第056話『私、マホウが使えません!』
──案外、非日常から日常に戻るなんて、難しいとよく言われている。
何故なら、建物だってそう簡単には直らない。確かに、それ相応の時間を掛ければ直るものの、それでも幾多の時間が掛かる事は明白だ。
しかしそれ以上に、そこに住む人々というものは、そう簡単どころの話ではなく、そもそもその心もその命も直る事はない。たとえ、心の傷が癒えたとしてもその古傷は残り続けるもので、死んだ人が蘇るなんてそもある得ない話だ。
もし、それらが起こり得るのだとすればそれは、──フィクション小説の中だけの話。
「(それでも私たちは、──いや、だからこその平和な現実に縋るのだろうな)」
軽傷者、678人。
重傷者、28人。
──死者、8人。
万にも至る“ケモノ”等の、市街地への進行。
そう考えれば、その死傷者の数はかなり少ないと言えよう。少なくとも、その二三倍は覚悟するところだ。
♢♦♢♦♢
「──あの、柳田さん。先生が呼んでいますわよ」
「っあぁ。ありがとう、古地さん」
そう言えば、今は聖シストミア学園にて中間テストの返却を受けているのだった。あまりにも思考を張り巡らせているために、つい伊織は忘れてしまっていた。
勿論、テスト結果は問題なく、全て90点台ばかりな上、幾つかの教科は満点に至っていた。第一位という順位である予想はあるものの確信なんてなくて、それでも一桁台は確実だろう。
だが、
「……」
伊織の後の生徒の名前を呼ぶ先生の声をBGMにしつつ、伊織は自らの席へと腰を下ろすと、周りを見渡す。
──そこには、蓮花もカレンも、彼女等の姿は何処にもなかった。
此処、二ヶ月程度だったか。その中で起きた出来事は、あり得ないほどに詰まっていた。
カレンは勿論、今だ謹慎扱い中。
結構厳重に秘匿とされているだけあって、確認する術を持たない学園側としては、下手な結論を出す事ができないのだろう。それは、自身等を奈落へと叩き落すものであるから。
それに対して蓮花は、あの事件の惨場を目撃した事による精神の不調。それにより、此処何日か学校を休んでいる。伊織としても蓮花の家に尋ねたりもしたが、家内からの反応の一切はなかった。
それに加えて、つい最近あった“ケモノ”がこの梓ヶ丘に襲来した災害。
そんな大災害があったというのに、こうして数日後には学校や会社へと向かう彼彼女たち。
「──それでも、日々は刻々と続いていく、か」
そんな濃密で、ふと立ち止まって後ろを見てしまうほどの過去。
そして、それを許さぬ無慈悲なまでに過ぎ去っていく、さしてつまらないほどの当たり障りのない日常風景。
──そう、あんな大災害があったのに、だ。
嗚呼、きっとそれは、“日常”で生きているという
前に涼音が街中を歩いていた時に言っていただろう。───非日常をリセットするために、日常をただただ過ごすのだと。
だからこそ、彼彼女等はあの“ケモノ”に襲われた忌まわしい記憶を彼方へと消し去るために、今もこうして日常を過ごしているのだ。
それにしても。
「──こんなに静かだっけか。日常って……」
──晴れ渡る蒼穹の空から一望する、海洋都市梓ヶ丘。
あの大災害を潜り抜けた人々は、日常生活を今も今も続けている。
意味のない会話の雑多。
代わり映えのない、形容詞のキャッチボール。
決められた動作をこなす、まるで機械のような当たり障りのない日常。
災害が片付いたとしても、そう簡単に前の日常は戻って来ない。それは確かな事実である。
だが、人というか人間の底力は凄いものだ。何せ、たとえ争いが起きようが、たとえ戦争にまで発展しようが、──日常はまだ刻々と回り始めるのだから。
/2
夕焼け景色を望める、校舎敷地内。
伊織は、かなり久しぶりに案外静かに帰り道を歩いていた。
何せ、前は適当に歩いていればカレンや徹などに会って、ここ最近ではよく蓮花や涼音などに会うようになっていたのだった。あまりの遭遇率に、野生のエンカウントをふと思い出してしまう。
──しかし今は、伊織の隣に誰かはいない。
前の伊織ならば、特に違和感を覚えなかっただろう。何せ彼女は、一人っきりに慣れている。いつもの話だった。
けれど、この二ヶ月程度を過ごして、部活動に励む青春な学生たちの声をBGMにするわびさびが、少しだけ寂しくも感じる。よく聞き慣れたこの帰り道特有の静けさが、心許なく思ってしまうのだ。
「……」
「……」
校門前に、誰かの姿がある。
はて、誰の姿だろうか。
カレンは今だ謹慎中で、蓮花の精神的不調でこの場にいる筈もない。そして、遠目に見るシルエットは女子生徒のもので、徹や健人などといった知り合いの男子生徒でもない。もしかしたら、誰とも知らぬ他の第三者なのだろうか。
そして、そんな伊織の自身でもどうでもいい疑問は、早々に解決をするのだった。
「伊織。少しだけ、話していきませんか?」
「……涼音。私、これから道場に顔を出さないといけないので、また今度で」
「でしたら、歩きながら話しましょう」
「……まぁ良いけど」
正直、このまま見ぬふりをして、伊織は帰路に着くつもりであった。
そんな伊織を呼び止めるように、涼音の声が掛けられる。そうなれば伊織も、足を止めて、涼音がいるであろう背後へと振り向くしかなかった。
適当に、逃げ道を探す伊織。
そして、最終的には逃げ道を失った伊織は、渋々と涼音の後ろを付いて行くのだった。
──気まずい、まるで沈殿した重い空気が辺りを対流する。
正直言って、伊織としてはこのまま当たり障りなく、時間がいつの間にか過ぎ去ってしまえばいいと思っている。
だが、そんな事はあり得ない。
いいや、伊織は最初からそんな予感があった筈だ。
でなければ、かなり親しい涼音を無視して去って行こうなどと思わなかった。
「伊織。蓮花さんの様子はどうでしたか?」
「まぁ、今のところ変わりはなく、家に閉じこもったままだ。おそらく居留守だろうが、出る気配は一切ないが」
「……そうでしたか」
今日も今日とて、引きこもり日和。
何せ、こんなに綺麗な夕日が見える快晴日和だというのに、当の本人たる蓮花はどんより曇り空どころの話ではなく、きっと土砂降りな大雨黒曇天な事であろう。
たとえ、碌に会って間もない人であろうとも、身近な人が死ぬのは辛いものだ。
──それも、あんな死に方をしちゃぁ。
「……無理もないですよね。あんな、──
「しかも、私はその時その場にはいなかったけど、
「そうです。だからボクはあの時、伊織にどう思っているのか聞いたのです」
そう伊織も涼音も言うが、それは所詮他人事。たとえ、親しい知人の間柄であろうとも、それは私自身ではない。
人は自らの世界で生きている。
──他人の出来事なんて知る事が精一杯で、理解をするなんて当の本人でもなければ無理な話だ。
そう、だから伊織は少しだけ“ケモノ”を軽視していたのかもしれない。
何しろ、当の伊織はこの辺りで出現するレベルの“ケモノ”なら、たとえある程度の数を用いたとしても特に障害にはならない。それに加えて、皆が危険だとの声を挙げたところで、先も言ったようにそれは所詮他人事。
──嗚呼きっと、伊織は蓮花の気持ちを分かったところで、理解はできないのだろう。
だけれども、涼音はどれがどういたと云わんばかりに声を挙げた。
「……伊織、一度だけ蓮花さんに会ってあげてください」
「……どうして私が。一応、精神面に関しての経過観察は受けているようだし。所詮会って二ヶ月程度な私なんかが行ったところで意味はないだろう?」
そう言って伊織は、話し相手な涼音の視界から目を背けた。
憎らしいほどにそこにある、夕焼け景色。
「そうですか、伊織。ですが、ボクは一応言いましたからね」
「……悪いな」
──本当なら、伊織自身が一度は蓮花に会うべきなのだろう。
そして伊織は、それを分かった上で目を背けた。
きっとそれは、──
たとえ、あの場に伊織が到着するのが事実上不可能であったとしても、あの状況を打開し、またその胆汁を飲み込むだけの度量は教えられた筈だ。
そしてそれを、伊織は怠った。
──適当に教えればいいと軽く考えていた、怠慢のしっぺ返しを食らった気分だった。
/3
そのまま無言のまま、伊織と涼音は聖シストミア学園がある丘を下り切った。
それが何かしらの機会となるのかと思うかもしれないが、それでも沈黙は続いたまま。どんよりとした空気が辺りを包む。
「……」
「……」
───かあぁん。かあぁん。かあぁん。
踏切の、列車が通過する規則的な音が、辺りを木霊する。
辺りには、帰り道を行く人々の姿。彼彼女等は、思い思いに不意に生まれた虚白な待ち時間を過ごしている。
そして、伊織と涼音のその内の一組であった。
辺りが、列車の通過音と踏切の鐘の音が木霊する。
けれど、伊織と涼音の二人には、それに加えて沈黙が不協和音の如く混ざりあう。
「……そう言えば、伊織。
「……今、その話をするかぁ?」
「話す内容が特にないので」
「だからって……。私の前でソレを言うか、普通!?」
例の件と言えば、至極当然ながら実際かなりの問題になる話だった。
──何せ、伊織が《
少なくとも、魔法少女は対“ケモノ”特効状態を常時付与されている事に加えて、《マホウ》が使える事が前提条件である。
詰まる話が、あの災害においてかなりの好成績を叩きだした伊織ではあったのだが、《マホウ》を使えない事を理由に、正式な魔法少女の資格は一旦保留となったのだ。
「まぁ、流石に私も悪いとは思っているけどさ。何しろ、《マホウ》の使えない魔法少女なんて、政府が発表する情報に不備が存在する事になるからな」
それに加えて、──《マホウ》が使えない魔法少女であっても、数十の“ケモノ”を単騎にて倒せるという危険性。
これは、その魔法少女が柳田の家系だからこそ出来る話だ。いや、涼音や美琴辺りなら、伊織と同様な事ができるのかもしれない。
だが、他の魔法少女──特に“ケモノ”と碌に戦った事がない新米な彼女等からすれば、それだけ魔法少女は圧倒的で楽な仕事だと、そう間違えた楽観視をしかねない。それは、魔法少女を統括する“乙女課”としては、かなり不味い話なのだ。
「伊織。本当に《マホウ》が使えないんですか?」
「まぁな。うんともすんともどころか、どう起動させたらいいのかすらも分からないし。──涼音はどう使っている?」
「……えっと、こうしてこう!」
「……感覚系めぇっ!」
そう愚痴を零す伊織なのであるが、よく分からない身振り手振りだけで説明されている此方の身になって欲しいものを。
「しかし、それ以上に不可解なのは、こうも私が《マホウ》を使えないっていうのに、“
そう、伊織は最初から自身が魔法少女だというのに、《マホウ》を使えない事を隠していたのだ。それも、故意的に。
普通ならば、重要な情報の隠匿として、何かしらの制裁があったところでおかしくはない。いや、その重要性を考えれば、何かしらの制裁がない方がおかしいのだ。
もしかして、特別扱いでもされているのだろうか。
分からないけど。
「あぁ。それでしたら、ボクの方から皆森室長に具申しましたから」
「──っ! 涼音が庇った、のか?」
目を見開くようにして驚く伊織。
いや、涼音はある一定ライン以上の仲の良い人にはそれなりに気を掛けてくれると伊織も知っているのだが、ここまでとは。正直、失礼ながらも嬉しさよりも戸惑いの方が大きい。
それに加えて、一体何を対価として要求してくるのか、気が気ではないのだ。
「……えぇ、確かに伊織はかなり不味い事をしました。具体的に言うのでしたら、時限爆弾赤か青を切るかの場面にて、間違った方の色を指定するぐらいには」
「流石にそれは、私もやらないよ! ……やらないよなぁ?」
「まぁ、それはそれとして置いておいて。──つまり伊織は、かなり不味い事を行った。それについては、理解しましたよね?」
「あぁ」
いや、そこまで言われては反省するしかなくて。
しかし、これを口に出そうものなら、今一度説明のループをくどくど言われるのかもしれない。きっと、そうに違いない。
故に伊織は、その薄く桃掛かった口を、無理矢理にでも閉じるのだった。
「? それで一応、伊織の今後を決める会議が行われました」
「懲罰会議か何かか?」
「まぁそんなとこです。──それで、会議の派閥は二分されました。具体的には、このまま身体強化系の魔法少女として扱おうとする上層部と、懲罰を与えた上での解雇を推奨する職員に」
「おっかなくない!? ちなみに、涼音は」
「勿論、ボクは上層部側の意見です」
話を聞くに、伊織自身の扱いについて、相当揉めたらしい。
何せ、替えが効くが重大な情報を隠していたとはいえ、数少ない魔法少女の──それも実践を幾度となく潜り抜けた戦場帰り。しかも、その彼女が得意とする近接戦については、戦闘部隊に配属されている近接戦を得意とする他の魔法少女よりも強いのだから、とてもたちの悪い話であった。
だが、情報を隠匿していたのもまた事実。
──詰まる話が、内容が内容故に懲罰などを与える事は確定で。しかして、下手に厳しいものを下すとすると、それ以上の負債を“乙女課”などが支払う羽目になるのだ。
「(……こうして聞くと、結構私って、厄介者?)」
きっと、このセリフを伊織自らの口から発言されていたのだとしたら、四方八方からそれを肯定する言葉の数々が流れる事だろう。
「それで、先ほどの続きですが。かなり会議が白熱しましてね。それは決して、一人の魔法少女に掛けるものではありませんでした」
「というと?」
「何しろ、お互いに両者の言い分が分かるからです。──お互いにソレをする必要があると思い、それと同時に自らの意見を通す必要があった。あれです、『お互いに譲れねぇんだ!』という奴です」
「それはそれは。きっとその会議会場では、少年漫画じみたやり取りがあっただろうな」
「……それはそれとして。結果的には、伊織こと魔法少女グレイを懲戒解雇をする訳にはいかず、試験不合格というところ
まぁ、それくらいに落ち着くよな、と。
伊織は、まるで他人事のように思うのだった。
実際、伊織の思考は正誤の判定よりも、そこに存在する損得勘定を優先する。感情論は、そうすれば精神的に得をするという、事実に基づいた結果でしかない。
だからこそ、感情論ではなく損得勘定に基づいた結果、その辺りに落ち着くのは納得のできる話だった。
っというか──。
「? など?」
──嫌な予感がする。比較的楽天家な伊織でさえ、嫌な予感がする。
そう今しがた、涼音は確かに『など』と言ったよな。
そして、涼音が言った今回の伊織の処分については、試験の不合格という一点のみ。少なくとも、その“乙女課”からの処分一つで収まるのだから、『など』という言葉は使う必要がない筈なのだ。
「──えぇ。ですから、伊織には今度“帰還者”の一人であるミコトと模擬戦をしてもらいます」
「えーっ」
えー、が辺りを木霊する。
そして、それを聞いていた涼音が何を思ったのか、伊織に近づいてくると、──その頬を引っ張った。
「い゛だだだだ! 何これ、何これ!?」
「……」
「ちょっと待って、待って!? 爪を立てないで、風呂で沁みる!」
「……」
「私が悪うございました、私が悪うございましたからぁっ!?」
そう伊織が言うと、涼音はようやくつねっていた両手を伊織の頬から外すのだった。しかしてまだ、ヒリヒリと痛みが残っているのだ。
というか、これ風呂で沁みる以前に、痕とか残ったりしないのだろうか。
「まぁ、伊織も勿論分かっていると思いますが、これは一応試験ですから」
「? 魔法少女になるための試験に私は落ちたのだと、涼音も言っていたじゃないのか?」
「それとはまったく別のものです」
話の繋がりが見えてこない。
そんな伊織の思いが表情に出ていたのか、当の涼音は表情をくしゃりとしつつ溜息をつくのだった。
「(……私泣くよ、泣いちゃうよ。具体的には──)」
「そもそもこの試験は、伊織──魔法少女グレイが《マホウ》なしという条件でどれだけ戦えるのか、それを見るためのものです」
「なるほど。けど、それだったら相手が美琴の奴じゃなくても、別に涼音でもいい筈だよな」
「ボクの場合は、手加減するかもしれないという事で。それで、手加減を確実にしない同じ近接戦を得意とするミコトが選ばれました」
「それは。絶ッ対、アイツ喜々としていただろ……」
「えぇ、それは口元を吊り上げる程度には──」
詰まる話が、これは渡り船という奴だ。
まず、前提としてあるのが、『伊織自身の魔法少女だというのに《マホウ》が使えず、それでいて“ケモノ”を数十の集団を倒すだけの実力』があるという事だ。何せ、その実力はある程度知られていて、対応力に関しても問題ない。
そして、そんな《マホウ》が使えない魔法少女こと柳田伊織がどこまで出来るのか、それを確認したくなっただろう。もし、下手な魔法少女よりも戦えるのであれば身体強化系とでも誤魔化したりなど、そうするつもりなのだろうか。
「あ~、やりたくないなぁっ」
そう漏らす伊織。
──如何やら、大雨でも降るらしかった。
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