第4話 仮面の奥のスイセン⑥
自身の愛を否定され、彼女は全てを諦めてくれたのだろうか。
そう思ったが、違った。
「ふっ……ふふっ」
肩を震わせながら、小さく笑い声が聞こえる。どうしたんだろうか、そう思った瞬間。
「あはっ、あはははは――」
彼女は曇天の空を仰ぎ見た。その顔は、怖いほどに笑顔だった。そして、壊れたように笑い始めた。甲高い笑い声は、鼓膜をギンギンと震えさせる。
「そうよね、そうだよね! 手に入らないなんて事実はいらない。みんな、このままになればいい!」
よくわからない言葉を叫びながら、彼女は立ち上がる。そして、バレットさんの目はソフィアに向けられる。だが、その焦点はどこを見ているのかわからない。
「ソフィアちゃん、あなたを永遠にしてあげる」
そう言うとバレットさんは首に何かを当てた。拳銃ほどの大きさだが、シリンダー状の筒が装着されている。半透明の筒の中では、液体が波打っていた。
「しまった、あれが薬だ!」
ファルネーゼさんが叫ぶが、もう遅い。プシュッという音と共に、バレットさんは首筋に薬を注入し始めた。
「ソフィアちゃん……思い出の中で愛し合おうね」
バレットさんの首には、無数の筋が浮かび上がる。ドクンと、大きな鼓動音がすると筋は消えた。だが、それに合わせて彼女の瞳が嫌に光る。
「来る――!」
そう覚悟した瞬間、目にも止まらぬ速度でバレットさんが加速した。視線は、あたし達よりも後ろを見据えている。狙いはソフィアだ。
「させない‼」
バレットさんの進路上に、体を飛び込ませる。拳銃の引き金に、指をかける。指先に力を入れようとするが、間に合わない。バレットさんの体は、すぐ目の前に迫っている。
「小町っ⁉」
カレンさんの声がした瞬間、あたしはバレットさんと激しく衝突する。彼女の突進は凄まじく、衝撃が体全体を走る。すると、体が浮遊感に包まれる。撥ね飛ばされたのだ。
体は重力に従い、地面へと落下する。なんとか受け身を取り、衝撃を緩和させることに成功した。
そして、すぐに顔を上げる。バレットさんはどうなったのか。ソフィアは無事なのか。急いで視線を彷徨わせると、バレットさんはカレンさんと交戦中だった。
「キミの愛は本物じゃない! そうと知っても、まだ戦うのかい⁉」
回し蹴りをしながら、カレンさんはバレットさんに問い続ける。
「関係ない! これが私の愛なの‼」
バレットさんは身を屈め、蹴りを回避する。カレンさんは畳みかけるように、連続で蹴りを放つがこれも避ける。
薬を打ち、身体強化された彼女にはこの程度の攻撃など造作もないのだろう。
「ソフィアちゃん以外はいらない、消えろっ!」
カレンさんの動きに合わせ、バレットさんが拳を放つ。カウンター攻撃だ。瞬発力の高いバレットさんの攻撃が先に当たるのは、明白だった。強烈な一撃が、カレンさんの横腹に入る。
うっ、と呻くカレンさん。痛みでできた隙に、バレットさんはさらに追い打ちをかける。
「消えちゃえ、消えちゃえよ全部!」
高速のパンチが、次々とカレンさんに命中する。遂には、勢いよく振り上げられたアッパーカットにより、カレンさんは殴り飛ばされた。
背中を激しく打ちつけながら、カレンさんはコンクリートの上を転がる。
「くっそ……、やってくれるじゃないか」
歯を食いしばりながら、カレンさんは負けじと立ち上がろうとする。しかし、背中の傷が痛むのか、体を起こせずにいた。
「橘、立てるか?」
ファルネーゼさんが駆け寄ろうとするが、バレットさんがそれを阻止する。今度は、ファルネーゼさんに狙いを変えたようだ。
「お前も邪魔だ!」
「ちぃっ⁉」
拳銃を構え、ファルネーゼさんは発砲する。だが、やはり今の状態のバレットさんには通用しない。恐るべき速さのフットワークで、弾丸を回避しながら詰め寄る。
バレットさんは、ファルネーゼさんの懐に潜り込むと、腹部に拳をねじ込ませた。痛みにファルネーゼさんの表情が歪む。しかし、警察のプライドだろうか。痛みを堪え、バレットさんを押さえこもうとする。
「大人しくしろ、もう暴れるな!」
バレットさんの手首を掴み、拘束しようとする。だが、普通の人間の力では彼女を押さえられない。ファルネーゼさんの手を払い、バレットさんの攻撃が再開される。
畳みかける、パンチやキック。ファルネーゼさんが膝をつくのに、十秒もかからなかった。普段から鍛えている警察でさえ、バレットさんを押さえられない。
「やっぱり、頼れるのはこれだけだね」
カレンさんが、体を起こしながら拳銃を握る。あたしは、すぐにカレンさんに駆け寄り、手を貸す。立ち上がっても、その顔は苦しそうだった。
「背中、痛みますよね?」
「あぁ、正直言ってかなり辛い。でも、見習いの前では強がらせてもらうよ」
ニヤリと、痛み混じりの笑顔を向けられる。やっぱり、どこまでも格好つけたがりなのだ。それが、カレンさんらしさでもある。
「はい、街一番の実力を頼りにしてますから」
「なら、私はお前を頼らせてもらおう。うち唯一の所員だからね」
そう言うと、カレンさんは拳銃であたしの拳銃を小突いた。小さな金属音が鳴る。
「死神さんと初めてやり合った時の作戦、覚えているかい?」
「それって、あたしが失敗したやつですか……?」
カレンさんが敵を引き付け、あたしが死角から奇襲をかけるというあの戦法だ。初めてやった時は、あたしが攻撃を外すという痛恨のミスをしてしまった。
「あぁ、それをもう一度やろうと思う」
「けど! あれは、あたしがミスしてカレンさんが怪我を――」
「だからだよ」
不安に満ちたあたしの言葉を、カレンさんが凛とした声で遮る。
「もう一回やってみな。今度はできるだろう?」
そう問うカレンさんの瞳は、疑う心なんて全く感じない真っすぐなものだった。もう一度やれば、成功する。そう信じて疑わない、強い瞳だ。
根拠もないのに、あたしは絶対の信頼を向けられている。もうここまで来ると、馬鹿なんじゃないかと笑えてくる。それと同時に、嬉しさも湧き出てくる。
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