がまるで真空の中にでもいるような圧迫感であるのなら、今味わっているのは極寒の絶海氷土のような、肌を切り刻まれる痛み。


「──それで、ここからが本題なんですけど。どうせ、伊織は貴女には言っていないんでしょうけど、ボクには憐憫なんて必要ないので、──この際はっきりと言います」




「──蓮花さん。貴女の謝罪は、正直言ってです」




 不愉快。

 少し前の蓮花だったら何を言っているのか分からなかっただろうが、今は違う。それは彼女とて、不愉快な気分になるものだろう。

 分かっている。

 ……分かっている、、だった。


「……分かっていないようですから、この際きちんと伝えておきましょう。」

「──っ。えっ」

「あの事件の葬式の時、貴女はびぃびぃ泣いていましたけど。……ボクとて今更、他人の感傷に態々水を差す気なんて更々なかった。ですが、──」




「──できない事を謝罪して、それでケジメを付けたってその内心。努力してきた人を散々馬鹿にしている行為。ボクは、蓮花、貴女が嫌いです」




 胸を付かれる思いだった。

 まるで、大きな釘を刺されたかのような、鈍痛と胃酸が逆戻りをするかのような嘔吐感。苦虫を嚙み潰したかのような、苦み。

 それをどうにか我慢をして蓮花は、当の涼音を姿を再度見た。


「……」


 軽蔑した表情。

 それは、もっともな事であった。

 蓮花とて、努力を裏切る行為は嫌いだ。どれだけ頑張っても足りないのだろうけど、その今までの努力が無意味だったと、そんな糞みたいな事実の肯定をしたくない。


 けれど、蓮花は確かに努力を

 出来ない事は、出来ない事である。それ自体は、何ら可笑しな話ではないし、恥ずべき事ではない。

 だが、出来ない事を謝罪するという行為は、自らが出来ない事を出来なかったのだと、その相手に対して悔いるという事だ。……思い上がりも甚だしい。


「……伊織はどうせ、立ち直るように言っていたと思いますけど、ボクはそうは思いません」

「……でも、私は──!」


 蓮花は、先の涼音の言葉に反論をした。

 けれど、そこには一切の内容が含まれていない、ただ勢い任せで口先だけの言葉だった。

 ……それでも、蓮花が進みたい地獄は、この先にはない。あんな、平穏な日常で脅威に怯えながらすごく日々を、彼女は過ごしたい訳ではない。


 戦う理由なんてない。

 助けたい人々は、濃霧の中へと消えていった。

 でも──。




「──でも私は、怯えて過ごす、そんな死んでいるような人生を送りたいんじゃない!」




 ただ、

 単純かつ明確で、──ただそれだけの話だった。




 ♢♦♢♦♢



「……」

 

 そんな、一代一世の力強い自らの意見を言った蓮花に対して、当の涼音は少しばかりその瞳を見開いた。

 最初、涼音が蓮花と会った時、彼女はあまり良い印象を抱かなかったのだ。

 伊織の紹介だからこそ、蓮花に武術や体捌きの類を教えていたし、だがそれも相手の事を考えたものではなかった。正直な話、幾分か涼音の鬱憤晴らしも含まれていた事だろう。

 だが、そんな涼音の鍛錬に対して、蓮花はまるで乾いたスポンジのように吸収していったのだ。


 ──黒辺涼音は、鈴野蓮花が嫌いだ。

 努力は報われると言っても、そう簡単に報われる話じゃない。努力は幾らやっても足りないものだし、そもそも機会が訪れるかも不明な話である。

 それに、人々を助けたいだなんて、純粋無垢で馬鹿なやつが考え付きそうな願いだ。


「……そうですか」



 ──だがそれでも、どれだけ涼音が蓮花の事が嫌いであろうとも、彼女が努力してきた事実を、どうして嫌いになれるだろうか。



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