第3話 テトラポット②

「誰だっ!」


 身をかがませながら、あたしはホルスターに手を伸ばす。冷たい鉄の手触りを感じる。拳銃を取り出し、弾丸を装填する。


「小町、どうした⁉」


 まだ煙に包まれた部屋の扉付近から、カレンさんの慌てた声がする。


「は、ハウセンさんが――」

「おっ、ラッキーだったな。一発で仕留めたか、ハハハ」


 あたしの声を遮ったのは、先ほどの掠れた声の男だ。声の位置から、あたし達と少し離れた場所にいるらしい。


「まだです。死体を確認していませんから」


 また別の男の声がする。野太く、鼓膜を震わせるような低い声。はきはきとした喋り方をしている。


「敵か、厄介な……」


 舌打ちと共に、カレンさんのイライラしたような様子が伝わってくる。まだ姿は見えないが、恐らく拳銃を構えているに違いない。


「ったく、めんどくせぇなぁ。俺が弾を外すと思ってんのか?」

「いえ、まったく。ですが、今回の任務はターゲットの殺害です。これで万が一にでも生きていたら、マスターになんて報告するつもりですか」

「はぁ……わかったわかった。ついでだ、おまけも始末しておくか」


 おまけ、つまりあたし達の事だろう。このままじゃ戦闘になる。あたしはハウセンさんの両脇を持ち、近くの事務机の裏まで引きずった。


「大丈夫ですか! しっかりしてください!」


 ハウセンさんの呼吸は、かなり浅い。苦しそうに、ぜぇぜぇと息をしている。顔もだんだんと土色になっている。かなり危険な状態だ。


「で、データを……たのみ、ます」

「そんな! 大切なデータは、ハウセンさんの手で渡すべきです! だから、しっかりしてください! 諦めないで!」


 しかし、あたしの言葉が聞こえていないのか、虚ろな目でフロアの天井を見つめるばかりだった。次第に、目の焦点も合わなくなってきていた。


「ハウセンさん!」


 肩を揺する。でも、もう何も反応はなかった。ハウセンさんの首筋に、指をあてる。ダメだ、脈がない。心臓が止まってしまった。


「か、カレンさん!」

「……まったく、やってくれるじゃないか。大切な依頼人に、よくも!」


 あたしの言葉から、ハウセンさんの事を悟ったらしい。カレンさんが声を荒げた。


「ハウセンさんを追ってきたという事は、お前達Gグループのヒットマンだな!」


 カレンさんの声は、煙の向こうの男達に飛んでいく。


「まぁそんなもんか。俺達、テトラポットの仕事ってのは」

「テトラポット?」


 きっと、それが連中の部隊名なんだろう。


「お前達も、一緒に始末させてもらう。どんな情報を持っているかわからないからな」


 だんだん煙が薄くなってきた。顔を覗かせると、二人のシルエットが見えてくる。一人は筋肉質の大男。はきはき喋る低い声は、そいつからする。


「面倒だが、おもちゃで遊べるならやってやるか……」


 掠れた声の男は、身長は高くて細めの体つきだ。話し方からして、軽薄そうな印象だ。


「そっちがその気なら、大歓迎だね。泣いて詫びても知らないよ!」


 いつも以上に声を荒げるカレンさん。きっと探偵として、依頼人を死亡させるという最悪の事態に怒っているのだろう。自分に課したルールは徹底する性格だし。それを守れなかったという事が許せないんだろう。


「安心しな、すぐにその男みたいに撃ち抜いてやるよ。あの世で謝ってきな、ハッ!」


 細身の男が、何かを構えた。煙越しでも何となくわかる。恐らく拳銃だ。ハウセンさんを撃ったのも、あの拳銃かもしれない。


「お前達に勝ち目はない。さっさと出てくれば、楽に逝かせてやる」


 大柄の男も、銃を構えたようだ。だが、細身の男が持っている物とは比べ物にならない大きさだ。きっと、マシンガンとかそういうレベルの代物だ。この時点で、分が悪い気がする。

 そう思っていると、二人は銃を乱射し始めた。あたしが隠れている事務机の周辺に、弾が当たる音がする。

 激しい発砲音が続く。大柄男の持つ銃は、やはり連射ができる物らしい。休む間もなく、弾が放たれ続けた。


「こんなんじゃ、反撃なんてできない!」


 何度か銃口を相手に向けようとするが、周りに命中する弾丸の音が体を震わせる。もし、顔を覗かせた瞬間に弾が飛んで来たら……。そう考えるだけで、腕の力が抜ける感覚がする。


「くそっ!」


 銃声の中、カレンさんの声が聞こえた。そして、カレンさんの方から発砲音がする。撃ち返しているんだ。


「おっと」


 そんな声と共に、カレンさんの銃撃を避けるためか一瞬だけ発砲音が少なくなった。チャンスは今だ。


「敵はっ! そこか!」


 ぶれる視界、未だに広がっている煙。最悪の環境だけれど、やらない訳にはいかない。僅かに見える人影らしきものに向かって、引き金を引く。

 反動と発砲音が、体を揺らす。それと同時に身を隠す。相手の反応を待ったが、特に銃声が治まる事もなかった。弾は外れたんだ。


「まだまだ!」


 もう一度あたしは身を乗り出す。しかし、同時に銃声も止んだ。どういう事だろう。動揺を抑えながら、目を凝らす。煙の向こうの人影を探すが、見当たらない。どこに行ったんだ?


「伏せろ小町!」


 カレンさんの声がする。条件反射で身を伏せる。すると、頭上を何かが通過した。空気を切り裂いて飛ぶ弾丸だった。

 予想していない方向からの攻撃、つまりは回り込まれたんだ。不味い、早くこの場から移動しないとどうなるか。一気に心拍数が上がり、呼吸が乱れる。


「見つけたぜぇ、このガキが!」


 近くから声がする。あの細身の男がすぐそこまで来ている。恐怖心からか、奥歯がガタガタ音を立て始めた。


「やらせるかっ!」


 カレンさんが物陰から身を出し、二丁の拳銃で狙いを定める。ギラリと、銃身が光を受けて輝いた。

 発砲音が立て続けに鳴る。カレンさんの射撃は、あたしの後方へと向かっていた。そこに敵がいるんだ。


「ちっ!」


 男の怯んだ声がする。移動するなら今しかない。身をかがませながら、近くの障害物へ飛び込む。続いて、次の障害物へと移動する。これを繰り返して、なんとか相手と距離を取ることができた。

 現在の状況を把握するために、顔を少しだけ障害物から出す。すると、薄い煙の向こうに人が見えた。大柄の男だ。筋肉質で、顔は強面。頬に大きな火傷の跡があった。


「手加減はしない!」


 その男が、何かを放り投げるのが見える。先ほど見た、スモークグレネードと形が似ている。でも、見た目はもっと凶暴性のある物に見えた。


「手榴弾……!」


 まるでパイナップルのようにデコボコした表面。カーキー色の、いかにもな見た目だった。それが、あたしの頭上を飛び越えてカレンさんのいる方へと向かって行く。


「なんて物を投げてくるんだ!」


 カレンさんが血相を変え、障害物から飛び出して身を伏せた。直後、その背後から爆発が起こる。鼓膜が破れそうなほどの爆発音、肌の表面を焼かれるような熱を感じる。

 勿論、そんな物をこんな場所で使えばどうなるか。


「え……ちょ、揺れてる⁉」


 地震のような揺れに、咄嗟に近くにあった机の脚を掴む。だが、そんな事をしても無駄だった。手榴弾が爆発した地点から、ビルが崩壊を始めていたからだ。

 足元に亀裂が入り、どんどん崩れていく。


「馬鹿か! やりすぎだっての!」


 コンクリートの崩落音に交じりながら、細身の男が喚いているのが聞こえる。


「このままじゃ――」


 何とかしないと、そう思った瞬間に足元が完全に崩れた。


「うわぁぁぁああ⁉」


 机の脚を握り締めながら、体が浮遊感に包まれていく。三階から転落なんて、最悪死んでしまう。こんな所で、あたしの人生は幕を閉じるのか……。

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