第064話『ありふれて、歪な日常』
衝撃的な週末を過ごした伊織といえど、当たり前のように明日はやってくる。
けれどそれは、──朝起きられるという当然の話ではない。
「っやっべ、遅刻、遅刻ぅ」
「姉ちゃん。これお弁当」
「危な!? ……良かった。昼飯を忘れるところだった。──それじゃぁ、行ってくるからな」
そう言って伊織は、マンションから駆け足で学校への道のりを進んでいく。
手には聖シストミア学園で指定されている鞄を、口には朝飯にと銜えた食パンの姿がそこにはある。勿論、当の伊織とてお嬢様にあるまじき行為である事は重々承知しているが、それでも朝飯を椅子に座って食べていられるほどの余裕はなかった。
道中にて。
困っている人がいたのだが、他の人が率先して助けているし、大丈夫だとそう判断をして通り過ぎていった。
街角で他の学園に通っていると思われる男子生徒とぶつかりそうになったが、そこは伊織の驚異的な身体能力で恋愛フラグをばっきりと折るが如く、避けて去って行くのだった。
「危ない、危ない。あと少しで、恋愛シミュレーションが始まるところだった。別に付き合うつもりなんてないけど、面倒な事は避けたいからな」
──人並木を駆け足で進んでいく。
勿論、魔法少女の時のような人外めいた速度を出している訳ではなく、少し速いかなといった辺り。流石の伊織とて、それくらいの常識は分かっているつもりだ。
そして、駆け足で学園へと向かう伊織の瞳に入るは、伊織と同じだろうか、聖シストミア学園の制服を着た彼彼女等の姿。
「……敷居高い学園と言えど、案外遅刻ギリギリに駆け込んでくる奴って結構いるものだな。……私もだけど」
「伊織さんではないですか、おはようございます」
「おは、──ん?」
朝を自虐から始めるのはどうかと思い、伊織は他の人との比較を挙げてみたのだけど、逆効果だったらしく憂鬱そうな表情を浮かべる。
そんな時だった──。
伊織の事を呼ぶ声が聞こえたのだ。
普通だったら伊織とて、話半分に振り替えるだろう。実際彼女は、そのようにして振り返った──つもりだった。
「……。何してんの、徹さん」
伊織の表情が一瞬真顔になるだけの衝撃が、徹にはあった。
徹と言えば、蓮花の知り合いで結構真面目な性格だった筈。それに加えて、悪いところをただすという正義漢としての一面を持ち合わせている。
だが、伊織の目の前にいる徹は、そんな予想を斜め上に裏切ってきたのだ。
「何って。伊織さんと同じ、食べ忘れた朝食を食べているのさ」
「いや別に、食べ忘れたとかそういうのじゃないし。そもそも、朝食がパン食でそれで食べ歩くなら、まだ行儀が悪いのも分かるけどさ!」
「……確かに、日本のアニメだと朝食を食べながら登校するものだと聞いていたのだけど」
「だけどよ、茶碗と
そう、確かに徹は通学路を歩いている。それ自体は可笑しな話ではなく、ただただよくある一光景でしかない。
だが、一体何処の世界に、白飯を味噌汁を片手に通学路を歩く奴がいるんだって話だ。
「(あっ……。此処に一人いたわ)」
伊織としてもフィクション小説の中だけだと思っていた、食パンを銜えながらの学園登校。
けれど此処に、それを超えるだけの衝撃があるのだ。
そして、伊織としては遺憾ながらも、衝撃はそれでは終わらなかった──。
「よっ! 柳田と徹。お前等も朝飯を食い忘れたのか?」
「……とても嫌な予感がするんだけど、コレ振り返らないと駄目なやつか?」
でも、好奇心が優先する。
けれど、伊織の食パン登校の衝撃が、消えてしまいそうになるほどの閃光が待っているかと思うと、拒否感と共に好奇心だって存在しているのだ。
そして、伊織は──健人がいる方向へと振り返るのだった。
「……何だ、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして」
「いや、したくなるだろ! 何だよ、朝から
「昨日の夕食が余っていたからな」
何を得意げにと、伊織は思うのだった。
伊織は、パン食にて。
徹は、白飯と味噌汁にて。
そして健人は、カレーにて。
伊織としては、最初はそれなりに稀有な出来事だと自画自賛していたのだが、いざ蓋を開けてみればどうだ。彼女の朝食なんて、フィクションとノンフィクションとの狭間で揺れる、中途半端なもの。最初から、敵いっこなかったのだ。
そして、そんなやり取りをしつつも彼等は通学路を進んでいき、いつの間にか聖シストミア学園の校門のところへとたどり着いていた。
今だ、校門が閉まる様子はない。
時間を確認してみれば、まだまだ余裕があるご様子。流石に伊織とて、走ってきていなかったら危なかっただろうが、けれどそこまでして急いでくる必要はなかったようだ。
「(……そう言えば、蓮花の奴が学校を休んで数日が経つ、か。そろそろ出てきてもらわないと、かなり不味いよな)」
人と人同士の関係が案外シビアな聖シストミア学園の生活において、数日間の欠席はかなり不味い。伊織とて、そう思うぐらいには不味い展開なのだ。
基本的に、聖シストミア学園の交友関係は打算同士で繋がっている事が殆ど。
例外として挙げるのならば、此処にいる伊織が適任だ。少なくとも彼女は打算による友達を必要としていなく、それでいて実家に迷惑が掛かる事もない。
ちなみに、蓮花やカレンといった面々は、どちらかと言えば前者に当たる。
「……おはよ~っ」
「伊織さん。おはようございます」
「おは──ん?」
はて、伊織の空耳だろうか。
今しがた、この場にいる筈のない人の声が聞こえたような気がする。
伊織の気のせいだと、そう断ずる事はきっとできたのだろう。けれど、早朝あった事が彼女の好奇心を活性化させていて、そちらに視線を向けるしかなかったのだ。
「──蓮花、か?」
「──はい、伊織さん。その節はご迷惑をおかけしました」
そう、──鈴野蓮花が立っていた。
伊織が何度も家へと行っても一切の反応がなかった蓮花の姿が、唐突に今この場にあるのだ。
いや、そんな訳があるか。
知り合いを目の前で“ケモノ”に頭から食われた上に、その後の不注意で更なる被害者を生み出したのだと、本人談。それに加えて、その蓮花が言う被害者の遺体は、残っていないとだと言う。
そんな現場を見て。
精神的不調をきたして。
それでいて、数日で復活するなんて、図太い奴ならあり得る話だ。
けれど、蓮花はそんな奴ではない。
人を助ける事を心の支柱にしていて。
図太いかろうとも、繊細で。
そんな、ダイヤモンドのような硬くても柔らかい奴が、此処数日で立ち上がれる訳ないのだ。
「……なぁ、本当に大丈夫なのか?」
「はい。ご迷惑をおかけしてすみません。あ、あと、書類などを届けてくれてありがとうございます」
「……先生も、私じゃなくてあの男子三人組にでも頼めよな」
「まぁそうですね」
「……ならいいんだ、それで」
確信した。
蓮花の心は、まるで“砕けたダイヤモンドの粉末状”だ。
一昔前には、ダイヤモンドは一番硬い鉱石だと流行ったのだろう。実際、目につく鉱石において一番硬くて、とても綺麗で話題性に事欠かない。
けれどそれは、事実とは異なる。
確かに硬いと噂のダイヤモンドは、その噂に違わぬ硬度を発揮する。だが、瞬時の衝撃には弱いのだ。
──そうそれは、あの事件のように。
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