第4話 仮面の奥のスイセン⑤

「小町、こっちだ」


 廃屋を抜け、道路を走り始めるとカレンさんはそう言った。カレンさんが指差す方向は、バレットさんが向かった方向とは若干違う。

 でも、その手にはスマホが握られていた。そうか、まだ渡辺さんには発信機が付いている。スマホで位置を確認できるのだ。これなら、迅速に彼女達の元へと向かうことができる。


「いた、あそこですね」


 しばらく走ると、足を休めている一行を発見した。しかし、到着したのはあたし達だけではなかった。


「見つけた、ソフィアちゃん……!」


 バレットさんも同じタイミングで現れたのだ。彼女は、廃墟の屋根を飛び回り見つけ出したらしい。建物の上から飛び上がって、ソフィア達の元へと降りてきていた。


「マリー上だ!」


 カレンさんが、ファルネーゼさんに向かって大声を上げる。まだファルネーゼさんは、バレットさんが迫って来ている事に気が付いていない様子だった。


「何っ⁉」


 ファルネーゼさんは拳銃を抜き、空を見上げた。だが、彼女は見当違いの方向を向いてしまっている。


「七時方向、斜め三十度に撃てっ!」


 カレンさんが早口で伝える。そんな情報だけで大丈夫なのだろうか。

 しかし、あたしの心配は無用だった。ファルネーゼさんは何も言わず、黙って指示通りの方向に銃口を向ける。そして、バレットさんの姿を確認すると引き金を引いた。

 空中で方向転換なんてできるはずもない。それでもバレットさんは、迫る弾丸を避けようと身をよじる。回避は成功し、銃弾はバレットさんの脇腹を掠めるだけだった。しかし、空中でバランスを崩した彼女は落下する。ひび割れたコンクリートに体を打ちつけた。

 その間に、あたし達はファルネーゼさん達の元へ辿り着いた。


「どうして逃げないんだい、マリー?」


 銃をバレットさんに向けながら、カレンさんは尋ねる。


「思っていたよりも、エミリー・ライヴリーは消耗している。とてもじゃないが、彼女を走らせるのは無茶だ」


 ファルネーゼさんの言う通り、ライヴリーさんはとても辛そうな表情をしている。肩で息をし、へたり込んでいた。

 何日も縛られた状態で監禁されていたのだ。食事もろくにとれていたかもわからない。そんな彼女に、いきなり走れと言うのも酷というものだろう。


「ご、ごめんなさい……。エミリーのせいで」


 ぜぇぜぇ、と荒い呼吸と共にライヴリーさんが頭を下げた。しかし、彼女に非は無い。みんなが首を横に振る。


「エミリーが謝ることじゃないよ! 元はと言えば、うちが悪いんだし」


 ソフィアは、ライヴリーさんの背を擦りながら言う。


「うちが、あんな依頼しなければ……。ううん、違う。二人と喧嘩なんてしなければ、こんな事にはならなかったんだもん」


 ソフィアは、渡辺さんとライヴリーさんへ向かい合う。そして、深々と頭を下げた。


「ごめんなさい。エミリーがくれたアクセサリー壊して。ケイに、悪口言って。二人に、こんな思いさせて、本当にごめんなさい!」


 涙ながらにソフィアは謝った。あたし達の元に来た時から、彼女は二人を本気で心配していた。それと同時に、深い後悔も抱えていた。ずっと、謝りたいって思っていただろう。今、ようやくソフィアはそれを伝えられたのだ。

 ソフィアの謝罪に、真っ先に口を開いたのは渡辺さんだった。


「まったく……。悪いのはさ、ソフィアだけじゃない。わたしも悪かった。だから、さっさと顔上げなよ。わたしが謝れないじゃんか」


 この言葉に、ソフィアは驚いたような表情をしながら顔を上げた。多分、もっと厳しい言葉が飛んでくるとでも思っていたのだろう。

 でも、渡辺さんは責めないだろう。彼女と初めて会った時、その心の内を聞かせてもらったからわかる。


「わたしも、ごめん。あの時は、言い過ぎた」


 渡辺さんは、ぎこちない動きで頭を下げた。彼女は、あたしとの約束を守ってくれたのだ。


「エミリーも、二人に謝るね。ごめんなさい」


 ライヴリーさんも渡辺さんに続き、謝った。しかし、この謝罪に二人は「いやいや」と言いながら止める。


「なんでエミリーが謝るのよ。アクセサリーを壊したうちが完全に悪いじゃん」

「ううん。壊れたなら、また作ればいいよね。アクセサリーが壊れても、エミリー達の友情が壊れる訳じゃないんだから」


 にっこりと、ライヴリーさんは眩しい笑顔を向ける。それを見て、ソフィアは涙を溢れさせた。


「まだ、友達だって言ってくれるの?」


 ソフィアは、自信なさげに二人に問う。二人は、ゆっくりと頷いた。


「当たり前だろ。この程度の喧嘩で絶交とか、そっちの方があり得ないし」

「うんうん! そうだ、今度は一緒にアクセサリー作ろうよ。エミリーが教えるからさ♪」


 そう言うと、ライブリーさんが二人の手を握る。二人も手を握り返し、嬉しそうに頷く。こうして、三人の友情は元の形に――いや、それ以上のものになったようだ。

 しかし、納得できないと言う人物がこの場にはいた。


「なんで……なんでこっちを見てくれないの、ソフィアちゃん」


 バレットさんだ。歯を食いしばり、血走った目でソフィアを見ていた。


「あなたを大切にしない奴らなんか、捨ててしまえばいいのに!」


 毒々しい気配を纏った言葉が、コンクリートにぶちまけられる。あまりにも恐ろしい雰囲気に、ソフィア達は固まってしまう。バレットさんの一挙手一投足に怯えているようだった。


「そんな奴らよりも、私はあなたを愛しているのに! なんで私だけを見てくれないの⁉」


 バレットさんは、そう叫びきると苦しそうにむせ始めた。咳と共に、彼女の口から赤黒いものが飛ぶ。ぴしゃり、と水音をたてて地面に落ちたのは血だった。


「どうして、バレットさんが血を……?」

「恐らく、薬の副作用かもしれないね。あれだけ体を強化して、リスクがゼロって事は無いんじゃないかな」


 あたしの疑問に、カレンさんは酷く冷静に答えた。もしその通りなら、バレットさんの体はかなり傷ついているはずだ。

 それでも、バレットさんは言葉を続ける。吐血することなどお構いなしに、涙を流しながら叫び続ける。


「ソフィアちゃんを愛してる! だからソフィアちゃんも愛してよ! あなただけを見てるから、私だけを見てよ!」


 息を切らし、口の端から血を垂れ流すバレットさん。血走った目に、鬼のような形相。そして、涙に濡れた頬。彼女は、怒りと悲しみをコントロールできず、叫ぶことしかできないようだった。感情のままに叫ぶその姿は、まるで獣のように見える。

 しかし、そんな姿を見てもソフィアは声を上げた。怯えて、上ずった声を出す。


「うちは、リサさんとも仲良くなれたらって思ってた。でも簡単に誰かを傷つける人とは、友達になんてなれない!」


 震えた声でも、真っすぐな思いは確かに感じられた。これが、ソフィアの意思だ。それに合わせるように、カレンさんも「その通りだ」と続く。


「リサ・ローズ・バレット、キミの愛は間違っている。愛とは、お互いに相手を思いやる心だ。友愛でも、親愛でも、恋愛でも。だけど、キミの愛は違う。それはただのエゴだよ。押しつけだ。キミの掲げる愛は、愛じゃない」


 二人の言葉を聞いたバレットさんは、全身の力が抜けていた。あれほど強張った表情も、感情が抜けたように無を示している。そして、自身の体を抱きしめてうずくまった。

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