第057話『肉塊に固有名詞なんてものはない』

 あの後、伊織は丁度切らしていた食材があった事を思い出した。

 現在時刻は、おおよそ5時そこらを過ぎた辺り。寒風吹いて日は落ちて、夜の帳がひっそりと幕を下ろす。──黄昏時が訪れた。

 この時間帯ならば、どうにか夕食にまでは帰れるだろう。

 確か、今日の夕飯は、ハンバーグとコンソメスープとサラダ。少し、和食ではない事に意気消沈しつつも、フレイメリアの作る料理故に味の方がバッチリ。


「楽しみだ……」


 ───その時、ふと思い出してしまった。

 前に凪と雫の家で夕食を食べた時の事だった。確かあの時も、汁物としてが出ていたっけな。

 記憶とは、幾つもの浮かぶ泡のようでいて、それらは一つ一つが線のようなもので繋がっている。例えば、一つの記憶を思い出したとすると、それと縁が近い記憶もまとめて思い出すかのように、関連が一見あろうがなかろうが、それらは繋がっているのだ。

 ──そう、確か頭から齧られた上で死体すら残らなかったは、コンソメスープを作っていたっけ。


「──っ! ──ぁっ」


 伊織は、口元を少しだけ抑える。

 皆は、伊織自身の事をかなり評価しているかもしれないが、実のところはそうではない。

 学力だって、努力をしているとはいえ、それは前世の知識があったからであって。その魔法少女にすら匹敵する素の身体能力も、柳田家の本家で鍛錬を積まなければ決して得られなかった。武力も、同様だ。

 ──そして、精神だって、強くはない。でなければ、伊織はこれほどまでにショックを受けている筈なかったのだ。


「(……でも、私は──)」


 それでも伊織は、立ち上がった。

 だがそれは、決して不屈の精神故に立ち上がれたのでは、ない。

 ──ただ、蹲るのが辛かった、だけだ。



『ケモノノ災害発令。危険度は“乙種”。至急、近くのシェルターに隠れて下さい』



「……。行かなくちゃっ……」


 使命がある。

 戦う理由があって。

 守りたいものがある。

 ただ、少しだけ──。



 ──その背中が傷だらけのように、見えた。



 /4



「──心象投影インストール、──開始スタート


 流れゆく、恐怖から逃げる人々を押しのけて、伊織───魔法少女グレイは逆流をする。

 腰に差した日本刀の柄に手を掛ける。

 そこに差してある日本刀の銘は、伊織の愛刀たる『絶海制覇』ではなく、ただの銘すらない数打ちに過ぎない。

 嗚呼、──こんな戦いにおいて、信念をカタチにした伊織自身の愛刀を持って来る方が反するって話だ。


『……?』


 目の前に存在する、おそらくは“乙種”のケモノ。四肢の類は細く、胴体に至ってもそのかなりの細さが際立っている。

 正直言って、手ごたえのない相手なのだと、伊織は思う。

 だが、忘れてはならない。“ケモノ”は人を喰らう、人類の敵。

 ──飯田凪の事を忘れたのか?


「……逃げ遅れた人、か」


 その細身の人型の“ケモノ”の足もとに、血だまりがねっとりとした光沢を放っている。


 ──遅かった。

 もう少し早ければ、救えたかもしれない命。

 その事実に伊織は、──


『菟ゥゥゥ?』

「生憎と、私にはまだ用事があってな。──さっさと、終わらせる」


 そう宣言をすると共に、伊織は駆け出す。

 その距離、おおよそ十数メートル。一秒は掛かる距離なのであるが、伊織はそれを一瞬にして一足にて間合いを潰す。

 そして、手にした刀の構えは片手による脇構え。そこから逆袈裟を狙うのが、伊織の狙いだ。



 ──普通は、たとえ相手が“ケモノ”あろうとも当たる攻撃。



 だが、──その瞬間、伊織にとって予想外の事が起きた。

 まるで、伊織の動きについてこれると云わんばかりの、カウンター狙いの細腕による殴打。反応速度、攻撃速度。どれをとっても優秀な、性能を誇る細身の人型の“ケモノ”だ。

 しかし、そのまるで骨と皮しかないような細身の殴打が、一体どれくらいの威力を果たして生み出す事ができるのだろうか。


「──っ!!」


 その瞬間、目を見開く伊織。

 思考も判断も置き去りに、たとえ急な方向転換により自身の筋肉などを傷める結果となっても構わないと云わんばかりに、その場を離脱する。



 ──!!!



 メキメキメキという、アスファルトの地面に蜘蛛の巣如きの罅を作り上げる。

 何も、可笑しい事ではない。下手な“ケモノ”なんてレーザーを放ってきて、建築物などが溶解するなんて事もあるのだから、アスファルトとはいえ罅が入る程度、そう然したる被害ではない。

 だが問題は、──その伊織のスピードについてこられるだけの反応速度を持ち、尚且つその細腕による素早い殴打にて、人を余裕で殺せるだけの威力を秘めているという事だ。


「(……そう言えば、前に戦ったあの鎧武者姿の“ケモノ”も反応していたけど、少なくとも同等かそれ以上)」


 正直、あの警報の危険度を疑いたくなるほどに、困難な相手。

 だが、──問題はない。


 仕切り直す。

 おそらくは、伊織と人型の“ケモノ”がどちらも近接戦しかできない相手同士なのだとすると、確実に近接戦に持ち込まれる。

 普通の魔法少女なら、そんな恐ろしい事できないと、距離を取る事だろう。

 だが、近接戦を得意とする伊織ならばそうするしか他なく、斬り合い出来るだけの自信もある。


『菟、唖ァァァァ!』

「──っぅ!」



《柳田我流剣術、朧突き・乱》



 打ち合い、切り結ぶ。

 だがしかし、──鍔迫り合いの類には持ち込まない。

 何せ、たとえ人型の“ケモノ”だとはいえ、コンクリート地面すら砕く一撃を放つその細腕。それも、二本もあるのだ。

 対して、伊織の持ち手は一本のみ。


『唖、唖ァァァァ!』


 しかして、──伊織の方が優勢。

 確かに、その細腕に込められた速度と威力は、通常の伊織のそれを凌ぐのだろう。

 だが、その殴打に武術の類や戦闘技術がある訳ではない。ただただ、生物を思わせない、規則的な行動反応。だが、伊織は無意識に処理をしてしまっているが、そこには反応という自発的なイレギュラーを含む行動が見て取れる。

 

「(……確かに、その身体能力は驚異的だ。──だけど、そこに戦闘の術理がない以上、脅威ではない)」


 いやむしろ、前に伊織が戦った鎧武者姿の“ケモノ”の方が、より強かったのだとそう思う。

 ……今更ながら、あの鎧武者姿な“ケモノ”は、だった。基本的に“ケモノ”には、戦闘技術なんて高度なものは存在せず、標準装備されているであろう行動パターンしか存在しない。

 もっとも、それならば簡単に“ケモノ”を滅ぼせると勘違いした馬鹿共は、例外なくその物量にて潰されるが。


「──っ!」


 ──その瞬間、感じる死線。

 だが、それは可笑しいのだ。

 少なくとも、ここからのバックステップで伊織は人型の“ケモノ”の殴打を避けられる計算になっているのだ。それは、同様に伊織自身の戦闘能力が、それを指し示している。

 故に、一種のバグを引き起こしているのだ。

 伊織自身の未来視にも等しい死線の感覚が誤差を引き起こしたのか、それとも人型の“ケモノ”に何かしらの打開策があるのだろうか。


「──ふぅっ」


 迷っている暇はない。

 刻々と、死線はなぞられていって。

 ──その瞬間、人型の“ケモノ”の細腕が伸びた。


「──まじ、かよっ……!?」


 咄嗟に、片腕で引き抜いた鞘と手にした刀にて、跳躍と共にそれを防ぐ。

 間違いなく、咄嗟の判断としては優秀な部類。しかして、前もってある程度の嫌な予感というものがあったからこそであるが。

 ──だが、咄嗟の判断としては優秀な部類に含まれていたとしても、それによる被害が低いとは限らない。


 ──がしゃぁん!

 威力はかなり抑えられたものの、何度かのバウンドを伊織の体は経験する。

 そして、近くにあった建物の壁へと、伊織の体は周りに罅を入れつつも激突した。どうにか受け身を取ったものの、自身の肺から無理矢理押し出される空気。

 息がつまる思いだった。


「……。ぁ痛たたたっ」


 頑丈に育った、伊織自身の体に感謝する羽目になった。

 だが、戦闘継続に支障がないとしても、伊織の体の一部は衝撃により今だ痺れたままだ。


『菟、唖ァァァァ!』

「──っ、ちぃっ!?」


 だがそれでも、相手が待ってくれている筈がない。

 再度、伊織に対して振るわれる、見た目細身な剛腕な一撃。その威力は、先ほどの一撃にて体感済み。


 対応しようとする、伊織の意識とその体。

 しかして、完全無防備なその体勢では碌に対応できず、もろにその人型の“ケモノ”の一撃を食らうのだった。




「──っぁっ!」


 あれから、幾らかの時間が経ったのだろうか。

 ──いや、それほどの時間は経っていないだろう。


 目の前に迫る、人型の“ケモノ”。

 もはや、此方を単なる獲物だとそう判断したかのようで、敵意の類はない。


『……』

「──あ゛っ!?」


 体に付着する瓦礫やガラスの類を振り払う。

 いつも間にか頭を切っていた傷口から垂れた血を、強引にでも拭う。

 ───その表情には、まるでキレたような切れ味鋭い憤怒が浮かんでいた。


「──てめぇっ。私のご尊顔に、何傷を付けてんだ!」

『……?』

「あ゛。知らんぷりをしてんじゃねぇっ。メリアに心配させるだろうが!?」


 そも、人間の言語が通じていないと云わんばかりの“ケモノ”な反応。

 昔、“ケモノ”と交流できないかという実験もあったりしたが、当然の如く失敗した。

 であるのならば、兄弟や姉妹なんて存在しない未知な概念な上、たくしまくる意味不明な言葉の欄列を果たして理解できるのだろうか。──いや、出来ないだろ。


 ──構えを取る。

 そしてそれは、静寂を裂くような一撃だった。



《柳田我流剣術、富嶽轟雷割り》



『菟? 唖ァァァァ!!』


 油断しきった人型の“ケモノ”の体に、威力を重視した伊織の技が直撃する。

 確かに渾身の一撃だっただろう。だが、かなり大きな傷を付けられたとはいえ、今だ人型の“ケモノ”はそこに立っている。それどころか、先の一撃にて逆に激怒しているのかもしれない。

 しかしそれは、伊織も承知済み。

 ──そんな事、先までの斬り合いでなんとなく理解できるだろう。



《柳田我流剣術、朧突き》



 咄嗟の、人型の“ケモノ”の反撃。

 だが伊織には、そんな武術に欠片もない上に範囲も狭い攻撃が当たる訳がない。──先のいきなり伸びた細腕による殴打を経験した以上、その精度は更に増す。

 まるで、伊織自身が見えぬマボロシとなったかのようにスルスルと回避をすると、相手の攻撃の数々の隙間を縫って反撃を仕掛ける。


『唖、唖ァァァァ!』



《柳田我流剣術曲芸、刀穿ち》



 普通の迎撃では不可能だと理解したのか、伊織の位置関係なく無我夢中に辺りを攻撃する人型の“ケモノ”。

 判断としては、そう間違ったものではないだろう。

 だが、──相手が伊織だというのが間違っていた。


『我唖ァァァァ! 唖?』


 一瞬の隙を狙われて、頭部に突き刺さる小太刀。

 その衝撃によって吹き飛びかける、人型の“ケモノ”の頭部。だが、すぐに持ち直すとそこにいたのは、──迫るほどに近くにいる伊織の姿だった。


 抜刀と同時に放たれた、小太刀による一撃。

 それは決して、必殺の一撃ではない。──むしろ、次の必殺の技へと繋げるための継手であった。



《柳田我流剣術、神薙》



 伊織の太刀筋がなぞるは、的確なまでの一撃一撃。

 ──その数二つ。だがその一撃一撃には、確かな威力が込められていた。


 そして、伊織の一撃をまともに食らった人型の“ケモノ”はというと、最初の一撃にて絶命していた。一刀両断という訳だ。

 だが、伊織には止まる事のない二撃目が存在している。

 両断されて間もないままに伊織の二撃目が直撃して、一刀両断という訳ではなくなった。

 肉塊が転がる。人を喰らう“ケモノ”の血飛沫と誰かは知らぬ人の血池が、狂いなく混濁したのだった。

 ──もう、どれが“ケモノ”の血か、死亡した人の血なのか、分からない。




「──よし、帰るか」


 先ほど、伊織が倒した人型の“ケモノ”の残骸が消滅するまで待って、彼女はこの場を後にする。

 今までは、別に残骸が消え去るまで待ってはいなかった。何せ、基本的に伊織が“ケモノ”を倒す時は帰路に着く辺りの時間帯で、その頃には妹のフレイメリアが家で夕飯を作っている頃。であれば、待っていられない。

 だが、最近聞いた話では、“ケモノ”の中には生命力に秀でている奴もいるらしい。

 それを聞いた伊織としては半信半疑といった気持ちであったのだが、こうして一癖変わった“ケモノ”もいるとなれば、警戒に越した事はない。

 流石に伊織としても、他人の命の燈火が消える事自体は何ら思わないが、それでも罪悪感だけは棘のように茨のように残り続けるのだ。


 しかして、コレがめんどくさい。

 たとえ、野良の魔法少女であろうとも、無暗に人前で変身を解いてはならない。その理由は至極単純で、身バレ防止のためだ。

 それをなんとなくで察していた伊織は、案外は悪くないのだろう。

 ──なんて、そんな事を考えている時点で、何かしらのイベントが起きる事は確定していると言えよう。


「──助かった、のか?」


 何処からともなく、誰かしらの声が聞こえる。

 伊織も知らぬ、誰かしらのものだ。


「大丈夫、か?」

「あ、ありがとうございます……」


 あまり気は進まない。

 けれど、一応伊織は魔法少女として通っているのだ。今までならばそう彼女も気にしなかったのかもしれないのだが、“乙女課”に目を付けられている以上は、そんな軽率な行動は慎むべきだった。

 店内の調度品の隅にでも隠れていた何処か別の男子生徒を、軽く無理矢理にでも引っ張り出した。伊織自身も知らぬ、何処か本土だろうか学生。

 少しだけ、頬が赤らんでいるのが、とても嫌な予感が立ち上る。

 と言う訳で──。


「じゃぁな。精々、帰り道は気を付けろよな」


 そう言って伊織は、足早にこの場を去って行くのだった。



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