第036話『殺人料理』

 あの後伊織は、穏便に来栖と夕華と別れて、町へと繰り出した。

 そもそも、今回来栖と夕華と会ったのは、会話のためだ。何も、揉め事を起こすために伊織は、あの場に行った訳ではない。

 もっとも、危険を犯しただけの報酬があったのかと言われると、そうではないと答えるしかないが──。


 さて、そんな修羅場を乗り越えた伊織なのではあるが、とても暇をしている。

 事情を知る知人からすれば、さっさと休めと言いたくなるというものだ。しかし、とても残念な事に、そうも言っていられない事情がある。

 そもそも、休める場所がないのだ。


「……暑い」


 ──炎天下が伊織などの通行人を照り付ける。

 今現在、気温は30℃越え。これが七八月の気温であったのならば、人間等の認識によって少しは涼しく感じるのかもしれないが、今は五月の真っただ中。平年よりも暑い気温に、余計に暑く感じてしまっているのだ。

 故に、今からショッピングを梯子するという行為は、自殺行為でしかない。


 それならば、知り合いの先に行った喫茶店で涼んでいればいいかと言えば、それもまた違う。

 流石に柳田家最高傑作な伊織とて、休みたいものは休みたいのだ。

 あんな数十分前に修羅場があった場所で休みたいだなんて、主人公以上の鈍感スキルを以てしてどうにかといったレベル。戦場に行った兵士が生活環境に鈍感だと話に聞いたことがあるが、それでも危険な場所に留まり続けるような致命的な感覚が麻痺している訳ではないのだ。


 そんなところで伊織は、帰路へと付こうとした。

 で、その帰路の途中で伊織は、昼食を食べていない事を思い出し、買い物という名の寄り道をする事にするのだった──。


「さて、今日の昼は何にすべきか。蕎麦もいいけど、うどんも捨てがたいな。……って、そう言えばメリアの昼飯を忘れていたなぁ。どうしたものか?」


 そして、伊織はよく行っていたスーパへと足を運んだ。

 別に、今から前に行った商店街に足を向けて、それで昼飯を作る事は可能なのだろう。だが、精神が多少疲弊している(自己申告)ので、あまり手の掛かる事はしたくない。

 いや、フレイメリアの機嫌も考えるともなれば、手作りの方がいいのだろう。

 だがそれは、あとで作るお菓子でも差し入れ解けば、何とかなる……筈。


 ──そんな時だった。

 買い物かごを片手に、まるで一昔前の主婦のような恰好で伊織が物色していると、とある二人組を見かけた。

 いや別に、先ほどの喫茶店で会った来栖と夕華ではない。もしそうであったのなら、今頃伊織は着物を着ているというのに、膝を曲げて頭を抱える事になるだろう。

 どちらかと言えば、涼音や蓮花といった面々の方が顔見知りかもしれない。


「……いや、私は彼女等と顔見知りという訳ではないし。なら、別に休日まで態々会う必要はないよな。主に私のために」


 と、伊織は主に自分自身のためにと、二人組の彼女の方向から背を向けた。

 しかし。


「──あっ、伊織さーん。こんなところで奇遇ですね。こっちに来て下さーい」


 残念な事に、あの二人組の彼女等の他に伊織の知り合いがいるらしい。というか、この少しだけ甲高い声色は、伊織のよく知る者であった。

 それに対して伊織はというと、少し溜息をついた後、声のした方向へと足を運ぶのだった。

 というか、絶対に逃げたら逃げたで、不味い事になるだろう……。


「それで何の用だ、蓮花。私はこれから、昼飯を作るために材料を買わなくちゃいけないんだけど」

「あぁ、それはすみません。いえ、少しお誘いしたい事があって……」

「……お誘い?」


 話を聞いてみると、蓮花とそこの二人組の彼女等は、つい先ほど偶然に再会したらしい。

 それで、蓮花がずいずいと距離感を詰める主人公スキルでも使ったのか、最終的には彼女等の家で晩御飯を食べる事になったようだ。

 ちなみに、今現在何故三人はスーパーにいるのかというと、その晩飯を作るための材料を買いに来たようであった。


 まぁ、それはそれとして。

 伊織は今一番気になっている事を三人に問い掛けるのだった。


「そう言えば。そちらの二人組は私は知らないけど、一体誰なんだ?」


 そう言って伊織は、蓮花の後ろをまるでヒヨコの行進の如く付いてきている二人組の彼女等に視線を向けた。

 身長はかなり低めで涼音よりも低い事から、恐らく年齢は中学生辺り。そして、髪色は両者同士似ていなくて、黄緑色と水色で両者共ボブショート。身長差もあるだろうが、肩辺りで切っている伊織よりも少し短めだ。

 その上、その歳にしては落ち着いた様子。

 それと前に、蓮花が第三次試験を監督する二人組の魔法少女について話していた頃があるので、何となくの予想は付く。


 というか、黄緑色の髪色をしている人なんて、案外身近にいるものだな。

 いや、差別をしているつもりはない。ただ、伊織の周りには前から銀髪や濃い赤髪の彼女がいたりしてそういう予感めいたものがあったからだ。


「姉の凪です。よろしくお願いします」

「妹の雫です。よろしくお願いします」

「私は柳田伊織だ。よろしくな」


 そんな二人の名前は、蓮花が言っていたものと同じだった。

 という事は、だ。そんな凪と雫が、蓮花たちの第三次試験においての試験官という事なのだろう。あまり伊織には関係のない話だが。

 と、そう言えば先ほどの件について、つい忘れるところだった。


「そう言えば蓮花。お誘いって、一体何の事だ?」

「ぁあぁ、そうでした。今日夜に凪さんたちの家で夕食を一緒に食べようという話になって。伊織さんもどうですか?」

「夕食、か」


 別に気にする事はない。

 昼間、伊織がフレイメリアのご機嫌取りに勤しんでいれば、十分間に合う時間帯だ。

 正直な話、伊織としてはさっさと断りたい話なのだが、何だかんだで敏い蓮花の事だ。あとで変な約束を取り付けられても困るので、伊織は渋々と乗るのだった。


「……駄目、でしたか?」

「いいや。今日の夜は特に予定もないし、行かせてもらうよ」

「それは良かった」

「それよりも、だ。それで今日の晩飯は何にするつもりなんだ?」


 それが本題だ。

 伊織としては、今日の昼は蕎麦かうどんの気分だ。

 その予定を伊織はあまり変えたくはないのだが、流石に二度も麺類は食べたくはない。むしろ、ご飯ものが食べたい。


「えっと、オムライスを作るつもりです」

「オムライス……。あとで、腹とか減らないか?」

「えぇ、ですから汁物など幾つか追加で作るつもりです」


 オムライス──なら、問題はない。


「でもすまない。今から妹のために遅めの昼食を作らなければいけないんだ。悪いけど、材料などはそっちで買っておいてくれないか」

「そうでしたか。それなら、また夜に会いましょう」

「あぁ。また夜、な」



 ♢♦♢♦♢



 そんな去っていく伊織の姿を、蓮花は見送った。

 正直言って、蓮花は伊織の事を誘えるだなんて思ってはいなかった。てっきり、ぞんざいに断られると思っていたのだ。

 しかし、とても意外な事に、伊織は夕食を凪と雫の家で食べる事を了承した。

 もしかしたら、伊織の機嫌が良かったのか、それとも何かあったのか。

 それを知る由は、蓮花にはなかった──。


「……さて。そろそろ買い物の続きをしましょうか。確か、卵は買ったからあとは……」

「そう言えば、ケチャップってあったっけ、凪」

「ないと思うよ、雫」


 滑らかに仕上げるために生クリームでも入れようかと蓮花が考えていたところ、時にして偶然というものは重なるようで、伊織よりも珍しい人物が声を掛けてきた。


「? あれ蓮花さんですか……。先ほど、伊織の声がしたような気がしますが?」

「あ、涼音さん。丁度良かったです。今日の夜、みんなで一緒に夕食を食べませんか」

「……? 夕食。みんな」


 先ほどの、伊織が意外にも誘いを乗ってきた幸運もあったのだ。もしかしたらと思い、蓮花は涼音にも先の内容を伝えた上で誘いをかけるのだった。

 ──しかし。


「すみません。今日の夜は道場で鍛錬を積む予定がありまして、今度誘っていただけると幸いです」

「そうですか……」


 残念な事に、涼音からの返事は芳しいものではなかった。

 いやそもそも、先ほど幸運な事があったのだから今度も幸運だという、当てのない予想を立てるべきではなかったのだ。幸運と不幸は天秤の上と、誰かが言っていたような言っていなかったような気がするし、うん。


 そんな訳で蓮花は少しだけブルーな気持ちになっていたのだが、如何やら涼音が興味があったは、“夕食を食べる”というワードではなかったようなのだ。


「そう言えば、先ほど伊織の声が聞こえましたが。もしかして彼女を誘ったのですか?」

「──えぇ、ついさっき伊織さんと会って、それで了承してもらえました。なんでも、妹の昼食を作り忘れたか何かで、すぐに去ってしまったけど」


 如何やら、まだ完全に来ないという選択肢にはなっていなかったようだ。

 これには思わず蓮花も、心の中ではあるがガッツポーズとヨッシャーという掛け声と共に。


「(……あれ?)」


 しかして、涼音の反応は思ったよりも芳しくない。いやむしろ、青い顔までしていて、蓮花の表情まで曇らせにきた。

 これには天真爛漫(自称)な蓮花であっても、嫌な予感がぬぐえないのだ。

 そして、その答えは涼音の口から衝撃的な発言と共に紡がれるのだった。


「伊織が、食事を、作る……!? そう言っていましたか!」

「えっ、あはい……。何か不味い事でもあったんですか?」

「いや、不味いと言えば不味いのですが……」


 何故か当の本人たる涼音も、要領を得なかったようだ。




「──実は伊織は、料理がとてつもないほどに下手なんです」



「──えっ?」


 ──柳田伊織は、料理が下手だ。

 その事実は、最近知り合ってそれなりの関係を築けた蓮花にとって、寝耳に水な話であった。

 蓮花から見た伊織の評価は、“何でもできる上に、特定の分野は恐ろしいほどの熟練度を持つ”といった万能人さながらなものだ。実際、他の人からの評価もさして変わらず、万能人としての扱いを受けていたりする。

 そんな、万能人としての伊織が、まさかの料理が苦手だと。

 少しだけ親近感を湧いてしまうのだが。

 ただまぁ、そう簡単に話が終わる訳はなく──。


「……もしかして、ただただ作る御飯が不味いと、そう思っていませんか?」

「いえ……。はい、何か問題があるのですか?」

「……伊織が作る料理は、その言いずらいんですけど、が出るんです」


 まさか、殺人料理なんてフィクション小説の中だけの話だと、そう思っていた──。

 いやしかし、食中毒による脱水からの死亡なんて、それなりにある話だ。対応と環境さえ確かなものであれば死ぬ事はないのだが、それは決して他人事ではない。

 ちなみに、料理前の手洗いと食材の的確な保存方法などを忘れずに。


「前に柳田家と黒澤家の合同鍛錬の機会で伊織たちなどが料理担当を任されて、辺りは死屍累々に……」

「もしかして……」

「勿論、死人が出るというのは比喩で、実際には伊織の料理で死人なんて出ません」

「? もしかして食中毒か何かですか」

「食中毒、なら対策をすれば特に問題はありませんでした。ですが、伊織はお菓子作りは得意で、その辺りはしっかりとできていたんです」


 詰まる話が、伊織の料理は衛生面や外的要因なく、理屈合わずに勝手に毒物を生成しているとの事だ。時代が時代どころか、現代においても通用する摩訶不思議なスキルと言えよう。

 しかも、お菓子作りには影響しておらず、何故そうなるのか分からない事だらけだ。


「──って、こうしてはいられないです! ではさようなら」


 そして、その今までの会話の内容と、伊織の料理下手についてが線と線で結びついたようで、まるで脱兎の如く涼音はその場を後にした。勿論、涼音の行先はというと、先ほど伊織が去っていった方と同じだ。


 そんな訳で、嵐の如く知り合いたちと会ってきて、それで蓮花と、あと先ほどから取り残されていた雫と凪はぽつーんと、残されるのだった。




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