第006話『魔法少女グレイの初めて』


 翌日、伊織はいつも通りに聖シストミア学園の門を潜る。

 鞄を肩に掛けた伊織であるが、当然日本刀なんて確実に銃刀法違反で捕まる物、日々の生活の中で持ち歩いている訳ではない。勿論、自分が魔法少女だと政府に届け出をすれば話は別だが、ちょいと彼女の身の関係上、それは避けておきたい。

 だがしかし、別に武器がないから倒せない、……なんてことはない。流石に最近の手ごわい相手ならば正直無理だが、丙種辺りなら徒手空拳やそこらの鉄パイプで余裕であろう。


 そして、昼の放課となった。

 聖シストミア学園は、学食がある食堂が存在している。

 なので、別に弁当を持参する必要もない。ただ伊織としては、高級志向の学食はあまり好まず、逆にフレイメリアの作ってくれた庶民的な弁当の方が好きだ。


「あら、伊織さん。今日も弁当なんですね。別にお金に困っていないのですから、学食なんてどうでしょうか?」

「洋食はあまり好きじゃなくてな。だけど、こうして美味しい和食の弁当を食べさせてもらっているよ」

「そう言えば、伊織さんには妹がいらっしゃいましたね」


 基本的に、柳田家の食事は和食だ。

 これは伊織が洋食ではなく和食が好きだからというのもあるが、妹のフレイメリアの作ってくれる和食がとても美味しいのもある。実際、今伊織が食べている色彩豊かな弁当も、フレイメリア作のものだったりする。

 ちなみに、お菓子などは別だ。


 そして、そんな可燃材を加えられた伊織の感情という炎は、酷く燃え上がっていた。その出来事を具体的に言うとなれば、お茶目をしたくなるキャンプファイヤーと言った辺りか。


「ほら、見てくれ。これが妹が初めて料理した時の物だ。それから、これが初めて泳いだ時の物で──」

「ええ、貴女の妹好きは良く分かりましたから」


 そう言って伊織がカレンに見せるのは、今までのフレイメリアの物の写真の数々。料理を始めて行った時のものは何故か炭化していて、初めて泳いだ時の物は泳げないのか浮き輪を装着していた。

 しかし、伊織の妹は最近になって色々と始めたのだろうと、カレンはふと思った。実際問題、これでもお嬢様な伊織であってもその待遇は特別であり、妹を連れて暮らし始めた頃から始め出したのだろう。

 

「──それよりも!」


 突然、声を荒げるカレン。


「……。伊織、何であんなことをしたの」

「? あんなことって、一体何を指しているのか分からないが」

「そう、何で蓮華と徹が付き合っているか聞いたのよ!」


 嗚呼、あの事だったのか。

 別に伊織が何か意図があって行ったことではなく、ただただ聞いてみた話だ。まぁ、興味があって突いてみたことについては、彼女も否定するつもりはない。


「……、徹にも新しい春が来たと思ったからな」

「何よそれ。それよりも、……感触、どうだった?」

「少なくとも、互いに意識し合っているようだったな。蓮華も徹も」

「……、そう」


 前にも言ったかと思うが、カレンと徹は所謂繋がりを強化したい政略結婚なようで。しかし、今はともかく最初の頃は、傍にいた伊織自身が胸やけするほどの相思相愛だった。

 だが、魔法少女ものに侵略された乙女ゲーと言えど、ストーリーは今のところ同じらしい。

 つまるところ、悪徳令嬢役のカレンに対して徹は愛想をつかしているご様子で。そんなカレンと親しくしている伊織としては、故意に地雷原に突撃をかましたとはいえ少し複雑な気分だ。


「ありがとうね、伊織さん。貴女、私が上手く聞き出せないから、こうして聞き出したのでしょう」

「はて、一体何のことやら? 私はただ、蓮華と徹の恋路が気になっただけだ。別に恩義があった訳じゃない」

「本当に素直じゃないですね、私も貴女も。折角ですから、貴女ももう少しご令嬢としての立ち振る舞いを覚えてはどうでしょうか。伊織さんの容姿ですから、きっと良い殿方と巡り合えますわよ」

「……。余計なお世話だ」


 実際、伊織という彼女は政略結婚においての品質は、下手な資産家の令嬢さえも上回る。

 数百年という長い歴史の名家だというのに加えて、柳田伊織はその当家においての最高傑作。彼女と結婚さえすれば、名門の柳田家で不動の地位を得る事ができるのだろう。

 だがしかし、当の伊織としては、誰かと結婚する気なぞない。

 元々、伊織の前世が男性だったという事もあるのだが、今は義妹のフレイメリアに夢中だ。他の男性なぞ、はなから眼中にない。


「良ければ今度、ご紹介しましょうか?」

「本当に余計なお世話だからな!?」



 /3



 さて、伊織は昼食を食べ終わった後、中庭をぶらぶらとする事にした。

 本日は快晴なり。草木は穏やかな清風によって靡き、葉陰がゆらゆらと揺られていた。喧騒も聞こえず、かなり過ごしやすい空間だ。


「……ん? あれは……」


 草々に覆われたいつもの椅子にでも座って寛いで異様と思う伊織であったが、彼女の視界の中にとある人物の影を捉える。

 普通なら、ここで声を掛けるか後に付いて行くかのどちらかの行動を取るのが定石なのだが、生憎とそんな面倒な事をするつもりはない。伊織としては、このまま穏やかな昼放課を過ごしていたいのだ。

 しかし、現実は非情なようで、その人物は伊織の方へと足を進めるのだった。


「あの、伊織さん。お時間少しよろしいですか?」

「……、確か、蓮華だったか。それで一体何の用だ」


 そう、了承の意を共に質問を伊織が投げかけた先にいるのは、ある程度親しくなった鈴野蓮華の姿だった。

 あれから、──そう、入学式の日からある程度の時が過ぎたのだが、蓮華はかなり皆から疎外されていた。これは今は亡き乙女ゲーのシナリオとして攻略対象から声を掛けて貰えるという機会を作るためというのもあるが、実際のところはエスカレータ式の学園に異物が紛れ込んできたのだから、警戒してしまうのもしょうがない話。

 しかし、それを見かねたお節介焼きな彼女ことカレンは、暇そうにしている伊織を連れてよく話すようになったのだ。ちなみに、そのせいで彼女等の不仲が始まったのだが、ここでは省略させてもらう。


「数日前の海豚型のケモノの襲撃のことなんですが」

「あぁ、あれか。かなり騒がしかったが、一応覚えているが」


「それで、あの時戦っていた羽織姿の魔法少女は、ですよね」


 何言っているか分からない。

 別に蓮華が言っている言葉の意味が分からないのではない。何故、その結末へとたどり着けたのかが、分からないというより理解ができないのだ。

 一応というどころかかなり厳重に認識阻害を掛けている。それこそ、違和感の類すらないどころに。それでいてバレるのだから、その対策を講じた伊織自身からすれば、“何言っているか分からない”。

 しかし、それを表に出す訳にはいかず、ほんの零コンマ数秒の思考が伊織の頭を駆け巡り、彼女の口から出てきた言葉はほんの僅かなもの。


「……いや、私が魔法少女な訳ないだろう。他人の空似といったところじゃないのか?」

「……。そうですか……」


 そう蓮華は微かばかりの言葉と共に、手にしたスマホを弄り出した。

 いや、そんな訳ない、そんな訳ないのだ。伊織が魔法少女になった時に使用している認識阻害は、たとえ画面越しであっても効果を発揮することを実証済みだ。そして、認識阻害が働いているとは、確認済み。

 しかし、何処にも穴がない筈なのに、伊織の背中を冷たい汗が幻感として伝わってくる。

 そして、その時は訪れるのだった──。


「でも、これは伊織さんですよね」


 そう言って蓮華が見せてきたのは、伊織が最後海豚型のケモノを解体するシーンが映っている画面。そこにいる伊織は、浅葱色の羽織を着て銀閃が舞う刀を振り終わった、そんな彼女姿だった。

 これがまだごく普通の出来事ならば、まだ追及を逃れることも可能だったのだろう。だが、認識阻害が掛かった上で彼女を伊織だと断じた以上、何かしらの確証はある筈だ。少なくとも、そう簡単に覆らないものが。

 そう考えた伊織は、これ以上の追求を回避するのは無理だと早々に諦めるのだった。


「……。それで、私がその羽織を着た魔法少女なのだとしたら、どうする?」

「……」


 これは、一種の賭けだ。

 もしも、これがまだ乙女ゲー時代の鈴野蓮華ならば、伊織もそう警戒する必要はなかっただろう。蓮華は、ただの一学生に過ぎないのだから。

 しかし、こうして何かしらの正体不明な手段を用いて伊織の正体にたどり着けたのなら、話は違ってくる。何かしら、原作とは違う能力を蓮華が持っていたとしても、そう可笑しな話ではないのだから。

 ──さぁ、どう出る。


「……」

「……」


 ………………………。


「──あの! サイン、下さい!」


 ズコっと、片足の力が抜ける伊織であった。

 いや、分からない話でもない。伊織が魔法少女として活動している時に何度かサインをねだられたことがあるが、それと少しだけ類似するものだろう。実際、魔法少女をアイドルか何かと捉えている人も数多くいるらしいし。


「しかし、何でまた私なんだ。そもそも、魔法少女となって日が浅い新参者だし、別の魔法少女だってこの町にはいるだろう。向こうは私と違って、ファンサービスをしているそうだし」

「ですけど、私がケモノから助けてくれたのは、アーチャーさんじゃなくて伊織さん、貴女です」


 そう恥ずかしさ満載の言葉を間近で言われると羞恥心がすごいな、と顔を少しだけ紅く染めた伊織は思うのだった。

 魔法少女は、本名を明かさない。誹謗中傷などを避けるために各魔法少女たちは、お互いや人々には魔法少女名──コードネームのようなもので呼び合うのだ。

 ちなみに、“アーチャー”という魔法少女の本名は、伊織や話題に出した蓮華も知らないが、黒辺涼音という名前だったりする。

 

「……まぁ、それくらいなら別にいいか。あぁでも、色紙にサインなんて書くのは初めてだから、変だったらごめんな」

「い、いえ、大丈夫です」


 そうは言ってくれるが。いやはや、どうしたものか。


「伊織さん。どうしましたか?」

「いや、私は世間でいう野良魔法少女とやらで、魔法少女名とか一切考えていないんだ」


 そう言って伊織は、手元で受け取った黒色のペンをくるくると回して考えてはいるが、どうも良いものが浮かんでこない。これはあれか、今まで関係ないからと先延ばしをしてきた、そのツケなのだろうか。

 実際、伊織が助けてきた人たちに名前を尋ねられても、適当に話題転換していたし。

 魔法少女名は、名が体を表すものだ。身近な例として挙げるのなら、一昔前には英雄などたった彼らの名前と、生まれてきた子供の名前の由来のそれと近い。

 だからこそ、下手な魔法少女名は沽券に係わる。


 ──その時、ふと伊織は思った。

 伊織のこれまでの、そしてこれからの人生を模るのだとしたら、あの名前が一番いい。


「──“魔法少女グレイ”。伊織さん、良い名前ですね」

「割と良い名前が浮かんだ、私自身が一番驚いている。これからは、魔法少女として会う時でもあったら、“グレイ”とでも、そう呼んでくれな」

「はい! 分かりました」


 そう言って蓮華は、大事そうに伊織がサインを書いた色紙を抱えるのだった。一番最初に書かれた初物とはいえ、新規新鋭というだけで有名な魔法少女グレイの色紙は、そんな価値のある物とは思えない。


 そんな時、ふと伊織自身が書いたサインが彼女自身の視界に入る。

 ──きっと私は、黒にも白にも成れない、そんな半端者グレイになるんだろうな、と。







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