スタンドアップ・ボーイズ! サードステップ

和泉茉樹

スタンドアップ・ボーイズ! サードステップ

     ◆


 汗の匂いとオイルの匂い、それとかすかな香水の匂い。

 あまりいい気分じゃない空間だが、落ち着く空間でもある。

 全てが懐かしい。

「行くぞ、オリオン」

 無線機からノイズ半分のダルグスレーンのひび割れた声がする。いかにも気分上々、少年みたいな陽気な口調だが、俺も彼ももう二十代だ。落ち着きという奴が実在するとして、いったいいつ、俺たちの元へ転がり込んでくるやら。

「オーケー、始めよう」

 答えながら俺は両足をペダルの上でわずかに動かし、二本のグリップを握る。

 俺が乗っているのは二足歩行ロボット、スタンドアッパーの中でも一世代古い第二世代モデルのサーヴァントⅡ型。

 一方、スクリーンに映るのはやはり第二世代モデルのスタンドアッパー、パワーウイングⅧ型だ。それには今、ダルグスレーンが乗っている。

 サーヴァントⅡ型とパワーウイングⅧ型は同じ第二世代モデルでも製造年に大きな開きがある。サーヴァントⅡ型は第二世代の中でも初期タイプなので、足も逆関節だし、胴体の輪郭がずんぐりしてる。

 一方、パワーウイングⅧ型はといえば、人間に近いシルエットだ。二・五世代モデルなどと呼ばれた機体でもあった。

 今、その二機のスタンドアッパーは太い綱で右手同士を結びつけ、距離は十メートルほど離れている。

「ゴングはないぜ」

 無線機から鋭い声が聞こえるより先に、パワーウイングⅧ型がぐっと右腕を引っ張る。綱が張り詰め、引きずられてサーヴァントⅡ型がつんのめりそうになる。

 でも俺はまったく冷静だったし、この機体のことを知り尽くしていた。

 俺のもう一つの体でもある。

 ペダルの踏み込みは最適で、即座にいくつもの操作を行っている。両手ではハンドルが細かく奥に手前に捻られ、付属のレバーが複雑に押し込まれ、弾かれており、足元では両足がクラッチペダルを軽快に上げ下げする。

 結果、サーヴァントⅡ型はぐっと腰を落として重心を低くし、パワーウイングⅧ型が身を捻って強引に綱を引っ張る力に拮抗した。

 むしろ瞬間的に機体を傾ける動きで全体重を綱にかけ、逆にパワーウイングⅧ型を引き寄せさえした。

 それが狙いだった。

 ダルグスレーンは焦っただろう。パワーでは自分の機体の方が有利なはずなのに、逆襲されている? そこで奴は思う、綱にかける力を緩めれば、サーヴァントⅡ型は勝手にひっくり返るのでは。

 案の定、ダルグスレーンは機体からわずかに力を抜いた。

 その手に乗るものかよ。

 今度は俺の番だ。

 サーヴァントⅡ型の腕をロック。

 ほんの短い時間、どちらからも引っ張られなくなった綱が緩む。

 これも誘導。ダルグスレーンは今度こそ俺の罠にはまったと思っただろう。

 パワーウイングⅧ型がまた綱を引っ張る。サーヴァントⅡ型はわずかに抵抗、その後、即座に身を乗り出す。

 ほとんど前に飛び出す姿勢だが、これはパワーウイングⅧ型の失策だった。

 引っ張った綱は何の抵抗もしなかった。勝手にパワーウイングⅧ型の機体が後方へ倒れ込みそうになり、一歩、二歩と器用に足を後ろへ送ったのはダルグスレーンの操縦ではなく、オートのバランサーによるものだろう。

 バランサーが仕事をしなければ、今頃、パワーウイングⅧ型は尻餅をついていたはずだ。

「俺の勝ちだな」

 無線機に声をかけながら一応、俺は足元を確認した。

 サーヴァントⅡ型の足元、そしてパワーウイングⅧ型の足元には円が描かれている。この円からはみ出せば負けというルールだ。もちろん、転倒しても負け。

 これはスタンドアッパーで様々な種目を競い合う地方の賭けゲーム、ハッキンゲームの一種目の練習だった。

 綱引きなどと呼ばれる競技だけど、実際はもっと長い名称がある。

「お前が出場しろよ、オリオン」

 ノイズのせいで苦々しさ五割増しのダルグスレーンの言葉に「仕事があるんだよ」と答える。その間にも俺はサーヴァントⅡ型のモニタリングをしていた。骨董品な上に骨董品で、祖父が経営する整備工場シュミット社の貴重な備品なのだ。

 一応、許可を取ってこうしてダルグスレーンの練習に付き合っているが、もし破損したらとんでもないことになる。

「なあ、オリオン。お前の操縦テクなら誰にも負けないんだぜ」

「でも興味ないね。仕事の方が面白い」

「そんなもんかね。なあ、何か、コツがあるのか?」

 その無線機からの質問に、俺は過去を不意に思い出していた。


      ◆


 あれは中学生の頃だった。

 俺はどこにでもいる平凡な中学生だったが、ただ祖父の元ですでに機械いじりをしていたし、両親がほとんど不在の環境にいる、というような奇妙な部分も確かにあった。

 その両親の片方、母親が久しぶりに帰ってきたのは秋も深い頃で、しかし彼女は作業員のような深緑のつなぎを着て帰ってきた。

 まるで出稼ぎ帰りの作業員だが、事実、出稼ぎの帰りだ。

 祖父はそっけなく相手をして、母はしかしニコニコしていた。

 母がいないところで、祖父は母を「戦闘狂」とか「破壊神」とか変な表現をしていたが、本人には口にしたりはしない。

 母、ダイアナ・シュミットは傭兵だった。

 スタンドアッパーで戦場を駆け抜ける、といえばかっこいいし、美しくすらあるけれど、母は一度も俺にそんな話はしなかった。

 むしろ「戦場にいると心が荒む」というようなことを繰り返したものだ。

 何はともあれ、母は帰ってきて十二時間、たっぷり眠り、それからしっかりと食事をして、俺が学校から帰ってくるのを万全の態勢で待ち構えて、帰宅した中学生の息子を連れて工場の裏手に引きずり込むのだった。

 こうして俺にとっての地獄が始まる。

 基礎的な筋力トレーニングの後、超実戦的な格闘技の訓練。母が使う格闘技は名前があるのかないのか、よくわからない。母の口からは「マーシャルアーツ的には」とか「ジークンドーにおける」とか、妙な表現で解説がつくが、彼女は理屈を重視しない。

 とにかく相手を倒す、それに特化しているのだ。

 なので俺は一応、最低限の防具をつけるけど、殴りつけられ、蹴りつけられ、投げ飛ばされ、そして腕や足を極められる。

 暴力に次ぐ暴力なのだけど、いつの間にか慣れるのが怖い。

 いや、訓練なら暴力じゃないのだろう。そう思うよりない。

 そんなことを二時間もして、休憩になる。夕食じゃない。小休止だ。すでに日は暮れている。

 夜の闇の中で、俺は工場で使っているサーヴァントⅡ型に乗せられ、母はそれを多機能端末で撮影しながら無線で指示を飛ばす。

 俺はサーヴァントⅡ型でありとあらゆる動きをしたものだ。

 この頃にはすでにスタンドアッパーを用いる雑技団が存在したけれど、もし俺が志せば、今頃、彼らに混ざって世界中を旅していただろう。

 何はともあれ、俺は母親に罵声を浴びせられまくり、クタクタになって操縦席から出る。今度は母が俺の代わりに操縦席に入り込み、「よく見ていなさい」と俺がどうやってもできなかった動きをしてみせるのだ。

 彼女が一通りの演武を終えると、どこかくたびれた様子のサーヴァントⅡ型が膝を折り、優雅に女傭兵が降りてくる。

 俺は何度か聞いたことがある。

「何かコツがあるわけ? 経験則というか、そういう奴」

 その質問を向けられると、母は肩を竦めて簡単に答えたものだ。

「コツなんてないね。直感、センスってことかな」

「センス?」

「第六感。だってそうでしょう。スタンドアッパーを自分のものにするのは、五感のどれとも違うんだから。あなたにもあるはずよ、オリオン。私の子どもなんだから」

 そんなものは都合よく存在しないと俺は思っていた。

 母はほんの二週間で去っていき、次に戻ってきたのは冬。

 二週間の滞在で姿を消し、次は春だった。

 俺も小学生の頃は母が無事に戻ってくるのか、不安で不安でたまらなかったものだが、この頃にはそんな思いも消えていた。

 母のスタンドアッパーの操縦技能を目の当たりにすれば、そんな不安は消し飛んでしまう。

 世界の誰よりも器用な操縦士。

 第六感を堂々と公言する自信家。

 何よりも子である俺さえも心を打たれる、あのまっすぐな視線。

 俺は母がいない間にも、時間を見つけてスタンドアッパーに乗るようになった。サーヴァントⅡ型の操縦席には母の気配が漂い、それが香水の残り香だと気付いたのはいつだっただろう。

 そんな匂いとは別に、何かしらを共有しているような感覚がある。その正体とは何だろう。

 スタンドアッパーなどの整備の技術を学びながら、一方で操縦技能を磨くというのは、はっきり言って困難だった。それが成立したのは、一つは、両方の教師が身近にいたからだ。

 機械整備は祖父、そしてたまに戻ってくる父が教えてくれた。

 操縦技能は母が教えてくれた。

 俺が育った環境は、確かに歪んでいたし、不自然だったけれど、ある種の充足を俺に与えていたのは事実だ。

 俺が何者になるにせよ、道は用意されていた。

 大人たちは俺をしっかり育ててくれたことになるだろう。

 中学二年の初夏、母が帰ってくる予定の日に、俺は少し早くスタンドアッパーに乗り込み、母に披露する演武を練習していた。

 サーヴァントⅡ型の調子は悪くない。反応もだ。昨日、念入りに整備しておいて正解だったと感じた。手応え十分。

 一通りの動きを終えた時、不意に鼻先に甘い香りがしたように感じた。

 機体を直立させ、反射的に周囲を見る。

 スクリーンの映像に一人の女性が映っている。

 バックパックを背負って、いつも通りの深緑のつなぎで、今は上半身はそれを脱いでタンクトップになっている。腰のところで袖が結ばれていた。

 久しぶりに見る母は、やはりいつも通りだった。

 俺は機体に膝をつかせて、操縦席を開放した。

 外へ出ると風が涼しくて、心地いい。

 母がすぐ足元まで来て、親指を立てた拳を突き出してくる。

「いい動きをするようになったな、少年」

 思わず俺は笑っていた。

「第六感は、まだ降りてこないけどね」

 すぐ降りてくるさ。

 母はそう言って満面の笑みを浮かべた。



(了)

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