第010話『安っぽい理由』

 鈴野蓮花は、聖シストミア学園に通う、ごく普通の女子学生だ。

 その経歴に黒い澱みの類は一切なく、勉学も出来て社交的な、学校側としては鼻が高い優秀な一般生徒である。例えば、“天才”は世の中とそりが合わない不適合者としての扱いを受ける事もあるが、蓮花の場合は褒める側には何らリスクもない、“優秀”な生徒なのだ。

 そんないい意味でも優秀な涼音は、今後の薔薇色の学園生活に胸を高鳴らせて、学園の門を叩くのだった。


 だが、順風満帆な学園生活が送れるという蓮花の願いは、早々に儚く散ることとなった。

 確かに、蓮花は社交的故順調にクラス内の友達を作る事に成功した。まだ、このクラス内の人たちは会ったばっかりで、先に話し掛けてくれる蓮花は、内気な女子生徒や男子生徒にとってかなり話しやすかっただろう。

 しかし、それが悪かったのか。そこで、カレン・フェニーミアという女子生徒と出会うことになったのが、運命の分かれ道だったのだろう。

 フェニーミア家と言えば、五本の指に入ってくる名家だ。それこそ、一家庭の出たる蓮花にとってカレンの優雅な生活は、正しく雲の上には一体どんな世界だろうと、思いをはせていても関係のない、それほどにまで空いた距離だった。

 そして、今もまだ何故そんなカレンが蓮花に対して突っかかってくるのか。それを分からないでいる。


 そんな時、会ったのが柳田伊織だった。

 最初会った時は、何やら凛々しい人がいるな程度のものだったが、まさかカレンと親しくしていたのを蓮花は見て、そんなに凄い人だったのかと驚いたりもした。

 蓮花から見て伊織は、非の打ちどころのない人だ。

 最初の試験ではトップを飾って、体力テストではぶっちぎりの一番だった。それに加えて、あの整った容姿とスタイルは、溜息をもらすほどに整っていて。少し、口調が男性らしいものだったのだが、伊織に対してのイメージと合っていて、あざとらしいどころかとても似合っていた。

 そして、伊織がまさか“国家防衛魔法契約少女”──通称、魔法少女と知るなんて、人生どうなるのか分からないものだ。



 ♢♦♢♦♢



「……本当に、分からないものですね」

『菟菟ッ……』


 本当に、人生何があるか分からないものだ。

 蓮花は、学園の帰り道に、丁度入学式に向けて買っておこうと思った物が何か。それを突然に思い出したのだ。そういった忘れられた記憶というものは、何らかの要因によって思い出されることが多いため、それに該当する“何か”があったのだろう。

 そして、蓮花は梓ヶ丘で一番大きくて品揃えが良いショッピングモールで、買い忘れた物を買ったのだった。


 ──そんな時だった。

 ケモノが現れた事による警報が、辺りに非常事態だと叫んでいるように鳴り響く。

 人々は係員の迅速な対応によって、このショッピングモールの地下のシェルターへと避難を開始した。しかし、中には避難訓練をしたことないような自己中心的な人は何処にでもいるようで、その人たちは我先にと逃げ出した。

 それが、──決壊した。

 人は非常事態において、秩序良く避難するという行為は、暗黙の了解だ。助け合えば自分も助かるのだという、妄信ではあるが真実。だが、その暗黙の了解が崩れたのだとすれば、誰かを助けるという行為は、自らの危機を高めるだけの行為でしかない。


『……ぅ、ああああぁぁぁぁ』


 それは、蓮花も避難をしている時の事だった。

 子供、それもかなり幼い男の子の泣き声が聞こえてくる。しかし、建物内で鳴き声が反射の連続で、聞こえていてもどこにいるのかまでは分からない。

 だからこそ、サラリーマン風の人も、夕食の買い物に来たであろう主婦も、誰もかれもが聞こえないふりを続けていた。


『──』


 その男の子の鳴き声を聞いて、蓮花は走り出した。何処にいるのかもしれない、男の子の方に向かって。

 蓮花に当てなんてない。ないが、困っている人を助けたいという、人として正しいであろう願いによって、彼女の足をせかしていく。


 結果として、あの泣き声の主たる幼い男の子は、案外呆気なく見つかった。うろうろしていたみたいだが、その場からあまり動かなかった事が逆に功を奏したのだ。

 だが、それによって男の子と蓮花は、命の危機に瀕していた。

 それもそうだ。確かに、動かなければ見つけて貰う確率は少しばかり上がるが、それは男の子を助けに来ようとしている愚者と、獲物を探している狩人も同じ事だ。


 それは猿型の──いや、どちらかと言えばゴリラ型の“ケモノ”だった。

 先ほどの猿型と違うというのは、その剛腕だ。爪などを必要としない、その強固なまるで鋼のような肉体を主要とする、ゴリゴリの格闘スタイル。小細工などをせずに、ただただ己の長所を叩き込んでくる、討伐する魔法少女にとってはあまり相手にしたくないタイプだ。


 蓮花と幼い男の子にとって、攻撃された時点で死ぬのが確定な現状況。

 まず、振るわれる剛腕との間に何を挟んだとしても無駄である。現れた時には、壁を軽くたたき壊すように現れたので、鋼鉄の塊でもなければ障子を破るよりも呆気ない。

 そして、避ける事も勿論不可能だ。蓮花が本当に万が一億が一でも運よく避けられたとしても、その幼い男の子は誰とも分からない肉塊と化す事だろう。そんな選択肢を蓮花が取る事は、不可能な話だ。


「(……あぁ、私──死ぬんだ)」


 圧倒的な窮地どころか、死地である今現在に、蓮花はそう思ってしまった。

 ケモノが現れて誰かが死ぬ。そんな事態はあまり少ないのだが、それは少ないのであって、こうして死ぬ事は可笑しい事ではない。何故なら、人が他人を救うのに、その数に限りがあるからだ。誰も死なない、そんな歪な偶然なんてありはしない。


 ──もしも、私が魔法少女だったら。

 そう、蓮花は思った。

 たらればの話だ。妄想をするのは自由だが、現実はいつもそこにあって、襲い掛かってくる慈悲のない、達観できるほどの事象。

 それは、蓮花の目の前に迫ってきているようで──。



 ♢♦♢♦♢



『──やぁ。君には、何を犠牲にしてでも叶えたい、そんな願望はあるかい?』


 そこは、白一色の空間だった。調度品どころか染み一つなく、家事をやったことある人が見れば羨むほどの白。

 けれど、それは現実にあって不可能に近く、それが何者かによって生み出された空間だと。そう蓮花が思うに、少しばかりの時間を必要とした。


『……、あなたは一体?』

『? あぁ、そう言う事か』


 知らないことが、まるで異質なようで。


『初めましてでも言った方がいいかな。ボクの名は、“プラン”。君を魔法少女に勧誘をしに来た、ただの使い魔だね』


 そう、黒い猫は流暢な言語で、事も簡単そうにそう言った。

 それにしても、叶えたい願望とは何か。それがどうして、魔法少女に関係してくるのか。蓮花はまだ知らない。

 だが、こんな都合のいい展開が、果たしてあるのだろうか。


『……えっと、すみません。私には願いがあるんですけど、何かを犠牲にしてまでの願いは、ちょっと……』

『? 人は何かを犠牲にして生きているのだろう? なら、君自身の願いも、何かの犠牲の上に成り立っていると思うけど、違うのかい?』

『……』

『もう一度問おう。君には、何を犠牲にしても叶えたい願いというものはあるかい?』


 叶えたい、願い。

 今蓮花が願うものがあるのだとすれば、それは今を生きる事。あの泣いていた、幼い男の子を助ける事だ。

 それを願いと肯定することは簡単だろう。

 しかし、それが一体何を犠牲にするのだというのか。ケモノを倒さずにこの場を凌げる可能性がある以上、ケモノの命などではなく、己に帰ってくるタイプなのだろう。


『……』


 普通なら、それは躊躇する行為だ。

 分かっていたなら、覚悟ができる。しかし、どんな反動があるのか分からないという不透明感は、独特な恐怖で覚悟ができる人も二の足を踏ませるほどの不気味さが、そこにはある。


 ──だが、蓮花は常人には二の足を踏んでしまう選択に、平然と答えるのだった。


『私にはあります! 沢山の人を助けるために魔法少女になります』


 その言葉を聞いたプランは、一瞬ぽかんとした後、少し面白そうに蓮花の願いを聞き届けるのだった。


『なら、此処に契約は成立した。これからはボクは何も手を貸せないけど、頑張るんだよ』



 ♢♦♢♦♢



 蓮花の意識が現実へと戻る。


「……」


 一体何が起きたのか、蓮花には分からなかった。 

 既に、蓮花の体は壁際まで吹き飛ばされたかのように、彼女の背にはボロボロになった壁があった。魔法少女になったからだろうか。けれど、流石に無傷とはいかないようで、体の節々が痛いどころか、碌に動く事もままならない。

 そして、先ほどの泣いていた幼い男の子はというと、吹き飛ばされる直前に蓮花の体が反射によって突き飛ばしたのか。ゴリラ型の“ケモノ”から少し離れた位置で、うつ伏せの状態で倒れていた。


 どうにかなった。

 そう思うのは勝手だが、依然として目の前の脅威が去って行った訳ではない。


『虞ゥゥゥ……』


 ゴリラ型の“ケモノ”は、恐怖で動けないままの幼い男の子に向けて、その歩みを進めていく。どちらの仕留めたという、単的な思考故だろう。事実として間違っていないし、もしも蓮花があの時魔法少女になることを拒否しているか機会すら訪れなかった場合、それは回避できぬ未来になっていたことだろう。


「……、待って──ください!」


 だが、あらればの展開とは違い、蓮花は燈火ながらもまだ生きている。

 手足は碌に動かなくて、体はボロボロ。しかし、蓮花の心はまだ、その命の燈火を燃やしていた。


「──心象投影インストール──開始スタート


 その鍵言を蓮花が発した時、彼女の体は不思議な光に包まれた。

 そして、ほんの数瞬後に不思議な光から解き放たれた蓮花は、まるでアイドルにでもなったかのような衣装を身に纏っていた。煌びやかでありつつも、動きやすさにも配慮された。

 それはまるで、魔法少女のようであった。


「でも、本当にこれでどうにかなるかな?」


 しかし、蓮花が引き当てた《マホウ》は、この今現在の窮地において、役に立つとは思えなかった。確かに、今のボロボロの状態ではなくて、大きな傷一つない万全の状態であったなら、また話は変わっていたことだろう。

 だが、それがどうしたのだと、蓮花の足は前へ前へと、止まることなく運ばれていく。

 ──人を助けるために。


「──私と、勝負しなさい!!」


 そう高らかにゴリラ型の“ケモノ”に対して宣戦布告を叩きつけた、そんな満身創痍の魔法少女な蓮花は、一歩一歩踏みしめていた歩を徐々に速めていく。

 そして、その途中で蓮花は、自身に《マホウ》を掛けて行く。

 蓮花の《マホウ》は、指定した誰かに対して身体能力などを上昇させていく支援型のものだ。本来なら、誰かに掛けて行くものだが、この場に他の魔法少女がいない以上、頼れるのは彼女自身だけ。


 対して、ゴリラ型の“ケモノ”は、魔法少女になった蓮花には碌に意識を向けていない。

 蓮花がまだこれが実践どころか戦闘初期で、伊織のように何か武術をやっている訳でもなく、そこに気の鋭さが見られないからだ。それに、後衛型、それも支援型というのは、そういった鋭さを持ち合わせないことが多い。

 勿論、それらには例外は存在するが、幸か不幸か、蓮花にはその鋭さがなかった。


 そして、今回に限って言えば、それは幸へと傾いた。

 “ケモノ”のフルスイングが恐怖で動けない幼い男の子に当たる直前、身体強化を自身に施した蓮花が抱え飛ぶことで事なきを得た。敵を倒すためではなく、誰かを助けるためだからこそ、幼い男の子は助かったのだろう。


「──あっ、ありがとう。お姉さん、魔法少女だったんだね……」

「えぇ。此処は私が食い止めますから、貴方も早く逃げて下さい」

「う、うん……」


 そうは言っても、先ほど蓮花が吹き飛ばされた件から、少し不安に足を引きずられつつも逃げ出す彼であった。


「さて、……これからどうしようかな?」

『我ァ唖ァ啞ァ啞ァ!」


 戦って勝つという選択肢は、存在しない。

 もしも、伊織のように戦いに慣れた人ならともかくとして、魔法少女とはいえただの女子学生が倒せるほど、“ケモノ”という“人類の敵”は甘くはない。強力な彼等の中には、大量の一般市民の他に魔法少女すら何十人と葬り去ったものまでいる、一筋縄ではいかないからこその“人類の敵”だ。

 だからこそ、最初は戦闘訓練という形で慣れさせていくのだが、窮地によって魔法少女になった蓮花には、それらの経験がゼロ。勝てる道理がない。

 そして、逃げ出すことも不可能だ。

 もしも、この場でどうにかして蓮花が逃げ出したとして、先ほど彼女が逃がした幼い男の子の方へと行かないとは限らない。勿論、可能性はかなりのブレ幅があるが、万が一の事を考えてしまう彼女にとっては土台無理な話だ。


 そう、蓮花ではどちらの選択肢も取ることができない。危険を冒してまで幼い男の子を犠牲にするのか、彼女自身を犠牲にするのか。

 これは、蓮花の良いところでもあり、悪いところでもある。

 もっとも、誰かと自分を比べてしまう上に、それを思考してしまう蓮花の結末は、きっと碌なものになることだろう。


「──でも、私はあの子を助けたい」


 そのためには、蓮花自身の命を代償にした時間稼ぎが必要だ。

 その事実を、その選択肢を自ら取った蓮花は理解している。

 ──だからこそ、蓮花は壊れているのだろう。


「ふぅっ──」


 恐怖で震える手を、握り拳で押さえつける。

 何処か壊れた蓮花であっても、当然のことながら、そこに恐怖は存在している。

 立ち向かう恐怖というのは、挑戦的思考だ。誰であろうとも、そこに譲れぬものがあるからこそ、恐怖をし、それを乗り越えようとする。

 ──そう、恐怖が自らを成長させるのだ。


『菟……?』


 そこでゴリラ型の“ケモノ”は、目の前の魔法少女の空気が変わった事を察する。

 人間の成長とは、酷く曖昧だ。誰が言ったことがそのまま反映されることもあれば、積み重なった経験努力によって反映されることがある。その定義は、かなり広い。

 ───だが、覚悟を決めた時の成長は、明確だ。

 覚悟を決めるという行為は、自らの意識を沈めた上で、その更に上の段階へと引き上げるものである。

 だからこそ、人間という生命は恐ろしい。


「ぁ、ああああぁぁぁぁ!!」

『我ゥ啞ァ啞ァ啞ァ!!』


 恐怖を原動力に替えて、蓮花はひたひたと進めていた足を段々と速めて行って、最後には走り出すに至った。

 格闘経験が一切ない蓮花にとって、絡め手とは土台無理な話だ。勿論、建物などの障害物を使った絡め手の類ならば、蓮花ももしかしたらできるかもしれないが、その程度の強度ではゴリラ型の“ケモノ”によって破壊されるのがオチだろう。

 だからこそ、蓮花は正面戦闘を行うしな他ない。

 だが、そんな窮地であっても、蓮花の表情に諦めの二文字は存在しない。


 それに対して、ゴリラ型のケモノも、その自慢の拳を握る。剛力によるストレートだ。

 例えば、まっすぐにストレートよりも絡め手が有効とされているが、それはケースバイケースと言えよう。

 絡め手が強いという訳ではなく、圧倒的な暴力に立ち向かうために絡め手も進化した故、絡め手の方が強いとされている。そう、どちらが先か、という事だ。

 しかし、藁で作られた城ほど信用できないものはなく。下手な絡め手は、簡単に暴力によって押さえつけられる。




 ───そして、交わる───、かのように思われた。




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 お疲れ様です。

 感想やレビューなどなど。お待ちしております。


 ちなみに、本章についてのコンセプトがありますので、良ければ一読のほどを。

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