第009話『魔法少女アーチャーの憂鬱』

 黒辺涼音は、かなり優秀な魔法少女である。それこそ、この梓ヶ丘で伊織が現れるまでは、事実上トップを張っている自信はあったし、国内の中でも上位に位置している。自他共に認める、“優秀な魔法少女”だ。

 しかしそれは、“優秀”程度でしかなかった。本来ならば、優秀というだけで満足できるほどの感情は得られるのだが、涼音はその程度では満足できない、満足できないのだ。

 ──もう一度、の前に立つために。



「──心象投影インストール──、開始スタート



 涼音の意識が、現実世界の今へと戻る。

 何処か別の制服を身に纏い、首にはストールらしき物を巻く。そして、その上からカーディガンを羽織る。これで、冬以外でも着ていられるのだから驚きだ。


 今回のケモノは、ここからだと肉眼でははっきりと捉えられないほど離れた位置にいる、燃え盛る鬣を持った馬型のケモノ。涼音が聞いた“乙女課”からの報告だと、炎を操る能力を持っていて、少なくとも乙種、それもその中でも平均以上は固いらしい。

 本来ならば、今現在動ける魔法少女の中で特に戦闘能力に秀でている涼音か伊織に頼みたいものだが、伊織に対しては連絡先どころかその正体まで不明。まるで、上からの圧力でも掛けられているかといったレベルで、“羽織の彼女”の情報は何もない。

 だからこそ、狩り出された涼音には、この馬型のケモノを倒す他に、伊織を拘束するという別の任務を“乙女課”の《《とある人物》》から頼まれるのだった。

 ──しかし、今はそんな事よりも、今現在へと意識を向けるべきだ。


「──」


 弦を引き絞る。

 此処からケモノまでの距離は、目測でおおよそ五十メートルほど。のちの逸話にでも神業と称される、所謂絶技と呼ばれるものでしか届きそうにない。


「──五十メートル、ですか。それなら、はありませんね」


 離れる。

 五十、四十、三十、二十、十、……着矢。


 そう、黒辺涼音は魔法少女である前に、伊織と同じ武芸者だ。

 流石に伊織には敵わないと自他共に認めているのだが、それでも同年代どころか鍛錬を積み重ねてきた大人相手にだって負けるつもりはない。

 ただ、涼音が習っている“黒澤流弓術”は、人を殺すための武術で、この平和な時代に習っている人なんてかなりごく少数なのだが。


 そのせいで、涼音の子供時代はかなりいじめられていた。散々浴びせ掛けられた罵詈雑言の中には“人殺し”という武術に関しては的確なものもあったし、同年代の普通の友達なんてできやしなかった。他にも、色々とあった。

 けれど、涼音はそれでよかったのだ。

 何も涼音は、学校生活を共に過ごす、そんな当たり障りのない、意味なんて一過性のもにに過ぎない友達を作りたい訳じゃない。鍛錬を積み重ねて、その先で手を合わせてくれる、そんな彼女と同じ武芸者がいればよかったのだ。

 ──そう、彼女のような。


「駄目ですね。こんなことを考えているようではっ、彼女の隣に立つことなんて到底不可能、──っ!?」


 ケモノと涼音の視線が合う。

 それはほんの一瞬に過ぎない、ただの偶然と片付けることができるのかもしれない。

 けれど、そう思った涼音は直感したのだ。これは偶然ではなく、流し目による彼女の位置の確認だと。


 ──タッと、そう結論付けた涼音が建物の屋上から飛び降りる。

 そして次の瞬間、先ほどまで涼音がいた場所がなくなっていた。いや、正確に言うのなら、その階自体が吹き抜け構造と成り果て、ガラガラと轟音を立てて崩れ落ちていく。


「──我らが奉る神よ。我が矢を届けたもう」


 傍から見れば、無策で地上数十メートルの高さに投げ出され、そのまま自由落下を味わう彼女。下手をすれば、その自由落下による恐怖心で、意識が停止したとしてもおかしくはない。

 だが、涼音はそんな無策でも無力でもなかった。

 自由落下に耐えられているだけではなくて、瓦礫の中を飛び回っているのではないか。


 魔法少女としての涼音の《マホウ》は、自身の身体機能の向上だ。

 これが身体能力の向上と違うのは、運動能力面だけを強化している訳ではなく、五感などの感覚的なものも同時に強化されているという点。近接能力よりも感覚的なものが必要になってくる弓術をメインにしている涼音にとっては、身体能力の向上よりも遥かに相性がいい。

 しかし、そんな欠点のない《マホウ》と思われがちだが、自身の限界能力値以上の物事はできないという欠点というか、道理がある。

 だからこそ、この《マホウ》は、涼音とともて相性がいい。身体能力だけではなく感覚的なものも引き出せて、それでいて武芸者として鍛えている彼女ならば。

 ……ただ、獣耳尻尾らしき物が付くのは勘弁してほしいと思う、涼音であった。


「やはり、そう簡単には行きませんね」


 最初の一射は、不意打ちだったからこそ、命中したのだ。確かに、涼音の腕がなければ奇襲どころか当てる事すら不可能だったが、不意打ちによるアドバンテージは大きい。

 ただ、それで馬型のケモノが慌てふためいていれば、そのまま涼音の追撃を当てられたのだろう。

 しかし、かなり馬型のケモノの立ち直りが早くて、此方の動きを余裕を持って対処してきている。先ほど放った涼音の三射も、避けるなりその纏う炎で吹き飛ばすなりしてきた。


「──なら、どう動いても避けられない、そんな一撃を叩き込めばいい話ですね」


 そう言い切った涼音は、着地した後、すぐさま馬型のケモノへと走り出した。その走る速度は、アスファルトの地面を砕かずとも、並大抵が捉えられないぐらいには出ている。

 しかし、それは“何とか”といった具合だ。先ほどから涼音に向かって放たれている火球は、ほんの数瞬前にいた彼女の位置に対して性格に放たれている。問題ないとそう思うのかもしれないが、この均衡が崩れることはそう先の話ではないという事だ。

 ──ほら、均衡が早々に崩れた。


「──ふっ」


 先ほどまでの涼音の速度、確かにあれだけでも魔法少女の中でも並以上はあったのだが、それこから彼女は更に加速しだした。

 そして、それによって生み出された隙。その時間の猶予を使って、涼音はアクロバティックな動きを合わせつつも正確に矢を叩き込んでいく。上下逆さまになる程度、彼女にとっては些細でしかなく、障害にすらなりえない。

 しかし、それで勝てるほど乙種のケモノは、そう甘くはない。最初こそ、傷を付けられたのだが、すぐに対処された。此方の動きも対処されるのに、そう大した時間は掛からないだろう。


『狗ソッ!』

「流石にもう無理そうですね。思ったよりも対処が早い」


 対処が早いと涼音が感じたのは、明らかなる事実。確実に、余裕を以て対処をしているのだから。

 そう、武術──“黒澤流弓術”とて、最強の類いではない。

 相性さによっては、敗走することも視野に入れなければならないのだ。

 ちなみに、本来勝てる筈の相性だった甲殻に覆われたケモノに涼音は遅れを取り、そして“羽織の彼女”──つまりは伊織に助けられた理由は、単純にかつ致命的に体調が悪かったからという、何とも締まらない話だ。


「ですが、──所詮、乙種程度ですね!」


 そう言い切った涼音は、先ほどと同じように駆け出すのだが、それは違う。

 本来、弓術とは基本的に遠距離主体の攻撃手段だ。確かに、間合いを詰められた場合に柔術を習ったりもするが、それでも弓による遠距離戦がメインである。

 だからこそ、この選択は弓術に自信がある人ほど取れない筈なのだ。

 ──弓使いが、自ら近接戦を仕掛けるなんて。


『菟、唖ァ唖ァ唖ァ!』


 自ら死地へと足を踏み込んでくる涼音を好機と思ったのか、馬型のケモノは火球で落としに掛かる。

 けれど、先ほどの涼音が逃げて、馬型のケモノが迎撃するというテンプレートな構図にはなっていない。

 それには幾つかの要因があるのだろうが、一番は先ほどから等間隔で打ち込んでくる一射。確かにそれ自体には脅威の字すらないが、確実にケモノに対して致命傷になりそうなものだ。

 だからこそ、涼音に向けられる迎撃の手が、どうしても手薄になってしまう。


『菟……』


 この展開は不味い。そう、馬型のケモノは思うのだが、その考えはもう遅すぎた。

 そして、その思考に馬型のケモノが囚われた時点で、決着はもう明らかだ。


「やはり、思考は出来ていても、生まれたてだからか甘いんですよね」


 そう言い放った涼音は、既に馬型のケモノの懐というか、彼女の近接戦における間合いに入り込んでいた。

 両の掌を腰だめに構え、そして全身の筋肉が流動して、それは壮絶なる破壊力を伴って放たれるのだった。



《体術、轟雷掌》



 ──ドン!!

 それはまるで、雷のような轟音を響かせる、涼音の踏み込みと衝撃によるインパクト。


 戦闘において、一つの強力な武器は、並大抵の小細工程度は簡単に破壊できる。複数の事を習うよりも、一つの事を極めろというのはその絶対性を生み出すためだ。

 しかしそれは、絶対性を生み出すことのできる“才能”と“努力”の両方が下地にあって、初めて得る事ができるのだ。サボりがちな天才や、才能がなくても努力すればできるという、生半可な到達できる領域ではないのだ。


 その点で言えば、涼音は後者に近い。

 何も才能が皆無だとかそう悲観するものではないのだが、それでも血の滲む努力した天才に勝てるほど才能がある訳ではない。

 そして、その事実を涼音は理解をしている。


「──勝つために最善を尽くせ。それは私に武術を教えて下さった、おじい様の言葉です」


 そう、一つの絶対がなければ、戦闘における選択肢を増やせ。

 “絶対性”が一振りの名刀なのだとすれば、“可能性”は体に仕込まれた暗器だ。それは、どちらにせよ厄介と言えよう。


『……』


 そして、先ほどの涼音の一撃で、もう馬型のケモノは返答を返すことはなかった。ただただ、ケモノが消える時に発する、黒い塵が宙へと散っていくだけだった。


「ふぅ、終わりましたか。乙種以上は稀にとても単純であろうとも知能を付けていることがありますが、まだ思考が甘くて良かったですね」


 ケモノの中には、人間と大差ない知性を持つ強力な個体がごくまれに現れることがある。涼音も一度だけ戦ったことがあるが、もう二度と戦いたくないほどの強敵だった。

 ケモノの知性は、どれくらいの時間を生きたかに比例する。中には、生まれながらに成人した人間と同等の知性を持つ個体もいるが、それは比較対象となっている人間とて同じ話だ。 






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