がぶがぶ/5 じわじわと毒がまわる様に堕ちていく


 ベッドの上の初雪は、ピンクのシースルーのベビードール、勿論の事、下も併せてピンクのスケスケレースであった。

 そんな彼女が何処で買ってきたのかYESとデカデカとプリントされた枕を強く抱きしめているものだから。


(ぐっ、え、エロい……何あれ誘ってるの?? いや誘ってるんだろうけどさぁ!!)


 元々大きな胸は、さらに強調されボリューミーに。

 更には期待しているのだろうか、その名の通り初雪のように白い肌はうっすらと紅潮して。


(――いや待て、このまま逃げるのはどうだろうか? 残ってる僅かな全財産でも実家までなら余裕だし。もしくはこのままリビングで寝てしまうのもアリだね)


 三ヶ月前の己なら、一、二もなく飛びついただろうが。

 今の吉久は自制出来ている、少なくとも出来ると自分を信じている。


(風邪引かないようにねーー、じゃあ僕はこっちで寝るかぁ)


 回れ右をし、一歩踏み出した瞬間であった。

 彼はそれ以上は進めずに、足を止める。


「あはっ、何処に行こうとしてるのですか吉久君?」


「いやぁちょっと戸締まりが気になって、ガスの元栓閉めたかなって」


「大丈夫ですよ、玄関は私の許可無しでは開きませんし。このマンションはオール電化してますから」


「おっと、実家に居る時の癖が出ちゃったね。あっはっはっはっ……」


「もう心配する事はありませんよね? なら――、一緒に寝ましょう?」


 ぴとっと胸を押しつけ、耳元で囁く初雪。

 我が儘で豊満な胸に対し、華奢過ぎるように見える腕はしっかりと吉久の胸に回され。

 その細く形の良い手は、胸板や股間周辺を撫でまわし始める。


(何かっ、何か言い訳はないのかよっ!? 一つでも良いからこの場から逃げ出す言い訳――――)


(そんなものあると、本当にお思いです? 嗚呼、可愛らしく憎たらしいヒト……)


(――――いや、そもそも抱かなければ良いんだ。断固として拒否する、さっきみたいに泣き落としは通用しないよ)


(私の事を拒否できる、そう思っていますか? ええ、それは余りに甘い考えとしか言いようがない)


 ごく、と唾を飲み込んだのは果たしてどちらか。

 吉久は身を堅くして、緊張気味に提案した。


「ちなみに聞くけど、コンドームはある?」


「ええ、子作りよりも快楽を優先するだけのセックスもしたいと思って三箱用意しておきました。ああ、勿論、近くのコンビニで彼氏に無理矢理命令された感じを出して買ってきました、あ、小声で貴方の名前を呟いておきましたけど、大きな声の方が良かったですか?」


「そのコンビニもう行けないよっ!! 本当に何してくれてんの!?」


「――貴方のご両親に挨拶するのを、後回しにしている、と言っても?」


「それマジで僕が詰むやつっ!?」


 敵は本気だ、このまま絡め取られてしまうのか。

 だがまだ大丈夫だ、雰囲気さえ壊せば何とかなる。

 吉久は、そう信じて。


「…………ならさ、ウチの親や君のお父さんに僕の罪を告白する、そして自首するよ」


「知ってます? 被害者が合意であったと言えば問題ありませんよ? 試してみますか? まあその場合は――――、一生、お日様の下に出られませんが」


「うーん、僕は警察に捕まって塀の中に居るって意味だよね?」


「話は変わりますけど、私の家には座敷牢という物があるんですよ」


「本当に話変わってる??」


「古い家ですから、歴代当主の妻となった方の中には座敷牢に入れられ子を産んでも引き離され、死ぬまで当主に犯され続けた者もいるとかいないとか」


「いやぁーー、きょーみぶかいはなしだなーー」


 ははは、と乾いた笑いしか出てこない。

 背中から奇妙な寒気を感じる、胸を執拗に愛撫する手に冷たさしか感じない。

 耳元で囁かれる言葉は、こんなにも熱を持っているというのに。


(これ、今の君は解釈違いだから勃起しないとか言ったら詰むやつだよね。多分、勃起はすると思うけどさ)


「もういいでしょう、――私を気絶するまで抱いてください吉久君……こんなに大きく堅く勃起…………勃起? いえ待ってください、何で勃起してないんです??」


「今のホラー過ぎて勃起しないと思うよ普通は」


「は? 以前の吉久君なら『は? 何を生意気言ってるんだい、君は僕の女だって骨の髄まで愛してやるっ!!』って! 強引に唇を奪ってディープキスで呼吸困難になるまで責め立てつつ、体を愛撫してトロけさす所でしょうッ!!」


「あ゛っ、い゛ったぁっ!? そ、そんなに思いっきり耳噛む??」


 恐らく耳には歯形が付いてしまっただろう、だがそんな事はどうでもいい。

 吉久には、一つだけ気づいた事があって。


(なるほど、……初雪さんもさ、僕と同じか)


 はぁ、と軽くため息を出して、吉久は彼女の腕をふりほどく。

 そして向かい合って、その華奢でしっとり吸いつく肌の肩を掴むと。


「僕が言えたコトじゃないけどさ、初雪さんって僕に幻想抱いてるでしょ。強引に迫る野蛮な王子さまみたいな?」


「本当に言えた事ではありませんね、私をいつまでも聖女扱いして。抱きたくないのも、どうせ僕みたいな罪人には抱く権利が無いとか汚れてしまうとか、そう思っているのでしょう?」


「それが分かってるならさ、どうして僕に抱かれようとするんだい」


「貴方がそうした癖に、今更それを言うんですか?」


「なら――話は平行線だね、僕と君は一緒だと険悪になるだけだ、別々に寝よう」


「やはりそれが目的ですか、ええ分かっていましたとも。貴方は一度そうと決めたら覆さない、……だから私を犯したのでしょう?」


 震えた声で睨む彼女は、はぁと熱い吐息と共に己の体を抱き抱える。


「知っていますか? 性奴隷から解放されてから寝れないんです、体が火照って、どんなバイブを使っても満足できず絶頂出来ず、貴方に触られただけで乳首で達してしまうのに、自分ではどうやっても絶頂出来ないんです、――こんな淫乱な体にして、男として責任を取るべきでしょう?」


「……病院に行こう、僕も付きそう」


「違うッ、違いますッ!! 誰がそんな事を望みましたか!! 抱かれなくても良いんです、ただ、隣で一緒に居てくれば、あの頃のように抱きしめて寝てくれれば私はッ、私はそれで満足出来るのに――――ッ!!」


 それは憎しみなのか、或いは本当に愛だというのか。

 或いは、体に染み着いてしまった習性か。

 本来ならば、病院に通って治療を受けるべきだろう。

 だが。


「渡しません、決して、誰にも。この体は私だけの、この感覚は私だけの絆、例え誰かが、貴方が嘘だと、錯覚だと言ったとしても、――貴方を求めるこの体は愛なのです、空虚な私を埋めた何より大切な愛なのです」


「……君はさ、僕という毒に犯されて正常じゃないんだ。だからそう思うだけさ」


 この言葉は初雪には届かない、それでも言わずにはいられなかった。

 そんな彼に、彼女は嗚呼としめった吐息を吐き出すと。


「貴方自身が毒というなら、――きっと私こそが毒なんです、私という毒がじわじわと時間をかけて吉久君を蝕み、狂わせてしまった。……ね、お互い様なんです私たちは、お似合いでしょう? それに……知ってますよ、あれから一回も吉久君は自慰をしていない、いいえ、出来ない、私以外では勃たないし、絶頂できない」


 そうでしょう? と初雪は嗤った。

 彼女が彼でしか満たされない体になった様に、彼もまた彼女でしか満足できない体になってしまった。

 じわじわと毒が回って、吉久の体は堕ちているのだと。


「それでも、僕は拒否するよ。もう間違いは犯したくない、君を、初雪さんとセックス出来ない、したくないんだ」


「吉久君なら、……そう言うと思っていました」


 どんなに抵抗の言葉を出しても、初雪にはひっくり返す言葉がある。

 必ず、初雪を抱く言葉を持ち合わせている。

 どろり、音がするように空気が濁る。


(これを言えば、ええ――取り返しがつかない)


 例えば彼が彼女を犯したのと同じ様に、取り返しの付かない関係になる。

 吉久だからこそ、吉久にしか効果が無いそれを。


(でも、悪いのは吉久君なんですよ?)


 もう一度、三ヶ月前の様に抱いてくれるという希望は儚く散った。

 彼に抱かれる事だけを考え、彼に愛され、温もりと快楽に溺れ全てを忘れ去るという望みはきっと、最初から叶わぬ夢だったのだ。


 くつくつと下腹部が煮えたぎる、吉久はどんな顔をするのだろうか。

 どんな顔で、初雪を愛してくれるのだろうか。


(嗚呼、――これがきっと、私を犯す時に吉久君が笑っていた理由、なんて、なんて背徳的な快楽なのでしょう)


 粘り着くような妖艶さを瞳に宿した彼女に、吉久の本能は撤退の鐘を盛大に打ち鳴らした。

 だが、どこに逃げるというのだろうか。

 そもそも、逃げられるのだろうか。

 ――思わず一歩下がった彼に、初雪は告げた。


「抱いてくださらないのならば、……このまま外へ行き見知らぬ男に抱かれてきます。そして孕むまで帰りませんし、孕んだ子は貴方の子として、憎しみだけを注いで育てます」


「~~~~~~っ、ぁ、お前っ、初雪ぃ!!」


 それは正しく脅迫であった、吉久が初雪を好きだからこそ、歪なれど愛してるからこそ、今もなお憧れているからこそ。


「さ、答えは如何に? 吉久君?」


「ぼ、僕はっ、――僕は、僕は、僕はぁっ!!」


「くふふっ、嗚呼、こんなに心地よいんですね誰かを脅迫するって。ええ、貴方の気を引く冗談であるという甘い考えは捨てた方がよろしいですよ?」


(冗談である可能性だって? それこそ冗談だろっ!! 畜生っ!! 逃げ道を塞がれた!!)


 吉久は必死に抜け道を探す、何処かに活路はないかと探す。


(そうするなら僕も他の女を抱きにいくって言えば? ――駄目だ、良くて僕だけが殺され、最悪の場合はその誰かを巻き込んで全員死ぬ未来しか見えないっ)


 窓に駆け寄って、投身自殺を計るというのはどうだろうか。


(……それも駄目だ、窓に行くまでに追いつかれる可能性だってあるし、初雪さんが一緒に死ぬ可能性も高い)


 ならば、暴力はどうだろうか。


(僕は男だ、腕力なら勝てる。――でも初雪さんは護身術を習ってるし、あの細い腕は柔らかい癖に筋肉がついてるんだ。それにさ、あの時に強姦出来たのは、弱みを握ってて、かつ脅迫で動揺していたからだ)


 屈するしか道は無いのか、本当にそれしかないのか。

 唇を強く噛む吉久に初雪はゆっくり近づくと、その血の気の失せた顔を暖めるように両手で包み込む。


「っ、ぁ――――」


 呼吸が上手くできない、蛇に睨まれた蛙の気分とはこの事か。

 初雪は何も言わず、妖しげに微笑みながら彼の胸板へパジャマの上からキスを降らす。

 その一つ一つが、ナイフで突かれている様に痛む。


(これが、……これが報いだって言うのか? 初雪さんを汚し、壊してしまった報いだって?)


 もう昔の彼女は、聖女のように皆へ優しく微笑んでいた彼女には戻らないのか。

 吉久の想いなんて知らず、周囲に恵まれ幸せに満ちた道を歩む本来の彼女には戻れないのか。


(意地を張って拒絶すれば、本当に初雪は――)


 他の男に抱かれる、あの白く大きな胸も、括れた腰も、頬擦りしたくなる臀部も、全部他の男の手の垢がつく。


(そんなっ、そんな事は――――っ)


 それどころではない、きっと彼女はその相手に微笑むだろう。


(絶対に、僕は、僕はっ!!)


 吉久への当てつけとして、恋する乙女の様に愛を囁くだろう。

 そして喜んで子を孕み、他の男の精子の匂いを口からさせながら吉久を座敷牢へと監禁するのだ。


(僕が拒めば、絶対に初雪は行動に移す)


 確信がある、彼女は愛していると告げるが本当にそれだけだろか。

 憎まれている、それだけの屈辱を彼女に与えている。

 だから、復讐されない理由が無い。


(冷静になるんだ……、僕の身の危険とか心を守ろうとするな、初雪さんの事だけを考えるんだ)


 脅迫に抵抗した場合、彼女は身も心も犠牲にしながら破滅の道へ突き進むだろう。

 ならば屈した場合はどうか、彼女は望み通りに吉久の隣を手に入れて。


(僕が犠牲になる、なんて自分に酔うコトなんてしない)


 それに、屈した場合はまだ救いの道は残っている。

 以前の通りに戻らなくても、彼女を救えるかもしれない。


(これは言い訳かな? それとも本当に初雪さんを考えても決断か? 或いは単に我が身可愛さか、……僕にはもう分からないよ)


 でも、道は一つしかない。


「……決まりましたか、吉久君」


「こ、これからも……僕の側に居てくれ初雪さん」


「足りません、言葉だけじゃ足りないと思いませんか?」


「っ!? ――…………キスでもしろって言うのかい」


「膝をついて、私の手の甲にキスをして誓ってください。二度と私を手放さないと、永遠に私を愛すると、幸せなお嫁さんにすると、誓ってください」


 くすくす、くすくす、吉久の耳を犯すような軽やかな笑い声が響く。

 屈辱による目眩か、悲しみによる絶望か、もしかすると彼女の色気に堕ちていたのかもしれない。

 ゆっくりと膝をつくと、差し出された左手の薬指の根本に唇と押しつけて。


「未来永劫、来世も初雪さんを愛してる。僕の妻になってくれ、二度と君を解放するなんて言わないよ、――君がいないと、僕は生きてけないんだ」


「――――――――――嗚呼」


 初雪は狂おしいほどに歓喜した、この感情の高鳴りをどう言い表せばいいのだろうか。

 もう吉久以外は目に入らない、衝動のままに、背筋を襲う背徳的な快楽が命じるがままに。

 爪をたてて顔を掴み、唇を奪って口の中を舌で蹂躙する。


(畜生……、なんで、なんでさ、こんなに――)


 ぱたんと吉久は床に押し倒された、馬乗りになった彼女の青い目は欲望で爛々と輝き。

 パジャマの上がむりやり引きちぎられて釦が飛んだ、手の痕がつく程に強く胸や腹が愛撫される。


「ねぇ、吉久君も触ってください……」


 手首を捕まれ、無理矢理に初雪の胸に押しつけられる。

 その柔らかさに、彼は抗うことが出来ず。


(毒だ、そうだ初雪さんが言うとおり。僕はもう、初雪という名の毒がじわじわと回って、もう手遅れなほど堕ちていたんだ)


 全身が悲しみに満ちているというのに、性欲は壊れたように彼女を求める。

 吉久は考える事を止め、初雪の体に溺れた。





 そして次の日である、いつの間にベッドに移ったのだろうか。

 彼は汚れのないベッドの上で、スマホのアラームにより目を覚ます。


「…………シャワー浴びるか」


 昨晩、情事で濡れた床は綺麗になり。

 リビングのテーブルには、ホットケーキとソーセージ、そして目玉焼きのセットが用意されている。

 その横には、メモ書きが残されていて。


「先に行く、と。スープは鍋の中に……いや良くあれだけセックスしたのに、朝から用意する元気あったね!?」


 これからどんな生活が待っているのか、初雪を救う道はあるのか。

 答えの出ない問題に悩ませながら、吉久はいつも通りの朝を過ごし登校した。

 すると。


(…………なーんか、今日は視線を感じる。さっきからひそひそ物言いたげに見られてるのって気のせいじゃないよね? 男子連中の視線も何か突き刺さってる気がするし)


 嫌な予感がする、学園に着いたら情報収集は必須だ。

 今日は忙しくなるかも、と決意しながら教室に入ると。


「――――ねぇヨッシーっ!? キミというヤツはあの聖女様と結婚前提で恋人になって同棲開始してるって本当かいっ!?」


「ちょっとシャラさんっ!? なんでそこまで具体的に知ってるんだよおおおおおおおおおおおおおおっ!?」


 親友兼悪友であり、貴重な女友達である。

 根古紗楽(ねこ・しゃら)の叫び声に、吉久は膝から崩れ落ちた。


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