第5話 道化達の舞台①
どんよりとした雲が、ゆったりと空を泳いでいる。黒い雲は、Gシティに雨を降らせていた。悲しみや痛み、それら全てを洗い流す恵みの雨だ。
そんな雨音を聞きながら、あたしは指を動かす。お気に入りのタイプライターで、お気に入りのジャズを流しながら。
勿論、作っているのは報告書だ。死神さん事件。あたし達は、そう呼んでいた。
「はい、コーヒー淹れたよ」
「ありがと、リンちゃん」
ゆらゆらと湯気を揺らしながら、リンちゃんがホットコーヒーを机に置いてくれた。勿論、コーヒーカップの隣には角砂糖の瓶がある。何個か適当に摘まみ上げ、真っ黒な水面に落としていく。
さらにそこへミルクを注ぐ。薄茶色へと変わったコーヒーを混ぜていると、リンちゃんが笑顔で口を開いた。
「それにしても、本当にお疲れ様。お陰で、すっかりソフィアも元気になったよ。他の二人も元気みたいだし」
リンちゃんは自分用に用意したコーヒーを一口飲むと、満足そうに頷く。
「これで後輩の悩みも解決したし、家賃も回収できたし!」
「あ、そっちも入るんだ……」
まぁ当たり前の話ではあるだろう。滞納されていた家賃を払わせられたのだから。
「まったく、そのせいで私はタダ働きだったよ」
応接用のソファで寝転がりながら、カレンさんは気の抜けた声を上げる。
「それは自業自得って言うのよ。悪いのはカレンなんだから」
先ほどまでの上機嫌な声とは打って変わって、リンちゃんは嘲笑うような声音になる。しかし、言っている事は至極正論なのでカレンさんも言い返せないでいた。
「そう言えば、バレットさんの続報ってあります?」
とりあえず、カレンさんに助け舟を出すべく、話題を変えてみる。
事件の後、バレットさんは逮捕された。だが、彼女の体もボロボロだった為そのまま入院という形になった。
その入院先で、事情聴取と並行して様々な検査も行われたらしい。それは、バレットさんが服用していたあの薬を調べるためだ。未使用の薬も見つかっているため、薬自体の検査と人体への具体的な影響を調査しているらしい。
「あぁ、その事を伝え忘れていたね」
カレンさんは天井を見上げたまま、気だるげに話し始めた。
「すでに彼女は退院したそうだ。あの薬の力か、治癒能力も凄まじいものだったらしい。今頃警察署で聴取でもされてるんだろう。それと、あの薬についてもマリーから連絡があったよ」
そう言いながら、カレンさんはスマホを取り出す。きっと、ファルネーゼさんからのメールを開いて確認しているのだろう。
「あの薬は、やっぱり身体能力を著しく上昇させる物だった。ただ、副作用も強烈らしい。彼女が私達の前で吐血したように、人体への負荷も大きいようだ」
やはり、それほど強力でヤバい物だった。バレットさんが血を吐いたあの光景が、一瞬脳裏に映る。
「さらに、精神を不安定にする効果もあるらしい。使用した時はハイになるようだが、それは長く続かない。酷い妄想や幻覚症状を引き起こすようだ」
「だから、あんな様子だったんですね」
死神さんとなったバレットさんは、学校で見た人物と同じとは思えなかった。あの異常なまでの豹変ぶりや、狂気じみた思考。元からそういった傾向があったのかもしれないが、薬が影響を与えていた事には違いない。
「そんな物があるなんて、怖いわよね」
リンちゃんは目を伏せ、その事実にため息をついた。
それには、あたしも同感だ。あんな薬が出回っているなんて、恐ろしい話だ。これもこの街の黒い裏側が関係しているのだろうか。不安を紛らわせるために、コーヒーを
「そう言えば」
気だるげな様子だったカレンさんは、身を起こしてこちらを見た。
「マリーに、聴取に立ち会わないかと言われていたねぇ」
「聴取にですか?」
「なんだか特別に許可が下りたとかさ。どうだい小町、興味はあるかい?」
悪戯好きな子どものような、含みのある目が向けられる。その顔は、普段の二割増しほどニヤニヤしていた。
「それって、カレンさんも行きたいってことでしょ?」
「まぁね」
そう言う訳で、あたし達はファルネーゼさんの誘いを受けた。早速、次の日に向かう段取りとなった。
人口の多いGシティには、犯罪が絶えない。日夜、パトカーが走り回るような街なのだ。
世界でも有数の発展した街であるため、時代の最先端がここに集まる。それを追って悪人が集まるのか。はたまた、最新技術の裏には悪があるのか。それとも、最新技術が人を悪へと堕とすのか。
とにかく、繁栄と犯罪率は比例している街なのだ。そんな街の治安を守るのが、Gシティの警察官達だ。そして今、目の前に
白い外壁は、清く正しくあろうとする意志を感じるほど綺麗だ。しかし、そんな建物を前にカレンさんはため息を零す。
「どうしたんですか? あんなに乗り気だったのに」
「事件に関しては、ね。でも、この真っ白な壁を見ると気が滅入るのさ」
カレンさんは歩きながら、その白い外壁を睨みつける。そして、小さな声で言った。
「どうしようもなく、汚したくなる」
あたしは、その言葉の意味が分からないまま署内へ入った。受付では、既にファルネーゼさんが待っていた。
「わざわざお出迎えとは、感心だねマリー」
「余計な口は開くな。ほら、許可証だ。持っておけ」
ぶっきらぼうな言葉を返しながら、ファルネーゼさんが小さな札を渡してくれる。これがあれば、中に入れるという事だろう。
「既に準備はできている。早速行くぞ」
ファルネーゼさんの案内で、あたし達は署内を進んで行く。一般人が入れるであろうフロアを抜け、どんどん先へと行く。次第に、周りの雰囲気が冷たく重たいものに変わっていく。何となく感じる、この先で聴取を行うのだろうと。
「あの部屋で聴取をする」
ファルネーゼさんの指差す方向を見ると、いくつもの扉が並んでいる通路だった。そのうち一つの扉の前に、若い男性警官が立っていた。きっと、その部屋にバレットさんがいるのだろう。
扉の前まで行くと、立っていた男性警官が敬礼をする。それにファルネーゼさんは敬礼を返しながら、ご苦労と労いの言葉をかける。
そして、取っ手に手を掛け扉が開いた。小さく軋む音と共に、中が明らかになる。刑事ドラマなどで見るように、簡素な内装だ。部屋の中央に机。それを挟むように置かれた椅子。部屋の隅には、聴取を記録するためのパソコンと机と椅子。そして、奥の壁には光を取り入れるための小さな窓。ちゃんと、鉄格子もされている。
そんな部屋にポツンと座る少女が一人。バレットさんだった。
「待たせたな。これから聴取を行う。質問には正直に答えて欲しい」
あたし達が部屋に入りきると、男性警官が扉を閉めた。中央の椅子にファルネーゼさんが座り、反対の椅子に腰かけるバレットさんを見た。
そして、記録を取るために部屋にいた別の男性警官も、パソコンを準備し始める。
「なんだか、いよいよって感じですね」
重々しい雰囲気に、思わず小声であたしは口を開く。しかし、カレンさんは慣れたように壁に背を預けていた。腕を組み、いつでも聴取を始められるような雰囲気だ。
「まぁ、気楽に構えなよ。私達はゲストだ。大事なことは、マリーが全部やってくれるさ」
「そういうものですか……」
とは言っても、カレンさんみたく壁に
そうして、改めてバレットさんを正面から見る。最後に会ったあの日よりも、やつれている。髪もぼさぼさで、瞳からは生気を感じない。まるで魂の無い、抜け殻のようだ。虚ろな目は、机の一点を見つめて動かない。
「では、早速始めるぞ。まずは、一番訊きたい事からいくぞ」
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