第025話『きっと私は──』

 まるで、落葉の如くゆっくりと倒れ伏すカレン。先ほどまで燃え盛っていた彼女の《マホウ》も、燃え滓のようにいつか二人で見た青空の彼方へと消えていく。


「……」


 魔法少女の誰もが抱く願望が叶えられなかった、それが悔しい。

 何故、カレンは憎い相手だけではなく、手に入れたかった彼女まで、この手に掛けようとしたのか。それが分からない。

 それらの思いを抱えたまま、カレンは堕ちて行く──その筈だった。


「……伊織、さん」

「──ようやく、私の眼を見てくれたな」


 まるで、奈落にでも堕ちて行く──倒れ伏そうとしたカレンの軽い体を誰かが受け止めた。

 細やかな体つきをしつつも筋肉質で、この声色は夏の縁側で聞く風鈴のようで、我ながら変態だと思いつつもあの日嗅いだ何処までも続く草葉の匂い。その草原の先に、彼女──柳田伊織の姿がそこにああった。


「──ごめん、なさいっ」

「何、別に私に謝る事なんてないさ。私たち、今は二人共魔法少女なんてものになったけど、それでもあの頃、一緒に過ごしていた、一緒に鍛錬を積み重ねていた、その日の事を思い出せてうれしいよ」


 伊織の言葉に、どれだけ注意深く聞いても、嘘の類は見られなかった。

 確かに、今回の伊織とカレンの魔法少女としての戦いは、己が願望を掛けた聖戦でもあった。もし、伊織自身が負けたらと、ほんの僅かだけ怖かったりもした。

 しかし、それでも楽しかったという感情も、それまた事実だ。




 親の言いつけで、ただ武術を習いに来ていたカレン。

 ──必死に前だけ見続けていた伊織にとって、それは純粋無垢なようで。


 自分よりも上手い同世代な伊織に対して、敵対心を向けていたカレン。

 ──それは孤独の中にいた伊織に対して向けられた、初めての感情で。


 泣きながらも、最後は道場を去って行ったカレン。

 ──その日、伊織は今世で初めて泣いた。その意味も分からずに。




「……」

「ねぇ、伊織さん」

「何だ。それそろ恥ずかしくなって、離してくれとでも言うつもりか?」

「いえ、もう少しだけこのままで……」


 弱々しくも手を伸ばすカレン。

 久しぶりに感じた伊織は、とても冷たくて、いままで燃え盛っていた蓮花に対してのどす黒い感情は消え去っていく。

 そして、鎮火して初めて言えるのか。最後の別れをする恋人のようなセリフの後たっぷり数秒後、カレンは再び弱々しくもその唇を開いた。


「……もう二度と、私の前から消えないと、そう約束をしてくれませんか?」


 ──それは、告白のようで。

 事実、それは告白のようなものだろう。ただ、それが男女間の恋愛感情によるもんではなく、もっと親密な人同士で行われるものだった。それだけの話だ。


「……、それは無理な話だ」

「──」


 伊織の返答。それは拒絶だった。


 この涙袋の奥から流れ出る海水のような液体は、一体なんだ?

 これほどまでに、“悔しい”と“悲しい”が奇妙な調和を以って両立している、この感情は一体なんだ?

 どうして振った伊織は、今だ顔を歪ませないで……。


「私は昔、好きな人がいてな。何処までも精巧で、途端にうるさくて。もう今となっては会えないけど、もう一度その人と人生を歩みたいんだ」

「──そこに、私の居場所はないのですか」

「あぁ。私はその人と人生を過ごしたいし、それにカレンだってあまり見向きもされないのは嫌だろう?」


 そうではない、そうカレンは言いたかった。けれど実際問題、今回の件は伊織の言う通りなので、反論をしたくても出来ない。もしも、カレンが誇りを持つお嬢様ではなく、ただの薄汚い彼女であったのなら話は変わっていたのだろう。

 けれど、そんな未来に一体何があるのだというのか。

 カレンが好きなのは、今を生きる伊織だ。もしも、恥をも殴り捨てたカレンの言葉を肯定してくれる、たらればの伊織ではない。


「……」

「……」


 全てを捨ててまで、手に入れたい彼女を欲したカレン。その結果に待つのは、拒絶という目の前が真っ暗になるほどの絶望。蓮花への憎悪と物々交換をしたソレは、あの日一緒に行った喫茶店の珈琲の苦みにそっくりで。


「──ぁ、──っ」


 なればこそ、この瞬間こそ羽化の頃なのだろう。

 昔、娯楽小説を読んだ際に、何故ここまでみっともなく「行かないで」と感情を荒ぶらせていったのか、カレンには理解できなかった。そんな感情任せにやったところで何の価値もなく、心を縛り付けた方がよっぽど成功率が高いのだと思っていた。

 “行かないでほしい”。それはきっと、カレンが心の中で笑った娯楽小説のヒロインの言葉と似ているのだろう。

 今なら分かる。その滑稽な言葉の感情が。


「──ねぇ」

「? どうかしたのか?」


 これは“決意”だ──。

 だからこそ、一度離れてこう言おう。

 これからカレンが言う言葉は、もしかしたら伊織を更に遠ざける結果、泡のように浮かび上がる事実なのかもしれない。

 けれど、これからカレンが伊織と一緒に、楽しんで、遊びに行って、困難を乗り越えて。それやカレンがやりたい事をするためには、この言葉しかないと思った。


「──先ほど言葉、私の前からいつか消えるかもしれない、そう捉えてもよろしいですね」

「……あぁ、そうだな」

「私がどれだけの魅力的な言葉を並べたとしても、その決意は変わりませんね」

「……あぁ、そうだな」

「だから、私はこう言います」

「……?」


「──貴女が私の前からいなくなる時まで、その時までは一緒にいてくれませんか?」


 カレンはその言葉と共に、右手を差し出した。

 この言葉しか出なかったカレンとしては、正直悔しい。できれば、伊織とはこれからも一緒にいたいし、それに伊織の記憶には衝撃的なものとして残っていて欲しかった。

 けれど、伊織──彼女の記憶には、カレンは人生数十年の些細な記憶でしかないのだろう。

 だからこそ、忘れなくしてやろう。──たとえ、伊織が好きな人と再会したとしても、時折思い出すほどの鮮烈なものに、と。

 そんな伊織の返答はいかに。


「はぁっ、これ以上何を言っても変わりそうにないな。本当に願いってものは恐ろしいものだな」

「───はいっ」


「……これは私の負けだ。魔法少女になったからには必ず己の願望を持っているが、その思いと強度は別物だ。根には私も自信があったんだけどな……」


 その伊織の返答に、カレンは涙ぐみそうになった。

 やってやろうと、そう思っていた。けれど、出来るとは思っていなかった。

 伊織の願望は、聞いたことがないから何かは分からない。

 しかし、刀と杖を交えて分かるのだ。伊織の願望が一体何か分からないのだとしても、その思いの強さというか強度というか、それが不純物を可能な限り取り除いた刀身のように鋭いのだと、分かるのだ。


「──ただ、握手はこっちの手で頼むよ」

「……?」

「右手は、既に彼女に渡したんだ。だから、まだ空いている左手で良いかな?」

「──はいっ!」


 カレンの伊織と一緒にいたいという、魔法少女としての願望は一応の完結を果たした。

 けれど、その程度で終わるほどカレンの願望は甘くなく、願望本人も穏やかな春風のようでもない。汗が強制的に流れ出すほどの熱風が吹けば、肌を刺すほどの寒風が、また吹き荒ぶのだろう。


 願望とは際限のない悪いものだと捉えがちだが、それは違う。

 己が叶えるために、何かを犠牲をする事の、何が悪い。

 人が生を謳歌するためには、犠牲が付き物だ。それは悲観的な考えなどではなく、純然たる事実。

 なればこそ、己が願望を叶えようとする魔法少女誇り高き君よ。何を犠牲にするのか決めたまえ。

 この前のめりに走り続けたこの人生を、きっと後悔しないように。

 それが、今走り続けている魔法少女に送りたもう、そんな言の葉。




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