21_お姉さんの告白

お姉さんがベッドの上で座っていた。

病院のベッドにはリクライニング機能があり、ベッドを椅子のようにして横になっている状態だ。


白いベッドと白い掛布団。

部屋の中も白を基調として、据え置き型の家具だけが木目調になっていた。

全体的に落ち着いた色使い。

ここが病院だという事が嫌でも思い知らされる。

お姉さんは個室に入ったので同室の人に気を使う必要はなかったが、お姉さんは静かに横になっていて、騒がしさなんて微塵もなかった。



「お姉さん、聞かせてもらえますか?」


「……」



俺が腰かけていたベッドの脇に置かれた折り畳み椅子がギシ、と音を立てた。

いつもの亜麻色ふわふわのお姉さんの髪は外からの光に反応してきらきらしていて、こんな時に不謹慎だと思いつつもきれいだと思っていた。

お姉さんは小さくため息をつくような仕草の後、観念したように口を開いた。



「私、病気なんだって」



探偵から聞いていた情報は正しかった。

俺はその程度が予想よりも軽いと語られるのを期待した。

状況を見る限り、心の底ではそれはないと思いつつも明るい未来を期待したのだ。

その期待に反して絶望的な言葉がお姉さんから紡がれた。



「多分、もう1年とか……そのくらいだって。早ければ3か月とかも言われたし……」



座った状態だったが、天頂がぐるりと回ったのを感じた。

眩暈がして目の前が真っ暗になるとはこういう状態のことだったのか。

お姉さんは、一番重要なことを言った後だったので、少し肩の荷が下りたのか、苦笑いにも似た表情を浮かべながら補足の説明はするすると言葉が出てきた。



「病気自体は割とメジャーなものなんだって。ただ、私の場合は頭の中にできちゃったみたいで、記憶が病気に置き換わっていく感じ……運動機能の部分に来たら動けなくなっていく感じ……みたい」



「治療法は!?」と聞きたかったけれど、そんなことは当然聞かされているのだろう。

ただ、絶望しているところから旗色が悪い状態なのは容易に察することができた。



「私ね、忘れちゃうの。そして、あんまり人と接してこなかった分、私のこともみんなから忘れられちゃう……私が生きた証って何も残らないの」



お姉さんの場合、発売した本だってあるけれど、人とのつながりについては働きすぎたと言っていたから、深いつながりの人がいないのかもしれない。

いや、まさか本のことを忘れているという事はないよな、と一瞬本気で疑ってしまった。



「少しずつ壊れていく自分が怖かった……『忘れる』っていつか思い出すかもだけど、私の場合、病気に浸食されて『無くなる』だからもう二度と思い出すことはないらしいの」



マンガやドラマなどでは記憶がなくなっても、最後は記憶を取り戻しハッピーエンドだ。

少なくとも俺の知っている物語はそうだ。

俺の物語はいつからこんなになってしまったのか。


一言一言状況が悪くなっているのは分かるのだけど、今はとにかくお姉さんの話を聞かなくてはならない。

俺にとっては辛い時間が過ぎて行った。

いや、お姉さんの方がもっと辛い時間なのかもしれない。



「忘れるって怖いことで、自分で忘れたことも気づかないから、気づかないうちは不安になったりしないのよ」



病人あるあるみたいに自嘲気味に言っていたが、お姉さんは苦笑いみたいな表情だ。

忘れたことが分かるように、お姉さんは探偵に自分のことを記録させていたのだろうか。


自分が出かけた記録なんて本来他人に頼むような事ではない。

それをわざわざ頼んだのは、自分がそれを覚えているかの確認だったと思えた。

ただ、依頼したことも忘れてしまったのだから、お姉さんは自分が依頼した探偵のことをストーカーだと思い込んでしまったのだろう。



「でも、自分が忘れていってるって分かったら、不安になって不眠症になっちゃって、全然寝られなくなって……でもあっくんが来てくれた日、あの日久々に眠ったの。びっくりした」



そう言えば、お姉さんは自分が眠ったことを驚いたみたいだった。

あの時は変だと思ったけれど、今なら合点がいく。


考えればおかしな点はたくさんあった。

10年も前に疎遠になった俺に会いに来るなんておかしいんだ。


ただ、お姉さんにはそれまでの記憶が欠落していて、誰と何を話したかなどなくなっているとしたら……そして、10年前の俺のことの方が他よりも覚えている状態になったとしたら……恐ろしいけれど、理解できてしまうし、話の筋は通ってしまう。


時折見せる少女のような反応や仕草も、27年分の記憶の一部が欠落しているとしたら、理解できてしまうのかもしれない。


お姉さんの口癖の「ラストチャンス」も、「30歳までに結婚」って勝手に思ってたけど、もしかしたら、「死ぬ前のラストチャンス」ってことだったのかもしれない。



「ただね、私は最初からあっくんが私のことを好きになって、その後病気のこと知って、絶望するのを知ってて近づいたから!」



普段のお姉さんらしくないことを突然言い始めた。



「私はあっくんの人生をお金で買った女だから!」



急に語気を強めて言った。

ただ、残念ながら俺の目を見て言うことは出来ず、少し左上を見ていた。

人は嘘をつくとき、無意識に見てしまう方向があるのだとか。

嘘を考える時、脳の中の特定の部分にアクセスするので無意識にその方向を向いてしまうという説もある。


お姉さんの場合はすごく分かりやすかった。

さっきまで俯き加減に自分の手元ばかり見ていたのに、急に思い出したように語気を強めて悪態をつき始めたのだから。



「自分を悪く言ってもダメですよ。こういう時に自分のことを悪者にして、俺を遠ざけようとするやさしさのやつですよね?もうそんな物語はたくさん読んでますから!」


「……あっくんには通じなかったかな。……ごめんね」



お姉さんが声を詰まらせた。

俯いたお姉さんの手の甲に透明な液体が落ちたのを俺は見逃さなかった。



「ごめんね、ごめんね。あっくん、ごめんね」



俺が聞きたい言葉は「ごめんね」じゃない。

どうすれば、何を言えば、お姉さんは俺が求めることを言ってくれるんだ。



「こんな悪夢は、早く目が覚めてってずっと思ってた。でも、現実だから逃げられなかった……」



命の期限を切られた人の心理というものは、俺には理解が及ばないけれど、お姉さんも一人では受け止めきれなかったのかもしれない。



「本当は、死ぬ前に『恋愛』の真似事をしたかっただけなの。10年も前に疎遠になった男の子に好きになってもらえるなんて思ってなかった。どうせ死ぬし、お金もおうちも、全部あげる代わりに少しだけ一緒の時間が欲しかったの……子供の時だけど、あっくんは結婚してくれるって言ってくれた、たった一人の人だから」



つい先日までチートレベルに完璧で悩みなんて一つも無いようなひとだと思っていた。

でも、裏では誰にも相談できないような恐怖とひとり闘っていた。

俺は毎日ニコニコしたお姉さんを見て、同じようにニコニコして……俺はただのバカだった。なにも見えてなかった。

俺は膝の上で握ったこぶしに力が入った。



「あっくんは、私のことなんてそんなに思い入れはないと思ってた。お金目当てでよかったの。むしろ、その方がよかった……」



お姉さんの性格を考えたら、これも本心じゃないだろう。ただ愛されたかったんだ。

最初からお姉さんは言っていた。俺に求めるのは「癒し」だと。

俺にお姉さんを癒すだけの何かがあるだろうか。



「……ひどいよ。あっくん、立派に成長してるんだもん。私のことこんなに好きにさせて……もっと生きたいって思わせたりして!!残酷だよ……」



こっちを向いて言葉を続けたお姉さんの頬には涙が伝っていた。

人は悲しい時にはこんなにボロボロと涙が出るものなのかと俺の心に酷く響いた。


「お姉さん」と声をかけたいと思ったが、俺も声が出ないことに気づいた。

声よりも先に心が先走って言葉にできないのだ。

俺は、お姉さんの手の甲に俺の手を重ねた。


「俺にできること」をずっと考えているけれど、俺の脳みそでは何もアイデアが出てきやしない。初めて自分の能力の低さを呪った。

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