第5話 向き合う過去と向かう未来③

 カレンさんもファルネーゼさんも、動けなかった。何も言えなかった。ただ、命の灯が消えていく友人を見つめる事しかできなかった。


「もう少し楽しめるかと思ったんだけどよぉ。……つまらねぇ事してくれちゃってさ」


 スラングはため息をつくと、カレンさん達に背を向けて歩き始めた。その先は、廃工場の出口だ。


「……お、お前‼」


 気が付けば、カレンさんは拳銃を構えていた。引き金に指を添え、スラングの頭部に狙いを定める。

 殺意だけが、今のカレンさんを動かしていた。


『待て! 発砲の許可はできない!』


 突然、無線機から男の声がする。カレンさん達の直属の上司だ。

 警察組織なら、上の命令は絶対。でも、そんな声などカレンさんには届かなかった。引き金に力が入る。


「やめろ橘!」


 突然、横から手が伸びてくる。ファルネーゼさんが、カレンさんの腕を掴んだ。その瞬間、カレンさんの銃口から弾が撃ち出された。

 ファルネーゼさんが妨害したことで狙いは狂い、銃弾は明後日の方向へ飛んで行った。


「何をするんだい⁉」

「撃つなって言われてるだろ!」

「知ったことじゃない! 私は奴を殺す! 絶対にだっ‼」


 ファルネーゼさんの腕を振り払い、再び狙いをつけようとする。しかし、またしてもファルネーゼさんは阻止しようとした。


「ダメだ橘!」

「離せっ! なんで止めるんだい⁉ あいつは、フィを――!」

「わかってる、わかってるからやめろ‼」


 もめる二人を余所に、スラングは廃工場の出口まで辿り着いていた。悠々と雨の中に身をさらした瞬間、一斉に警官達が飛び出してきた。近くの草木や、建物に身を隠していたらしい。

 やりすぎとも思えるほどの人数で、スラングに飛びかかる。あっという間に、スラングは捕まってしまった。

 その呆気ない逮捕劇に、カレンさんの全身から力が抜けてしまった。拳銃は手から滑り落ちて、コンクリートの地面を転がる。膝から崩れ落ち、パトカーに連れ込まれるスラングの背中を眺めるばかりだった。


「すでに、確保の手筈てはずは整っていた。だから、発砲許可は下りなかったって訳か……」


 ファルネーゼさんも同じように、あっと言う間に過ぎていく景色を見つめる事しかできなかった。



「その後、すぐにフィは救急車に運ばれた。しかし、既に彼女は息絶えていたよ。私はこの事件の後、警察を辞めた。組織というシステムに身を置けなくなった。だから、この探偵事務所を立ち上げたんだ。誰にも邪魔されず、自分の手で事件を解決させるためにね」


 語り終えたカレンさんの横顔は、少し疲れたように見える。きっと、この事件がそれだけ心に重くのしかかっているんだ。


「デイビッド・スラングは、二人にとって友人の仇なんですね」


 これでようやく、カレンさんがあの男にこだわる理由が分かった。あんな凶悪犯がGグループの手によって、野に放たれてしまった。だから、見過ごせないんだ。


「さて、昔話はこれでお終いにしよう。マリー達に、連中の計画を伝えようじゃないか」

「そうだな。あいつ等がいったい何を企んでいるのか、知る必要がある」


 カレンさんがスマホを取り出すと、ハウセンさんから託されたデータを表示させる。そこにあるGテクノロジーの恐ろしい計画に、元警官達は驚きを隠せなかった。


「まさか、こんな事を……。幹部連中も、これを知っていて見て見ぬふりとはなんて体たらくだ!」


 ファルネーゼさんは怒りを抑えきれず、近くの壁に拳を叩きつけた。


「私達の信じていた正義は、こんなにも薄っぺらいものだったなんて!」


 人一倍、人の為、街の為に正義を信じ、働き続けていたファルネーゼさん。その屈辱感は、計り知れないものだろう。

 そんなファルネーゼさんの肩を、カレンさんが軽く叩く。


「それは違うだろう、マリー。確かに、街の正義は薄っぺらかったかもしれない。でも、あんたの中にある正義は違うだろう? だから、警察を辞めてまでここに来た」


 カレンさんの言葉に、ファルネーゼさんの強張っていた拳から力が抜けていく。口元からは、微かに笑い声が漏れ出ていた。


「まさか、お前に励まされるとはな。これは、雪かひょうでも降るかもな」

「残念ながら、降ってくるのはGグループの尖兵せんぺいだけどね」

「カレン、それあんまり冗談になってないわよ」


 呆れ顔でリンちゃんがツッコミを入れる。ほんの少しだけ、場が和やかになった気がした。


「とにかく、Gグループの計画はわかった。私達は、計画を阻止するために動く」


 ファルネーゼさんは顔を引き締めると、元警官達に向けてそう言った。


「やっぱり向かうのかい?」

「当たり前だろ。正義とか悪とか、曖昧な表現は置いとくとして。少なくとも、Gグループのやろうとしている事は正しいとは思えない。なら、行くしかないだろ」


 その言葉に、他の警官達も頷いた。全員、覚悟を決めた表情をしている。何が何でも、自分の意思を貫こうとする強い眼差しだ。


「しかし、マリー。連中の、特にあのバイオソルジャー達の力は桁違いだろう。正直、勝てる見込みはない」


 カレンさんの言葉が、非情な現実を思い出させる。銃弾は効かない、圧倒的な身体能力。一人を相手するだけでも危険だろう。それが、量産されているんだ。きっと、Gグループの施設内には多く配備されているはずだ。

 それでも、ファルネーゼさんの瞳は揺らがなかった。力強い視線で、カレンさんを見つめる。


「力の差で、物事を決めるのか橘は? それでは、権力に屈した幹部連中と同じだろ」


 あたしもカレンさんも、ハッとさせられた。


「私は、私が正しいと思ったことをする。確かに、命は大事だ。でも、己の心臓を天秤にかけてでも、成し遂げなければならない事もある。お前達はどうなんだ?」


 気高さで輝くファルネーゼさんの眼差しは、恐怖という影に囚われたあたしを照らした。きっと、カレンさんも同じ事を感じているだろう。


「……そうだね。仇討ちついでに、世界も救ってやろうかな」


 いつものニヤニヤ顔で、カレンさんがこちらを向く。


「お供してくれるかい、小町?」

「はい! あたしだって、守りたいものはいくらでもありますから!」


 この街には、大切な人達がいる。その平穏を壊す奴らには負けたくない。

 ちらっとリンちゃんを見る。すると、怯えるように両手を握り合わせていた。でも、真剣な面持ちであたしを見ている。


「本当に、行くのね?」

「うん。少なくとも、事務所を滅茶苦茶にしてくれた責任は取ってもらうからね」


 すると、クスッとリンちゃんは笑う。変な事言ったかな、なんて思っていると。


「なんだか、カレンみたいなこと言うのね。こまっちゃんも、あの女に似てきたんじゃない?」

「そ、そうかなぁ? なんだか嬉しいような、そうでもないような……」

「君達の私への評価は大体わかったよ」


 急にカレンさんが肩を組んできた。顔は笑って見えるけど、目は笑っていない……。


「とりあえず、アタシん家の物件に手を出したこと、あいつ等に後悔させてやりなさい!」


 リンちゃんは満面の笑みで、あたし達を元気づけてくれた。


「それじゃあ、早速行こうか。Gグループのケツを叩きにね!」


 装備を整え、あたしとカレンさん、ファルネーゼさんとその仲間達は事務所を出発した。目指すは、ハウセンさんのデータにあったGプロジェクトが行われているGグループ本社の地下だ。

 無謀かもしれない。でも、やり遂げたい事がある。そのために、あたし達は命を懸ける。戦うんだ。あたし達の明日を求める戦いが始まる。

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