第062話『古謳う龍』


「……本当にあるのか、1000年以上の龍鱗なんて」


 東洋の龍は、西洋の竜とは同じ読み方であれ、その実かなり違う幻想種なのである。

 まず、西洋の竜とは、邪悪な蛇としての一面が強い。宗教上、昔から蛇が邪悪な存在として扱われたためであり、人間の敵対者としての一面もまたあるためだ。

 そして、対して東洋の龍は、超常的な神の一種としての一面が強い。東洋は西洋よりもそういった幻想種に対しての認識が、畏怖よりも敬意が強かったためだ。


 詰まる話が、今回伊織が採取しに行く物というのが、──“人類初期である数千年クラスのの一部を取ってこい”という話である。


「おかげで、もう夜になっちまっているし。あぁ、まだ夏にすらなっていないとはいえ、思ったよりも寒いな」


 伊織自身の身の危険とは裏腹に、こうして人が関係していない異界内故に火の類が使えるのは幸いだ。もしも、普段の富士の樹海にて普通の焚火なんてしようものなら、何時火事になってもおかしくはない。


 ──ぱちぱちぱち。

 劇的な酸化現象、それによる乾いた木がはでる音が静かな森の中を通り過ぎていく。

 今夜の伊織の食事は、保存食を適当に齧る程度ばかり。流石に彼女としても、異界産な食材を食べる気には今はなれない。もしなれたとしてもそれは、保存食などの食料品がなくなった危機的状況にて、だけだ。


「……硬っ!?」


 ぶちぶちと切れる筋繊維の音が、伊織の耳に届く。

 味は可寄りな不可もなく。肉の純粋な味がしているが、どうも香辛料が効きすぎている気がする。思ったよりも伊織の味覚は、妹のフレイメリアの作ってくれる料理寄りになっているのかもしれない。

 あとは、簡単調理な主食たるお米。

 まぁ、普通。これ以上語る必要もないほどに、普通のお米だった。精々、保存用に加工されているためか、少し不味いところはご愛敬と言う事で。




 そして、夜が更けてきた。

 梓ヶ丘は、普段から電燈に照らされていて、星なんて見えやしない。精々が、一等星が視えたらいいなという希望的観測な話だ。

 だが、異界に入り込んだとはとはいえ富士の樹海から見る夜空は、満天の星空だった。何せ、明かりの類が少し前に伊織が焚いた焚火ぐらいしかなく、星辰の導きだろうか星々の関係性は普段と変わりない。


「思ったよりも久しぶりに見るだろうな、星空。こんなに綺麗だったら、メリアと一緒に見たかったな」


 その時は、ロマンチックにしっとりとした時間を用意したというのに。けれど、伊織にそれができる自信なんてなく。

 ──嗚呼、ままならないものだ。

 と、断寒用の布を頭から被っている、何とも締まらない姿な伊織の姿がそこにはあった。


 けど実際、今だ五月辺りだとはいえ、夜はそれなりに冷えるものだ。

 海上都市な梓ヶ丘だとはいえ、海風の類はそれなりに遮ってくれる。それに加えて、そもそもの気候やアスファルトの地面故に、そう寒くなったりはしないものだ。

 その一方で富士の樹海は、確かに風通しはあまりないのだけど、こう隙間風の類が吹いてくる。それに加えて、案外土な地面というものは、こう冷たさが直に伝わってくるというものだ。


「……あ。温かい」


 こんな風に感傷に浸っていると、ふと前世の事を思い出してしまう。

 柳田伊織の前世は、それなりには裕福であったのだろ思う。

 何をするにも障害なんてなくて、悪く言えばそれは平凡な日々であったと記憶している。叶えたい願いもなくて、目指す将来もなくて。

 ごく平凡な人生、──だった。


 けれど、あの日を境に桜吹雪な日常へと早変わりをした。

 一日一日を全力に生きて、後悔なんて思い出させないほどに前のめりに時を過ごした。けれど、こうして今になって思い出してみると、写真帳のようにあの時の事を思い出せる。


 初めて手を繋いだ感覚は、今もこの手に──。

 触れたら溶けてしまいそうで、白絹のような感触。そして、見失ってしまいそうな花々の向こうに、君がいた。


 過ぎ去っていく日々。

 それは何時しか古典となり。

 ──飽泡の夢、となった。



 /11



「──ん。朝、か……」


 いつの間にか伊織は寝ていて、そして朝になっていたらしい。

 けれど、たとえ睡眠状態に入っていても危機が迫れば自動的に目が覚めるようにはしているので、目が一度も覚めなかったという事は何も起きなかったという事だろう。


「……朝飯をしてさっさと龍鱗を探すか」


 あと、およそ数時間。

 それまでに、神話で絵描かれるような物品を探すなんて、まったく無茶苦茶な話だ。

 どうせなら、月曜日の学校を休むべきだったのだろうか。

 そんないやな黒い思いは、その辺にでも捨てておいて。

 適当に夕食の残りを朝食に、伊織は気分転換を兼ねて森林浴へと歩き始めた。



 ──なぁんて。



「──ま。そんな事を出来る余裕なんて、用事を片付けてからじゃないとないけどな」


 そう言って伊織がたどり着いた場所は、ごくな洞窟であった。

 灰色な石壁にできた、くっきりとした空洞。中は光届かぬ暗闇で、夜目が効かねばきっと足を取られる事だろう。

 そう、特徴らしい特徴を挙げてみたけれど、どう考えても普通の数ある洞窟の一つであった。

 だが──。


「違うんだよな、これが。私も最初此処を通り過ぎたけど……。でもこれ、どう考えてもだよな」


 つんつんつんと、伊織は虚空を人差し指で突くのだった。

 結界と思い浮かべるのが、透明な壁の一種であればそれは間違いだ。

 そもそも結界とは、実体を持っていない。伊織が突いているのだって、そこに何か実体のある物がある訳ではないのだ。


 結界は、“境界線”のようなもの。

 それも、運動場などに引かれている白線のようにそこにあるものではなく、意識によって一線が引かれているのだ。

 故に、こう結界が敷かれている場所を無意識に避けてしまう。気を付けていても無意識下の事なので、それに応じた対策をしない限り結界に遮られてしまう。

 だが、今までの話を見る限り結界の高性能さが伝わっていると思うが、実際のところそう簡単な話ではない。

 そもそも、───“結界とは無意識的な境界”だ。けれどそこには、結界を構成をするためのが含まれている。それも、高性能な結界を目指せば目指すほど、その使用する魔力量も上昇してくるのだ。

 故に、例えば伊織のような少々特殊な家系や魔術師、もしかしたら魔法少女といった彼女達も感知能力が高ければ気付くかもしれない。


 しかし、この結界は境界としての一線が引かれているにも関わらず、とても的だ。感知能力が高い伊織でさえ、一度目は見逃してしまうほどの周りへの溶け込みよう。

 手段と目的の関係が崩壊している結界において、これは本当の意味での結界なのだろう。

 

「──という事は、この先に私の目的な物があるかな?」


 そう言って伊織は、件の洞窟の中へと入って行った。

 けれどそこは、一寸先は暗闇な世界。たとえ伊織であろうとも、夜目が効かない内は瞳を慣らすために少し進んだ先で立ち止まるつもりだった。

 だが、──その洞窟の中は伊織の想像とは、まったく違っていた。


「……?」


 そう、明るいのだ。

 伊織が洞窟の内部を少し進んだ先、もう少し進めると判断をした彼女が更に内部を進んでいくと、途端に明るい景色に様変わりした。

 それに驚くのと同時に不信がって伊織が背後へと振り向くと、先ほどまでは後光が差すように洞窟の入り口が見えていたのだが、明るくなった今となってはこの洞窟に入る前の内部の様子ととても似ていた。


「いやまさか、結界が二重構造になっているなんて、想像できるかよ……」


 あまりの手の込みように、伊織はへきへきとする。

 もしかしたら、この先もこのような結界の類や他の神秘的な術が掛けられているとしたら、果たしてたどり着けるのだろうか。いやそもそも、伊織は元の外へと戻って来られるのだろうか。


「……いや、何とかなる筈、多分。」


 ──その瞬間、差し込む極光。

 嗚呼、如何やら此処がゴールらしい。

 なんて、軽思いは何処かへすっ飛んで行ってしまう。




「──っ、ぁっ!?」




 ──重圧。

 内臓を、骨を、筋肉を。

 空気を、空間を。

 それごと押し潰さんと云わんばかりの、圧倒的なまでの重圧。

 そしてそれは、比喩などの類ではなく、実際としてそこにあって、空間自体がきしきしと軋み続けている。

 それをもろに受けた伊織は、片足を付いてしまう。

 油断をしていた訳ではない。事実として伊織は、気を張り詰めていたにも関わらず、彼女自身の容量を超える重圧を受けた。

 そんな重圧、初めてクソジジィと手合わせをした時の事を思い出す。



『──ほぉっ。迷い人か盗掘人かと思っていたが、思ったよりも芯のしっかりとしている娘だったか』



「……何が迷った芯のしっかりしている娘、だ。どう考えても、こんな重圧の中じゃ失神するか、文字通り潰れるかの二択だろうが」

『おっと。久しい客故、つい少し覇気が漏れてしまったか』


 何がつい、だと伊織は悪態を付きながら向かい合う。


 ──そこにいたのは、伝承などに綴られる

 光沢を放つ黒鱗に、全長で一山を巻き取る事ができるほどの大きさ、それと対応して眩いほどに光輝く雪化粧が如くの白髭。

 そして、一番は覇気を収めたというのに今だ伊織の神経がちりちり立つほどの、圧倒的な重厚な威圧感が降り注ぐ。

 嗚呼、伊織が古龍だとそう判断したのだって、ここまでの年月を積み重ねた神聖故だ。



『それで娘よ。お主は一体此処まで何をしに来たか』

「──ッ。ああ! 私には叶えたい願いがあって、それを叶えるために此処まで来た!」

『娘よ。叶えて貰うという考えを起こさぬのか? 人は古来より、神頼みをしてきたのだろう。──それが神と親密な関係にあった、日本人なら尚更に』

「確かに、神に頼むというのは、一つの手だろう。」



 ──だが、



「私は! もう二度とに願わないと、自分の足で歩くと決めたんだ!」

『……しかし、頼みはする、と』

「いいや、頼みなんてしないとも。正々堂々と、正面から奪い取ってやるとも」


 強気な言葉で伊織は、自身を振るい立たせる。

 そうしなければ、再度発生した重圧によって、心が折れてしまいそうだ。

 ──あの日のをなかった事にしてしまいそうだ。

 だが、伊織はそれでも、たとえ体の芯から震えてしまいそうになりながらも、──ただ前に立つ。

 不器用なまでの愚直さ。

 けれどその覚悟が、──柳田伊織なのだ。



『はっはっはっ。』



 伊織が覚悟を決めたのだというのに、不意に聞こえてくる心の底からの笑い声。まるで、今までの常識が破られて新しい価値観を見せつけられたような、いっそ清々しいまでのカラッとした声であった。

 そして、この場には伊織の他にはもう一体しかいなく、その声の持ち主が誰かなんて歴然であろう。


『いや失礼。神の一柱とも謳われた古龍に向かって、堂々と神頼みをしないなんて言う只人──いやか。人の子が宣言するなんて思わなかった。──嗚呼、懐かしい匂いのするが聞いたら、さぞお主の事を気に入るかもしれぬな』

「……あぁ、そうかい。それで、一体どうする気だ?」

『何。娘よ、お主が此処に来た目的はある程度知っていて。そして、お望みの品はそこにあるから、勝手に持って行くがよい』


 そう言って、伊織と古龍が向けた視線の先には、当の古龍からしてみれば砂の山程度の自身の黒鱗の山。

 けれどそれは、山を起点に髑髏を巻くほどの大きさの古龍の基準であって。人の子な伊織からすれば、身長を越えるほどの大きな山だ。


 それに対して伊織は、些細ながらも驚くがそれも束の間。

 すぐさま平常心を取り戻すと、シェノーラから預かったバックの口を開いて古龍の黒鱗を無理矢理にでも押し込んでいく。

 というよりか、案外すぽっと入るものなんだなと、伊織は密かに関心していたりもした。


『──なるほど。あり得ざる数値の空間を形成するのと同時に、空間の歪みを意図的に造り出して、それで入り口以上の物を入れるようにしてあるのか。奇抜な発想はともかくとして、中々の腕前だな』

「……そうか?」

『あぁ、そうだとも。これならば、儂が与えた鱗を埃まみれな倉庫にでも押し込んでおくという不敬な事はしなさそうだ』


 一応、製作者のところには、“シェノーラ・ノーレッジ”。

 なるほど。数千年クラスの古龍自身のお墨付きとあれば、成功できるかについてはあまり心配する必要はないか。


 そして伊織は、黒鱗を全て仕舞い終えると、その当の古龍に対して謝礼。

 明日は学校という事でそのまま立ち去ろうとしていたところ、そんな伊織を呼び止める声が聞こえた。


『──なぁ、娘よ。お主がそこまでしても叶えたい願い、聞いてみたいのだがどうだ?』


 数千年生きた古龍が言う、単純なまでの質問。

 

 それに対して高々前世を合わせても数十年の人生を歩んだ伊織は、至極当然にこう答えた。


「──何を言うか。神に興味を持ってもらえるほどに溢れたものでもないし、それに私が歩く道を前もって教える阿保が何処にいるって話だ」


 

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