第5話 向き合う過去と向かう未来①

 あたし達は一旦事務所に戻ることにした。ファルネーゼさん達から、詳しい話を聞くためだった。


「酷いもんだね、これは……」


 幸い事務所は、形だけ残っていた。火災が起きる事もなく、事務所の内装だけが木端微塵にされている。

 椅子やソファの脚は折れ、机は真二つ。食器などを入れていた棚は倒れ、中身が散乱している。データ管理をしていたパソコンの類は、爆風で吹き飛ばされてしまったらしい。一目見ても、それらしい物は見当たらなかった。


「表の通りも酷いわ」


 割れた窓から、リンちゃんが下を覗く。シェミーのグレネードで車が爆発し、周りの建物にかなりの被害が出ているらしい。今なお、消防車の赤いランプが点滅を繰り返していた。


「それで、だ。マリーは、警察としてここに来た訳じゃないってことだったね。いったい何の用事だったんだい?」


 倒れた棚に腰かけ、カレンさんは頬杖を突きながら尋ねた。ファルネーゼさんも、二つになった机の片割れに器用に腰を下ろす。


「用を押し付けたのはお前だろう。……デイビッド・スラング、奴のことだ」


 その名前を聞いた瞬間、カレンさんは勢いよく立ち上がった。先ほどまでの気だるそうな雰囲気はどこへ行ったのか。殺気すら感じるほど、真剣な面持ちでファルネーゼさんを見ていた。


「あいつの事でここに来たって事は、何かあったんだな?」

「あぁ、そうだ。お前に言われた通り、私は現在のスラングの様子を調べたんだ」


 ふぅ、と小さく息を吐くと、ファルネーゼさんも怖いくらい真面目な顔つきで告げた。


「結論から言おう。奴は今、刑務所にはいない」

「……」


 カレンさんは、その言葉を聞いても黙ったままだった。重々しい空気が流れ始めた時、ようやく口を開いた。


「やっぱり、見間違いじゃなかったか」

「何っ⁉ 橘、お前は奴を見たのか!」


 ファルネーゼさんも立ち上がると、カレンさんに詰め寄った。二人の間には、誰も入れないほどの張り詰めた空気があった。


「そんでもって、スラングに襲われたのさ」


 襲われた? つまり、あたしもその人物を見ているという事だ。話の流れからして、ハウセンさんを殺害したあの二人の男だろう。


「それって、あの細身の男ですか?」


 大柄の男はゴウと呼ばれていた。ならもう一人の、路地まで追いかけてきたあの細身の男の事ではないだろうか。


「そう、あのひょろっとしたやつだ」


 カレンさんはちらっとこちらを向くと、そう答えた。

 あの男とカレンさん達、いったい何の関係があるんだろうか。


「それで、なんでデイビッドは刑務所の外にいたんだ? 脱獄したなんて話、聞いた覚えもないんだけど」


 ファルネーゼさんに向き直りながら、少し強めの語気でカレンさんは尋ねる。


「あぁ、それについてなんだが、ここからが本題と言ってもいい」


 そう言うと、ファルネーゼさんは周りの人物達を見渡した。先ほど自動車に乗って、銃撃戦をしていた人達だ。

 人数は九人。七人が男性で、二人が女性。いずれも体格がしっかりしていて、常日頃から鍛えているのが見て取れる。引き締まった顔つきから、只者じゃない雰囲気がある。

 ファルネーゼさんが再び机の片割れに腰かけると、話を始めた。


「私も何故スラングが獄中にいないのか、気になってすぐに調べたのさ。そもそも、最初に奴が入っている刑務所を尋ねたんだが、名簿に名前が無かった。すぐに職員に尋ねたさ。でも、全員がその人物を知らないと答えた」


 とても不思議な話だ。真面目でエリートなファルネーゼさんが、スラングがいるはずの刑務所を間違えたりはしない。それなのに、スラングがいなくなっているんだ。


「他の刑務所に移動になっている可能性もある。私はそこで、他の刑務所にも問い合わせた。しかし、どこもそんな人物はいないと答えるばかりだった」


 首を横に振りながら、ファルネーゼさんは捜査時の苦労を思い出したような表情をしている。


「何とか手がかりはないか、そう悩んでいる時だった。いきなり、署長直々の呼び出しがきたんだ。そして署長室へ行くと、待っていたのはGシティの警察幹部達だった。みんな口を揃えてこう言った。『デイビッド・スラングについて、これ以上調べるな。深入りするな』とな」


 あたしは、開いた口が塞がらなかった。警察上層部が、この出来事に目を瞑れと命令するなんて。


「やっぱり、上の連中はグルだったか……」


 今まで疑いの目を向けていたカレンさんにとっては、これで確信に変わっただろう。納得したように頷いていた。


「あぁ。私も、お前の忠告を思い出したよ。だから、追及してみた。『それはGグループの指示ですか?』ってな。そうしたら、全員だんまりだ。それで最後に念を押すように、これ以上深入りするなの一言だった」


 ファルネーゼさんは、乾いた笑い声を上げ、小さなため息をついた。


「私は心底がっかりした。街の正義だと思っていた組織の実態が、権力者の傀儡かいらいだったなんてな。その場で警察バッジを叩きつけてやったよ」


 再びため息をつくと、ファルネーゼさんは顔を上げた。そして、彼女が連れてきた人物達を見やった。


「私の事情を知った仲間達も、同じようにその場で警察を辞めてきたらしい。この後の事を一人で考えていたら、ライフルと覆面パトカーを持ち出したこいつらが来たんだ」

「そりゃ当たり前じゃないですか。みんな先輩の正しさを信じて付いてきましたから!」


 一人の男性が大きな声で言う。口調からして、ファルネーゼさんの後輩らしかった。その声に続いて、他の元警官達も同様な言葉をかけた。


「と、言う訳だ。私達は警察を辞め、事情を知っているだろうお前の所に向かったんだ。そうしたら、派手な戦闘をやっていたから手を貸した。これが、経緯いきさつだ」

「……なるほどね」


 カレンさんはそう頷いてはいるが、何か別の事を考えているようで、少し上の空な返事だった。


「ところで、そのデイビッド・スラングって人。何だか因縁浅からぬ関係みたいだけど、何かあったの?」


 リンちゃん手を上げながら、二人の会話に割って入る。


「あ、それあたしも気になってたんですけど。なんだかお二人とも、妙にスラングにこだわって見えるって言うか」


 あたしも同じように手を上げる。まるで先生に答えをせがむ生徒のように。

 すると、ファルネーゼさんがひとりでに頷き始めた。


「そうか、そうか。橘は二人に奴の事を話していないのか」


 なんだか小馬鹿にするように、おおげさな言い方をしている。いつもカレンさんにいじられる側だからか、何か弱みを掴めたことに喜んでいる感じだ。


「いいだろう、別に。私の昔話なんて、誰も聞きたがらないさ」


 カレンさんはぶっきらぼうに言う。でも、あたしは気になっていた。なんたって、この事務所に来る前のカレンさんをあたしは知らない。一切聞いた事もなかった。


「話してくださいよ。あたし、カレンさんのことをもっと知りたいです」

「そうよ! アタシだって、あんたの経歴とか何も聞いてないし」


 あたしとリンちゃんで、カレンさんに詰め寄る。しかしカレンさんは、虫でも追い払うかのようなジェスチャーをしていた。


「面白い話じゃないさ。例え知ったって、それは過去の事。今とは関係ないだろう」

「そいつはないだろ。あの事件は、橘が警察を辞めたきっかけじゃないか」


 ファルネーゼさんも納得がいかないような雰囲気だ。眉をひそめ、問い詰めるように続けた。


「それに、『フィ』の事だってある。忘れたとは言わせないぞ」

「わかっているさ。あの事件は、一時も忘れたことはない。忘れることはできないだろう」


 知らない人物の名前に、過去の事件。そして、カレンさんとファルネーゼさんの間に流れる重い空気。間違いなく、ただ事ではなかったんだろう。


「なら、お望み通り語ってあげようか。私の過去を――」

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