第5話 道化達の舞台②

 ファルネーゼさんは姿勢を正し、真っすぐバレットさんを見る。しかし、バレットさんは微動だにしない。ずっと机を見つめたままだ。それでも、ファルネーゼさんは話を始める。


「あの身体強化剤、いったいどこから手に入れたんだ?」


 今回の聴取の本題とでも言うべき、薬の出所の話だ。入手ルートが分かれば、裏で暗躍する者達の影が見えるだろう。あたしも姿勢を正し、真剣に耳を傾ける。

 しかし、バレットさんは口を開かない。黙りこくっているだけだった。いや、そもそも無反応と言うのが正しいだろう。まるで置物のように、彼女はただそこにいるだけ。


「答えてくれ。あの薬は、いつ誰から貰ったものなんだ?」


 ファルネーゼさんは、語気を若干強めながら再び尋ねる。それでも、バレットさんの反応は変わらなかった。


「ご覧の通り、バレットは薬の影響なのか、こんな有様だ」


 お手上げと言わんばかりのジェスチャーを交え、ファルネーゼさんはこちらを振り返った。その言い方から察するに、入院中も彼女はそんな感じだったのだろうか。


「なるほど。心ここにあらずって感じねぇ」


 頬を掻きながら、カレンさんは壁から背中を離す。そのまま、カレンさんはゆっくりとバレットさんの横まで歩いて行く。


「なら、心を呼び戻せばいい」

「呼び戻す、ですか?」


 言っている意味がよくわからず、あたしは訊き返す。カレンさんは頷きながら、人差し指を立てる。その表情は、自信あり気なニヤニヤ顔だった。


「ソフィア・カサトキナ」


 ポツリと、カレンさんが呟く。その言葉がバレットさんの耳に入ると、眉がピクリと動いた。虚ろな瞳に、僅かながら光が宿った。


「そ、ふぃあ……ちゃん」


 バレットさんが、小さな声でそう言った。まるで息の抜ける音のような、極僅かな声量だった。


「反応した⁉ くっ、その手があったか……」


 悔しそうに、ファルネーゼさんは握りこぶしを作る。奥歯も噛み締めているようだが、その表情はすぐに緩む。優しそうな顔で、柔らかい物腰で再び問いかけた。


「お願いだ、教えて欲しい。君の使っていた薬は、どこで手に入れたんだ?」


 すると、バレットさんは口をパクパクと小さく動かした。先ほどとは違い、確かに反応している。

 ダメ押しと言わんばかりに、カレンさんもバレットさんに語り掛ける。肩に優しく手をやり、なるべく丁寧に話し掛けた。


「キミが教えてくれれば、ソフィアちゃんが危ない目に遭わずに済むんだ。どうか教えてくれないかい?」


 この情報が訊き出せれば、ソフィアだけでなく街全体を危険から守れるだろう。あたしは固唾を飲んで、バレットさんの言葉を待った。

 あたし達の視線を受け、バレットさんは考えるように目を閉じた。数秒すると、彼女は顔を上げ、天井を見上げた。開かれた目は、部屋を照らす蛍光灯に向けられる。


「あの……くすり、は」


 遠くを見るような瞳で、彼女は話し始めた。あたし達は黙って、次の言葉を待つ。

 バレットさんは、記憶を整理するように時々目を閉じる。


「思い、出した。私はあの日……」


 何かに気付いたように、ハッと目が開かれる。バレットさんの瞳孔は小さくなった。


「黒い服の男に……薬と鎌を貰ったんだ」

「それは本当か⁉」


 ファルネーゼさんが、思いきり前のめりになる。やっと出てきたヒントだ。ファルネーゼさんの気持ちはわかる。しかし、今のバレットさんには良くないだ。カレンさんが抑えるようにと、手を突きだす。

 そのジェスチャーに、ファルネーゼさんが我を取り戻す。


「すまない、取り乱した」


 咳払いをしながら、椅子に座りなおす。そして一呼吸置いて、話題を戻す。


「その黒い服の男とは、どうやって会ったんだ? 知り合いか?」


 すると、バレットさんはゆっくりと首を横に振る。


「その人とは、SNSで……」


 バレットさんは、淡々と質問に答えるようになった。その後も、順調に聴取は進んで行く。

 そして、薬と武器の入手の経緯が分かった。


「病んだ投稿ばかりしていた彼女のアカウントに、黒い服の男が接触してきたという事だね」


 一通り聴取が終わり、あたし達はカフェスペースで休憩していた。


「そこで薬の話に興味を持ち、実際に会ってやり取りした……」


 カフェオレの入った紙コップを手に、ファルネーゼさんが小さなため息をついた。


「これまた、大きな仕事が出てきたものだ。急いでその男を探さねばならん」

「そりゃそれが警察のお仕事だからね」


 意地悪に笑いながら、カレンさんがコーヒーに口を付ける。軽口を言うカレンさんを睨むファルネーゼさん。これはまた、いつも通りの言い合いが始まるかと思ったのだが。


「お前とここで話すのも、久しぶりだな」


 呆れたような口ぶりで、ファルネーゼさんが少し笑った。カレンさんも、小さな声で「ああ」と呟く。


「カレンさんは、以前もファルネーゼさんとここで話したことがあるんですか?」


 そんな話は聞いた事がなかった。でも、カレンさんほどの探偵なら、こういった経験も少なくないのだろう。


「なんだ橘、話してないのか?」


 しかし、ファルネーゼさんの言い方は微妙に違う感じだ。


「別に話すような事でもないだろう」


 少し面倒くさそうに言いながら、カレンさんはそっぽを向いた。いったいどういう話なのか見当もつかない。あたしが首を傾げていると、ファルネーゼさんが教えてくれた。


「橘は昔、ここで働いていたんだ」

「え? カレンさんが、警察官だったって事ですか?」


 驚いて、明後日の方向を向くカレンさんに視線を送る。


「昔の話だ。気にすることはないよ」


 こちらを向くことは無く、カレンさんはそう答えた。何やら気になるが、あんまり深堀してほしくなさそうな雰囲気だ。喉から出てきそうになった質問を、グッと飲み込む。


「それにしても、まさか武器も同じ出所とはな」


 ファルネーゼさんも空気を察して、別の話に移った。


「銀の鎌だろう。あれも、複雑な構造をしていたなぁ」


 カレンさんが思い返すように、天井を見上げる。確かに、伸縮したかと思えば刃を収納していた。まるで、マジックの道具のようだった。それで、耐久性や切れ味も抜群ときたものだ。普通の技術ではないと感じる。


「出所に関しては、概ね予想がついてはいるがな」

「本当かいマリー?」


 あたしとカレンさんの視線が、ファルネーゼさんに集まる。


「あぁ。彼女の使っていた薬の成分なんだが……」


 ファルネーゼさんは紙コップを置き、真剣な表情で腕を組む。


「スタッカート事件の犯人、嶋田の人体実験に使われたと思われる薬に近いかもしれない」


 そのことを聞いて、事件の内容がフラッシュバックする。非道な人体実験により、化け物となった男、嶋田誠道。彼は身体能力が並外れたものになっていた。

 ビルを飛び越えるほどの脚力、人を弾き飛ばせるほどの剛腕。その能力は、今回のバレットさんと近しいものを感じる。


「なるほど、な。そうなると、裏にいるのはGテクノロジーだね」

「その通りだ。あの鎌も、あそこの技術力なら作れるだろう」


 二人は目を合わせ、確信めいた視線を交差させる。

 そうなると、一つの可能性が脳裏を過る。


「もし本当にGテクノロジーが関係しているなら、まだ兵器利用の計画が進んでるってことですか?」


 スタッカート事件では、身体強化を施した兵士を生み出して、兵器として売るという話だった。今回の薬が、その延長線上にあるのだとしたら。


「十分あり得るね。奴らはまだ、兵器ビジネスを諦めていないかもしれない」


 目を細め、カレンさんはテーブルの上を睨みつける。

 あたしも、呑気な顔をしてはいられなかった。嶋田さんに続き、バレットさんも利用したGテクノロジーが許せない。彼らが撒いた種で、多くの人が傷つき、涙を流した。

 人を簡単に傷つけるようなビジネスをする連中を、野放しにしておいて良いのだろうか。いいや、見過ごす事なんて絶対にできない。


「だが、まだ警察は動けないぞ」


 燃え上がるあたしの怒りは、水を被せられた。ファルネーゼさんは、冷静な雰囲気でそう言ったのだ。


「何でですか、あんな悪い奴らなんか――」

「証拠が不十分なんだ。現に、スタッカート事件でGテクノロジーの関与を見つけられなかった。今の手札で動いても、同じことの繰り返しだ」


 そう言われて、あたしは何も言葉が出てこない。奥歯を噛み締める事しかできない。

 この街、GシティはGグループが絶大な権力を握っている。その一端であるGテクノロジーも、例外ではない。下手に動いても、事実は揉み消される。それほどの実力を、彼らは持っている。


「ま、だからこそ黒い服の男を探すんだろう?」


 カレンさんが、紙コップをあおり中身を飲み干す。その表情は、いつも通りのニヤニヤ顔だ。


「それがマリー達の仕事だからね」

「……そう言う事だ。例の男を捕まえて、関係を洗いざらい吐いてもらう。証拠が揃えば、法が悪を裁くだろう」


 ファルネーゼさんも顔を引き締め、凛々しい表情になる。それは固い決意を感じさせた。



 時代の最先端が集まり、光り輝くGシティ。しかし、光が強ければ影もまた濃くなる。栄華を極めた街の行く末は、暗いトンネルへと向かっていた。

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