6_お姉さんがいてもバイトは忙しい
俺のバイトは、ショッピングモール内のパン屋さん「風と月」。
店内は「ベーカリー」と「カフェテリア」の2つに分かれていて、俺は「カフェテリア」の方で料理を出している。
お客さんとしては、パンを買ってもいいし、買ったパンを店内で食べてもいいようになっている。
店内で食べるとき用に、飲み物や簡単な料理を提供するようになっているのだ。
ちなみに、商品はセルフで各席までお客さんが持って行くようなシステムだ。
「おはようございまーす」
「おはようございます」
店の控室に入ってこのあいさつ。飲食店では店に入るのが朝とは限らない。
俺みたいに昼に入っても、今から一日が始まる訳で、そんなときの挨拶は「おはようございます」と決まっている。
昼に入っても、夕方に入っても、「おはようございます」なのはちょっと面白いと思った。
ただ、このバイトは高校時代からだから、もうここで働いて2年になるか……既に違和感は全然なかった。
控室内の更衣室で制服に着替え、エプロンを着けて、キャップを被る。
これが俺の戦闘服。
昼間の飲食店は戦争だ。近所の会社の社員さんなどが食べに来てくれるので、店内は50席ほどの全ての席が埋まりお客さんでごった返す。
昼までにある程度準備できるものは準備しているのだが、盛り付けだけでも追いつかない程お客さんはくる。
店長の計らいで「腹が減っては戦が出来ない」そんな考えの下、昼に入る人には本来は必要ない
従食…従業員の食事、
家を早く出る予定が無ければ、お姉さんと昼ご飯を食べても良かったのだけれど、家のこともあったし、従食もあったので、一人で食べてもらうことにした。
ちなみに、パン屋の従食だからと言って、パンが出る訳ではない。
ちゃんとご飯が出る。この日はカレーとサラダだった。
店とは少し離れた場所に控室があり、そこの安いっぽいテーブルの上で2人か3人ずつ食べるのが常になっている。
この日は、エリカちゃんと一緒だった。
エリカちゃんも俺と同じくフリーターで、苗字が山本なので他にもう一人、社員さんに山本さんがいることから、後から入ったエリカちゃんが下の名前で呼ばれていた。
俺もそれに倣って「エリカちゃん」と呼んでいる。
彼女ももうこのバイトを始めてから1年以上だから、これも俺にとっては慣れてしまったことだと言える。
エリカちゃんは、小柄で金髪ロング。仕事中は髪の毛を編み込んで帽子の中に入れてある。年下だと思うけど、高校生だったらこの金髪はNGだろう。
ちょっとヤンキーっぽいというか、ギャルっぽいというか、そんな感じの子だ。
彼女がバイトを始めた時、俺が教育係的なことをやった関係で、仲はよかった。
学生時代だったら俺はこんなギャルっぽい子と一言だって会話できなかったと思う。
社会に出るって色々不思議なことがあるな。
「先輩、ご飯は大盛りですか?」
どうやらエリカちゃんが俺の分までよそってくれるらしい。
彼女は、こういう気遣いができる子で、店の中でも可愛がられていた。
「あ、よかったのに。ありがとう」
「いえ、先輩ってなんかちゃんと食べてないイメージがあるんで、たくさん食べさせないとって思っちゃうんですよね。まあ、私が準備したご飯じゃないけど。てへっ」
俺はこの子に「先輩」って呼ばれている。
もし同じ学校だったら、絶対に彼女の方がヒエラルキーが上で、俺なんか彼女の視界にも入らない存在だったろうけど、ここでは「先輩」と呼んでそれなりに敬ってくれていた。
この程度でも、俺の人生で最も仲良くなった女の子がエリカちゃんなのだ。
下の名前で呼んでるし、一緒にご飯を食べていし、笑顔で会話してくれている、ほら。これだけだから、言ってて悲しくなるけれど、俺なんてその程度。
だからこそ、今朝までお姉さんと一緒のベッドで寝ていたなんて夢のまた夢。
そんな突き抜けた幸せなんて一瞬の夢の様に消えてしまうのではないかと不安に思うこともあるのだ。
「今日は、先輩と従食一緒でラッキーでした」
「え!?」
「あれ?先輩、ドキッとしました?にゃはっ」
エリカちゃんは時々、こんな風に俺をドキッとさせて
---
この日は殺人的に忙しかった。
ショッピングモールの方で何かイベントでもあったのだろうか。
いつもなら平日は13時になれば客足は減り、だいぶ落ち着くのだ。
ところが、この日はモール内で催しか何かあったのだろう。
14時を過ぎても客足が衰えず、みんなてんてこ舞いしていた。
結局、俺が休憩に入れたのは16時半頃だった。
控室に行くと、店長が帳簿を付けていた。
「お疲れ様です」
「あ、藤村くんが休憩に来たってことは、お客さんやっと落ち着いた感じ?」
店長が書き物の手をいったん止めて、振り返ってこちらを見た。
「あ、はい。あと30分くらいでエリカちゃんが上がるんで、入れ替わりで俺が戻ります」
「うわー、悪いね藤村くん、休憩30分だけになっちゃうね」
両掌をパンと合わせて「ごめん」のジェスチャーの店長。
この店の良いところの一つだろう。
労働環境的に良い店って訳じゃないけど、店長の人柄でバイトの定着率は中々いい。
「あ、いえ」
「その分、30分残業に付けといてね」
「あざーす」
また帳簿付けに戻る店長。この令和の世に手書きの帳簿って……せめてノートPC1台あればエクセルでできるだろうに。
控室は、大きな鉄の扉の裏にあるので電波が届かず、スマホゲームもSNSもできない。
まあ、扉の前に行けば通じるのだけれど、制服姿でショッピングモール内に立ったままスマホをいじっているのも変な感じなので休憩室ではダウンロード済みのラノベを読んだりして過ごすことが多かった。
「あ、そうだ店長。相談というか、お願いがあります」
ラノベで思い出したのだ。お姉さんとの約束でバイトを減らすか辞めるかしないといけない。勝手には辞められないので、まずは店長に相談だ。
***
「そんな訳で、バイトを減らすか辞めたいと思ってるんですけど……」
とりあえず、詳しい事情は伏せて「家庭の事情」ってことにして申し出た。
家庭の事情の場合、今の世の中突っ込んで聞いてくる人はまずいない。
(ガチャン)外の大扉が開く音がした。ぼちぼち17時なのかもしれない。
エリカちゃんが上がる前に在庫確認に来たのだろう。
俺も店長も気にせず話を続けた。
「そっかぁ、藤村くんが抜けたら穴が大きいなぁ。2人は雇わないといけないだろうから最低でも2週間、できれば2~3か月時間をもらえないかな?教育期間とかもあるし……」
今日入ってきた人がいきなり戦力になるなんてことはない。
当然、先にいる者が仕事を教えて、教育してくことになる。
お姉さんにも徐々に減らしていくって伝えてたし、問題ないだろう。
「すいません。時期は様子を見ていけるだけ余裕はあるので、相談させてもらいながらでお願いします」
「分かったよ。わー、これから大変になるなぁ」
「…すいません」
「あー、いやいや、そういう意味じゃないから。藤村くんよくやってくれてたから。僕としては、いずれは社員にと思ってたくらいだらかさ」
「ありがとうございます」
嘘でもそう言ってもらえるのは嬉しいもんだ。
これまでの働きが無駄だったわけじゃないと思わせてくれる。
「……」
俺と店長が話しているすぐ横を、エリカちゃんが在庫の不足物をピックアップして店に戻っていった。一瞬視線が合ったけど、何も言わないで行ってしまった。
昨日は寝不足だったってこともあって、何もせずに休憩していると寝落ちしそうだったので、5分休憩を終えて早く店に戻った。
夕方の学生バイトの人も既に入っているし、17時上がりの2人もまだいるので店内は客よりも店員の方が多いほどだった。
俺が溜まっていた洗い物をしていると、エリカちゃんが話しかけてきた。
「先輩、バイト辞めちゃうんですか!?すいません、さっき聞こえちゃいました」
「辞めるか……今よりも減らしていくか……ちょっと家庭の事情でね」
「そうですか……」
少し残念そうな顔をするエリカちゃん。
バイト仲間にも少しでも残念と思ってくれる人がいるというのは、なんだか嬉しいものだ。俺もちゃんと必要とされてるって感じがする。
「あ、今日ゆきちゃんが熱だしてお休みするってさっき電話がありました」
「マジか!」
「店長に聞いて、私がラストまで残ることになりました」
スタートは俺と同じなのだから、エリカちゃんもそろそろ疲れてきているだろう。
そもそもずっと立ちっぱなしだし。
「え?ホント!?大丈夫?じゃあ、休憩行ってきていいよ」
「はい、17時になったら休憩です」
17時から入る学生バイトも安定してきたし、俺が辞められる日も意外と近いかもしれない。働くっていうテンションが難しいと思っていた。
お姉さんに「働かなくていい」と言われても「バイトをする」と決めたら手は抜けない。
バイトをしている以上毎日忙しいのだ。
50%の力で働くとかそんなのはないので、結局は辞めていくことになりそうだ。
中途半端な感じで働いていると結局は周囲に迷惑をかけてしまうことになってしまうだろう。
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カウンターでエリカちゃんと横に並んでお客さんを待っていた。
もちろん、手が空いたら別の仕事をしているのだが、この時間帯は一部片付けに入るので、全てのオペレーションを2人でやり、1人は裏で片づけるという時間なのだ。
裏方が大変そうに感じるのだけれど、新人などは
前の2人は調理と盛り付け、飲み物の準備、会計があるのでお客さんが着たら急に忙しくなる。
逆に言うと、お客さんが減る時間には暇になるので、「色が付いてきた食器を漂泊する」とか「白くなってきたシルバーを重曹に漬けてその後磨く」とかマニュアルにない仕事をすることになる。
ちなみに、「シルバー」とは、お客さんが使うスプーンやフォーク、ナイフの総称で食器洗浄機で洗っていると段々白いシミみたいなものが付いてくるので、時々メンテナンスしてやる必要があるのだ。
別に店のマニュアルとかにある訳じゃないけど、先代のバイトから口伝で伝えられてきた方法でくすみや白いシミをとっている感じだ。
今日はお客さんが来ない。少しぼーっとして立っていると、店の外の柱の陰に人影を見つけた。ここからでもわかる。
それは、お姉さんだ!
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