第024話『迷いながら、抗いながら、と』

 伊織の目の前を走る炎の波は、まるで網のようだ。下手に受け流したり、ましてや受けようものなら、カレンが炎の波の中に隠した鋼糸によって絡め捕られるのだろう。

 なるほど、実戦経験がないとはいえ、伊織が基礎を教えた蓮花が簡単に負ける訳だ。


 だが、それは伊織も同様だ。

 分かっていても、避けられなければ意味はない。

 つまるところ、単純な物量を苦手としている伊織にとっては、開始早々この状況はかなり不味いと言っても良い。

 ──しかし、それをいともたやすく超えるのが、柳田伊織という彼女自身だ。


「──そこ」



《柳田我流剣術、朧》



 朧は、まるで揺蕩う夢のようだ。

 そこにあるようで、ないようで。触れられるようで、触れられないようで。

 そんな、揺蕩う夢を歩行術や剣術によって再現したのが、この《柳田我流剣術、朧》。そう触れられるものではないのだ。


 だが、この程度の技で伊織が勝てるのなら、蓮花+αがいた段階で戦力差からいって負ける筈がない。いやもしかしたら、ぶっつけ本番の連携のありありと浮かぶ隙を狙われたのかもしれないが、伊織はカレンがまだ本気にすらなっていないように見える。

 その証拠に、先ほどからの伊織の斬撃は、実に見事なものでカレンの操る鋼糸によって防がれている。しかも、炎の波による実害もあって、有効打も成しえない。


 ──一時の硬直。

     そう思った時点で終わりであった。


「──っ、これは……! やはり、魔法少女ではなく、私と同じ武芸者の一人として捉えるべきだったな」


 ──瓦礫が、雨のように降ってくる。

 伊織が炎の波を抜けてひと段落付くのかと思いきや、彼女の目の前に広がるは、壮健過ぎるほどの瓦礫の山。そして、それらが宙に浮いているのだから、一瞬だけでも立ち止まってしまうというものだ。

 カレンの《マホウ》は、恐らく燃焼───何かを燃やす類のものだ。

 なればこそ、この瓦礫の山々を動かしたのは、カレン自身の技と言えよう。



《柳田流鉄糸術、廻天流麗》



 同じ柳田流の使い手として、伊織も柳田流鉄糸術の技々は一通りは行使できる。勿論、それは実践で十分通用するぐらいには。

 だが、十年近くは鉄糸術を習った伊織とて、その分野──柳田流鉄糸術においては、カレンの方が格上だ。少なくとも、今現在のような力点や作用点などをフルで利用した、人外じみた技は、伊織にとっては使えないだと言えよう。


「──潰れて」



《柳田我流剣術、舞姫》



「──だが、柳田流の一応の先輩として、負ける訳にはいかないな!」


 まさかの正面突破。

 定石通りなら、この場合は避け続けた上で、その攻撃の合間に生まれる隙を付くのが普通だ。何も、危険に喜々として飛び込むのが戦いではない。ゆっくりと相手の動きを見た上で、攻守を切り替えるのが、持って行き方としては良い。

 だが、あんな伊織にでさえ技としては不可能なものを見せられて、先輩としての伊織が黙っていられる筈がない。

 ──それでつい、伊織は正面突破をしてしまったという訳だ。


 だが、それは決して悪手ではなかった。

 伊織は落ちて来る瓦礫の山を、ただ切り崩していた訳ではない。確かに、彼女にしてみればできる事の一種でしかないが、それでも非効率的だ。

 しかし、落ちて来る瓦礫の山は、一体何で出来ているのだろうか。先の爆発で素材となった聖シストミア学園の建物も含まれているが、それを動かしているのはカレンの操る鋼糸である。

 故に、カレンの操る鋼糸を切断できれば、瓦礫の山が落ちて来る事は変わらないであろうが、それでも縦横無尽に迫りくるという対処しづらい展開からは抜け出せられるのだ。


 そして、──突破した。

 だが、──。



《柳田流体術、風車》


 それは、罠だった。

 カレンは、伊織の腕前を知っていた上で、正面突破できるラインにまでに下げた。もし、正面突破が伊織にとっては不可能だった場合、様子を見た上で仕掛けてきたのだろう。それを見越した上で、カレンは罠を置いたのだ。


 だが、その程度の策略で伊織が負ける筈がないのも事実だ。

 伊織の、その身体を扱う能力や剣術などとしての技術は、確かに他に比較することもできないほどに高い。

 しかし、伊織のその人外じみた身体能力もまた、脅威だ。

 柳田伊織という武芸者は、心技体がバグレベルで揃った腕前を持っているから。


「──っ」

「まじ、──かっ!?」


 しかし、今現在というかなり限定的な展開の中ではあるが、この瞬間カレンの技は伊織を抜いた。

 そう、伊織が返す刀で振り下ろそうとした瞬間。カレンはその瞬間のほんの僅かな隙を付いて組み付き、伊織の振るう刀を投げ落とすことに成功したのだ。


 無手と鋼糸。

 どちらが有利かなんて、明白たる事実だ。

 だが、少なくとも互いの格闘術の間合いなれば、今だ勝負の行方は分からない。



《柳田我流体術、五刺・派生技》


《柳田流体術、鎧砕き》



 ──互いの技が交差する。

 追撃を仕掛けるカレンが、体勢が若干崩れた伊織の胴体へボディブローを叩き込もうと、その拳を振るう。

 対する伊織は、崩れた体勢を元に戻すための反発力を上乗せして、より鋭くその開いた手のひらをカレンへと突き出す。

 ──果たして、どちらが制するのか。


「──、ぐっ!?」

「──、がっ!?」


 その瞬間、確かにカレンの一撃は伊織の胴体に命中した。

 技名通り、本来は鎧すらも打ち砕くもの。

 故に、伊織が技を打ち出す瞬間に打ち込まれ、多少の威力の減衰はあったものの、それでも伊織が苦悶の表情を漏らす程度には込められていた。


 それに対して伊織の反撃は、心の緩みが瞬間的にではあるが、そんなカレンの首に指先で絡め手のひらで包む。

 そして、伊織の魔手によってカレンの体幹は意図的に崩され、宙を舞い──、地面へと叩きつけられた。鈍い音がする。


 両者の勝敗は、五分五分。

 片や、苦悶の表情は表さなくはなったが、それでも今だ蓄積されたダメージは残る。

 片や、背中から地面へと叩きつけられたおかげで、呼吸器官のの調子が怪しい。


「いやまったく、流石はカレン・フェニーミアといったところだな。手加減をしているとはいえ、ここまで好き勝手にされるとは……」

「──」


 そう言いつつ伊織は、カレンから視線を逸らさずに刀の回収に走る。

 間合いが離れた以上、そこはカレンの領域。伊織がまた調子に乗らなければであるが、それでも油断ができるほどに力量差がある訳ではない。


 そう、これが伊織の知るカレン・フェニーミア。

 柳田伊織との鍛錬に付いてきてくれた、初めての彼女。一時、それも当の伊織からしてみればほんの僅かな時間でしかなかった。

 だが、家の都合という一時という短い時間だけど、それでも伊織との鍛錬に付いてくる事がどれだけ厳しいのか。下心から純粋に憧れて、それで一緒に鍛錬をした事は数多あれど、その殆どは途中で脱落している。

 そうだ。柳田伊織にとってカレン・フェニーミアは、友人と悪徳令嬢という物語上の関係なぞではない。

 互いが競い合える、ライバルと言える、そんな関係。


 ──だから、伊織は少し嬉しい。

 こんな、決して良い舞台とは到底言えないのだけど、それでもかつての強さを向上させた上で、こうして向かい合っているのだから。


「──っ!」



《柳田流鉄糸術、投網漁法・派生技》



 目の前に広がるのは、まるで網のようで檻だ。

 本来は、鋼糸によって生成された網によって相手を捕まえ、そこからズタズタに切り裂くか、それとも拘束へと持ち込むのか、かなり応用が利く技と言えよう。

 だが、伊織の目の前にあるは、ただの網なぞではない。

 カレンが手にした《マホウ》は、おそらくは延焼系か何か。

 故に、目の前に広がる炎を纏った《投網漁法》は、柳田流の技とは別物と言えよう。


「──全力で私を殺しに来るつもりか。信頼故か否か。そんな事はもう関係ないな」

「──」

「だが、お前がそうまでして掛かってくると言うのなら、私も全力で掛からなければ、な」


 ただまぁ、そう宣言した伊織は、かっこ悪い事に魔法少女としての《マホウ》は一切扱えないのだけど。それはまた別の話だ。



《柳田我流剣術、竜骨一刀》



 元々、鋼糸はそれほど強固ではない。伊織の卓越した腕前さえあれば、何本か纏めてですら余裕であろう。

 だが、──まるで突如として晴れた青空でも見ている気分。

 鋼糸と炎によって遮られていた曇天は、伊織の一振りで晴れ渡る青空へと変わったのだ。


「──、勝負!」


 駆ける、駆ける。前へと駆ける。

 まるで、そよ風にでも乗ったかのような足取りで、伊織は前へと前へと一歩一歩を踏みしめていく。

 カレンによる妨害もあったのだろう。けれど、それすらも気にならないほどに、伊織の踏み込みは、無形のような形というものがなかった。


「──っ!」

「──っ」


 手にした刀を振り絞り、伊織とカレンの間合いは剣のもの。

 ──タン! と、踏み切った伊織の手にした日本刀は、今か今かと淡く鋭く照らされる事を望んでいるようだ。


 はて、どうしたものか。

 このまま振るおうものなら、伊織はカレンの体を両断する羽目になることだろう。それは喜々として殺し合いをしている当の伊織としても、避けたい話だ。

 しかし、下手に手加減をした一撃にしようものなら、逆に伊織がカレンからの手痛い反撃を食らう羽目になることだろう。それだけの実力が、カレンにはある。

 仕方なしに、その場面その場面にて、対処する他ない。


「──生命の灯火」


 ──だが、そんな伊織の一瞬の躊躇が、この先の明暗を分けてしまった。


「あ、ああああぁぁぁぁああああぁぁぁぁ!」


 咄嗟に、バックジャンプで距離を取る伊織。

 自滅覚悟の発火なのかと思ったのだが、如何やら違うようで雲行きが怪しい。


 それは《マホウ》の暴走のようなものであった──。

 これは《マホウ》が使えない上にそのような情報を保有していない伊織には分からない事だが、《マホウ》にはある程度のリミッターが存在している。それは、各個人が持つ感情と同じようなものだ。

 だが、当然の如く、感情をため込んで置ける量というものは存在する。

 故に、一定の感情のラインを越えると、《マホウ》が暴走するといった不具合があるのだ。


「!? 熱っ!! こんな熱量、人が耐えられるものなのか?」


 ──生命の燈火。

 自身の寿命や感情を燃料にして燃やし尽くす、他の魔法少女からすらも危険視されるほどの強力な《マホウ》。

 それは、地表に出現した、まるで太陽のようなものだった。離れた今でさえ、肌がチリチリと痛む。


「……。伊織、さん」

「ん? 何だ、蓮花か。今は少し立て込んでいてな、もう少しだけ待っていてくれ」


 さて、どうしたものかと伊織が頭を抱えていると、不意に背後から聞こえてくる掠れた彼女の名を呼ぶ声。

 一体誰かと伊織が声をする方へと振り向くと、そこにいるのは背中を砕けた壁へと預ける蓮花の姿がそこにはあった。


「あの、すみません」

「一体何が。そもそも、カレンに蓮花が勝てるなんて思っていなかったからな」

「えっ、い何時から知っていたんですか?」

「ほんの少し前の事だけどな。何年か暮らしていると、それなりにができるってものだからな」


 そう他愛のない事を言って、伊織は再度カレンに対して視線を向ける。

 今だカレンの《マホウ》は暴走したままで、此処にまで熱気が伝わってくる。中心の温度がどれほどのものか、それを考えたくないほどに。


「……、カレンさんを、どうか助けて下さい。あの人は決して、悪い人ではありません」

「……ほぉっ」


 この事態をどうにかしようとカレンへと向き直る伊織に対して、蓮花が掛けた言葉。それに対して伊織は、少しだけ驚いてしまう。

 確かに、『花散る頃、恋歌時』という原作では、蓮花は今現在と同じく誰に対しても優しい人物であった。困っている人を見れば手助けをするし、転んだ子供がいれば手を貸すほどに。

 だが、悪徳令嬢たるカレンに対しては、そのような事は起きなかった。

 だからこそ、伊織は祖kの言葉を聞くと同時に少し驚き、───そして少しだけ微笑んだ。




「あぁ、任せておけ。──後輩を先輩が助けるのは当たり前だからな」




 構えは上段。

 引き絞り。

 正眼に捉え。

 ──そして、振り下ろす。



《柳田我流剣術、第三秘剣・天翔五勢ノ剣》



 ──太陽が、割れた。

 そう、表現する他なかった。


 本来、魔法少女というのは、絶対性を保有している。何しろ、《マホウ》や魔法少女が扱う武器といったものしか、彼女達には怪我すらも与えられない。たとえ、アスファルトの地面で盛大に転んだとしても、擦り傷すら残さないというのだから便利なものだ。

 ──女性型の人間兵器と、そう呼ばれても可笑しなものではないのだろう。

 それに加えて、事象系というか実体のない《マホウ》というものは、基本的に介入できない。例えば、素人に海を文字通り剣で割れなんて話は到底無理で、伊織のような凄腕の剣士であっても《マホウ》の炎なんて未知なものは正直無理な話だ。

 だが、伊織は初めて目にする未知のものを切った。


 ──そうこの日伊織は、《マホウ》という絶対性を揺るがすほどの神技を見せつけたのだった。




 🔷 🔷 🔷 🔷 🔷 🔷 🔷 🔷 🔷


 お疲れ様です。

 感想やレビューなどなど。お待ちしております。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る