第023話『才能がない者同士』

『貴女の体幹、力の抜き方、一つ一つの動作。──どれを取っても、戦いに向いていないですね』


 それは、少し前の記憶。

 その日は、丁度伊織が急遽いなくなって、蓮花は涼音にマンツーマン指導を受ける事となった。

 もし、伊織の訓練を何十本との組手による“勘”の訓練なのだというのなら、涼音の訓練はちゃんとした理論に基づいたものだった。もっとも、どちらもかなりのスパルタなのは変わらないのだが。

 そして、蓮花の間合いに踏み込んで投げた涼音は、そうどうしようものない物でも見るかのような視線と共に、蓮花をじっと見つめていた。


『向いていない、ですか……』

『そうです。私としては、さっさと諦める事をお勧めしますよ』


 ──諦める? これだけ頑張ったのに! 

 と、そう厳しい言葉を突きつけられた蓮花は、まるで仇敵でも見るかのような鋭い視線で、声の主たる涼音の姿を捉えた。


『でもっ! 私だって頑張って──』

『頑張った? 努力をした? それだけで勝てるほど、“天才”は甘くありません』

『──』


 涼音の言葉は、淡々と事実を告げているようで、その奥には怒気のようなものが見え隠れをしていた。おそらくは、これが彼女の怒るポイントなのだろうと、冷静にさせられた頭で思考する蓮花であった。


『──少し、私の昔話をしましょう』


 それは、自らの行いを告げる被告人のようであった。

 しかしそれは、実際そうなのだろうと、涼音自身はそう思う。



 ──だって、私はあの日、武術から一度逃げたのだから。



『全国各地から集まった武芸者が己の腕を競い合う、“天下御前試合”というものが年に一度だけあります。そして、ある年の事、私と伊織は同じ舞台に立ちました』


 あの日はそう、月が綺麗だったと朧げながら覚えている。

 緊張と共に高揚感を覚え、涼音は新しく仕立てた上に慣らした和服を着て、御前試合の舞台へと足を踏み入れた。月光が差し込む舞台は、きっと綺麗だったのだろう。

 そして、そこにいる人たちは、名だたる武芸家から山籠もりをした隠れた実力者など、様々な強者がいた。まだ初めて数年程度の涼音では決して勝てない、けれど登りがいのある山々だと彼女は思った。

 ──そう、あの人が現れるまでは。


『結果は、圧倒的に私の敗北です。しかも彼女、明らかに手を抜いていました』

『それは──』

『いいえ、それは決して悪い事ではありません。相手が明らかな格下の場合、下手に残る傷を残さないように手加減をしたりしますし。それだけ、私と伊織との差があったのでしょう』


 そう、あの頃の伊織と涼音の力量の差は、天と地ほどの差があったと思う。

 実際、剛弓から放たれた一撃はいとも簡単に払われるし、第一の矢に隠した第二の矢も同様に。その事実から涼音は柔術による近接戦を試みてみるが、あっけないほどに迎え撃たれた伊織に投げられた。

 あの時の憎々しいほどに綺麗なたんこぶは、きっと涼音は忘れない。


『そして、その時になって私はようやく思い知りました。この世には、天才と呼ばれる者がいるのだと』


 涼音の親であるのと同時に師範である人から褒められて鼻が伸びていた涼音に、伊織はその鼻を手に携えていた真剣で切り裂いたのだろう。勿論、それは比喩ではあるのだが、あの日そう思ってしまったのだ。

 そして、そんな自信を切り落とされた涼音に対して伊織は、“天下御前試合”に参加した武芸者の中でも最上位に位置するであろう人たちと剣を交えていた。

 確かに、まだ齢一桁な伊織に対して、手加減はしていたのだろう。けれど、手加減されている程度で、時代が違えば名を大いに轟かせる武人たちと戦えているという事実そのものがおかしいのだ。


『でも、諦めなければ勝てると──』


 それはきっと、頑張っている涼音に対しての励ましの言葉。けれど、あの衝撃的な出会いの日蓮花がいなかったという事実は、励ましの言葉を文字通りの虚空な言葉へと変えた。


『確かに、諦めなければ夢は叶う、大儀を成せるという言葉はあります。けれど、それは所詮才能あっての話です。努力だけで叶えられるほど、この世は甘くないですし、人の時間も足りません』



 涼音は、勝つために頑張った。

 ──それが何だというのか。


 涼音は、強くなるために努力をした。

 ──それが何だというのか。



 そう、“天才”とは何も、ただ才能がある人を指す言葉ではなかった。



 涼音は、勝つために頑張った。

 ──それ以上に、伊織は才能を磨いた。


 涼音は、強くなるために努力をした。

 ──それ以上に、伊織は才能を研ぎ澄ました。



 “天才”。それは磨かなければ意味のない刀身のようなものであり、諦めるがための言い訳のようなものだったのだろう。

 しかし、そんな涼音も確かに才能はあったのだろう、努力する才能が。そうでもなければ、秀でた特技もなければ努力をするという過程もない、ただの諦めるための言い訳を並べていく賢くも愚鈍な当たり障りのない人であったのだろう。


 ──そう。

 ──涼音はまだ。



 /11



「──諦めきれないな」


 涼音はあの日、才能という強大な力の前に屈した。実際、それが一番生き物として賢い選択だったのだろう。

 けれど、涼音は諦めが悪かった──というよりも、ただ彼女は絶望したのだ。

 人はたとえ今まで積み重ねてきたものであっても、それでも決して届かない天賦の才能の持ち主に対して、悔し涙などはしたりしない。どれだけやっても勝てないと、努力をただただしているのが正しいのだと、そう自分に言い聞かせる。

 だから、涼音は相手との実力差や伸びしろなどを理解した上でもまだ、絶望することができたのだ。

 ──まだ“勝つ事ができる”のだと、そう信じているから。


 涼音の視界の先。そこにいるのは、今だ無傷なカレンの姿と、ぐったりと倒れ伏した蓮花たちの姿。

 流石に、戦場の空気を知らずに戦って勝つのは、当然の如く不可能だったと言う訳だ。


 そして、涼音が今現在いるのは、とあるビルの一室。窓ガラスを取っ払って直接此処から狙える、絶好の狙撃ポイント。

 狙いは勿論、今大技でも放とうとしている彼女。距離にして数百メートルはある。弓矢の射程を遥かに超える距離。

 涼音は矢をつがえ、弦を引き絞る。そうした瞬間、彼女は当たるのだと、そう確認する。

 ──ならば、問題はない。


「──我らが奉る神よ。この矢を届けたもう」



 ♢♦♢♦♢



「──ぐっ!?」


 今、カレンの悲願が達成されようとした時、不意に感じた重い衝撃。おかげで、その狙いがそれて、蓮花たちに攻撃が当たる事はなかった。

 一体何がとカレンが見回してみれば、目の前に落ちている美しいほどに鋭い、一本の矢。

 そして、また再び風鳴りがしたかと思えば、幾つもの矢が飛んでくる、そんな光景。


「はぁっ!!」


 カレンは、己が《マホウ》を行使する。すると、彼女の周りには、炎の波が荒れ狂いだす。

 そして、カレンが行使した《マホウ》によって、彼女目掛けて飛んでくる幾つもの矢を文字通り焼き尽くしていく。それでも制御がまだ荒く残った矢じりは、それが生み出した気流であらぬ方向へと飛んで行ってしまう。

 圧倒的な魔法少女としての才能。だからこそ、カレンは見染められたのかもしれない。


「……、そこですか……」


 そして、一連の攻撃を捌ききったカレンが向ける視線の先には、ビルの一室にて弓を構える魔法少女の姿。

 そんなカレンは、その魔法少女が一体誰なのか知らないでいるのだが。しかし、彼女自身を害するのだというのなら、そんな些細な事は関係がない。

 そう考えたカレンの目の前に現れるのは、幾何学模様の魔法陣。


「──消えて……」


 そして、放たれた熱線。それは、他の飛び道具のように距離なんてものを気にせずに、いとも簡単に届いてしまう。

 ──ガラガラと、轟音を立てて崩れ落ちていく。



 ♢♦♢♦♢



 ──ガラガラと、轟音を立てて崩れ落ちていく。その崩壊の中を、涼音は避けつつも最速で駆け抜けていた。走れよ走れ、止まれば飲み込まれるぞ。


「──伊織。ちょっと、話していた事と違うんですけど。何ですか、アレ。魔法少女というよりも、巷で言う人間兵器という方が正しいんじゃないですかね」


 悪態をつく。

 聖シストミア学園での爆破音が轟いてから少しした後の事、突然涼音のスマホに電話がかかってきたのだ。それも、数日前に蓮花に対して話した因縁の相手こと、伊織からのものだったので、これで嫌な予感がしない人はきっと察しの悪い人なのだと、当事者たる涼音はそう思う。


「でも、頼まれたからには、ちゃんと仕事はしなくてはなりませんよね」


 瓦礫がガラガラと崩れていく中で、涼音は矢をつがえる。

 狙いは先ほどと同じ、彼女に向けたもの。けれど、先ほどとは違い、瓦礫が何時何処で崩れ落ちるのかは誰にも分からず、だからこそ狙いが定まらない。

 しかし、涼音はこれまでの鍛錬を信じていて、故にできるのだとそう確信している。



《黒田流弓術、影撃》



 ♢♦♢♦♢



「──また、ですか」


 そう呟くカレンの視線の先には、先ほどと同じ矢。けれど、先ほどと違う点は、幾つもあった筈の矢が今回は一本だけだったというものだ。

 その事実に不信に思う当のカレン。しかし、その不安を振り切って、先ほどと同じように炎の波で迎撃をする。たとえ、何本打ち込んでこようとも変わりはない、そんな自信故に。


「ぐっ!?」


 一体、何が起きたのだというのか。

 カレンは、確かに飛来する矢を迎撃した。しかも、幸か不幸か、彼女の目の前には迎撃に行使した炎の波が存在している。

 だからこそ、見えなかった、疑わなかった。

 一撃目の影に二撃目を隠す、それは前にも涼音が行った手の一つ。だが、炎の波による妨害で碌に狙いが定まるどころか、届くかすら怪しい。


 しかし、こんな絶技可能だろうか。

 ──一撃目の矢にて崩した防御に、寸分の狂いなく二撃目を通すなんて。


 そして、そんな絶技を何とか弾くカレン。腐っても、魔法少女という名の人間兵器と言ったところか。




「──はっ! その時を待っていた!」



《柳田我流剣術、影沼》



 影に潜み、歩行で詰め寄り、そして一撃。

 それは一見文字にしてみれば簡単に思えるのだが、実際やってみればそんな事はなくなる。少なくとも、別の流派では奥義に等しい技を、二つは連結させているのだから。


 そして、そんな絶技を可能にする人物───魔法少女がいるのだとすれば、それは。


「……、伊織、さん」

「あぁ、私だ。何だ、その如何にも魔法少女といった格好は。もしかして、カレンも魔法少女にでもなったのか?」

「私は、私の願いを叶えるため──」

「あっ、これりゃ話聞いてないな」


 いや、そもそも可笑しな話だ。

 伊織が魔法少女となった時には、意識が継続的に不鮮明になることなんてなかった。いや、もしもあったとして、何故魔法少女にしている存在は、何も介入してこない。

 情報不足故少々強引だが、魔法少女にしているあの黒猫に何らかの利益があるか、それとも魔法少女というんものが単なるという事か。


「まぁ、拘束して聞き出せえばいいか。というか、それしか方法がない」

「……」


 人は誰しも、己の内に願いを抱えるものだ。でも、高貴低俗などの言葉を贈られ唾を吐きかけられ、みんなのために願う事は正しい事で、誰か一人のために願う事は悪い事だと言われる。

 彼女の願いは、他人からすればなのだろう。

 けれど、その願いが歪だったとしても、その思いは本物だ。

 


 ──故に、己が願いのために命を燃やせ。

 



「──私のがんぼうは、今も此処に!」

「──業火の如く、何もかも……」


 伊織は、最短で間合いを潰しに掛かる。

 対してカレンは、伊織の速攻を迎撃しに掛かる。

 ──そこはまるで、炎と剣戟が交わる、炎舞の舞台!




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