第021話『冷たくも苛烈な、一撃』

これは、が知る由もない事だが、伊織とケモノの軍勢が相対するよりも、数分前の過去。


「ふふぅん♪」


 蓮花は、いたく上機嫌であった。

 その理由は、蓮花が活動している文芸部で、同じ部員の人からを貸してもらったのだ。表紙には、『きっと私たちには、数センチの距離がある 2』という、所謂恋愛小説。前に一巻を貸してもらって、ようやく二巻が読めるのだ。これじゃぁ、彼女の顔がにやけてもしょうがない。

 そんな続きを今か今かと楽しみにしている蓮花であるが、正直なところ、今すぐ学園の中庭の椅子にでも座って借りた本を読みたいところ。しかし、これから彼女には他に予定があるので、渋々と再度借りた本を手提げの中に引き戻す。

 こんな感じの繰り返しなのだ。


「あれ? カレンさんも部活帰りですか?」

「……いえ、違いますけれど。ただ、学園に少し用があって来ました」

「そうですか」


 そんな時、にも蓮花はカレンに出会った。

 カレンの言っていることは、おそらくは正しい。蓮花自身のように帰りを急いでいる訳もなければ、帰る準備をしている訳でもない。ただ、蓮花の姿を見かけたから、声を掛けたに過ぎないのだ。


「ところで。最近、伊織さんと仲がいいのですね?」

「はい。私が不甲斐ないから、色々と教えて貰って。でも、最近は私もこなせるようになって、褒められるようになりました」

「──、そう」


 最近の伊織の指導は、かなり熾烈を極めている。下手に隙を作ればそこに突き入れられるし、ラッシュも投げ技も加えられて、彼女との近接格闘訓練の合間に気を緩める隙なぞはない。

 しかしそれは、蓮花が成長したからだ。でもなければ、伊織も理由なく厳しくもしたりはしない。

 ちなみに、今現在の蓮花の格闘技術ならば、手練れ数人程度なら余裕で対処できるだろう。これは伊織などと比べるとかなり格落ち感があるが、運動そのものが苦手だった蓮花の事を思えば、かなり成長したと言えよう。


「そうですね。カレンさんも──」






 ──目の前に突き出された、刃渡り数センチに過ぎない刃物。しかしそれは、──人一人を殺すのに十分な威力を秘めていた。






「──っ!」


 しかし、伊織に徹底的に鍛えられた蓮花にその程度の不意打ちは、致命傷にはならなかった。近接訓練で伊織にぼこぼこにされていた出来事は、決して無駄ではなかったのだ。

 だが、忘れてはならないのだが、カレンも伊織と同門で。カレンの方が本家で鍛錬を積んだ、圧倒的に格上な先輩だという事だ。

 だからこそ、何とか捌いている蓮花の腕には、幾つもの切り傷が付いていて。対して、カレンの息は、まだ上がってすらいない。


「──、私に負けないと、そう思っているのですか?」

「──くっ!?」


 刃物を最大限警戒していた故に、蓮花はソレを最大限脅威として見せつけていたカレンに、こうも簡単に足払いを決められてしまう。

 回避も防御行為も、尻から倒れ伏した蓮花にはほぼ不可能。その次の手たる踵落としには何とか対応できたが、それを回避した事による隙で、突き出された刃物は防御せざるを得なかった。

 力押しの均衡。普通なら、筋力に過ぎれていてマウントを取っているカレンが圧倒的に優位なのだが、蓮花の火事場の馬鹿力と言うべきか、それによって均衡は保たれていた。

 だが、それは冬場に見られる、都市部の池の氷上よりも脆い筈だ。


「何で貴女が、──」

「──、えっ」

「──何で貴女は、私から何もかもを奪っていくのですか!」


 ──、一筋の涙がこぼれていく。

 それは、先ほどまでの虚ろなものなどではなく、相手がそれほどまでに憎らしいとまでの鬼気迫る表情だった。


 一方で、蓮花にはカレンが殺そうとするまでの怒りの理由が分からなかった。

 別に、殺されそうになったと、理由も知ろうともせずに跳ね除けようとすることも可能だったのだろう。何故と問うても普通は答えてくれないし、そもそもの話会話のキャッチボールができないぐらいに事もある。

 だが、蓮花はそんなに器用には生きられない。何度も転んで、何度も笑われて、それでもなお前を向いて、今彼女は此処にいる。

 だからこそ、蓮花は問わずにはいられなかった。


「一体何を──」

「とぼけないで!! 私から何もかも奪っておいて、顔を澄ましていて。そんな貴女が気に入らないのよ!!」


 最初は、カレンにとって蓮花は、取るに足らないカレン自身の周りに集まってくる人たちの内の一人だと思っていた。カレンにとっては、よくある話でしかない。

 しかし、その流れが最初に変わったのは、あまり仲が良かったとは言えない婚約者たる楓雅徹がカレンの元から離れていった事だ。別に、彼女はあまり婚約に賛成的ではなかったため、確実にその初動が遅れていく事になった。

 そして、カレンが自身の周りの環境が変わったのだとしった時には、何もかもが手遅れだった。

 いつもいた人たちが徐々に霧にでも消えていくようにいなくなって、まるで蜃気楼でも見ているかのよう。

 カレンの周りから人々が消えていく、そんな恐怖の最中でも、彼女にとっては伊織がいてくれる事が救いだった。人が入れ替わっていく時の中で、伊織だけがずっと傍にいてくれたからだ。

 しかし、──伊織もいつの間にかいなくなっていた。


 ギリギリと、カレンの押し込む刃物が蓮花に対して近づいてくる。

 それもそうだ。筋力でも蓮花はカレンに負けていて、その上マウントさえも取られている以上、この展開は予期されているものだった。

 これは、蓮花の選択ミスだ。だが、不思議と後悔はしていなかった。

 だがしかし、死がすぐそこに迫っている事には変わりない。


「──きゃぁっ!?」


 そんな時だ。

 完全にマウントを取って刃物をじりじりと迫らせるカレンが、蓮花の視界から消え失せた。いや、フェイドアウトしたと言った方が正しいか。


「誰、ですか?」

「大丈夫ですか、蓮花さん。助けに来ました」


 他人の修羅場なんて関わるどころか、見ないふりをするのが普通だ。それも、刃傷沙汰ともなれば尚更だ。

 それを何とかしようだなんていうお人よしは、蓮花の知る限りでは一人しか思いつかない。

 だが、───。


「楓雅、さん? それに………」

「あぁ、偶然俺たち三人がこの辺りを通りかかってな。それで、誰かが争う声が聞こえて、此処に来たんだ」


 そう、そこにいたのは徹など、前に伊織と800メートル走で勝負した三人組だった。

 徹は襲われていた蓮花をかばうようにカレンに背中を向けるようにして、健人がカレンを突き飛ばして拘束し、それを手伝うようにして啓介が何処から取り出したのか知らない結束バンドで縛っていた。

 傍から見ればナイス強力プレイとでも言うべき行動なのだが、一人だけ良い思いをしている徹を許せないのか、カレンを縛っている最中の健人は声を荒げるのだった。


「おい! 楓雅。お前も油を売ってないでこっちを手伝えや!?」

「……。そんなに大変なのか。あとは、縛るだけだと思っていましたが?」

「あぁ、そうやって相手を落ち着かせるよりも、ずっと大変だ。何せ、両手を縛られていた筈のカレンが、啓介を蹴り飛ばしたのだからな」


 そう、意外にも何とかなりそうな口調で健人は言うのだが、実際のところは何とかなっていると言うべきだ。何せ、一瞬でも健人の気が緩めば、そこで気を失っている啓介と同じ末路を迎える事だろう。

 だが、徹とならばどうにかなる筈。筋力総量は十分で、先ほどの件を活かして、カレンの足を縛った上でどう来てもいいように備えるつもりだ。


「──」


 それに対してカレンは、何もしない──できないでいる。

 ただでさえ、カレンの得意とするのは、鉄糸術といった、手を使った武器術を得意とするのだ。確かに先ほど、あまり蹴りで啓介をノックアウトをさせたのだが、手足両方を縛られた上で警戒までされているとなると、これ以上はかなり厳しい。




 嗚呼、きっとカレンは何もできない。

 その事実に、誰よりも強い思いを抱いているのは、カレン自身。徹たちが蓮花を守ろうとする思いよりもずっと。それをカレンは確信している。

 だが、どれだけ強固な思いを抱いていようとも、行動が成功しなければ意味はない。

 だから、──。




「──、っ!」


 突然、肌が痛むほどの熱風と突風が蓮花と徹を襲う。しかも、発生地点からある程度離れているにも関わらず、これだけの威力。発生地点付近のにもし人がいるのならば、さぞ無傷では到底すまないだろう。

 心当たりがある。蓮花は確信をしている。

 過程を飛ばす現実味がない出来事ではあるのだが、不思議と蓮花は納得してしまう。あり得ない、話ではないのだ。

 何故なら、その現実味のない出来事は、蓮花の身に起きたものと似ているためである。


「やっぱり、カレンさん。……、貴女は──」

「──」

「──、魔法少女だったんですか?」


 カレンが身に纏うは、桜色の髪色とは似ているようで全く違う紅蓮の衣装。それも、蓮花などのようなひらひらとした如何にも魔法少女といった衣装ではなく、伊織などと似た魔法少女の衣装とは全く違う、まるで魔女のような衣装だった。

 そして、そんなカレンが蓮花に向ける視線は、虚ろだった。先ほどまでのまるで間歇泉のように熱いものなどではなく、何処までも冷たい海が如くだ。もっとも、今の彼女の状態は、それほど上等なものなどではないが。


「──、ぁっ」


 だが、カレンの蓮花に対しての執念だけは消えていない。

 その執念という名の冷たい炎は、静かに燃えていた。


心象投影インストール──開始スタート


 そんな危機的状況に、蓮花は腕に嵌められたブレスレットをを起動させると、マホウ少女の姿へと変身する。

 あまり人前で魔法少女になるのはお勧めしないが、状況が状況だ。自分が死にそうだというのに躊躇することはあれど、しないという選択肢を取る事は殆どない。勿論蓮花も、その殆どに当てはまる。


「──徹さん。健人さんたちを連れて逃げて下さい」

「それは、──」

「幸か不幸か、カレンさんの狙いは私です。隙は私が作りますし、彼女の標的がそちらに変わることはないでしょう」


 勝負は不明。いや、想定できるカレンの《マホウ》から考えると、支援系の《マホウ》を所有する蓮花の方が不利といった具合か。

 しかも、そこに徹たち三人というハンデも加わったとなると、蓮花の方が圧倒的に不利だ。

 とするのならば、今蓮花が取るべき行動は、徹たちをこの場から逃がした上での時間稼ぎ。それも、遠距離戦が苦手な蓮花が伊織からみっちり仕込まれた格闘術でしか、時間稼ぎという死合舞台には立てない。

 しかし、先ほどまでは圧倒的にカレンの方が有利だったが、魔法少女になった今現在では身体能力を強化できる蓮花の方が、格闘戦は上。

 だが、カレンの手の内が殆ど見えなくて、遠距離攻撃手段があるという点について。

 それ故に、勝負の行く末は不明。


「──そんな事は、出来ない」


 ──一寸先は闇な夜の池に、一投の何の変哲もない石が投げ込まれた。

 だがしかし、ただの一般人に一体何ができると言うのだ。


「でも──っ」

「あぁ、俺たちは確かに足手纏いだろう、それは重々承知している。──だけども、困っている人を見て見ぬふりをする、そんなには成れねぇんだよっ!!」


 徹は、カレンの事を好ましく思った事はない。

 カレンは、人の上に立つ人間であり、彼女はそれに相応しいようにそう振る舞った。そうであることが義務であったし、それが伊織を一緒にいるためという自分自身のエゴのためであった。

 だが、その行動が他人に理解されるとは限らない。

 何故なら、徹は人は平等であり、人を助ける事を美徳としているからだ。必要なら、小を犠牲にするであろうカレンとは相容れなかった。

 だからこそ、限られた人間を大切にしようとするカレンよりも、みんなを大切にしようとする蓮花の方が、徹は惹かれた。


 ──そう、たとえ相手が嫌いな人であろうとも。蓮花が助けようと必死になっているのを、みすみす見て見ぬふりは出来なかった。


「──」

「だけども、こんな高尚な事を言っても、俺にはそれを実現するための力がない」


 そうだ。徹がどれだけ高尚な事を言ったとしても、それは外見のないものに過ぎない。

 力のない正義というのは、時に力のある悪よりも有害で。それは前に進もうとしているのに、その進むための足がないのと一緒だ。──いや、有害である事を考えれば、力のない正義の方が罪であろう。

 そして、誰にとっての幸か不幸かは知らないが、徹はその事を心得ているつもりだ。


「だから、力を貸してくれっ!」

「それは──」

「ああ。これが都合の良い事だと分かっているつもりだ。アイツが嫌いな、地位をかざして不条理を叩きつける、そんな卑劣な行為だ。」


「──分かっているんだ……」


 力説していた徹の言葉が途中で途切れ、その後に続くは喉の奥から躊躇いと共に絞り出された言葉は、彼の本心さえも絞り出していた。


「アイツが合っていて俺が間違っているなんて、最初から分かっている事なんだ。家での扱いを考えれば、明白な事だったんだ」


 かなり高い社会的地位を持つ楓雅家の息子である徹ではあるが、そんな彼の家での扱いが良かったとは口が裂けでも言えないものだった。

 ただ、今回のカレンとの婚約も、優れている容姿と見方を変えれば女性受けをする優しい性格だった故だ。性格などがねじ曲がりがちな名家も息子娘と考えれば、徹はかなり高い評価を受けていたりする。

 だからこそ、婚約相手としての格が上なカレンを、何処か徹は嫉妬していたのだ。


「──無慈悲な判断を下せるアイツは、この国にとって必要な人材だ。こんな外ずらだけが良い、俺なんかよりもな……。」


「だからこそ、アイツを助けてやりたい。俺の信条だけではなく、アイツが替えの利かない人材だからだ」


 感情論という不確定要素の高い曖昧なものなどではなく、必要なものだという価値に基づいたもの。けれど、それが所詮




「──思ったよりも泥臭いんじゃないか、お前。てっきり、蜜でも煮詰めたかのような甘ったるさかと思っていたぜ」


「──えぇ、少しお高い人かと思っていましたが、これは良い意味で計算外ですね」


「──やっぱり無事だったか」




 そう軽口をたたき合う三人であるが。一人は徹のものだとして、あとの二人はというと、──先ほどの熱の篭った突風を食らって吹き飛ばされた健人と啓介のものだった。

 徹は知っていた。健人と啓介が吹き飛ばされた後、少しだけ彼等の指先がぴくりと動いたことに。そんな徹に対して、一か八かと視線を集めているように頼んだのだが、それが功を奏したようだ。


「まぁ、無事とは言っても、あれだけの熱風を浴びればただじゃ済まなかったけどな」


 だが、当然熱風を至近距離で浴びた健人と啓介は、無傷とまでは行かなかった。

 そう言う健人の頬には、火傷のような跡が残っており。一方で啓介はというと、彼が掛けていた眼鏡が割れて使い物になりそうにもなかった。


「なら、休んでいた方が──」

「はっ、──舐めるなよ。テメェが体張っているのに、俺等が休んでいる訳には行かねぇよっ」

「えぇ、僕たちだけが休んでいるだけなんて、それこそ耐えられないしね」


 そう言って立ち上がった健人と啓介であるが、正直言って徹の事をあまり好ましくなかった。

 前に伊織と中距離走をした際についても、あれは伊織に煽られたのもあるが。現場に到着してその場に徹の姿を目撃した時、蓮花に引き留められなければ二人はその場を去るつもりだった。

 今回の件だって、偶然徹と健人たちの進む道が同じだからであって、数分違えばまた違った道中で会ったことだろう。

 だが、吹き飛ばされて目を僅かに開けた際、健人と啓介は信じられない光景を──見た。


 勿論、それが引き金の一つの要因になった事は否めない。

 だが健人と啓介も、カレンを救いたいから再び立ち上がるのだ。

 断じて、ただ手を貸した事による好感度稼ぎのためではない。


「──皆さんの気持ちは分かりました。どうかお願いします!」


 そんな彼等の言葉を聞いて、当の本人たる蓮花も覚悟を決める。

 ───これは、生き残るための死合ではなく、人を助けるための行為だ。




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