第一章『乙女ゲーの章』

第001話『日常』

 梓ヶ丘。

 かつてはこの豊かな国の中でも有数の繁栄した町だと言われていたのだが、今現在はそれ以上の熱気によって包まれている。


 海洋都市梓が丘は、元々とある目的にて建設された人工島らしい。しかし、今となっては、その面影が残るばかり。

 海面が上昇したことによってその形を大きく変えた梓ヶ丘は、昨今聞いた地球温暖化とやらが原因だそうだ。一説には可笑しな仮説も含まれているが、今は関係ない話なのでできるだけスルーの方向で。

 そして、この原因不明の海面上昇によって、梓ヶ丘も衰退の一途を辿るのかと思われていたのだが、政府の協力と元々の地の利を活かして更に繁栄したのだ。

 この事業を成功させた政府は、これをサンプルケースとして他の大都市の復興を行っているそうだが、あまりうまくいっていない。失敗例には、元々梓ヶ丘に似ていないとか大都市過ぎて空白が生まれてしまったといったものもあるらしい。

 そして、今は名だたる大都市を押さえて、梓ヶ丘が『ナウなヤングに人気な都市ナンバーワン』に選ばれるのだった。


 それで、何故この梓ヶ丘という都市が若者に人気なのかというと、この町がその他多数から見る表現の自由という奴に溢れている事だからだ。

 例えば、他の都市でもおしゃれをしている人は大勢いるのだろう。何しろ、おしゃれというのは、他人に見せつけるものだけではなく、自分自身で満足するものも含まれている。

 だが、実際のところは、TPOだけではなく暗黙の了解というか、公共のルール以外にも彼らは縛られている。おしゃれというのはあれど、粗を探せば見つかるぐらいには似ているという事だ。


「──あ~、暑い。梓ヶ丘は冬には過ごしやすいんだが、どうもそれ以外は暑い。これ、春夏秋冬じゃなくて、夏冬しかないじゃないかな」


 そう言って、特徴的な紺色の制服を着た女性生徒は、鞄から取り出した扇子で仰ぎながら道をてくてくと歩いていく。

 彼女の服装は、言葉使いと反して、とても規則的だ。

 その艶のある黒髪はショートまでに留めてあり、スカートの丈だって見えるか見えないかのギリギリのラインを見極めたものではなく、膝ぐらいまで伸ばしている。それに、装飾品は華美な物どころか黒縁の眼鏡以外碌にない。

 別に可笑しくない模範的な恰好ではあるが、同時にこの町にはとても珍しい恰好ともいえる。

 だが、この梓ヶ丘の町は、高低差がある立体的な街並みをしているのだが、それを物ともせず歩いていくのはこの町に慣れている証拠だ。例えばそう、憧れから下調べもなしに梓ヶ丘にやって来た人たちなんかは、立体的な迷路に迷うという恒例行事となっていたりする。


 そんな彼女の目的地は、この梓ヶ丘の中でも良いところの子供たちが高等教育を受けられる学園だ。

 名を『聖シストミア学園』というのだが、かなりの敷居が高い。それこそそれなりの裕福な家庭の生まれな上に、運動学力両面に優れていないと入れないそうだ。就職率もかなりいい上に梓ヶ丘にいられるという特典も付いて、偏差値はかなりのものとなっている。

 そして、今日は聖シストミア学園の入学式だ。

 そう思ってしっかりと準備をした彼女であったが、


「あ~、暑い……。──?」


 一瞬彼女は、一体何を見たのか。

 けれども彼女は、興味なさげに視界を逸らした。

 そして彼女はそんな言葉を置いて、スタスタと学園へと歩いていくのだった。


 ──浪漫に欠けるのは、どうか勘弁して欲しいものだ。

 基本的にというものは、大抵平凡で、日常的で、春の陽気のように回り出すものだから───。



 ♢♦♢♦♢



 令嬢──“柳田伊織”は、前世が男性な転生者だ。

 そして、伊織がこの世界で暮らしていく時間の中で、この世界が『花が散る頃、恋歌時』という通称乙女ゲーの世界と類似していることを知った。何故、前世が男性な彼女が乙女ゲーなんて知っていたのかというと、今は亡き(死んでいない)妹が夜中やっていたところを見ていたからだ。

 その『恋花』の世界で悪徳令嬢な彼女がかなり可愛らしかったのを覚えているので、この世界にやって来たと知った時にはかなり気持ちが高ぶったものだ。



 ──でも、令嬢に転生はないでしょう!?



 転生先が前世と同じ性別の男性だったらまだ気持ちが楽だったものを、女性つまりは令嬢となれば話が違う。名家と名家との繋がりのため、何処かの家の人と結婚しなくてはならないのだ。

 この事実も知った伊織は、男性と結婚という悲劇を回避しようと奔走するのだった。

 そしてその結果、未来を知っているという反則技を使ってまで金を荒稼ぎをした後、両親にこっぴどく怒られたものだ。


「……てっきり本土に戻されると思ってたんがな。一体、どういう風の吹き回しで駆け上がることができるんだか」


 そんな愚痴を呟きつつ伊織がたどり着いたのは、聖シストミア学園高等部。

 聖シストミア学園というのは、中高一貫というレベルではなく、幼稚園から大学までというとても長いエスカレーター式の学園だ。ただ、成績が足りなければ退学処分を受ける上に、編入生という猛者が入ってきたりするので、華々しい学園生活というものは在校生の大半が縁のないものらしい。

 そして、これは余談なのだが、『恋花』の主人公たる鈴野蓮華は高等部からの編入だったりする。


「あの、すみません。そこの鞄を肩に掛けた、黒髪ショートヘアーの貴女」

「……私か。それで一体、何の──」



 ──その時、私は自分の正気を疑った。



 尋ねられた伊織が振り向いた先にいたのは、茶毛のストレートを垂らした清楚な雰囲気の彼女。そう、件の『恋花』の主人公たる鈴野蓮華がそこにいたのだ。

 まさか、噂していると本人が目ざとくやってくると聞くが、心の中でも同様だったのか。

 そんないまいちどうでもいい事を思いつつも伊織は、蓮華の尋ねてきた理由をとても面倒くさいが聞くことにする。


「──、用ですか?」

「はい、クラス分けの用紙が貼られた昇降口が何処にあるのか分からなくて……」

「いや、クラス分けの用紙は昇降口に貼られている訳じゃなくて、校舎内の連絡用掲示板に貼られているからな」

「!! そうでしたか!」


 とても不安だ。

 蓮華が単純にこのまま最終目的地たる彼女自身のクラスにたどり着けるかといったものの他に、このセリフは攻略対象の一人である楓雅徹に、この場にて言うセリフの一つである。

 別にこのまま校門に蓮華を置いていくという選択肢もあるにはあるのだが、そのまま伊織に付いてきそうな気がするし、入学式早々に悪い噂はあまり立てたくはない。

 そして、どうするべきか悩んでいる伊織は、バレないような溜息と共に、そっとその覚悟を決める。


「……。私もまだ自分のクラスを確認していないからな。良ければ一緒に行かないか?」

「! あ、ありがとうございます。そう言えば、自己紹介がまだでしたね。私の名前は“鈴野蓮華”です。これからもよろしくお願いします」

「私の名前は、“柳田伊織”だ。よろしくな」


 そうして、伊織と蓮華は校内にある連絡用掲示板まで足を進める。


 この時既に、『花が散る頃、恋歌時』のストーリーと違うこの展開。それがどういった影響を及ぼすのか。どう関わっていくのか、まだ伊織は知らないでいる。



 /2



 まるで変な電波でも受信したかのようにふらふらと何処かへ行こうする蓮華を引き留めて、伊織はどうにかこれから通う教室へとたどり着く。

 ちなみに、何故伊織と蓮華が一緒にいるのかというと、校内の連絡用掲示板で互いのクラスを確認した時に同じクラスになったと知ったからだ。


「(しかし、『恋花』で柳田伊織なんて女子生徒、いたっけな?)」


 一々クラスの全員の名前なんて覚えている筈もなく、無理だと判断して伊織は自分の席へと座ろうとする。

 しかし、この教室にはかなり前からの知り合いかつ、『花恋』に登場する悪徳令嬢たる彼女がいることを思い出し、伊織は仕方なく彼女の元へと向かう事にするのだった。


「……!」

「……!」

「……!」


 別に伊織にとっては内容自体は関係ない話だったので聞くつもりはないが、如何やらかなり待つ羽目になりそうだ。

 『恋花』の登場人物の中では、彼女は確かに悪徳令嬢とそう書かれている。しかし、これにはちゃんとした理由があるので、今はかなり皆に慕われているみたいだ。

 だが、このままじっと待っているのは、伊織とて辛い。

 そして、一体誰と話しているのかと伊織が覗いてみれば、まさかと言うべきか案の定と言うべきか、彼女の姿がそこにはあった。


「あら? 見た事がない顔ですわね」

「は、はい! 今年から高等部へ通う事となりました、“鈴野蓮華”と言います。よろしくお願いいたします」

「これはどうも。私の名前は“カレン・フェニーミア”。これからの学園生活、お互い有意義に過ごしましょうね」


 そこにいたのは、先ほど離れた蓮華の姿だった。如何やら、騒がしい雰囲気に誘われて、と話すことになったみたいだ。

 そして、主人公たる蓮華と話している紅蓮の如く紅い髪を垂らして少し垢抜けた雰囲気の彼女が、悪徳令嬢になり得る可能性を持つカレン・フェニーミア。


 こう話していると仲がよさげに見えるかもしれないが、蓮華の方はともかくとしてカレンの方はあまり好ましく思っている訳ではないようだ。カレンからしてみれば、自分の領土に勝手な上に土足で入り込んでいるのだから、その気持ちも分からなくもない。

 ただ、好き嫌いは別として、会話は今も続いているみたいだ。

 蓮華の方は親しくなりたいという好意から、この学園の施設についてやカレンの好みについてなど。一方でカレンの方はというと、義務感からか適当に話題を上げている。


「……」


 だがしかし、二人の性格をある程度知っている伊織からすれば、きっと慣れ合う事は不可能なのだろう。そう結論付けるだけの、決して埋められない溝を彼女は感じ取るのだった。


「──伊織さん。おはようございます」

「おはよう、徹さん。優等生だと思っていたのに遅いんですね」

「少し、道を聞かれて案内していたんだ。──本当に初日から遅れなくて良かったよ」


 伊織が今後どうなるのか思いふけっていると、突然背後から声が聞こえて彼女は答える。これが知らない人のものなら誰かと確認するものだが、彼女にしてみればそこそこ知った仲な彼のものだった。

 彼はどうやら、優等生だというところを否定するつもりはないらしい。別にそれが嫌味にならないのは、此処まで家の権力だけではなく、己自身の努力で登ってきたからか。


 彼の名は、“楓雅徹”。カレンと同格の名家の生まれの次男。

 『花散る頃、恋歌時』において攻略対象の一人だという事で顔を覚えているのもあるが、それ以上に今世においてある程度の付き合いがあるからだ。主に、カレンの付き合いによって。

 そんな少々付き合いのある伊織からすれば、カレンと徹の仲は良いとは到底言えない。家同士の婚約という砂上の楼閣といった程度だ。

 それで何故、婚約者なカレンを差し置いて伊織が仲よさそうにしているのかというと、最初の出会いとそれからの日々が良かったという他ない。あまりにもな好感度の高さに、いつ乙女ゲーな主人公に成り代わるんじゃないかと気が気でなかった伊織なのであった。


「流石はお人よしだな。それで、一体誰をまた堕としてきたんだ?」

「堕としてなんかいないよ、ただ困っていた人を助けただけさ。確か、茶色の髪をした彼女──」


 あれれ、可笑しいぞぅ?

 思考が幼児化するほど、伊織は悩んでいた。

 おそらく、徹が助けたという彼女は、今人混みに隠れて見えないのだろが、鈴野蓮華な筈だ。『恋花』のシナリオとは違うが、彼の口ぶりからするに道中困っていたところを助けたのだろう。

 そう、『恋花』のシナリオとの違う点が、徐々に伊織の周囲で発生しているのだ。彼女からしてみればあまり関係のない話だが、もしかしたらとある分岐点から別のルートでも進んだのかもしれない。

 と、伊織が思考している束の間、更に正規ルートから外れていく。


「あれ? 貴方は……」

「あっ!? 朝の人!」


 やはり、伊織の考えは正しかったようだ。


「何だ、やっぱり知り合いなのか」

「はい、此処に来る途中に助けて貰ったんです。その節はどうもありがとうございました」

「いいや、礼を言われる筋合いはないよ。それよりも聞きたいんだけど──」


 いつの間にか疎外感に浸る伊織ではあるのだが、同時にこうも思うのだ。

 この世界は、一体何なのか、と。

 確かに、伊織はこの世界を『花散る頃恋歌』という乙女ゲーな世界だと思っていたのだが、果たしてそれは事実なのだろうか。だがしかし、それを確認する術は、この世に存在していない。

 そして、『恋花』の相違点についてだ。少々、荒稼ぎなどをしたにせよ、それほど世の中に影響を与えてはいないと伊織は思う。人一人分の行動だ、大した影響はでていないのだろう。


 これから始まる入学式、そして聖シストミア学園の日常で、伊織は今現在無意味にも考えずにはいられなかった。






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 お疲れ様です。

 感想やレビューなどなど。お待ちしております。


  あと、少しでも面白い、続きが気になるなどありましたら、星やフォローなどをくれるととても嬉しいです。


 一番最初の印象と違ったと思ったら、一応近況ノートへと行く事をオススメします。

 あとは、二章後半から動き出します。

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