第070話『常夜』

 夕暮れ時はもう過ぎて、いつの間にか黄昏時になっていた。

 先ほどまで、口論をしていた蓮花とて、帰る家はある。もっとも、直接帰りたい気分ではなくて、正直言って寄り道をして帰りたい気分だった。


 そして、そんな気分を優先するかのように、蓮花は直接家には帰らないつもりのようだ。

 けれど、適当に時間を潰せるファストフード店などではなさそう。蓮花が歩く方向の先には、それらしい店の類はなく、そもそもそんなな表情を彼女がする必要がなかった。


「……確か、の住んでいるマンションは此処でしたよね」


 ──そう、今蓮花が向かっているのは、前の事件で一緒の班だった同じ魔法少女の雫が住んでいるマンションの一室。

 本来だったら、一旦“乙女課”にでも雫の住所を聞く必要があるが、前に彼女たちの住んでいる一室で夕食を食べていた事があったので、たどり着くのには問題はない。


「(……そう言えば前、オムライスとコンソメスープを作っていたっけ)」


 だがそれも、遠い過去の記憶。

 あの事件以来、姉妹の中で唯一生き残った雫は、一度も外に出た様子はない。鍵は掛かったままだし、窓には分厚いカーテンが閉められたままだ。


 そんな雫に対して、少しだけ分かるような

 そう、気がするだけだ。

 自慢げに語る事では一切ないのだが、蓮花もあの事件以来自室に閉じ籠ったままだった。何をするでもなく、ただ一日一日を謝罪に費やしていた。

 だがそれが、雫と同じ境遇だとは口が裂けても言えない。

 冷え切った話、此方はただ知り合いが“ケモノ”に食われただけであり、対して向こうは今まで一緒に生活をしていた唯一の身内を失ったのだ。これらを同義にする事は、十分相手を侮辱する行為であろう。


「──っ」


 そして、──雫がいる一室へとたどり着いた。

 息が詰まる。

 胃の中のものが逆流する、嘔吐感を覚える。

 鈍く、そして重い痛みが、全身を駆け巡った。


 ──でも、言葉は持っている。

 不思議と、怖くはなかった。



 ♢♦♢♦♢



 暗闇の中、足元も見えないまま、何処に立っているのかも分からずじまい。

 ……生きる理由もなくて、死ぬ理由もなくて。

 ただただ、惰性で今日も今日とて生きている。


 ──ただ、最初はそんなんではなかったのだ。

 雫の傍には凪がいて、ただただ過ごす何気ない日々が楽しかった。勿論、“ケモノ”を倒したり、お金の類で苦労をしたりもしたけど、それもきっと何気ない日常の一つとなっていたのだろう。


「──ぁっ」


 だがそれも、かつての記憶。

 ……もう、凪はいないのだ。

 雫の目の前で凪は、頭から食べられて、がりがりと。そんな悲惨な光景を、ただ彼女は見ているしかなかった。

 あの時ほど、雫自身の非力を感じた事はなかった。

 いや、それ以上に──。



 ──ガチャ。



 まるで、雪原の中にいるような無音な空間に、無機質な生活音が混じる。

 勿論、この一室の主な雫は、今だ動いた様子はない。ドアが開く音に対して反射をするかのように、ただ無意味に振り向いただけだ。

 その瞳に、光なんて希望を映し出していない。


「……雫さん。こんばんは」


 蓮花が、そこに立っていた。

 ただ、それだけの話だ。

 それだけの話で雫の心が救われる訳でもなく、何か興味を抱く事もない。予定調和、分かり切っていた事だ。

 そしてきっと、蓮花は何かを言おうとして、何も言えないのだろう。

 それを何処か、雫は望んでいるのかもしれない───。


 ──だが、そんな期待を裏切るように、立ちずさんだままの蓮花は、二言目を話始めた。


「雫さん。上がってもいいですか?」

「……どうぞ」

「失礼します」


 そして蓮花は、更に此方へと足を踏み入れてきた。

 しかしてその足は、恐怖に震えていて足取りはあまりよくはない。拒絶されるのが、怖いのだろうか。

 ただそれも、きっと杞憂なのだろう。

 当の雫の瞳に光はなく、蓮花の姿が映る事はない。

 けれど、その一歩一歩は、確実に雫の元へと進み続けるのだった。

 ──そう、立ち止まったままのとは違う。


「……」


「……」


 よいせっと、腰を下ろす。

 そして蓮花は、体の正面は向こうに、ただ頭だけを此方に向けた雫と向き合うのだった。


「……雫さん。少し、風に当たりに外に出てみませんか?」

「……」


「……今の時間帯だったら、丁度人気もないですし」

「……」


「……あ、危険があっても私が何とかします。きっと、大丈夫ですよ、だいじょーぶ」

「……」


 蓮花がどれだけ話し掛けても、──雫からの言葉はおろか反応すらも見られない。ただその、無機質なまでの瞳で、今も何処かを見ているのだった。


 予想外。

 少しだけ蓮花は、雫の事を見誤っていたのだろう。

 唯一の、今まで一緒にいた身内が“ケモノ”に食われて、死体も残らずに死んだ。たとえ、他人事であろうとも、その当人に衝撃を与えるだけの悲惨な結末モノローグ

 だが──。




「──ぁっ」




 そんな時、蓮花の瞳に入ってきた、思考や神経や実物がない筈の心臓までもが縮こまるほどのが、──そこにはあった。

 それでふと思い出すのは、前に伊織と凪や雫それと涼音とで、一緒に夕食を取った時の事だ。

 確かその時に作った料理が、オムライスとコンソメスープだった筈。蓮花自身も、凪と雫と一緒に作っていたから、よく覚えている。

 そして──。




 ──のものなのか分からない、オムライスとコンソメスープがそこにはあった。




 ──そう、幾つも、そこにはあった。




 話のモノローグとエピローグを繰り返している気分だった。

 かつての温かい日常を過ごすために、その再現を繰り返している。

 だがそれも、決して上手く行く筈がない。再現は何処まで行っても再現であるし、そもそも再現自体が歪過ぎている。


 でも、蓮花には少しだけ分かる気がする。

 もしも、この忌まわしい記憶を失って平和な日常を選べるとしたら、きっと蓮花はその道を選ぶだろう。それが、どれだけ幸福に満ちているのか、それを知っているのだから。

 だからこそ、そのぬるま湯のような、夢幻ゆめまぼろしの非現実に浸りたい、どうしようもない気持ちが分かるのだ。


 ──そんな時だった。


「……なんで」


 雫が、初めて口を開いた。

 乾いた言葉。

 掠れた、意味のない言葉だった。


 だが、怯む事はできない。

 何故なら、──伝えたい言葉があって、蓮花は雫の元へと訪れたのだから。


「──あの時はすみませんでした。もっと、私に勇気が、力があれば凪さんを助けられたのかもしれないのに」


 謝罪をしたい訳ではない。

 でも、もしかしたら助けられたのかもしれない。

 世界線が枝分かれをした“たられば”。こうして未来へと進んだ今となっては、あまり関係のない話……ではないのだ。


 反省を。

 反省を。

 蓮花は、反省をしたいのだ。

 勿論、これは雫のための謝罪でも、蓮花自身の反省のためでもない。世間的に言えば、ただのだ。碌な意味なんて、ありはしない。

 けど、蓮花はこのエゴに意味があるのだと知った。

 軽蔑されるのかもしれない、拒絶されるのかもしれない。

 だがきっと、──この謝罪には意味がある。



「なんで。──なんで謝るのですか、蓮花さん!」



 金切り声にも似た、罵声。

 罵声と感じたのは、言葉を投げつけられた蓮花本人が感じた事であって。けれどもきっと、それを言った雫は、蓮花に対して怒りをぶつけている事のだろう。


「ねぇ蓮花さん、蓮花さんのせいで、凪は死んだのですか!」

「……ご──」


!!」


 謝らないでくださいと、雫は言った。

 そして、此方を向いて立ち上がった雫は、そのまま頭を抱えて膝を折る。その開いた瞳孔と、隈のできた瞳を震わせて。


「何で謝るんですか。何で謝るんですか。何で謝るんですか。何で謝るんですか。何で謝るんですか。何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で、──何でんですか、蓮花さん」


 縋るような、か細い声。

 だが、それ以外の結末を認めないという、力強さは感じ取る事はできて。

 感情が織り込まれた、──まるで糸のようであった。




「謝らないで。謝らないでよ!」


「──貴女が謝ったら、私は一体誰を恨めばいいんですか!」


「凪は、あんな簡単に死ぬ人じゃない。きっと、何かどうしようもない、そう不調や要因があって死んじゃったんだ」


「ねぇ、蓮花さん。……謝らないでよ。謝ったら私、一体誰を恨めばいいんですか?」


「──お願いだから、一生恨ませてください」




「そう……ですか」


 咄嗟に出た言葉は、ただそれだけだった──。

 そう言って蓮花は、雫が膝を屈した一室を後にした。

 ───きっと、もう、会う事はないのだろう。



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 お疲れ様です。

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