第068話『独白』

 そんなこんなで何故か唐突に始まる、野球試合。

 ちなみに、何故野球の試合をする事になったのかというと、伊織の弁では利権を賭けた勝負らしかった。意味も分からなければ、彼女もそれ以上の事を言わないので不明慮なままだ。


「──プレイボール!」


 始まった。

 攻守の展開は、先に蓮花たちのチームの守備から始まった。

 そして、合計で三回までの得点で、この勝負の勝敗が決まるらしい。ちなみに、第三回までの得点が同点だった場合、延長線に突入するようだ。


「よし、三振を取ってやるぜ!」


 そう言ってマウントに立っているのは、意外は意外でも、最終的には納得できそうな人選である、城ケ崎健人。

 そして、これは案外意外と思うかもしれないのだが、このチームの中でまともに野球ボールを投げた事のある選手は、健人の奴しかいない。

 故に、最低限試合を進めるためにも、半強制的ながら健人が投手を務める事となった。


「──ストライク。バッターアウト!」


「よっしゃー!」

「──。ないすきー……」


 不安になりそうな発言もなんのその、健人は早速打者の一人を打ち取った。

 勿論、決め球は愚直なまでのストレート。そもそも、健人がストレートしか投げられないという欠点があったのだが、愚直なまでの剛球なストレートは、彼のやる気を爆上げをしたらしい。




 だが、そんな美味い話がそうそう続く筈もなかった──。


「げっ!?」


 流石に、あまりやりこんでいない健人のストレート一本では、現役野球青年等を抑えるのは不可能だったようだ。

 見事にバットに合わせてきた打者は、健人の渾身の一球をかっ飛ばす。まるで、地面を這うような打ち返されたボールは、バウンドをしつつも速球で外野へと飛んでいく………筈だった。

 そこには、──彼女がいた。


「よっ」


 野球ボールと同じように、低空飛行な横っ飛びで、丁度涼音のミットの中へと納まった。

 そんな、涼音が任されている守備は、第二塁と第三塁の間。流石に、伊織には身体能力では勝てないながらもその猫科のような俊敏さは、前方の守備に適しているのだ。

 とはいえ、そんな超常的な俊敏さを誇る涼音とて、野球ボールを投げる肩は出来ていない。

 なので、第二塁にいる健人の知り合いにパスをしつつ、今回もどうにかアウトに収める事ができた。


「……。(ぐーっ)」




「──よぉし。ここから反撃だ!」

「伊織。貴女の打順はまだ先です」

「あ、はい……」


 ショボーンと、再度座り直す伊織であった。

 今だあまり気乗りをしない蓮花としては、個人的に代打をやってもらいたかった。

 勿論、蓮花とて心得ているつもりだろうけど、代打なんて伊織に相談しようものなら、手の平返しをする事、間違いなし。


「──おらっ!」


 第一打者目にて、健人。

 カーブやフォークを狙い打てる技術は、健人には備わっていない。

 なら、何故打てたのか。勿論、運が関わっているという点もかなり大きいのだが、最初の様子見の球に合わせられたのがかなり大きい。

 とはいえ、コースの類もお世辞にも良くなく、また一応の警戒をされていたために一塁辺りが限度だった。


 ちなみに、打者の第二陣と第三陣は、蓮花と健人の知り合いが受け持った。

 こうして語られるという事は、まぁお察しの通りで。

 最近は鍛えているとはいえ、元々運動神経が壊滅的な蓮花は、大振り三振にて呆気のないほどに早く終わってしまった。碌にどころか一回も練習をした事がない野球ならば、これくらいだろう。


「──。もっとやる気を出せー、主人公だぞー」

「……ちっ。伊織さんが無理矢理連れてきたんじゃないですか。というか、主人公って何ですか、主人公って」

「主人公とはなぁ、奇想天外で理不尽な目に好かれた人の事を指すんだよー」

「……確かに、私にそっくり」


 先ほどの、誰にでも優しい蓮花が放った、もう聞く事ができないかもしれないほどの希少性を誇る舌打ちはスルーの方向か。

 確かに、伊織の言う主人公像は、奇想天外な運命に巻き込まれるもののようだ。実際、古今東西の創作物語は、そこから物語が始まるか、それ自体が一つの要素となっている。

 ……けれど、今の伊織の言葉は何処か含みがあるようで。

 しかして、当の蓮花は何故か納得してしまっていた。


 その一方で──。


「あ゛!? テメェ、変なところに返してんじゃねぇよ! おかげで、ダブルプレーだったじゃないか!?」

「知らねぇよ! 遊び感覚でやっていた奴に、何求めてんだよ」

「ヒットぐらい打てや、コラ!」


 なんて、半分喧嘩になり掛けていたのだけど。

 そんな二人に迫る、一つの影──。

 意図的に漏れ出した気配を感じて、健人たちがそちらの方へと振り向くと。


「──五月蝿い」


 威力のわりに、妙に痛い拳による一撃が、健人とその知り合いの頭部へと叩き込まれるのだった。こう、───ぼこっと。

 そして、そんな高度な技術を用いて拳を叩きつけた涼音は、相変わらず機敏の少ない鉄仮面な事で。

 一方で健人とその知り合いは、悶絶をするように頭を抱えつつその場にて座り込むのだった。

 ──さも、ありなん。






 試合は、何度かのトラブルに見舞われつつも、進んでいく。

 外野からバウンドなしで、その人外めいた身体能力を以ってして投げられた伊織の剛球を一塁にて受け止めた啓介が、嵌めていたグローブごと持って行かれて一塁を相手チームに取られたり。

 あまりにも不運で偶然な、徹による打球が投手に直撃するなんて。勿論、それを成した当の彼はというと、申し訳なさと何故こうなったのかという虚無感に包まれていたのだが。


 それでも、今だ相手チームが優勢で、試合はまだ続いている。

 確かに、伊織たちのチームは身体能力に富んでいる人が多い。あまりこの手の話題に挙がらないが、健人だって同世代の学生相手なら勝てるほどに秘めているし、涼音や伊織は確実に出禁クラスな事であろう。

 だが此処に、──身体能力だけでは勝てない現実がある。

 確かに、圧倒的な身体能力の差で押し潰す事は可能だろう。それが、伊織や涼音といった面々がいれば尚更に。

 けれど、技術が伴って初めて身体能力が機能するのだ。先ほど外野から投球した伊織の球が、かなり暴球気味だった事を鑑みれば、よく分かる事だろう。




 ──そして、最終回にて。

 ここまでは、相手チームが一点リードで試合が進んできた。

 確かに、伊織たちのチームは、それこそ身体能力に富んでいる人が多いのだけれども、技術が伴っていない。バットを上手く打つ技法なんて知らないし、投球の際の肩だって出来ていないのだ。

 ちなみに、伊織はというと、上記の事もなんのその。身体能力だけで得点を取る彼女の姿は、鹿鹿ほどに鮮烈だった。


「よしっ!」


 まずは、涼音が二塁にまで進んだ。

 涼音の打球は、威力こそないものの、とても精密だ。

 そして、狙い打った涼音の打球は、相手チームの選手の足もとを縫うようにして一気に外野の方へと。普通は、トンネルだとか恥じる場面であるが、相手が射手な涼音の一撃なのだから、そんな事実は知らないだろうがしょうがない話だ。


 次のもう一人の健人の打席は、語るまでもなく三振。

 先ほどのダブルプレーをかましたもう一人の彼は、悪い意味ではあるがとても印象に残った。

 だが、もう一人の助っ人は、何も出来なかった。いやまぁ、初心者に経験者の本気の球を打てというのは無理難題でしょうがないのだけど、こうして三振をかましたところで印象が一切残らないというのは、こうご愁傷様で。


「──うぇっ」


 次席、運動が苦手な啓介は、健人の知り合いという名誉を挽回するかのように、──打った。勿論、いい球でもいい打球でもなかったのだが、それでも前へと飛んだ。

 だが、案外運の良い物見遊山も、そこまでで終わる。

 啓介の放った打球は、丁度一塁と二塁の間辺り。

 それはもう、いとも簡単に拾われて終わってしまったのだった。


「おーい、啓介ぇ。見事に捕まっちまったなぁ」

「……だから、期待をしないでと言ったんですけど」

「どんまい。良いスイングだったな」

「徹は、フライで見事に拾われたけどね」

「──喧嘩売ってる?」


「──よぉし。私が良いとこ見せちゃうぞ♪」

「ファイトです、伊織。……そう言えば、今日はメリアさんはいないんですね」

「……」

「あ、伊織さんがやる気をなくした!」


 何か混沌としつつも、おそらくこれが伊織たちのチームに残されたラストチャンス。

 一応、伊織の後ろの打席には徹がいるのだけど、先ほどの見事なフライを見るに、そこまでの期待は存在していない。

 故に、伊織のこの一打に全てが賭かっている。

 ──そう、ホームラン一本勝負の大舞台。

 確かに、伊織がヒットを打って、それで二塁にいる涼音がホームを踏むのもまた一つの手だろう。少なくともまだ、試合が終わった訳ではない。

 しかし、先も述べたように、フライを上げた徹にそこまでの期待を寄せるのは伊織とて厳しくて、そのまま試合終了の流れが濃厚だ。

 そう、この試合に勝つためには、此処の打席でホームランを打つしかない。


「伊織。かっ飛ばせ、ホームラン」


 他のメンバーも、伊織のこの打席を見守っていてくれる。

 であれば、そんな期待を背負った伊織が、──此処で失敗する訳にはいかない!



 ……。

 ……。

 ……。

 ……。

 ……。



 ──カキィン!



 金属バットに伝わる、鈍い感覚。

 そして、野球ボールは蒼穹の彼方へと飛来して、まるで遥か遠くに見える白綿の雲を思わせるように飛んで行った。

 そして──。

 そして、案外呆気ないほどに、伊織の打球はフェンスの向こうの芝生へと着地をするのだった。


「──ホームラン……」






 さて、最終回裏。

 先ほど、伊織の一撃によってこのまま勝利する事ができるところにまで持って行った。

 だが、そこで一瞬チームに綻びが生まれてしまったのだ。

 その綻びは僅か一瞬の、まるで陽炎のように実体を掴めないほどに曖昧で僅かな  けれどそれは、──あまりにも致命的だった。


「……あと一人」


 前方の要である涼音は、相手打者の事を睨むのようにして見つめる。

 前の打席で、伊織と同じくホームランを打ってきた奴だ。

 それならば、前方で守備を任されている涼音はあまり警戒しなくても良いと思うかもしれないが、生憎そうとはいなかいほどに此方は追い詰められている。

 実際、ランニングホームランを狙える程度には、相手チームの方が優勢なのだ。


 だがその一方で、この勝負の分かれ目になる前に、一人打ち取っている。

 もしも、その打ち取った人に塁を歩かせていたら、伊織たちのチームの勝利は危うかったのかもしれない。

 意外というか当たり前なんだけど、このチームは自滅をする事が多くて、それで失点する事が多かった。

 故に、碌に塁を進ませないように勝ち越す事は、殆ど不可能であるのだ。



 ──静寂が、辺りに溶解する。

 


 ──自身の、息を呑む音が、やけに生々しく聞こえる。



 ──そして、



 ──カキィン!



「──っ。蓮花ぁ!」


 蒼穹を越えて、白雲に紛れて、──そして運の悪い事に太陽の光に遮られてしまった。

 しかしそれも、束の間の事でしかなかっただ。

 もう、そう思考する間にも球が見える位置にまで移動していて、高さという壁はあるものの、この一球をキャッチする事に何ら支障はない。

 そう、グローブを嵌めた手を掲げる、蓮花でさえも───。



 ♢♦♢♦♢



 ──案外、楽しかったのだろうか。

 そう、満更でもないかのように、当の蓮花は思考する。


「……」


 最近、とある事件が起きた。

 そして蓮花は、自分の非力を嘆いた。

 何かができた訳でもない。けれどきっと、何かしらはできたのかもしれない。その、自傷だけを目的とした後悔は、蓮花を呪いの如く蝕み続けてきた。


 そんな蓮花を見かねて、伊織はこの試合を計画したのだろう。

 どういう取引でこの試合を立ち上げたのかは、蓮花だって知らない。けれど、少なくとも運動音痴な彼女を誘う理由は、それ以外存在しない。それを──知った。


「──ぁっ」


 そんな期待をされても悪いのだけど、蓮花はそれに対して答える事はできない。

 無力、無力だから、そんな期待をされても重いだけだ。

 できない事をやろうとしたところで、できない物はできないのだから。


 でも、──何かできるかもしれないと、そう期待してしまう。

 もしかしたら、今回こそは、きっと──。




 ──ことん。




 ……なぁんて。

 そんな、まるで創作物語のような、希望的観測がある訳がなかった。

 蓮花だって知っていた筈だ。

 人が“ケモノ”に食われて、ぐちゃぐちゃのミンチ肉になった瞬間に、これでもないってほどに思い知った筈なのに──。


「……何で、何で私はまだ期待しているのっ!?」


 ──この世界は、絶望に満ち溢れている。

 希望が満ち溢れているなんて、吐き気を催すほどの絶望にあった事がないから、そう言えるのだ。それでも、世界は希望に満ちているなんて綺麗事を言う奴が必ずいるのだが、少なくともそれを経験した蓮花は、そうは決して思えない。


 でも、この胸の内にある期待は一体……。

 何かに今だ、期待をしているというのか。


 ──他人が態々助けてくれる筈もなくて。


 ──自分自身が、どれだけちっぽけな存在なのか知っていて。


「……それでも何で、期待、しているの」






「──そりゃぁ、私がいるからな」


 ──絶望の暗闇に、一筋の眩いほどの光が差し込んだ。

 蓮花自身は気付いていなかったのだが、彼女の瞳はぼやけていて傍から見ても心配するほどだった。

 そんな、綱渡りをしている状態な蓮花に対して、一番最初に動き出したのは、少し意外に思うかもしれないが柳田伊織だった。

 勿論、そこに偽善めいた助けのために、伊織は動いた訳ではない。野球ボールをあのまま落としたとしたらこの試合には勝てなくなるからであって、それは蓮花だって承知の事実であった。


 そして伊織は、蓮花が落とした野球ボールを拾うと、そのまま投球。

 狙いは勿論、一塁にいる啓介目掛けてだ。


「……」


 ──何となくだけれども、少しだけカレンさんが伊織さんの事を執着していた理由が、少しだけ分かった気がする。

 眩いほどの閃光。

 それはきっと、傍にいるだけで温かくて他人すらも焼き尽くす、まるで太陽のような存在なのだろう。

 でも、その湯たんぽのような温かさに慣れてしまったらきっと──。



「──あ゛っ!」



 そんな、幻想的な雰囲気の中だというのに、当の伊織から放たれた一連の雰囲気をぶち壊すが如くな、鈍い呟き声。

 そう、先ほど伊織が放った投球は、かなり暴球気味だったのだ。立ち振る舞いが幾らか美化されていて蓮花は気付けなかったのだが、こうして事実となった今現在では理解できる話だ。


 伊織からすれば、折角に見せ場だというのに恥ずかしいほどの致命的な失敗。

 それに対して蓮花はというと、───少しだけ。なんて言ったら、当の伊織は幻滅するのだろうか。

 でも、圧倒的に格上だと思う伊織が失敗するのだと思えば、少しは蓮花自身の失敗も軽く思えるようになるのだ。


 だが──。

 蓮花と伊織は、違う存在なのだ。


「──っと」


 暴球気味に一塁で待っている啓介から逸れていく野球ボールを、どうにか涼音はキャッチしたのだ。しかも、それだけでも驚愕に価するというのに、そこから彼女は振り返るのと同時に、一塁で心配そうに待ち構えている彼へと投球するのだった。


 そして、どうにか啓介のグローブの中へと吸い込まれて行って──。


「──ゲームセット!」


 実感を湧かずとも、ここに試合は終わりを告げた。



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 お疲れ様です。

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