第017話『走り出す理由は、とても下らなくて』
「何故俺は、こうも走る事になったんだ?」
「……、知るか。俺に聞くなよ」
「まぁ、二人共落ち着いて下さい」
「ふぅっ──」
今現在、徹と健人、それに啓介は聖シストミア学園の運動場にいた。勿論、その場には伊織も含まれている。そんな彼女はというと、軽く手首や足首を回していた。
そんな、彼等と伊織がやることになったのは中距離走。その中でも、800メートルを走るものだ。ちなみに、聖シストミア学園の運動場のトラックは、およそ400メートル。二周走ればゴールだ。
そして、何故彼等が800メートル走という、いまいち盛り上がりが欠ける競技をしだしたのかというと、徹とその他という大きく二つに分かれる。
前者は、単純に蓮花の魅力と言葉にて、力尽くで参加させた。徹が蓮花の事を意識していたのを知っていて彼女に任せたのだが、案外すんなりと事が進んだ。これには、押し付けた伊織としても驚きだ。ちなみに、蓮花に事の真相を聞いてみたところ、恰好付けようと誘導させたらしい、なんという悪女。
後者は、煽り言葉に買い言葉と。伊織が適当に煽って、それを食らった健人は何故かその場に丁度居合わせた啓介を無理やり連れて参加することになったのだ。
とはいえ、此処にいる彼等の誰もが、この勝負に負けるつもりはない。
「──」
「──」
「──」
「──」
スタート直前、声は音をひそめた。
鋭く研ぎ澄まされた開戦の狼煙は、ピストルの音と共に立ち昇るのだった。
──パァンという破裂音を合図に、伊織たちは走り出した。
まず、先頭に躍り出たのは、やはりと言うべきか伊織だった。このメンバーの中で一番身体能力が優れていてその事実を知っているからこそ、最初から逃げに突入するのだ。
そして、それに付随して徹たちの三人は、何とか付いて行く。別に伊織に対抗心を燃やしてこの最初の場面で勝負を挑んでこない辺り、彼等も冷静に勝負に勝ちに行くつもりなのだろう。
「──」
「──」
「──」
「──」
しかし、中盤になってもその順位が変わることはない。確かに、徹たち二位以下の順位については偶に変わったりもしているが、一位はスタート時と同じ伊織のままだ。
──勝てる筈がない。そんな弱気な思考が、徹たちの頭の中をめぐる。
別に、この勝負に勝つ必要なんて徹たちにはなく、負けた時のペナルティーすら存在していない。勝っても負けても、対して変わりないという事だ。
例えば、自尊心というものもあるが、そんなチンケなものは伊織の速さという差に簡単に潰れてしまっている。これが伊織から遊びとして誘われたものだとしたら、もう既に諦めがついていたのかもしれない。
いやそれは、今現在も大して変わらない、か。
「──」
「──」
「──」
「──」
残り、100メートルを切った。
相変わらず、先頭を走るのは伊織で、レースは進んでいく。
「──、ふぅ」
そんな時、伊織はスパートに入った。彼女の身体能力からすれば、もう少し前から掛けても問題はないが。それは慈悲か、それとも余裕か。だが、この伊織の選択によって、もうほぼ勝負が決まった事には変わりない。
そして、勝負がほぼ決まった事。それは、徹たちも既に理解していることだ。
──だが、
「ぁ、ああああぁぁぁぁ!!」
──伊織との圧倒的な差があっても、まだ諦めていない者がいた。
力量の差は明白で、間隔もかなり開いている。
まだ、その要因が片方だけなら、低いながらも掛ける事ができるだろう。たとえ、勝つ確率がほんの数パーセント程度だとしても、何時の時代の勝つ者というのは、その数パーセントを確実に引きに行くのだ。
だが、その要因が二つとなれば、勝つ事は不可能だろう。根性も然り、レース展開も然り。もしもあるとすれば、圧倒的に前を走る伊織が突然転ぶ展開なのだが、彼女であればその程度大した障害にすらなりえないのだろう。
「──!」
だからこそ、伊織もその事実に驚愕を隠しきれていない。
確かに、この勝負は勝ち負け以前に明確な目的があるのだが、先ほどまでの展開を見るに、正直言って期待薄だった。
「ぁ、ああああぁぁぁぁ!」
「くそっ、──負けていられるか!?」
「……、はぁはぁっ」
だが、今現在の光景はどうだ。
元々体力というか運動面が苦手な啓介は、この際除外するとして。一番最初に仕掛けてきた徹と健人は、先ほどまであった間隔を徐々にではあるが、消し去りに掛かっている。そしてこれは、単なる予測でしかないが、おそらくはゴール目の前で先頭を走る伊織を抜ききる事だろう。
そんな彼らの表情は、負けたくないという保守的なものではなく、勝ちたいというリスクを背負ってまでして得たい、勝利という名の美酒を味わうためのもの。
伊織の後ろから勝つために迫ってくる徹と健人。
──その光景に、伊織は何処か昔を思い出すのだった。
「──そうだな。負けてもいい勝負なんて、ある筈がないものだな」
──ダン! と。
そう言葉を残して伊織は、更にその速度を速める。先ほどまでも学生としては速い部類に分類される程度には速かったのだが、今は違う。少なくとも、学生の枠内には収まらないほどに、単純に速かった。
そんな、今までのは手加減だったのかと驚愕の事実が発覚する中で、徹たちはそれでも懸命に伊織に勝とうと必死に食らいつく。もう、足の筋力は低下し、もう殆どが気力だけで走っている状態だ。
けれど、それでも走り続けているのは何のためか。
──この勝負に、伊織に勝つためだ!
「──!」
「ぁ、ああああぁぁぁぁ!」
「伊織にも、徹にも、負けて堪るかよ!」
残り、50メートルに差し掛かる。
10秒程度で結末が決まる、そんな距離。
相変わらず先頭を走るのは、伊織。先ほどまでと比べて他者どころか自分自身でも、走る速度が速くなっていると実感を持っているが、それでもその表情に余裕なぞはない。
何故なら、先ほどまではある程度の走る間隔があいていた筈なのに、すぐそばにまで徹と健人が迫ってきている。そして、その事実を伊織が肌で実感しているのだから、余裕謎は生まれやしない。
そして、──。
「──抜いた? 徹さんが伊織さんを、抜いた?」
──ゴールと誰かが告げていないにも関わらずに、決着がついた。
蓮花は、この結果に驚愕をする。
今回の件──もとい、蓮花が身体強化の《マホウ》を掛けた事による、身体能力の向上度合いを確認するためのものだ。勿論、今回は徹と健人、それと啓介の記録を取るために、伊織には身体強化の《マホウ》は掛けていない。
だからこそ、驚いた。
伊織の身体能力がどれほど高いか、それは近接戦闘訓練で直に食らっているから分かる。これは蓮花の未熟な実感でしかないが、おそらくは素の身体能力でも近接戦を得意とする魔法少女クラスの身体能力を保有していることだろう。
だが、伊織は今回の件で、一応の手加減をしていた。これは圧倒的な差によって徹等が諦める事を防ぐためなのだが、彼らはあろうことが彼女に勝ったのだ。
「勝った。勝ったのか? 勝ったーっ!!」
♢♦♢♦♢
今回、何故800メートル走なんていう、流行りもしなければ熱狂もしづらい競技をしようと伊織が思ったのには、ちゃんとした理由がある。
目的として、蓮花の魔法少女としての《マホウ》がどれくらい効力があるのか、それを探るため運動関係の競技から判断しようとした。遊びの延長線という本気が出しずらいものではなく、勝ちたいという闘争本能を奮い立たせる、そういう風に誘導させたのだ。
もっとも、その闘争本能を奮い立たせる役を主に伊織がやった上に感化されて、危うく本気で勝ちに行きそうになったのは、蓮花には秘密だ。
そして、ここで何故800メートル走にしたのかというと、単純明快。それが一番分かりやすかったからだ。
例えば、サッカーなどのそれについての技術を必要とする場合、身体能力という要素を上手く測れない。それはバスケやバレーといった競技も同じだ。
しかし、走るだけの競技の場合、奔る技術といったものも関わってくるが、単純な身体能力差がとても明白で。それ故、この競技に決まった。
ちなみに、何故800メートル走なんていう中途半端な距離なのかというと、短距離であれば身体能力の差はあれどスタートが特に重要で、長距離は走り続けるための技術が必要になってくる。つまりは、この辺りが丁度いいのだ。
勿論、伊織にとって、その距離が楽だというのがあるが。
「いやまさか、──手加減したとはいえ、負けるのは悔しいんだな」
──負けた。
それは、予め予定されていたことだ。正直、負けた事実が、何かしらの不利益を働いたという訳でもない。
だけれども、負けたことで悔しい気持ちになったのは本当だ。
──負けた。
今までの経験の中でも、伊織が負けた事は何度かあった。しかしそれは、成長をするための敗北だ。
だが、一回きりの成長のくそもない勝負ともなれば、話は別。
「……、そうだな。──勝負は勝たなければ意味はないんだったな」
自然と微かに開いた淡い色の口から漏れだした言の葉。
そして、伊織は、更にその一歩を踏み出す。
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お疲れ様です。
感想やレビューなどなど。お待ちしております。
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