23_お姉さんに会えない その2
いくつかの寄り道を経て、やっと病院にたどり着いた。
やっと予約ができるようになった状態だ。いつになったら医者に会えるのか。
相変わらず巨大な建物だった。
大学病院とはどうしてこう建物が大きいのか。
病院の受付で予約をしている最中に、受付の近くの廊下で見たことのある医者とすれ違った。恐らくお姉さんの担当医の一人だ。
「あなたは!」
「?」
メガネをかけて悪い意味で少しインテリっぽいその若い医者は「何?」という具合に疑問の表情を浮かべた。俺が呼びかけても特に声は発せず、表情だけで返事をした形だ。
「
「……あの、失礼ですが、どのようなご関係で?」
インテリ医者は
「旦那です!」
「……」
インテリ医者はしばらくまじまじとそのコピーを見た後、口元を指で隠すような仕草でしばらく考えた後、「この後、お時間ありますか?」と聞いてきた。
俺は「もちろん!」と答えた。
案内されたのは長机がロの字型に組み合わされて置かれた部屋。
椅子は30脚くらいはあるだろうか。部屋の前方には大きなホワイトボード。
普段ちょっとした会議などに使われている部屋かもしれない。
「どうぞ」と掌で指して椅子の一つを示した。俺もすぐさま座って「それで…」と早速話を切り出した。しかし、むしろ積極的に話し始めたのはインテリ医者の方だった。
「本来、僕はこんな危ない橋は渡りたくないんですよ」
「?」
話のスタートしては全く要領を得ない。何の話なのか分からない。
「本来、プライバシー保護の観点から、間違いないご家族にしか内情はお話しできませんし、病状についてはご本人以外はご家族でもお話していません」
そういう事か。このインテリ医者でも内容は話してもらえないという事か。
家族でもダメって、急な入院とかの場合、普通はどうやってるのか!?
「その婚姻届けのコピーをコピーして渡していただいた上に、あなたが桜川さんの旦那さんだと一筆書いていただけることを条件に、僕は桜川瑚々乃さんについて話しましょう」
婚姻届けのコピーなんて渡しても問題ない。一筆とやらも書こう。
ここまでの苦労は無駄じゃなかった。俺はとにかく医者の話が聞きたいんだ!
***
今度こそ、やっとお姉さんの病気について話が聞ける。
「どうなんですか?お姉……妻は?」
「昨日から、ICUに入りました。ご家族の方でも面会謝絶です」
どうもあのまま目は覚めていないらしい。状態も良くないのだろうか。
「すいません、お医者さんから直接病状の説明をいただきたくて」
インテリ医者はメガネのブリッジ部分をクイと上げると、事前に準備していた資料を机の上に並べ、お姉さんの病状について話してくれた。
お姉さんの頭の中には大きな腫瘍があり、それが成長し続けているとのことだった。
一般的な治療法は、外科手術、薬物治療、放射線治療などがあり、重粒子線治療など先進医療の道もあるらしかった。
ただ、腫瘍の場所が悪く、外科手術の場合は障害が残る可能性が高い。放射線治療も脳に対する副作用の可能性が高く得策とは言い難い。重粒子線は先進医療なので治療費が高く払えるか含めての検討が必要とのこと。
……全く分からなかった。
「すいません、中学生くらいの子にも分かるように言ってもらえますか?多少誤解が生じても責めませんので」
「……要するに普通の治療法では後遺症が出る可能性が高いです。腫瘍が取れても立てなくなるとか。そして、ご本人は障害を負ってまで生きることを希望していません」
そうなのか。確かに、自分が障害を何らかの持つという未来は受け入れがたいだろう。他に治療法はないのだろうか。
「先進医療ってのはなんですか!?」
「それは保険適用外の治療のことです。文字通り「先進」の治療なので、保険がおりません。全額自己負担なので、重粒子の場合はざっくりですが1クールで300万円くらいかかります」
ドラマとかでたまに出てくる「治療にお金がかかる」というのはこれか!
保険が利かない最新式の治療方法なので、費用が高い。理解できる。
その点、お姉さんはお金持ちだから、300万円くらいはすぐに出せるだろう。
ただ、その内容をお姉さんが病院に伝えていない場合、医療費が高額だから先進治療を受けないかもしれないと思うかもしれない。
「それでその先進医療を受けたら治りますか!?」
「彼女の場合は、根治……完全に治ることは難しいでしょう。既にこの病気を1年近く放置していますし……」
最悪だ。治らない、という事か。
「ただ、病気の進行をできるだけ止めて、QOLを高めることはできる可能性があります」
QOL……なんだQOL。普通の言葉なのだろうか。ここで聞いても恥ずかしくない言葉だろうか。普段の俺なら分かったふりをして流しただろう。ただ、お姉さんのこととなると、全部知っておきたい!俺は恥を忍んで聞いた。
「すいません、QOLってなんですか?」
「おっと、失礼。クオリティ・オブ・ライフ。手術後の生活の質のことです。この場合は、病気がなかったことにはならないと思いますが、できるだけ腫瘍を取るようにして、できるだけ退院後の生活に響かないようにしましょう、という事になります」
意外にも分かりやすく説明してもらえた。
メガネのインテリ医師は嫌なやつだと最初に勝手に思ってしまたけれど、意外といい人かもしれない。こうして時間を割いてくれているのもその一つだし。
「奇跡的に完全に治るという可能性は……?」
「僕は医者です。奇跡なんて起こせません。そんなの約束できるのは医者じゃない」
力が抜けた。頭が重たい。俺は脱力で
お姉さんが完全に治ることはないのだ。
インテリ医師が椅子の背もたれに体重をかけると椅子がギュウ、という音を立てた。ふんぞり返って腕組みをしていた医者はもう一度、メガネのブリッジを指でクイっとあげると話を続けた。
「僕だって、桜川さんには元気になってもらいたいと思っています。正直、これまでの桜川さんは生きる希望を持っていないような目をしていました。治療のお話にもまるで興味が無くて……」
インテリ医師はインテリ医師で、お姉さんのことは考えてくれていたみたいだ。
ただ、一見イヤミがありそうな見た目と態度の悪さで多くの誤解を受けてそうだ。
「手術は僕らで全力を尽くしますよ。ただ、桜川さんの『生きたいという気持ち』は医師ではどうしようもない。旦那さんである……んー、
インテリ医者は、俺が渡した婚姻届けのコピーを見ながら俺の名前を呼んだ。
ほら、めちゃくちゃいいひと。ただ、その表情が苦虫かみつぶしたみたいな表情なんだよ。絶対この人、色々損している。
「お姉さんに……妻に会えませんか?」
「……確認してみます」
30分ほど待たされたが、ICUに入れるようになった。
現在ICUにはお姉さん一人しか入っていないことが幸いしたようだ。
それと、手首から先の消毒、ゴム手袋着用、医療用マスク着用、防塵服の着用が条件だった。
お姉さんに会うためなら服が多少面倒くさくても気にならない。
「ぜひ、お願いします」
俺は、今にも「チっ」とでも言いだしそうなほど片方の口角が上がっているインテリ医者の方をしっかり向いて言った。
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