第003話『彼女の名は──』

 ──血飛沫が上がる。



 それは人のものではなく、“ケモノ”と呼ばれる人類に対して敵対行動を取る生命体。その切り裂かれた体から溢れ出したものだ。しかも、その断面には一切の乱れがなく、おそらくは斬られたと感じる間もないままに絶命したことだろう。


「──ほんと、ちゃんとした武器があるとこうも楽とは。最初の戦闘の時とは雲泥の差だな」


 そう、まるで何気ない独り言でも呟きつつ、伊織は手にした鋼の刀を振るう。そして、斑点模様の紅き半月が、地面の上に浮かび上がった。


 本当に、馬鹿馬鹿しく思える。

 生半可の威力の技では、魔法使いという特攻対象となっても、何度か木刀で打ち付けないと倒せなかったものだ。それは、刀を振るったつもりだったが、どう考えても刺し傷か打撲による死因だったのだろう。

 しかし、伊織の自宅に保管してあった切れ味鋭い今の“日本刀”ならば、折らないように丁寧に受け流すで精一杯だったケモノによる一撃も、返す刀で切り飛ばせるようになったのだ。


「──、ふぅ」


 それに、日本刀を手にしたことによって、体を引き締めることができたのも大きい。

 遥か昔。武芸極めた侍たちは刀の柄を握ることで、そのスイッチが切り替わるのだ。日常を過ごすための機能から、相手を殺し生き残るための機能へと。

 そしてそれは、基本の心構えからの延長線上。

 それは覚醒。──極限にまで鍛え上げられた戦闘意思の制御法。

 

『子ヲ素! 子ヲ素!』

「やりにくいなぁ。見た感じ、あの分厚いのもあるけど、甲殻の材質が分からないからな。ぶった切るのに苦労しそうだな」


 最後の一体、巨大な甲殻に覆われたケモノの姿を伊織は見つめる。

 まず、その巨体故に先ほどまでのケモノと同じように、一体一撃で決めるのは不可能に近い。もしも、斬撃を伸ばすような《マホウ》があれば話は別だが、生憎と伊織が獲得したものはそれとは別種のものだ。

 そして、その強靭な甲殻による装甲は、下手な《マホウ》ですら無傷でやり過ごすことができるだろう。

 だが、伊織とこの甲殻に覆われたケモノとの相性は、悪いどころか逆に良い方だ。


「ま。態々甲殻を上を叩っ切る必要はない──」


 そう伊織が言う前に、彼女は甲殻に覆われたケモノとの間合いを潰しに掛かる。その速度は、先ほどの取り巻き達を切り伏せたものよりもずっと速い。

 しかし、それは所詮人間の速度でしかない。甲殻に覆われたケモノが竜哮を放つくらいの時間はある筈。


「はっ!! もう、遅い!」

『唖ッ、啞啞啞啞ァァァァ!』


 だが、それは伊織が与えた嘘の情報。

 伊織は甲殻に覆われたケモノが何か行動を起こすよりも先にその懐へと飛び込むと、彼女が振るうは二の太刀!



《柳田我流剣術、嵐》



 その伊織が振るった二の太刀が刻まれたのは、甲殻に覆われたケモノのその巨体を支えるがための重厚な足。勿論、普通に刀で切りつけただけでは無理だろうが、彼女の一撃は丁度甲殻のない部分を狙った二撃。これによって、甲殻に覆われたケモノは、地へと伏せることとなった。


「はっ! これで、終わりだ!!」


 ずしぃんと地に伏せる甲殻に覆われたケモノから抜け出した伊織は、まるで走り幅跳びでもするかのように着地をすると、軸足で反転。そのままの勢いのまま、彼女は手にした刀を再度構え直すと、再びケモノとの間合いを潰しに掛かる。


『尾ワ利ダ!』


 この距離では、碌に竜哮は使えない。そう思った甲殻に覆われたケモノは、竜哮ではなくその自信の巨体を支えるその足で潰そうとする。確かにこれだけの質量、人間の技と力、どれを取っても覆すことは不可能で、それをどうにかするには回避しか取れる選択肢はない。

 だが、それを回避した先に何がある。伊織に向けられるのが、ケモノの巨体によるものから、炎の波となって襲う竜哮に変わるだけだ。自体は好転するどころか、逆に悪化する始末。

 しかし、──。



《柳田我流剣術、砂嵐》



 ──白銀の刀身が、幾つも宙を舞い踊る。

 そう思った時には、既に伊織の姿は彼女自身が生み出した砂煙の中に溶け込んでいた。

 そして、踏み下ろしたケモノの足も急には止まれない。そのまま、砂煙ごと伊織を潰そうと、その足を叩き落とすのだった。


 ──しかし、それが悪手なのだと、ケモノはそう断じる。

 何故なら、ケモノ自身が振り下ろした足の上を、伊織はなんてことなさげに駆け上がっているのではないか。


「やはり、ケモノは獣だな。一瞬一瞬に迫る対応、そしてその、人には到達できない身体能力があれば、私なんて簡単に殺せるだろうな」


 だがしかし、それならば何故、ケモノの前に彼女はいるのだ?


「だけど、は予測していなかっただろう」


 そう、ここまでの伊織の動きは、甲殻に覆われていて碌に刃が断たないケモノの装甲において、唯一一撃にて倒せる首元へたどり着くためだ。


「──まじかよ……」


 先ほど、伊織が二閃叩きこむ前に竜哮のチャージをしていたのではないか。それを密かに溜めつつも、ケモノ自身の足ごと彼女に向かって炎の波は放たれた。

 一瞬にして消える伊織の姿。砂煙の時とは違うのは、それが彼女自身が放ったものではない上に、それは人を簡単に殺せる破滅への片道切符であった。


『尾尾尾尾ォォォォ!』


 叫ぶ、勝利の唸り声。

 あの瞬間、確かに伊織はこれから起きることを予期してはいた。しかし、それは身体能力が付いてきて初めて意味をする。

 伊織の身体能力は、他の成熟した魔法少女と比べてもなお凄まじい。だが、不安定な足場の上では、碌に踏ん張れずに持ち前の身体能力を活かせない。

 そう思っていた──。


「……。やはり、よな。だが、その未来は既に予測済みだ!」


 そう言って、伊織の姿はでもしていなければ不可能な位置、甲殻に覆われたケモノの竜哮が当たらない空中へと飛び去って行った。


 伊織の瞳が映し出した映像は、彼女自身が捨て身の竜哮を食らって塵となるもの。少なくとも、彼女が見た未来は自身が死ぬ未来だった。

 しかし、そんな結末は伊織が事で結果が変わった。


 ──そう、伊織の右目は未来を映し出していた。

 ありていに言えば、五感その他の情報にて未来を映し出す。そんな、とんでもない能力だと思われがちだろうが、実際のところは違う。

 伊織に見えても精々が五秒にすら碌に満たない不確定な未来のもので、現実との齟齬により碌に動けなくなるだろう。視界面も、思考面も。しかも、使い過ぎれば、その後の未来はきっと──。


 だが、今はそんなたらればの未来を見ている訳にはいかない。今、伊織が見るべきは、目の前に迫る好機。それを逃す訳には。


 いや、不可能だ。あの細い刀で甲殻に覆われたケモノの首を落とすなんて。最悪の場合、逆に伊織の刀が折られかねない。

 実際、それを甲殻に覆われたケモノ自身も知っているかのように、脅威だとは思っていないようで。


『啞啞啞啞ァァァァ!』


 しかし、ふと疑問に思う。

 先ほどまでの伊織の行動は、甲殻に覆われたケモノの予想を遥かに超えたもので。そんな彼女が、果たして意味のない行動を起こすのだろうか。

 だが、今見える伊織の行動がブラフの可能性、なし。

 ──不味い!


 そう甲殻に覆われたケモノが行動を起こそうとするよりも先に、伊織の体はケモノの首元へと着地した。

 振り上げるのは、一刀。

 だがしかし、たとえ伊織ほどの腕を持ったとしても、甲殻を裂断する事は硬度故に不可能に近く、同時に首を切断するには刃渡りが確実に足りない。

 ならば、──。


「──重ねて見せよう!」



《柳田我流剣術、二重》



 ──斬!



 その時、伊織の腕の凄さを見た。

 甲殻同士の隙間に刃を差し込むことくらい、難易度は高いかもしれないが不可能ではない。しかし、更に骨の間に刃を滑り込ませそれを寸分の狂いなく振るうなんて。しかもその二撃は、一つの斬撃にしか見えなかった。

 少なくとも、誇るに相応しい腕前。


『唖ッ──』


 そして、ずしぃんと鈍い轟音を立てて、甲殻に覆われたケモノは地へと伏せるのだった。


 辺りに広がる、ケモノが流した血の海。

 そんな血河の道を、只一人孤高に立つ者──伊織が刃を鞘に納めて歩むのだ。


「……、今からでもなんとか始まるまでには間に合うか」


 そう、伊織は学生であり、今日は何の変哲もない平日。

 そんな彼女からすればどうでもいい事を呟きつつ、伊織はこの場を去っていくのだった。

 そう、を置いて。






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