第019話『歪んだ親愛を貴女に──』

「……ぉーい。カレン、聞こえているか?」


 カレンの意識が現実世界へと引き戻される。

 如何やら、カレンの意識は記憶の閲覧に持って行かれて、現実世界での意識が薄くなってしまっていたらしい。勿論、それを彼女が知っても、実感が湧かずにいるが。

 けれど、一体何を見ていたのだろうか。まるで、カレンのありし記憶は蜃気楼の中に消えて行って──。


「すみません、伊織さん。少しだけ、うたた寝をしてしまって」

「……まぁ、今日はいい天気だからな。うたた寝をしてもしょうがないだろう。それよりも、起こしてもよかったか?」


 と、伊織は何やら申し訳なさそうにそう返答する。

 柳田伊織は、ぶっきらぼうだ。しかし、それと同時に彼女は、なんだかんだ言って情に厚い。

 だからこそ、この好機を逃して堪るかと云わんばかりに、カレンは伊織に対して自身の要求を口にするのだった。


「……、少しだけ肩を貸してもらえませんか? もう少しだけ仮眠を足りたいのですが、椅子に横になる訳にもいきませんし」

「あぁ、それくらいなら。別にこの後、何か用がある訳でもないからな」

「ありがとうございます」


 カレンが伊織に体を預けると、鼻の奥にスッと入ってくるのは、伊織自身の香り。剣道のような激しい運動をしているとは到底思えない女性特有の香りの中に、まるで透き通ったような何とも表現し難い香りが混じっている、そんなカレンにとっては慣れた香り。

 しかも、こうして寄りかかって分かった事だが、伊織の体は寝心地が良い。別にいやらしい意味ではなく、彼女の体は鍛えている人特有の芯のブレなささと女性特有の柔らかさが両立している故の事だ。

 いけません、このままでは軽く仮眠をとるのではなく、本格的に寝てしまいそう。

 しかし、お嬢様なカレンだとはいえ、睡魔は今刻々と彼女に迫ってきて───。


「……、伊織さん。ようやく見つけました」


 その不快感を漂わせる声に、寝てしまいそうだったカレンの意識が覚醒する。時と場合によっては、感謝することがあるのかもしれないが、カレンにはが何時いかなる場合でも嫌いだった。ケースバイケースなんて、ありはしない。

 しかし、このままふて寝をする訳にもいかずに閉じた瞼を嫌々と開けると、そこにいたのは鈴野蓮華とかいう泥棒猫だった。


 カレン・フェニーミアは、鈴野蓮華が嫌いだ。

 家の事情故そう声を挙げることはできないが、事情さえなければ口にできるほど、カレンは蓮華の事が嫌いである。いけ好かないという、なんとも平和的な理由からではない。その在り方が、カレンからしてみれば嫌悪の対象に当たるからだ。

 カレンなどの上に立つ人間であれば、権力を維持し、それを伸ばしていくものだ。断じて、誰かから簒奪するものではない。だけれども、それは視点による違いでずれるものだ。別の地点から見える同じ景色が違って見えるように。

 勿論、カレンはそれを理解している。何者であれど、そこには信念と覚悟があるのだから。

 だから、カレンは蓮華が嫌いだ。カレンから奪っておいて、ただただ幸運だったと云わんばかりの平和な表情が、何よりも嫌いである──。


「それで一体何の用だ。別に今日は何も入れてなかった筈だけど」

「えぇ、そうですけど、どうしても分からないところがあって教えて欲しいんです」

「……、明日でもいいだろうに」


 ……、えっ。

 カレンには、今の状況が理解できない。

 何故、親友な伊織は嫌いな蓮華と話しているのだろうか。いや、それをしなければいけないという義務感のように話しているのだったら、まだカレンの心が乱れる筈がなかった。けれど、話し方はそうでなさそうに見えるけど、それなりに親しそうにしているところがカレンの心をざわつかせる。


「……はぁ、しょうがない。いい加減、使い物にしなくちゃいけないし、手伝うとするか」

「い、伊織さん、その言い方はちょっと……」

「なら、もう少しできるようになってから言うんだな。じゃぁ、用ができたからそろそろ行くからな」


 カレンは、“待って”と口に出そうとするが、それは溶けて消えていく。

 カレンは、待って欲しくて手を伸ばすが、躊躇してその手が伊織に届くことはなく虚空を切るだけ。


 ──あぁ、行かないでほしい、待ってほしい。私の初めての親友よ。



 /10



 帰り道、カレンは一人で自宅へと向かっていた。

 伊織と一緒に帰るべく親に徒歩にしてもらうべく交渉していたのだが、今はそんな事は別にどうだっていい。きっと、そんな些細な願いなんて、叶う筈がないのだから。


「……」


 夕日が積み木状に立ち並ぶ建物の隙間から差し込み、その内の一線がカレンの下校姿に溶けていく。まるで、水性絵具で上書きをしたかのように、ほんの少しだけ紅みを増していた。

 そんな光景に、カレンは目を細める。

 ──誰かと一緒に見たかった。


 何気ない日常、何気ない会話、何気ない下校時間。そんな時間を彼女と過ごせたら──、そんなたらればな話をしても仕方がないと云わんばかりに、カレンは再度帰り道を歩み始める。

 ──カツカツと、ローファーが地面を乾いた音色で叩く音が、カレンの寂しさを物語っていた。


「……、あれ? 人の姿がないけど、どうしたのかしら?」


 歩いて気付いた。カレンの周りに、誰の姿がない事に。

 それは可笑しい事だ。この時間帯、人通りのない道路と言う訳でもなく、人でかなり溢れかえっていた筈。けれど、この時間帯日にちならば、いない方がおかしい話だ。


 しかし、カレンも今しがた気付いたのだが、人が一人此方に向かって歩いてきている。

 剛健な背は女性としては平均的な背を持つカレンを越していて、髪はこの奇想天外な梓ヶ丘においては逆にその地味さが目立つ黒髪。瞳は黒いグラサンで隠されて奥は見えず、服装は似合わない紺色の修道服を着込んでいた、そんな人物。




「──赦したまえ、赦したまえ。我らが罪過を、どうか赦したまえ」




 まるで、何かを懺悔するかのような、人の声。しかし、まるでテキストを読み上げるような、無機質なモノトーン。


「女、お前に聞きたいことがある。お前には、どんな手段を用いたとしても叶えたい願いはあるか」

「……。それは、“どうしても”という事でしょうか」

「いや、違うな。どうしてもとは願って欲してはいるが、それは正しい手段で行うしかない。そんなもの、到底欲しているとは言えない」


 つまりは、目の前に現れて突然話し掛けてきた彼は、誰を何を犠牲にしようとも、それでも叶えたい願いはあるかと聞いているのだ。

 胡散臭い。それは当事者たるカレンであっても、そう感じている。しかし、それと同時に彼は何処までも本気で聞いているように感じて、彼女は一蹴することができなかった。


 叶えたい願い、か──。

 叶えたい願いなんて、人ならば一度は考えた事はあるのだろう。

 しかし、それがどんなに欲しい物であろうとも、そこには一種のセーフティーが存在する。例えば、倫理観などがそれに該当する。特に誰かを犠牲にするという行為は、それが顕著に表れることだろう。

 果たして、それでも何を誰を犠牲にしようとも叶えたい願い──、それを人は心から口にできるのだろうか。


「………私には、一人親友と呼べる人がいます」


 カレンが口にした理由は、寂しさ故か、彼の言葉の本気に感化されたのか。彼女にはそれが分からない。

 けれど、紡いでいこうと思った。

 そこにあるのは、暗い嫉妬でもなく、ただただ真摯に願いを口にする、純粋無垢な願望。


「けれど、最近彼女の付き合いが悪いと思えるの」

「ほぅ、お前は彼女とやらの心を奪いたい、と」

「いいえ、それは私が自らの手で行う事に意味があるの。決して、貴方の手を借りたいとは思いませんわ」


 それは、今後も伊織と一緒にいたいがための制約。けれどそれは、まるでガラス玉のように透き通っていた。

 ──しかし、それはカレン自身が気付いていないことだが、彼女の透き通った瞳に少しばかりの澱みが見て取れるのだった──。


「いや、自分が直接手を貸す訳ではないさ。ただ、望みがある者に“力”を渡すだけ。それをどう扱うかは、その当人次第さ」


 そうは言うが、その内容は胡散臭さマシマシだった。

 ようは、言い方とも取れる。何も手を貸すという行為が、彼が言う直接的なものだけではないのだ。

 それに、その“力”とやらが何かも分からない。これがまだ嘘の類ならばカレンの権力を使って失敗を揉み消すことも出来るのかもしれないが、もしも他人を操る副作用とやらがあるのなら話は不味い方向へと転がり始める。


 一見どころか、全体を見たって胡散臭い話。

 だが、それでもカレンはもう少しだけ踏み入ってみる。たとえ、他の人であったとしても、同様なのだろう。


 ──自分に一体何ができるか、考えた事はないか。

 例えば、サッカーができるという微笑ましいものから、実は船の操縦ができるという一芸のものまで、それらは多岐に亘る。

 だが、それは彼ら個人が手を伸ばしてできるものでしかない。個人に配られた手札で無理な事というのは、殆ど無理だという話。

 だからこそ、人は憧れるのだ。──つよくなったじぶんを。




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