第013話『伊織の印象(個人的)』

 その後、一時間程度は経っただろうか。

 そろそろ帰る時間になった啓介は、先ほどまでいた図書館を後にするのだった。夕暮れも、延びて差し込む。

 ちなみに、啓介の後に図書館に来たある意味有名な伊織はというと、まだ本を読んでいるのを気になって確認したから知っている。このままだと、夕方を過ぎて夜になるので、少し心配に思うのだった。


「ああ、啓。お前もそろそろ帰るのか」

「まぁ、丁度読みたかった本も読み終えたし、時間も丁度良かったですし。それでそっちこそ、こんな時間まで学校に残っているなんて。明日は雨でも降りそうだな」

「予報では、明日は終日晴れだ。……、ちょっと朝遅刻してな。それで反省文を書いていたんだ」

「あぁ、いつものな」


 健人は、学園に入学してばっかりなのに遅刻の常習犯だ。それも、数時間もの遅刻をする、悪質なものと言えよう。

 しかし、遅刻すると言っても、今日ばかりは遅刻するつもりはないと、そう宣言していた筈だ。

 それが一体何故、健人は遅刻する事になったのだろうか。もしかして、寝坊でもしたのか。


「いや、寝坊はしなかったさ。家を出るの、ギリギリだったけど……」

「……。それなら、何で?」

「登校途中に伊織に会ってな。少し話していたんだ」

「えっ、伊織さんと?」


 伊織と言えば、先ほど図書室で会った彼女の事だろう。

 まぁ、それはそれとして。


 柳田伊織は、良くも悪くも有名な人だ。

 文武両道という言葉が伊織にとって相応しく、入学式においては入学生代表を務めたほど。それに加えて、四月の初めにあった体力テストでも、女子の中どころか男子でさえ彼女には誰一人として勝てていない。家が金持ちでありそれに相応しい行いをするように育てられている生徒等であっても、彼女は別格と言えよう。

 そして、その家柄もかなり有名だ。それ故に、平等という表向きの言葉が使われていてもある程度の家格を必要とする入学生代表も、伊織の成績や家の実績が重なって任されたのだろう。


 それらの事実は、伊織自身も知る事実だ。

 だが、伊織自身にも分からない、彼女自身の事実のあるのだ。

 例えばそうだ。柳田伊織は、かなりモテる。前に彼女が告られている現場を健人と啓介は目撃した時があったのだが、一刀両断に断っていたのが印象的だった。それに加えて、他にもそういった出来事があったのだと聞くのだから、彼女はモテると言っても過言ではないだろう。


「それは珍しいね、健人。君はお金持ちを嫌っていたと思うけど」

「まぁ、それは変わっていないさ。驕っている金持ちの、特にその子供は、気に食わない。ただ、伊織と少しだけ話してみたけど、彼女は家ではなく彼女自身の力を誇っているだけだったんだ」

「へぇっ、──」


 良いところもあれば、同時に悪いところもある。

 柳田伊織は、確かに魅力的な人物だ。あの鋭い極寒の刃のような雰囲気は、人を魅了させるのに十分な力を秘めていると言えよう。

 しかし、それを快く思わない人たちもいる。あんなにモテていて中身が清い乙女なんて不公平過ぎるとか、自分達をそうであって欲しいという願望を叩きつけたいんだ。

 そんな彼女達の流す事実ではない悪い噂は、他の学生の周知の事実で、誰も信じてはいない。また、それに業を煮やして直接的ないじめをしようとする過激派がいたが、それら全ては伊織自身に見つかっている。そして、それからどうなったかは、誰も知らない。


「惚れた?」

「な訳あるか。流石の俺も、あれが所謂高嶺の花だってことぐらい分かるさ。それに、アイツが恋愛するような奴に見えるか?」

「確かに、………」


 ……。

 ……。


「……もしかして、お前。あいつの事が好きだったか」

「いや、何でさ」

「俺がアイツの事を言った際にお前、案外すんなりと答えたからな。てっきり、何度か会話をした間柄かと思ったんだ」

「別に。さっき、図書室で話したのが初めてさ」

「ほぉーん」


 絶対信じていないであろう返答をする健人に対して、面倒くさそうにしつつもそうではないと思う啓介であった。



 ♢♦♢♦♢



「──、もうこんな時間になるのか。そろそろ帰らないと、夕食に間に合わなくなる」


 啓介が図書室を退出してしばらくの事だった。

 それまでは手にした本に夢中だった伊織がふと気になって現在の時間を確認すると、もうかなりの時間が過ぎていた。もう少し具体的に言うのだとすれば、彼女が言う通りにそろそろ帰らないと夕食に間に合わなくなる時間帯だ。


 実に有意義な暇つぶしだった。

 そう思って、先ほどまで読んでいた本をぱたりと閉じて本棚へと仕舞うと、伊織は図書室を後にした。


「それはそうと。今日はそう言えば部活はなかったけな、そう言えば」


 図書室から退出した伊織の視線の先には、誰一人としての姿はなかった。勿論、ガラス窓から見える総合運動場にも、人っ子一人としていない。

 確か今日は、『花散る頃、恋歌時』において、が開催される日だ。しかし、基本的に攻略対象な三人の内二人は部活に入部していてどうも時間が合わないために、こうして偶にではあるが一律休みとなっていることがあるのだ。

 その事実に伊織は、何とご都合主義かと思っていた。しかし、こうして誰もいない夕暮れ時の校舎から見える紅色の景色は、そんな不満を吹き飛ばすほどに特別感がそよ風のように通り過ぎていったのだった。


 ──しかし、そんな時だった。

 余韻に浸る伊織のくりっとしつつもきりっともしている振り落ちる雪のような鋭い瞳が、まるで溶解でもするかのようにぴくりと動いた。


「──もしかして、私と一緒で時間でも潰していたのだろうか? (良かったぁ。余韻極まって下手な事を口走らなくて)」


 そう言った伊織の視線の先に映ったのは、この学園の制服を着た一人の彼女。

 今日は殆どの部活の部活がないらしく、であるのならば何か特別な事情でもなければ、恐らくは伊織と同じ時間を潰していたという奴なのだろう。別に、そう言う事はそう珍しいものではなく、その可能性も十分あり得るのだ。


「……」

「……」


 ただ、伊織が不振がって追いかけている理由は、何度か会ったことのあるような、そんな感覚を抱いたからだ。

 一度だけならまだある話だ。学園やこの梓ヶ丘で生活していれば、一度ぐらいは会ったん事ある筈だろう。

 だが、それが何度かの話となると、そうそうないものだ。少なくとも学園生活など送った程度ではそのような感覚は抱かないし、なればこそ幼い頃などに会ったかという事なのだろうか。正直、この聖シストミア学園においてはカレンしか該当する人はいないと思っていたから驚きだ。



 /8



 屋上へと続く比較的新しい扉を開けると、夕暮れ時の射光。

 それに一瞬目が眩んでしまう伊織。そして、伊織が再び閉じた瞳を開けると、そこにいるのは先ほど見かけた彼女の姿だった。

 伊織と同じ髪色ではあるのだが、彼女とは違い伸ばした黒髪を一つにまとめて垂らしている。そして、背は伊織よりも若干低い程度。これは少しだけ下世話なものになってしまうが、胸は足元が簡単に見える伊織よりも、───。


「………。まさか、お前がこの学園の生徒だったとはな。いや、こんな偶然もあったんだな」

「えぇ、私もまさかこんなところで再会するとは思ってもみませんでした」


「───久しぶりだな、涼音」


 伊織がそう言うと、涼音と呼ばれた彼女も軽く返答をした。



 ♢♦♢♦♢



 “天下御前試合”。そこで伊織は、初めて涼音に出会ったのだ。

 しかし、伊織からしてみればあまり印象に残らない人物だった。何せ、ただお互いの対戦相手としか認識しておらず、それは伊織も涼音も同じ思いだったのだろう。

 互いが目指すのは、その頂。故に、今現在の試合相手に一々構ってはいられなかったからだ。


 そして、それから数年後の事だった。

 いつものように実家の道場で剣術の鍛錬をしていると、門下生の一人が伊織の事を呼びに来た。なんでも、此処に訪れた誰かさんとやらが手合わせをして欲しいとのことだった。


『適当に理由でも付けて送り返してくれ。私も、暇ではないからな』

『………いえ、それがですね』


 時期後継者として名高い伊織のその立場を揺るがそうとする者や、ただただ興味本位の甘い考えで試合を申し込んでくる人はそれなりにいる。今回の件も、そういった人なのかと否定の言葉を言うと、何故かその門下生は口ごもるようにして言葉を続けなかった。


『? どうしたんだ、一体。ジジイが呼び寄せた剣術家との試合は、まだ先の話だったと思うけど』

『いえ、そのお方たちではありません。ですが恐ろしく強く、練習用の木刀を携えた鉄牙さんでさえも、徒手空拳にて敗北しました』

『───! それは………』


 鉄牙と言えば、伊織の婚約相手と目されている人物であり、彼女によく付きまとってくる大変嫌な人物でもある。そんな人物がボコボコにされたとなれば、元男性として結婚をしたくない彼女からすれば、実に気分の良い話だ。

 しかし、その素行が悪くとも、その剣の腕前は中々のもの。伊織としてはあまり好ましい男性ではなかったが、その剣の腕前だけは良いものを持っていると思っているくらいだ。

 そんな鉄牙が徒手空拳にて負けたとなれば、少なくとも伊織自身の試合相手としては期待してもよさそうだ。


『──本日は、私めにお時間を取っていただき、恐悦至極にてございますれば』

『いや、何も畏まる必要はない。何しろ、鉄牙を徒手空拳にて破ったのだからな。少なくとも、この場に同席している門下生の、その誰よりも強い』

『ですが、それでも貴女様の方がよっぽどお強い──』


 その端的な事実だけを告げる彼女に、伊織は面白そうだと僅かに笑う。

 この今彼女等がいる場に同席している門下生の中には、伊織よりもガタイの良い人はいるし、そもそもの話で女性よりも男性の方が身体能力が高いのは明白たる事実だ。

 だから、武術の心得が多少程度な人が、何故ガタイもよくなければ女性な伊織が偉くしているのか。それに対して、疑問を持つか身分によって偉ぶっているかの二択かになるだろう。

 だが、目の前にいる彼女は、伊織の事を一番強いと称した。事実、ジジイなどがいない今現在は、伊織がこの場の中で一番強い。


『──さぁ、そろそろ始めようか。積もる話はそれからだ』

『えぇ、一手よろしくお願いします』

『そう言えば、名前を聞いていなかったな。名は何という?』

『黒辺涼音。──行きます!』

『──あぁ、掛かってこい!』



 ♢♦♢♦♢



「最初、ウチの道場に来た日から、もう数年が経つのか。時間の流れというのは、思ったよりも早いんだな」

「……、そうですね。それよりも、口調変えましたか?」

「ん? あぁ。あの口調は、実家でのものだ。涼音も黒澤流の後継者なら、口調や態度を使い分けたりもするだろう?」


 そう言い合いながら、伊織と涼音はお互いのこれまでの事を話し合った。勿論、立場というものもあるので、喋れない内容もあったりもするが、その辺はスルーの方向で。

 その中でも特に伊織が驚いたものというのが、涼音が黒澤流という弓術の後継者選びの一人として選ばれたという事だ。

 黒澤流弓術と言えば、弓術から近接戦における護身術まで取り入れた流派。流石に、数百年の歴史ある伊織のところの柳田流剣術ほどではないが、それなりに有名なところだ。

 そこの後継者の内の一人に涼音が選ばれた事は、生半可な覚悟と努力で到達できる場所ではない。


「そう言えば、魔法少女なんてものを始めたんだってな」

「? 何処で知りましたか?」

「何。魔法少女の戦っているシーンを撮っている野次馬がいるだろう。そいつらがネットに挙げている映像を、少しばかり拝見されてもらってな」


 魔法少女とケモノとの戦闘がネット上に挙げられるという行為は、それほど珍しいものではない。

 伊織は理解できないのだが、それらは一種の娯楽として親しまれている。身の回りの危険を認識できない馬鹿な行為と判断すべきか、それとも人を軽く殺せる力を持つ彼女等がある程度は世間に親しまれていると判断すべきかは、疑問に残るところではあるが。


 さて、そんなあまり関係のない話は隅にでも置いておいて。

 つまるところ、偶然見かけた映像の魔法少女な彼女が、黒辺涼音の動きに似ていると伊織が確信半分カマかけ半分のつもりだった。しかし、涼音の返答を聞く限り、その必要はなさそうであった。


「それで、どうして私が魔法少女をやっているなんて分かりましたか? 個人の情報統制は、上の人たちがやっていた筈ですけど」

「いや、そんな面倒な手は使ってない。ただ、筋肉の使い方や細かい癖から、なんとなく当たりを付けただけさ」


 そう言う伊織であるが、細かな動きから知り合いの誰かを特定するなんて、五十歩百歩な難易度を誇るだろう。少なくとも、ある程度の鍛錬を積んだぐらいでは不可能な領域だ。

 そして、そんな伊織の言葉から、涼音はを確信する。




「そうですか、柳田伊織さん。──いえ、羽織を着た魔法少女とでも呼べばいいですか?」




「──それは一体どういう事だ?」

「まず第一に、伊織さんの動きと羽織の魔法少女と似ている点です。流石に最初出会った時は、私が魔法少女だったとは最初は知らなかったみたいですし、所々に癖が出ていましたよ。」


「第二に、先ほどの映像の件ですが、まず一発で当てる事が殆ど不可能だと言う点です。確かに、この梓ヶ丘に絞ればそれなりの確率になりますが、ネット上挙がっているものとなると、ほぼ不可能と言ってもよいでしょう」


「そして最後の第三として、何故伊織さんは魔法少女なんかに興味を持ったのですか。権力も武も、その他多くを持ち合わせている貴女が──」




「いやこれは、私も言葉を言い間違えたな。──そうだ、巷で言う羽織の魔法少女というのは、私の事だ」





 そう、宣言をする伊織。

 確かに、物的な証拠などはなく、のらりくらりと言及を躱すことも可能だったのだろう。実際に、伊織のそのような手を一瞬考えたほどだ。

 しかし、それはこれらの言葉が見ず知らずの一般人が相手だった場合だ。だが、相手が魔法少女な彼女の場合とでは話が違う。上司に報告された上で、伊織の住むマンションへと訪問してくる事だろう。

 そうなると、伊織本人としては、とても不味い事になる。正確に言えば、彼女自身の悲鳴のそれ以上の大惨事となることだろう。

 そのため、涼音がある程度の確信を以って行ってきた以上、伊織は羽織の魔法少女と正体を明かす他なかった。


「それで、野良の魔法少女に一体何の用だ? 態々、人気のない日に加えて人気のない場所を選んだのだから、それ相応の理由がある筈だ」


 伊織が言う通り、涼音は確実に伊織の事を誘っていた。そうでもなければ、人気のない場所に偶然現れた伊織が、涼音の姿を見かける事なんてない。

 そして、そう問われた涼音はというと、その閉じられていた口を再び開くのだった。


「えぇ、伊織さんにとっては、それ相応のものでしょう」

「ほぅ──、それは一体」

「伊織さん。魔法少女を統括する、“乙女課”に入りませんか?」


 “乙女課”と言えば、伊織がこの前ネットで涼音の事を調べるついでにサイトを見たのだが、どちらかと言えば『飼う』ことに近い。

 そもそもの話、現代兵器の通用しない魔法少女を野放しにしておく訳には行かない。多少のいたずら程度ならまだマシな話で、下手に傷害事件なんかを起こそうものなら、魔法少女を抱えている政府としてもそれは避けたい話だ。

 だが、政府主導で行っている魔法少女になるための儀式意外にも、伊織のように勝手に魔法少女になる人もそれなりの数がいて、完全に根を絶つ事は不可能。そもそも、野良の魔法少女の儀式もあの黒猫が取り仕切っているため、下手な妨害は避けたい話だ。

 それ故に、“乙女課”は使えそうな人材に的を絞って、残りは知らぬ存ぜぬをしているらしい。


「それで? ──私の首に『首輪』でも付けるつもりか?」


 そう疑問形で物騒な事を言っている伊織なのであるが、その声色も少しだけドスが効いている。もし、この話を何度か会って手合わせをした涼音ではなく、誰とも知らない魔法少女に言われたとしたら、この程度では済まなかっただろう。

 そして、伊織にはこの程度の権力では屈指ないだけの実家の権力と、個人の圧倒的な力量がある。


「いえ、伊織さんに首輪を付けられる人物がいるとしたら、それは貴女の祖父ぐらいでしょう」

「……確かに、ジジイにはボコボコにされると思うが。それなら一体、何故その話を私に?」


 その言葉の後に、やり返してやるとのセリフを付け加える伊織ではあるのだが、そこで疑問が浮かび上がる。

 そして、その疑問の答えを涼音は告げるのだった。


「伊織さん。“乙女課”のお偉いさんとの面会機会、要りませんか?」

「──! あぁ、そう言う事か。確かにそれは、今の私にとって喉から手が出るほど欲しいものだな。それじゃぁ、ありがたく受け取らせてもらうよ」


 つまるところこれは、伊織サイドと“乙女課”サイド、その両方に利がある話だ。

 伊織としては、此方からただ“乙女課”へと下ったと相手方やその他に思われるのは、正直避けたいところだった。ある程度の自由や約束はされそうではあるが、立場はあちら方の方が上だろう。彼女の実家としても、彼女個人としても、それはあまりよろしくはない。

 そして、それを何処まで知っているのか。涼音は、面会機会という、ある程度対等な場へと持って行く事が可能な場を用意するのだと言っているのだ。

 ──そう、これは伊織側と“乙女課”側、その両方に利がある話なのだ。


「──まっ、これは良い機会だな」




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