第034話『ウロボロス』
それとは同時刻──。
涼音は、“ケモノ”が襲来したと警報で聞いてストレス発散にと町へと繰り出したのだが、一体どういう事なのだろうか。
別に、その件の“ケモノ”が涼音の思っていた以上に強かったという訳ではない。むしろ、丙種辺りの強さであり、それに加えて一体だけだった。
勿論、涼音は早々にけりを付けた。
──しかし、そんな時だった。
人を襲う“ケモノ”が現れたというのに、そこには場違いな人がいた。
シンプルかつ清廉な白のワンピースを羽織り、また足が不自由なのか車椅子を引いて涼音の方へと歩み寄ってくる。物音に微かにでも反射的に反応している点から、別に耳が不自由という訳ではないのだろう。
『……。あの、そこの貴女。私が“ケモノ”を倒したとはいえまだ潜んでいる可能性があるので、避難場所に行って下さい』
──今なら、その涼音自身の言葉が間違いだったのだと、そう認識することができただろう。
そもそもの話、車椅子を引く速度というものは、それほど速くない。人の日常で歩く速度に負ける事もあれば、緊急時に走る時なんかは尚更だ。
つまるところ、彼女は“ケモノ”がこの辺りで現れたという話を聞いてこの場にやってきた。そう結論付ける事ができる。
しかも、その落ち着き方は異常だ。
この危機感に気付いていない鈍い人なのかと思うのかもしれないのだが、それは決して違う。ここまでの話を聞けば、そんな感想なぞ、思う方がおかしいというものだ。
『──いえ、貴女は一体誰なのですか』
その涼音の言葉に対して彼女は、生き生きとしつつも枯れ葉を紡ぐような言の葉を述べた。
『てっきり、少し鈍いと思っていました。ですが、それは訂正しましょう。
改めまして。“ウロボロス”という名の教団に所属している、“枝樹夕華”と申します。
───そして今から、貴女を殺す者の名です』
その夕華とやらの宣言と共に、彼女の足もとの地面を割って、枝らしき物が涼音に向かって伸びる。その速度は速く、そして鋭い。
それに対して涼音は、突き出された枝を弾くようにして回避すると、そのまま一射。勿論と言うべきか、それは簡単に防がれるのだが。
「(……思ったよりも硬いですね。少なくとも、大木を幹からへし折る程度の威力を込めた筈なんですがね)」
──違和感を覚える。
最初に感じた違和感は、特製の手袋を嵌めていたとはいえ感じた、自然物でありながらも自然物ではない感覚。
そのおかげで涼音は、枝の方を弾こうとしていたのを中断したのだが、如何やらその感覚というか勘のおかげで一撃で終わる事はなかったらしい。もしも、枝を弾いていたのだとしたら、彼女の体に即死も免れぬ風穴が空いていた事だろう。
──改めて確認をする。
夕華は地面から生える数多の枝を駆使して戦うつもりらしい。しかもたちの悪い事に、その全ての枝が涼音自身の渾身の一撃でどうにか、といったレベルなのだ。
それに対して、身体能力がおそらく低い。これは希望的な観測でしかないが、動かす腕が少しだけ鈍いような気がするのだ。
「(ボクとの相性が悪いですね。どちらかと言えば伊織さん向きでしょうに……)」
確かに、涼音と夕華との相性はかなり悪い。
とはいえ、涼音に切り札の類がない訳ではない。それでも、膨大なリスクを孕むために下手に切り札を切る選択を取る訳にいかず、ただただ時間が流れていくのだろう。
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打ち合って、涼音の体感でしかないが少しだけの時間が過ぎた。
だがそれは、涼音の極限状態での戦闘中の体感であって、実際のところはさして時間は経っていない。時間にして、おおよそ乾燥うどんが出来上がりそうな五分辺りなのだろう。そこまで、気楽に時間は過ぎては行かなかったが。
「──思ったよりも、しぶといのですね。私も手加減はしていないのですが」
「そちらこそ。その枝、酷く頑丈なようで」
「えぇ、この枝はそう簡単に防げませんし、通しませんよ」
確かに、夕華の言う通りだ。
ここまで涼音は、あの枝を完全に防ぐ事はできていない。下手に危険を犯す必要がないのもあるが、そもそも枝を手で弾き飛ばす事は不可能。枝を射撃にて相殺する事は可能なのだが、確実に
また、枝が嚙み合ったあの防壁を突破する事も出来ていない。柳田伊織というバグった奴はこの際置いておいて、枝一本一本がかなりの硬度を誇る。例えば涼音が切り札を切れば事なきに終わるのだが、それがそう易々と使えない以上、やっとこさ渾身の一撃にて大きな罅が入る程度。
つまる話が、涼音は夕華に対して完全に手詰まりなのだ。
「──?」
──そんな時だった。
何の前触れなく少し驚いたかのような表情をして夕華は、自身のワンピースのポケットをまさぐった。
ちなみに、今も枝が夕華の周りを蠢ていていて、そう稚拙に涼音は手を出せなかったりする。
そして、ほんの少しだけ時間が経ったのだろうか。満を持してポケットから取り出した彼女の手には、予想内ではあるがギリギリのところを付いてきた、そんな物が握られていた。
「(……トランシーバー、それも旧式の。それ以外には特に特出すべき点はないようですが、果たして)」
待つ、待った。
何もできない、何もできないからだ。
「──えぇ、分かりました。……喜んでください、そこの貴女。とても惜しいのですが、諸事情があって貴女を見逃すことにしました」
「へぇっ───、随分と臆病なのですね」
「勘違いしないでください。別に貴女が怖いからという訳ではなく、その
完全にバレていた。
涼音自身の背中に背負った矢のストックは、先の一撃にてもう尽きた。元は特定の場所ではあるが何処でも買える、ごく一般的な物だ。
そして、その次にと涼音が夕華から見えないような位置で取り出したのは、先ほどまでの市販の物とは別格な矢。少々特別品にて一本当たりの値は跳ね上がるが、それでも手などへの馴染みやすさやその威力は恐ろしいほどに跳ね上がっている。
だがそれは、本来甲種の“ケモノ”に対して使われる物だ。
──嗚呼、黒辺涼音は分かっているとも。ソレを人に向けるという行為が、一体どういう意味なのかという事を。
「──何もしてこないのですね。良い判断です。では、私はこれにて失礼するとしましょう」
そして、そう言い残して夕華は、その場を去っていくのだった。
確かに、此処で涼音が何もしないという選択は、良い判断と言えよう。
何しろ涼音とて、今現在の状態では万全の体勢とは言い難い。
もしも、涼音が万全の状態を期すというのならば、矢の残機は全て今しがた引き抜こうとした特別製の物にした筈だ。それに加えて彼女は、あと幾つか追加の装備を装着するつもりだろう。
まぁ、それはたらればの話──。
装備も実力も足りていない涼音としては、ただただ夕華を見ているだけしなかったのだ。
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