24_俺たちのハッピーエンド

態度の悪いインテリ医師のお陰でICUに入ることができた。

俺が病院の受付に着いてから既に2時間が経過している。

服装はガス兵器でも扱う人のような重装備だ。防塵服って初めて着たけど暑い。


マスクも医療用のマスクで息苦しい。透明のゴーグルも付け、ゴム手袋の姿。

正直、パッと見ても俺だと分からないだろう。



『ICU-集中治療室-』



と書かれた扉の中にはビニールのカーテンで仕切られたベッドが6床あり、その1床だけが使われていた。それがお姉さんだろう。


口には透明の酸素マスクがゴムで固定され、周期的なシューシューという事をさせていた。ピッピッと脈拍計と思われる音もしていいて、ドラマで見る「重体の人」が目の前にいた。

そして、それがお姉さんだったことで俺はショックを受けた。



「手を握ってあげて、声をかけてあげてください。無意識でも聞こえていることがあります」



インテリ医者は眉を段違いにして怖い表情をしているけれど、言っていることは優しい。

表情でも絶対損をしているんだろうな、と思ってしまう。


俺はお姉さんを見た。左手の人差し指の先にはクリップみたいなのが付いていて、そこから装置に線がつながっていた。

腕には血圧計の帯が巻かれていて触ったらいけないような気がした。


右手の方に回り込み、手を握り声をかけた。



「お姉さん、来ました。聞こえますか?ちょっと色々あって時間が空いてしまったけど」


「……」



無言で目を閉じたままのお姉さんは、本当にきれいで、整っていて、精巧にできた人形のようだった。

口に当てられた透明な酸素マスクは、周期的に白く曇り、お姉さんが呼吸をしていることを示していることだけが、彼女が生きていると感じさせる事象だった。



「(ちくしょう!こんなの全然ハッピーエンドじゃない!戻れよ意識!そして、もう一度笑ってくれよ!)」



ここは、俺の一声で、お姉さんの意識が戻って、病気は完全に治って、俺とイチャイチャ生活が始まるのがハッピーエンドってもんだろ!


神様でも仏様でもいいから、そんな感じの物語にしてくれよ!

俺の命が必要だったら、お姉さんのために半分くらいなら使っていいから!

2人の寿命が半分になってもいいから、お姉さんと一緒に過ごさせてくれ!!


俺はお姉さんの手の甲に額を付けてとにかく祈った。

信仰している神様なんていないけど、とにかく思いつく限りの神様と仏様に祈りまくった。



……残念ながら奇跡は起きなかった。




お姉さんの意識は戻らなかった。

俺は別室に移動して防塵服を脱いだ。

すぐ横でインテリ医者も防塵服を脱いでいたが、脱ぎながら話しかけてきた。



「中々、よかったと思いますよ?ドラマとかだと呼んだらすぐに目を覚ますんでしょうけど、あんなの作りものですからね」



めちゃくちゃ良いこと言ってくれているけど、眉間にしわが入りまくっていて顔が怖い。絶対外見で損してるよこの人。



「明日からは看護師でも対応できるようにしておきますから、可能なら来てください」


「毎日でもいいですか?」


「毎日なら、なおのこといいですよ」



インテリ医者はニヤリと笑った。笑顔も絶望的に悪い。

だけどこちらへの気遣いだけはすごく良い。



「あくまで個人的な意見だと思ってお聞きください。僕はね、この昏睡は一時的な物だと思っているんですよ。MRIの結果を見てもCTの結果を見ても、大脳半球や脳幹への影響があるほどの腫瘍拡大は見られませんでしたし……」


「……」



俺のポカーン顔に気付いたのか、一旦説明を止めた。

目線だけ横に動かして少し考えたのち、再び説明を始めた。



「画像検査で腫瘍の大きさを見たけど、1年前と比べて劇的には大きくなっていないってことです」



分かりやすい!説明も上手。ただ、眉が段違いになっているので顔がめちゃくちゃ怖い。



それから何日か通って、病院から連絡があったのは3日目のお見舞いを終えてお姉さんの部屋いえに帰った後、夜のことだった。


お姉さんが目を覚ましたが、状態は安定しているので心配はないとのことだった。

その代わり明日病院に来て、今後のことを話ししましょう、と伝えられた。



***



翌日、病院に行くとお姉さんは一般病室に戻されていた。

元々、不測の事態に備えて用心のためのICU入りだったらしく、呼吸も脈も安定していることから様子見ではあるものの普通の病室に戻されていた。


一応、あのピッピッ、とうるさい脈拍計と時々ブーッ、と音がして血圧を計る血圧計はつながったままだった。


病室に行くと、お姉さんがベッドに横になっていた。



「あっくん……」


「あ、そのまま横になってて」



俺の声を聞いて起き上がろうとしたお姉さんに声をかけて横になったままでいてもらう。

正直、詳しく病気について知らない俺にとっては腫れ物に触るようなものだった。

何をしたらいけないのか、どうなってしまうのか、詳しくは知らないのだから。



「気分はどう?」


「んー、普通。寝すぎて身体が少しだるいくらい」



いつものお姉さんだった。

声の感じも元気で少し安心した。



「あっくん、心配かけたね。ごめんね」



また「ごめんね」だった。俺は「ごめんね」が嫌いだった。

でも、ごめんね以外に俺はどんな言葉を聞きたいのか。それも分からないでいた。



お姉さんは「ちょっとだけね」と言って、ベッドのリモコンで上半身を起こした。

座っているお姉さんと目が合って、益々安心した。顔色も普通にいい。



お姉さんはベッドを椅子状にして座った状態で、太ももの上に置かれた手で爪を触ってもじもじしていた。

しばらくして、ふーーー、と長く息を吐いたら「あっくん」と下を向いたまま話し始めた。



「あっくん、ごめん。もう、潮時みたいだね。もう、お金もおうちも全部あげるから。あのね、手続きはほとんど終わってるの。1週間くらいで弁護士先生から書類が届くからサインして送り返してね」



ここに来て拒絶。悲しみと怒りの感情が同時にわいた。



「お金もうちもいらないから、俺はお姉さんが傍にいて欲しい!」



ちょっと声が大きくなったのもあって、お姉さんがびっくりしてた。



「お姉さん、俺と結婚してもらえませんか?」



目は見開かれ、驚いている表情だ。

ただ、次の瞬間目をそらした。そして、頬には一筋の涙が流れていた。

俺はめげずに言葉を続けた。



「どんな風になってもいいから。治療も一緒に考えるから。たとえ寝たきりになっても絶対死ぬまで面倒見るから。治療を受けて最大限、悪あがきしてみない?」



お姉さんの閉じられた瞼からは涙が流れ続けた。

口元はヒクヒクと涙をこらえているのが分かる。

脈拍を示すピッピッ、という音は、来た時よりもピッチが早くなっていた。



「あと、ここに来るためにもう婚姻届けを出してきたから、今更断られても手遅れなんだ」



泣きながらぷっ、と吹き出して笑ったお姉さんの表情の変化は忙しそうだ。

俺は勝手に同意したと判断してお姉さんの左手を手に取る。


クリップがついている人差し指の線が外れないように注意して、薬指に用意していた指輪をはめた。

いつかショッピングモールでお姉さんと一緒に見たあの指輪だ。



「残ってたバイト代、全部はたいて買ったんだ。もう一文無しだからお姉さんが元気になってくれないと俺、生きていけないから……っていう脅迫も準備してきたんだけど……」



石がついているので、結婚指輪じゃなくて婚約指輪だけど。

既に婚姻届けを出しているのに婚約指輪。

とてもバカバカしい。色々順番が間違えている。

またお姉さんが噴き出した。涙もまだ止まっていないのに。



「あっくん、ありがとう。……どこまでいけるか分からないけど、私がんばってみる。あっくんが生きていけないと困るもんね……」



しょうがないなぁという感じで、涙をぬぐいながら少しだけ笑みが漏れているお姉さん。その瞳には、確実に意志のような物があった。

お姉さんは俺と一緒に病気に立ち向かっていくのだ。 



***



時は流れ、1年が過ぎた。

あれから治療が始まったけれど、全ての治療にはすごく時間がかかった。

検査だけで2週間かかり、お姉さんの治療方法も俺とお姉さん、そしてインテリ医者の3人で話しあった。


幸いお金はあったので、治療方法の選択肢は「より良い治療効果が期待できるもの」という基準で選ぶことができた。


複数回の手術、薬物治療など複数の治療方法が行われ、入院期間も半年を過ぎた。

その上で、麻痺が残った部分のリハビリも行い、何度か挫折しそうな場面もあった。まだ、完全ではないけれど、とりあえず、一息つくのに1年かかったという訳だ。


やっと戻ってこれたお姉さんの部屋いえ

今朝は、お姉さんではなく、俺がフレンチトーストを作った。


お姉さんも病院での生活が長くなってしまったので、朝は早く起きる習慣が染みついていた。ちなみに、病院の朝は6時に部屋の電気が点くのでほとんどの人はそれで目が覚める。


テーブルについて皿の上のフレンチトーストを一口大に切り分け、口に運ぶ俺の愛しいひと

一時期、髪の毛は薬物治療の副作用でかなり抜け、艶もなくなっていたけれど、肩くらいの長さまで戻ってきていた。

最近では、以前よりも髪の長さは少し短いけれど、ふわふわの感じも輝くような艶も戻りつつあった。



「あっくん、このフレンチトーストちょっと甘すぎないかな?」



俺はぶっ、と吹き出してしまった。

以前は、これにさらに、はちみつをかけて食べていた人がなにを言っているのか。


確かにこのフレンチトーストは、一般的な物よりもかなり甘いはず。

ただ、俺が初めて食べたフレンチトーストはお姉さんが作ったこのフレンチトーストなのだ。



「砂糖が多すぎないかな?病気になっちゃうよ?」



お姉さんがそれを言うか。ついこの間まで入院していたのはどこの誰だったか。

どこからツッコんだらいいのか。



「今度、ちゃんとレシピを教えてよ」


「いいけど、クックパッドとか見ただけだよ?」



いやいや、それだけではあの甘さにはならない。

俺が作ったのだって、普通のレシピの3倍は砂糖が入っているのだから。



「でも、お姉さんこだわりの部分とはあるでしょ?」


「そりゃあ、ちょっとはね。女の子だし?」



何故かちょっとどや顔のお姉さん。


お姉さんの心では今何歳くらいなのだろうか。

数字で言うと28歳と答えるのだろうけど、実際の心の年齢はそれよりも若くも思える。ただ、それが病気によるものなのか、おねえさんの性格によるものなのかは誰にも分からない。 



「今日も公園にお散歩行く?」


「うん、そのつもり。昼までには大学の課題を終えてしまう予定だから」



お姉さんのリハビリも兼ねているし、地域猫の「クツシタ」にもエサをやりに行かないといけない。

大学は講義を受けるのはオンラインだから、都合のいい時間に受けられる。昼までやったらあとは夜にやればいい。



「うわー、頑張ってるねぇ。確かもう2年生の授業やってるんでしょ?」


「元々社会人向けの大学だから、俺には時間がたっぷりあるし、やれるときにやっとこうと思ってさ」


「そんなに頑張ったら3年くらいで卒業できちゃんじゃないの!?」


「一応3年半で全部の課題を終わらせる予定~」



別に急いではないけれど、折角トライさせてもらってるのだから、全力でやりたいと思っている。

まだ将来何になりたいかは決まっていないけど。


お姉さんの治療は一区切りついたけれど、まだまだ定期検査もあるし、再発する可能性もあるらしい。そもそも腫瘍だって全部取り切れてない。微妙な部分を切るというのは脳という特殊な場所であることから「切るリスク」もあるのだ。


ただ、目の前にお姉さんがいる。そして笑ってくれている。俺はそれだけで十分だ。

俺の心はずっとお姉さんに囚われたまま。幸せの「監禁」かな。


そして、生きることを諦めていたお姉さんは俺に囚われて、無理やり生かされている。お姉さんが死ぬと俺も生きていけないと「脅迫」までしたし。



俺の、いや、俺たちのハッピーエンドはもうすぐだ。

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