第032話『テスト勉強とブルーハワイ味』


 その日の放課後、テスト期間という事でいつもより早く帰れる蓮花と伊織は、蓮花の家へとたどり着いた。

 そこは、梓ヶ丘には珍しい、マンションの類などではなく一軒家であった。

 まず、この梓ヶ丘の家賃は、それなりに高い。特に、伊織が住んでいる場所のような中心地付近は、流石は梓ヶ丘と言えるぐらいの金額だ。

 しかしながら、そこには抜け道が存在していて、外周区とも呼ばれる一軒家が立ち並ぶ街並みはそれなりの田舎を思い出すもので、その家賃はある程度は抑えられている。

 本来は、それなりの知人から紹介され事が必須なのだが、如何やらその辺りはぬかりないようだ。


「……主人公めぇっ」

「? 何か言いましたか?」

「いや何も。それよりも、蓮花のところはよく外周区に家を建てられたな。案外、やり手なんだな」

「いえ、この辺りに昔からの知り合いがいて、その人に紹介してもらいました」


 そんな当たり障りない会話を繰り広げつつも、玄関を潜った蓮花と伊織。

 外装や内装と言えば、そう特質すべきものはないと言ってもよい。当たり障りのない、普通の自宅と言えるのだろう。

 そして如何やら、蓮花の自室はというと、二階にある隅っこの一室らしい。


「伊織さん。お茶を持ってきますので、ゆっくりとしていてください」

「んあぁ、お構いなく」


 そう答えた伊織の視界に入ってきた蓮花の自室は、少し大人しめ大人しめであったが、伊織の想像した女子生徒の部屋と酷似していた。

 煌びやかさやけばけばしさの類はなく、ただただ柔らかい雰囲気を漂わせる、そんな一室。


「(そう言えば、前世の妹はあれからどうしているのだろうか? いや、どうせ分からないだろうけど)」


 伊織が蓮花の自室を大人しめの部屋だと予想できたのも、前世の妹の自室を見た事があったからだ。

 それ故か。少しだけ伊織は、前世の事を思い出すのだった。


 ──最近、伊織は前世の出来事が思い出せなくなってきた。

 確かに、人の記憶というものは、使われていないと奥へ奥へと仕舞われて、きっかけなどにより思い出すものだと聞く。

 ただ、前世の知識は今も健在だし、心に刻まれた思い出は風化することなく、こうして残っている。

 しかし、ふとした瞬間に忘れるのだ。



 ──近所にいた猫の毛並みは何だっけ?


 ──子供の頃限定な、友達の名前は?


 ──あの懐かしい香り、何だっけか?



 もう見えないかつての景色、──それはどうでもいい事。

 だけれども、少しだけ不安に思ってしまうのだ。


 ──私が私でなくなる時。私は私と、そう認識できるのだろうか、と。



 /7



「ぃぉりさ~ん。ぃ織さん。──伊織さん、話し聞いていますか?」

「……んあぁ。確か、かき氷のシロップは何が一番美味しいのか、だっけか。アレって、色と香りで誤魔化しているだけだから、基本味は同じらしいよ」

「そんな話じゃないです!」


 伊織が適当に答えた反応を見る限り、もう少し洒落た話題でも挙げるべきだったと彼女は思うだった。

 確かにかき氷のシロップの味は、果実から作る物などを省くと、基本的に同じ味。しかし、色と香りで誤魔化して、それらと同じ味を疑似体験されるのだ。

 だが、ふと思ってしまう。


「(ブルーハワイって、ブルーハワイ味。……何それ?)」


「それよりも伊織さん。話を戻しますけどいいですか?」

「……、今度は聞いているからな」

「それなら良かったです。……良かった、です」


 何とも、含みのある言葉遣いだ。

 しかしながら、どうも伊織の想像とは違っているようで、少しだけ憂鬱そうに答えるのだった。


「第二次試験、伊織さんはどうでしたか? さぞ、活躍していた事でしょうね」

「一応、壁役と止めの一撃は私が。……って、何でそんなに睨む」

「ほら、活躍していたじゃないですか。私なんて、私なんて」


 蓮花の話を聞く限り、如何やら彼女の試験は上手く行かなかったようだ。

 まず、蓮花自身が近接戦闘を得意としていないために、彼女が不意な現状を打開することがほぼ不可能だったらしい。てっきり伊織としては、蓮花が前みたいにどうにかしようと無理な行動をするのかと思ったら、まさかできる範囲で事を行うとは正直驚いた。

 次に、前衛ができる人が三人の内に誰もいなかったという事だ。他の二人は論外なようで、仕方なしに蓮花が自身に《マホウ》を掛けた上で前衛を引き受けたらしい。

 そして最後に、B班各員の相性が最悪というか、たちの悪い事に無自覚に連携を乱していた事だ。何でも、伊織の事を気にしているらしく、かなり蓮花に対してアピールをしていたらしい。それが、マイナス評価につながると知らずに。


「……いやそれ、私悪くないよな!?」

「別に伊織さんが悪いとは一言も言っていないですし」


 とは言いつつも蓮花は、恨めしい3割増しで伊織の事を見るのだった。

 いつもなら、別にこの程度の視線なんて慣れっこなのだが、生憎と此処は伊織と蓮花二人だけの空間だ。それも、地の利は完全にアウェイ。

 不特定多数の様々な視線に耐えてきた伊織なのであったが、こkんかいばかりは分が悪い。

 早々に、話題を変えるのだった。


「そう言えば、あれから三人とはどうなった?」

「三人?ですか……」

「いや、忘れたとは言わないでくれよ。私も頑張ったからさ」


 主に、伊織が色々としでかしたのだから、いきなり男性陣三人と走り出すことになるわ、危うくナイフで命が果てる羽目になったりもした。

 もしも、蓮花が伊織との接点を持つことがなければ、こんなにも濃い一か月と少しを過ごすことはなかったのだろう。それはそれで迷惑な話なのだが、惰性で魔法少女を続けていていつかは死ぬ、そんなどうしようもない未来を変えてくれたのは、その迷惑な伊織なのであって、どうにも憎めない。


「あれからも交流は続いていますよ。でも、私は魔法少女になりましたからね。無関係の一般人を巻き込む訳にはいきません」

「お、試験はどうなのか分からないのに、勇ましい事、勇ましい事」

「伊織さんこそ、話を聞いていましたか? 一般人に被害を出してはいけないって」


 聞いた話だ。

 伊織などの魔法少女としては、“ケモノ”を倒すことが個人的に最優先にすべき事なのだが、残念なことにこの国は憲法がある民主国家である。故に、一般人を見捨てるような行為があれば、真っ先に突っつかれる事なのだろう。

 予防線を張っておいて良かったのだと、そう思う伊織なのであった。


「一応、私もまだ死亡者は出していないが。それはまぁこの際置いておいて、交流とか言ったっけ? ──蓮花は誰と付き合っているんだ?」


 それ即ち、話題の衝撃性で先の会話を上塗りする作戦だ──。

 という冗談は隅にでも置いておいて、実際問題聞いた伊織としても、とても気になる話である。

 忘れそうになるが、この世界は『花散る頃、恋歌時』という乙女ゲーを舞台にしているのだ。ただ、そこには魔法少女や魔術師、更には“ケモノ”なんかも含まれていて、正直乗っ取られたかのような感覚を覚える。

 しかし、その乙女ゲーを基盤にしている以上、何かしらの動きがある筈だ。

 確か、最近ありそうなイベントと言えば、中間テストのためのテスト勉強だっけか。


「(あれ? そうなると、……私が攻略ヒロイン?)」


 な訳ないと、伊織は軽く頭を振るう。

 そんな傍からみれば不思議としか思えないような伊織の行為に、蓮花は呆れた視線を投げ掛けていた。いや、伊織にとっては、重要な行為と言えよう。


 そもそもの話、蓮花が伊織に対して憧れなどのような感情を向けて来る事自体、不自然と言わざるを得ない。

 確かに、最近はカレンが学園にいないため必然的に会う機会が増えたのだが、それでも一歩距離を置いている。たとえ、伊織が親し気に話し掛けてきていても、それは表面上のもので、内情までは入り込ませていない。

 もしもの話、蓮花が伊織の内情に入り込むのだとしたら、伊織は絶対零度な表情を向ける事になろう。


「──! いえ、私はまだ誰とも……」

「何だそうか。てっきり、もうお手付きかと思ったのだけれども」

「……! い伊織さんこそ、てっきり付き合っている彼氏でもいるのかと思ったけど」

「反撃下手か!?」


 一応今日は、中間テストの勉強会という事で集まっている。

 しかし、伊織と蓮花はそれを覚えていないのであろう。

 ───時は刻々と流れていく。


 ちなみにこれは余談なのだが、伊織はその後勉強していない事に気付いて、渋々家でテスト勉強をする羽目になるのだった。



 ♢♦♢♦♢



「あ~、痒い……」


 勉強が終わって風呂で息を付いた。それから、少し時間が経った頃の事だった。

 ──如何やら、いつの間にか虫に刺されていたらしい。

 その証拠に、ぷくりと膨らんだ柔肌。痒みは相変わらずあるが、そこは心頭滅却の心意気で、少しばかり我慢をするつもりだ。

 少しばかりと言ったが、別に虫刺されの薬を塗るためにではない。

 いや、虫刺されの薬を塗っても何ら問題はないのだが、それ以上に今の伊織にはまだやるべき事が残っている。


「──何処だ……」


 ──ぷいぃぃぃん、と。羽音が何処からともなく聞こえてくる。

 だが、その姿を垣間見る事はできない。まさに、数百年の歴史を持つ現代の忍者と言えよう。


 そう、先に伊織が刺されたのは蚊で、それが今もこの部屋の中にいるのだ。


「……。姉ちゃん、一体何をしているの? そんな暗黒儀式の舞みたいに」

「いや何、蚊がいてな。──何処だ……」


 しかし、そんな伊織の執念虚しく、蚊が一向に見つからない。

 もし、伊織が諦めたのだとしたら、あとからひょっこりと出て来るのかもしれない。実際、効率を考えたら、そちらの方が良いのだろう。

 けれど、伊織の勘が告げているのだ。

 ──此処で引いたら負けなのだと。


「それはそうと、メリアも気を付けろよ。二人して蚊に負けたなんて、しょうもないからな」

「アタシ、蚊に刺された事がないので」

「──本っ当に羨ましい限りだな!?」


 フレイメリアのその衝撃発言が正しいのだとすれば、今狙われているのは伊織だけだ。

 正直言って、心底羨ましい限りなのだが、それはつまるところ、今現在伊織しか狙われていないという事実に繋がる。

 なればこそ、戦い方はあるってものだ。


「──こい。お前が誘われた時が、お前の最後だ」


 伊織はそう言って、目を完全に瞑った上にその場に座り込む。勿論、すぐに動けるような体勢なのではあるが、それでも半歩遅れてしまう。


 ──。

 ──。

 ──。

 ──。

 ──、──来た。


「──っ、そこ!」


 精神を研ぎ澄ました上での超感覚により、見事伊織は蚊の存在を突き止めた。

 滑らかに、速く。予備動作を悟らせない高速移動を用いて伊織は、蚊が届く間合いへと侵入する。その姿、夢想の如し。

 だが相手は、柳田家最高傑作たる伊織の血を吸った、そこらではお目に掛かれない俊敏性と反射速度を誇る。並大抵の平手打ちなんかは、簡単に避けられる事だろう。

 ましてや、伊織が半歩だけ遅い。


 ──いや、半歩

 伊織は半歩遅い状態なのではあったのだが、今現在行使している高速移動術。それも用いて彼女は、その一歩先へと行く。

 それが傍から見れば、恐ろしいほどの加速に反射的にそう思ってしまうのだ。


 ──ぷいぃぃぃん、と。蚊は反射的に回避行動を取ってしまったのだが、それは伊織の術中である。

 そして伊織は、先読みの上で両手による平手打ちを構えるのだった。




 ──ぱぁん!


 ──ぱぁん!




 と、叩く乾いた音がした。

 

「……あれ?」


 当の伊織としては、万全とは言えはしないが、それでも十分過ぎるほどの準備を以てして事に当たった筈なのだ。

 なればこそ、伊織が狙いを外すなんてあり得ない。

 それはつまるところ、──。


「あ、二匹もいる……」


 二匹もいた。

 先ほどから聞こえてきた、蚊の羽音。

 もしそれが一匹だけなのだとしたら、伊織とて早々に居場所を突き詰められたのだろう。実際、集中していたから二匹一緒に仕留められただけあって、一匹だけなのだとしたら問題はなさそうだ。

 だが、二匹という伊織の予想を超えた自体において、彼女の超感覚は上手く働かなかった。

 これには当の伊織も、自身の不甲斐なさを恥じるばかりだ。


「……。やっぱり、気が緩んでいるのだろうか?」


 “ケモノ”なんて人類の敵と戦っているというのに、随分なもの言い草なのだろう。

 けれど、実家での鍛錬で伊織に向けられるのは、一撃一撃が必殺な技々。

 対して、“ケモノ”との戦闘で向けられるのは、容赦や躊躇もないただただ死のみ

 確かに、どちらの行為にも死を孕んでいる危険なものなのだが、それでも伊織の限界を見極めた上でその向こう側の鍛錬を叩きつけて来る方がよほど危険なのだろう。


「それよりも姉ちゃん」

「どうしたのか、メリア。ちゃんと蚊は叩いておいたぞ」

「わたしは別に蚊に刺された事はないから。それよりも、さっさと手を洗ってきてくれないですか?」

「あっ、……」


 その辛い言葉を聞いて伊織は、自身の手のひらを見る。そこには今だ、蚊の死骸が付着したままだ。

 確かに、──汚い。

 その事実を知覚した伊織は、もう片方の手にしたテッシュでふき取ると、そのまま洗面所へと向かうのだった。




 🔷 🔷 🔷 🔷 🔷 🔷 🔷 🔷 🔷


 お疲れ様です。

 感想やレビューなどなど。お待ちしております。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る