2_お姉さんの部屋へ行こう

「じゃーん、ここが私の家でーす!」



そう言って両手を向けた先は、地上30階建てくらいの高層マンションを指していた。

場所的にも高級住宅街。

そこにそびえるタワーマンションは、どんな人が住んでいるんだろうと思ったことがあるほど俺にとっては非現実的な高級さがある。

まさか住んでいる人とは、お姉さんだったとは!


気後れしている俺と対照的にお姉さんは亜麻色のふわふわの髪をなびかせてエントランスに進んだ。

壁のプレートにカードキーをかざすと自動ドアが開いた。


フロントには、カウンターがあり、スーツを着た人が座っていた。

カウンターの名札には「CONCIERGE」と書かれていいた。

こん…しーえじぇ? きっと、管理人的な人だろう。


エレベーターに近づくと何もボタンを押していないのにエレベーターのドアが開いて待機していた。 どうなってるの?これ。


お姉さんと俺はエレベーターに乗り込むと、お姉さんは行先ボタンを押すのではなく、パネル部分に先ほどのカードキーをかざした。

すると「29」と表示され、ドアが閉まりエレベーターが上に上がり始めた。


ちなみに、29階はこの建物の最上階だったみたいで、扉が開くと広めのポーチのすぐ向こうは玄関の扉だった。

つまり、1つのエレベーターは各フロア1つの部屋しか行けないということ。

1階は部屋がなかったので、28世帯で1つのエレベーターを共用しているという事。


さっきフロントでエレベーターが4基しかなかったから、28×4で……100世帯ちょっとがこのマンションに住んでいるということか。



「いらっしゃーい♪あっくん」



そんなどうでもいいことを考えていたら、お姉さんがドアのかぎを開けてくれていた。


家の中は白を基調としていて、きれいな感じ。 築年数的にもまだ浅いのだろう。


ドアを開けた瞬間にほのかにいい匂いがして、俺の心はドキドキが止まらなくなっていた。 俺は何故ここにいるのか。そして、何をしに来たのか。


玄関に入ると自動的に照明が点いた。



「あ」


「へへへ~、便利でしょ?自動で点くんだよ?」



もう、ここまでで分かる。 お姉さんお金持ちだ。 とんでもなくお金持ちだ。


このマンションだって、もしかしたら「億」行くかもしれない。

マンションではなく、億ションではないだろうか。



「あは、あがってあがって♪」



お姉さんに手を引かれて俺は玄関に入った。

一見シンプルな玄関は、壁内に靴が収納できるようにたくさんの扉が付いていた。

一体何人分の靴が収納できるのか。


俺の足は二本しかないので、靴なんて一足か二足あれば十分だ。実際は5~6足程度は持っているけれど。

お姉さんは一体何本の足が……いや、そんな訳はない。俺は激しく混乱しているようだ。


とにかく、玄関を見ただけで、この部屋いえがワンルームではなく、家族用の広い部屋いえだと分かった。


ちなみに、俺のボロアパートの場合、下駄箱自体がないので、玄関に持っているくつ全部を置いているので、何人も中にいると間違われたことがある。


お姉さんのマンションの玄関はきちんと清掃されていて、靴なんて 1足も置かれていなかった。全て収納されているのだろう。


玄関からまっすぐ廊下を進むと扉があり、その扉の向こうには広いリビングが広がっていた。 30畳?40畳?とにかく広い。

リビングには、大画面テレビが壁に取り付けられていて、高そうなソファーセットとご飯を食べる用であろう4人掛けの長テーブルとが置かれていた。

リビングだけでそれだけの広さあるのに、キッチンは別にある。



「広いですね~!」


「あ、お茶入れるから適当にくつろいでね。もう、自分の家だと思って!実際、あっくんも住むかもしれないよ?」



お姉さんが言っていることは、冗談なのか本気なのか分からないけれど、俺は広さと豪華さに圧倒されていた。

こんな機会がないと、見ることさえなかった超高級マンションの中。

明らかに俺とお姉さんは住む世界が違うことを実感していた。


あ、床には2台のお掃除ロボットが充電されている。

1台は埃を吸うやつで、もう1台は拭き掃除するやつだ。


テレビのCMで見たことはあったけれど、実物を見るのは初めてだった。

たしか、スマホの位置情報を得て、家の人間がいないときに自動的に掃除をしていて、帰ってくると自動的に待機して充電する最新式だ。

赤いインジケーターランプが点灯しているところを見ると、ついさっきまで掃除をしていたのかもしれないな。



「ホント広いですね!」


「ラストチャンスだと思って買っちゃった♪」



やっぱり。 どこかここは賃貸ではないと思っていた。

やはり分譲だった。 お姉さんが買った部屋いえなのだ。


どんな仕事をしたらそんなにお金が手に入るのか。

確か、お姉さんはライターとかプログラマーとか言っていたような……そんな特別お金持ちのイメージのある仕事ではないと思うので、益々謎は深まるばかりだった。



「はい、あっくん。コーヒーここ置くね」



しばらくするとお姉さんは、椅子のある長テーブルの方にコーヒーを持ってきてくれた。 室内にはコーヒーのいい香りが立ち込めていた。

そういえば、さっきの喫茶店では困惑していたためか、コーヒーの香りまでは気づかなかった。 俺は今の状況の方がリラックスしているということなのか!?


テーブルに移動して席についた。

お姉さんの真向かいに座ったが、このコーヒーに手を出していいものか……



「どうしたの?ミルクもお砂糖もあるよ?」



お姉さんは、俺がコーヒーに手を付けないことを不思議に思ったらしい。

ついさっきの店で、俺を監禁すると宣言したお姉さんだ。

ここに睡眠薬的な何かを入れたら、男の俺を拘束することも容易だろう。


おめおめとこのコーヒーを飲んだら最後、俺は拘束されて二度とお日様が見られない生活をすることになるのかもしれない。 要するにBADEND。



「あ!もしかして私が何か入れてると思ってる!?」


「え、いや、まあ、流れ的に……」


「私があっくんのコーヒーに入れるって言ったら愛情くらいだから!」



言ったお姉さんが真っ赤になった。 自分で言ってテレたらしい。

なんだか可愛く感じてきた。 だいたい反則だろ、年上なのに可愛いとか。


とりあえず、コーヒーに口を付けた。

「愛情」という名称の睡眠薬が入っている可能性まで考えたけれど、やっぱり昔遊んでもらったお姉さんだ。

悪い人じゃないのは知っているし、むしろ優しい人だ。

本当にそんな犯罪行為をするというのが考えられなかったのだ。



「……少し落ち着きました。改めてお姉さんの話を聞きましょうか」


「ホント?ありがと」



嬉しそうに笑うなぁ。 俺は既にこの時点で負けていたと思う。

すっかりお姉さんのことが気になっている。 いや、素直に言うと好きになっている。 初恋の相手のことをもう一度好きになるとか、恥ずかしくてとても言葉にはできなかった。



「昔のことを思い出していたの。そしたら、あっくんとの結婚のことを思い出して……私もいい年だから、ラストチャンスで一生に一度は結婚してみたいと思って……」


「でも、お互い子供の頃の口約束ですよ?お互いもう大人じゃないですか」


「昔からあっくんは私の天使だったから……久しぶりに会ってみて、私の夢をかなえてくれるのはやっぱりあっくんしかいないって思ったよ?」



10歳くらいの時のイメージで天使とか言われても、もうすぐハタチの俺は失望される未来しか思い浮かばないのだけれど……

それでも実際に会ってみて、いいって言ってくれるのは思いやりなのか、何らかのお眼鏡にかかったのか……

それよりも、むしろ、天使はお姉さんの方では、いや、胸の辺りの有り余る母性を考えたら女神か?



「私、高校生の頃、ちょっとした学園のアイドル的な存在に祭り上げられたことがあるの」



普通の人が言ったら、自信過剰なセリフでも、彼女ならば当たり前と納得してしまう。

俺がお姉さんに遊んでもらっていた頃だろうから、確かに俺が初恋をしてしまうほどには綺麗だった。



「学園のアイドルなんて言ったら聞こえがいいけど、みんな遠慮して話しかけてくれないし、クラスの子もよそよそしいし、ていのいいいじめみたいな状態だったの」



なるほど、人によって感じ方には違いがある。

周囲は崇拝していたとしても、本人が崇拝されていると感じているとは限らない。

彼女は孤独で寂しかったのかもしれない。



「そんな時、帰りがけの公園であっくんと出会ったわ。私と同じように一人孤独で……」



確かに、俺はクラスメイトと仲良くできなかった。一人だった。

俺にとってもお姉さんは特別な存在だった。



「やった!仲間がいた!って思ったの。だからいっぱいお話しして、一緒に遊んで……楽しかった。あっくんは私の天使だった」



たまたまとはいえ、共通するような環境にいたってことか。

周囲の扱いはまるで逆ではあるのだけれど。



「それで、俺にどんなことを期待してるの?」


「ズバリ、癒しよ」


「癒し?」


「私、仕事とお金には困ってないの。むしろ有り余ってる」



一度でいいから言ってみたい、そんな言葉。

言う人が言ったら嫌味に聞こえるかもしれないが、お姉さんがいうと全然そんな感じには思えなかった。

むしろ、お金以外の何かを欲しているようだった。

お姉さんには、お金以上に欲しているものがある。



「だから、仕事が終わった時にあっくんを甘やかしたいの。ちょっとダメになるくらいダダ甘に甘やかしたい!」



「甘えたい」じゃなくて、「甘やかしたい」のか。

それだけ稼ぐとなれば、精神的にもストレスが大きい仕事なのかもしれない。

そして、甘やかしにお姉さんの癒しがあるとしたら、仕事から帰ってきたとき甘やかす相手が欲しいと感じるのは理解ができる。



「これは契約と言ってもいいわ。ここに一緒に住んで私に癒しを提供してくれるなら、家もお金も私自身も何でもあげる!」



またとんでもないことを言い始めた。

この部屋いえだけでも何千万円もするだろうし、もしかしたら億の大台に乗っているかもしれない。

そんなことは要求しないと高をくくっての発言だろうか。

ただ、こちらを見ている少し茶色がかった瞳は真剣そのものだった。



「ご飯は私が作るし、作れないときはデリバリーを注文するわ。あっくんは自由に外に出ていいけれど、私が仕事を終えた時間にはできるだけ家にいてほしいの」



癒しが欲しいというのならば、確かに顔を合わせていないと話にならないだろう。

ある意味妥当な話と言える。

ただ、そのために、人ひとりを家に住まわせるとか一般常識は超えている。


これを単純に「仕事」ととらえるならば、労働時間がかなり長くなりそうだ。

それで三食昼寝付きおやつ付きか……


実は俺の事情としては、掛け持ちしていたバイトのうちの一つが店の不景気でクビになった。

家賃や食費を考えたらかなり厳しいと思っていたから、ここに住ませてもらって、食事も面倒見てもらえるなら正直助かるけど……



「ちなみに、お姉さんはいつも何時くらいに帰ってくるんですか?」


「帰る?私はこの部屋いえの中で仕事をしているからいつでもいるわよ?」


「仕事部屋があるってことですか?」


「そう、こっちよ。見てみて」



コーヒーはそのままに仕事部屋を案内してもらった。

仕事部屋は、15畳くらいあってリビングよりは狭いけれど、これだけで普通のマンションのリビングくらいの広さがあった。


そこには、大きな机が一つ置いてあり、大きな画面のモニターやらパソコンやら、タブレットやら置かれていた。

壁いっぱいの棚には資料っぽい本の他に、漫画やラノベ、画集なんかもたくさん置かれていた。

確かに、お姉さんはここで仕事をしているのだろう。


プログラマーの仕事ってこんな感じで自宅でできるものだろうか?

いや、それよりも今は「お姉さんがいつこの部屋から出てくるか」の方が大事だ。



「お姉さん、この部屋で仕事していつ出てくるの?」


「うーん、いつもはお昼前から始めて、夕方くらいに終わることもあるけど、ノッてる時は日付が変わるくらいまでやってるかも」



自営業だと好きな時間に始めて好きな時間に休めるのかもしれないけれど、意外と労働時間が長い!そんな生活をしていてお姉さん大丈夫なのか!?

食事はどうしているのだろうか。すごく心配になってきた。



「あ、でも、最近はちょっと仕事はお休み中なの……」



作家的な仕事だとしたら、スランプみたいなのもあるのだろうか。



「仕事的に時間が不安定だから、夕方から夜にいてくれれば十分だよ?」



なんと!急にハードルが下がった。

要するにこの部屋いえで暮らして毎日帰ってくればいいだけだ。


ご飯を作ったりするとしても、ハウスキーパー的な仕事だと考えれば比較的簡単かも。



「料理とかあんまり上手じゃないけど、大丈夫かな?」


「わ!一緒に住んでくれるの!?料理は大丈夫だよ!私もできるし、デリバリーがあるから」



そう言ってもらえるなら……

ちょうど再来月俺のアパートは契約更新だから、また保険料とか必要だと思っていたし、安いとはいえ家賃はバカにならないし……


思い切ってお世話になってみるか……

女の人との共同生活という点においては不安はあるけれど、相手は知らない人じゃない。昔好きだったお姉さんだ。しかも美人。そして、巨大な胸の持ち主。



「お姉さん、とりあえず、お願いします」


「わわ!ホント!?嬉しい♪」



お姉さんが廊下で小躍りしながら喜んでいる。

腰が揺れるたびに、胸も揺れるのでついつい目が離せない。

こんな魅力的な人と一緒に住ませてもらっていいのだろうか……


こうして俺とお姉さんの奇妙な共同生活がスタートしたのだった。

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