第5話 向き合う過去と向かう未来②
カレンさんの話はこうだった。
これはまだ、カレンさんが警察官として働いていた頃。当時は、カレンさんとファルネーゼさん、そしてミン・フィさんの三人が同期として一緒に働いていたらしい。
フィさんは快活で、二人に比べればトラブルメーカーだったらしい。それでも、持ち前の明るさと人懐っこさで人気があったようだ。
「マリー、今日私は五件も仕事片付けた。どうだ、そっちは」
「だからマリーと呼ぶな。こっちは六件だ。悪いが、今日は私の勝ちだ」
「いいや、内容の濃さ的には私の方に軍配が上がるだろう。よって、私の勝ちね!」
「なんだそのルール、聞いてないぞ!」
この頃からよく、カレンさんとファルネーゼさんはじゃれ合っていたらしい。そんな二人をなだめるのも、フィさんの役割だったそうだ。
「はいはい二人とも、署内で大声出さないの!」
「ね、フィはどっちの勝ちだと思う?」
「勿論、私だ。そうだな、フィ?」
「え、えぇっと……」
そんな感じに仲の良かった三人は、仕事でも息の合った連携を見せていたらしい。その活躍はGシティ警察内に瞬く間に広がっていった。程なくして三人は期待のルーキーなどと呼ばれ始めていた。
しかし、輝かしい日々は突如として終わりを告げる事となる。それは、雨の降る冷たい冬の夜だった。
『橘、今どこにいる!』
無線機から、ファルネーゼさんの怒鳴り声が聞こえる。
「デイビッドが廃工場に逃げ込んだらしい! 今、先行したフィを追っているところだ」
この日、三人は凶悪な殺人犯を追っていた。デイビッド・スラング。彼は、数々の誘拐、拉致監禁、そして殺人を繰り返していたとされる指名手配犯だった。
『なぜフィを一人で行かせた⁉ あいつの凶暴性は知ってるだろ!』
「止める間もなく飛び出して行ったんだよ!」
たまたま。そう、これはたまたまだった。珍しく三人の息が合わない日だった。誰だって調子の悪い日はあるものだ。それに、環境的要因や指名手配犯を追いつめる所まで来たという焦りが、三人の歯車の嚙み合わせを悪くさせていたのだろう。
「見えた、廃工場だ! 中の様子を見てみるよ」
『絶対に見つかったりするなよ! いち早くフィと合流するんだ!』
フィさんが無線で伝えていた廃工場は、薄暗い闇に包まれていた。トタンの屋根や壁を雨が打ちつけ、酷く騒がしかった。
カレンさんは、恐る恐る中を覗き込んだ。そこには、倒れたフィさんがいた。それだけじゃない。彼女の腹を蹴りながら、拳銃をくるくると回すデイビッド・スラングの姿もあった。
「不味い、フィが……」
相手は殺人犯。しかも、自身が楽しむためだけに他人をいたぶるような奴だ。このままではフィさんがどうなるかわからない。カレンさんの脳裏には、最悪の光景がよぎったらしい。
「フィが危ない。奴を止める!」
『待て橘! 落ち着け!』
カレンさんは突撃の一歩手前で踏み止まった。冷静に考えて、今の状況は非常に危険だ。このままでは、フィさんは人質にされてしまう。そんな隙を与えないようにするには、カレンさん一人では戦力不足だった。
『応援の警官隊もすぐ来る! 私もすぐにそこに着くから、今は待て!』
しかし、スラングはこちらの心情を知ってか知らずか、フィさんの腹部に再び蹴りを入れた。広い工場内に、フィさんの呻き声が嫌に響く。
「待たせたな橘、様子はどうだ?」
ずぶ濡れになったファルネーゼさんが、息を切らしてやって来た。
「最悪だよ。フィが、このままじゃ――」
「一度深呼吸をするんだ、橘。上からは、応援が来るまでその場で待機の命令だ」
焦るカレンさんの肩を掴み、ファルネーゼさんが言い聞かせるように話す。しかし、カレンさんはそんな悠長な時間は無いと思っていた。
「事態は一刻を争うだろう。周囲を警官に囲まれたとなったら、デイビッドは何をするかわからない。最悪、フィは……!」
「馬鹿なことを言うな!」
カレンさんの語る最悪のシナリオに、ファルネーゼさんは我慢できなかった。カレンさんの胸元を掴み、耳元でハッキリと言う。
「そんな事、絶対にさせてたまるか。必ずフィを助ける。そのために増援が必要なんだろ!」
吹き付ける雨が、二人の横顔を濡らす。ファルネーゼさんの手を振りほどくと、カレンさんは頬に張り付いた髪を払う。
睨み合うように視線を交わしていた二人。そんな時、掠れた男の声が聞こえた。
「おいおい、そんなところで何してんだよ?」
廃工場の中から、デイビッドの声がする。それは間違いなく、二人に向けられていた。
「まさか、バレている⁉」
「自慢じゃないが、オレは鼻が良く利くんだよ。くっせぇ番犬の臭いがぷんぷんするぜ?」
カレンさんとファルネーゼさんは、揃って中を覗き込む。そこには、確かにこちらを向いて笑っているデイビッドの姿があった。
そして、銃口を側頭部に当てられたフィさんの姿も視界に飛び込んできた。
「フィ!」
思わず駆け込もうとするカレンさんの肩を、ファルネーゼさんが掴む。振り向くと、ファルネーゼさんは首を横に振っていた。今はまだその時ではない、と言うように。
「二人とも、あたしの事はいいの! 早くこの男を――」
叫ぶフィさんの言葉が突然途切れる。デイビッドが再び蹴りを入れたのだ。呻き声が、虚しく響いて聞こえる。
「いいねぇ、仲間を助けるためにやってきましたってか。楽しそうな友情ごっこしてるじゃねぇか」
デイビッドは、手に持った拳銃の撃鉄を起こした。
「オレ、そういうの大っ嫌いなんだよ」
「や、やめろ!」
ファルネーゼさんの大声に、デイビッドの動きは止まる。そして、頬を吊り上げて笑った。
「仲良しこよしの学芸会より、血沸き肉躍るサスペンスの方が面白いだろ? そうやって恐怖に支配されていく様、最高だな!」
ゲラゲラと、掠れた笑い声を上げる。しかし、すぐにそれも止まった。デイビッドは、何やら
「あいつ、何をしているんだ?」
ファルネーゼさんは、突然の行動に戸惑っていた。
しかし、カレンさんはもしやと思い、勢いよく振り返った。雨で霞む外の景色。その中に、遠くで何かが動いて見えた。
「まさかお前ら、仲間を呼んだな?」
獰猛な肉食獣のように、野生を感じさせるほどの強烈な瞳でデイビッドは二人を睨んだ。
「増援が到着したのか……?」
まだその確証を得ていないファルネーゼさんは、周りをきょろきょろと見渡す。
「本当に、しらける事をしてくれるよなぁ」
低い声で、デイビッドはイライラを抑えるように呟いた。それを見たカレンさんは、嫌な予感がした。
「不味い、奴は……!」
次の瞬間、銃声がした。工場内から、耳をつんざく炸裂音が響く。細い煙を上げた銃口が向いていたのは、フィさんの頭部だった。
「――⁉」
声にならない声が、フィさんの喉から漏れる。口の端からは鮮血が垂れ、瞳孔はだんだんと光を失っていく。そして、ゆっくりと彼女は地に伏せていった。
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