第2話 死に笑う仮面②
よろめく女子生徒を、カレンさんは素早く支える。まるで物語の王子様のように、背中に手を回し、抱くように支えた。
「ごめんね、大丈夫かい?」
カレンさんは優しく微笑んだ。この絵面だけ見れば、美しくてかっこいいお姉さんだ。でも本性は、お酒が大好きで、家賃は払わない、女遊びの激しい面食いのだらしない大人なのだけれど。
それでも何も知らない人なら、これで恋に落ちてしまうかもしれない。今回も、相手の頭上には『トゥクン……』なんて効果音が出ているのだろう。
勝手にそう思っていたのだが、予想は外れた。目元を覆っていた髪の隙間から、その瞳が見える。どこか遠くを見ているような、あまり感情を感じさせない目をしている。
カレンさんも、この反応の薄さには驚いたようだ。いつもなら、相手を口説くようなキザな台詞が一つや二つ出てくるだろう。でも、今は何も言わなかった。
「……あ、ごめんなさい」
今にも消えそうな小さな声で、彼女はお礼を言った。そして、そそくさとカレンさんから離れ、廊下を早足に進んで行った。
カレンさんは、遠ざかっていくその背中を見つめていた。
「ああいう子って、どんな学校にもいますね」
あたしが思った事は、シンプルにそれだった。あたしの学生時代にも、クラスにはあんな感じの控えめで、大人しい子がいた。きっと、どんな場所でもどんな時代でも、そういう子は必ずいるんだろう。
「あの子も、うちと同じクラスなんです。リサ・ローズ・バレットっていう子で。いつもあんな感じですけど、優しいんですよ」
「バレット……確かに、座席表にも名前があったね」
さすがカレンさん。あんな短時間だけ見た座席表を覚えているなんて。こういう部分は憧れるのになぁ。
「大丈夫ですかカサトキナさん!」
バレットさんが向かった逆側の廊下から、男の声がする。焦ったような声で、ソフィアの事を呼んでいた。
あたし達は振り向くと、声の主が急いでこちらに向かって来ていた。
短く整えたスポーツ刈りの頭に、銀縁の眼鏡。その目は、クワッと見開かれていた。
「あれ? 委員長じゃん」
「委員長?」
オウム返しのように、訊き返してしまう。ソフィアは続けて、彼を紹介してくる。
「うちのクラスの学級委員長。真面目な人で、確か名前は……なんだっけ?」
「ジョン・ノースです! 酷いじゃないですか、自分の名前を憶えてくれていないなんて!」
「いやぁ、ごめんね。いつも委員長って呼んでるからさ~」
苦笑いをしながら、ソフィアは謝った。あんまり謝っている雰囲気には見えないけれど。
ノース君は眼鏡をくいっと上げながら、ソフィアの体全体に視線を送った。
「それより大丈夫ですか? 何やらぶつかったような音が聞こえましたけど」
「あぁ、大丈夫。それ、うちじゃないか――」
「んっ⁉」
彼は、ソフィアの言葉を遮り、あたし達に視線を向けた。その目つきは鋭く、まるで怪しいものを見るような目だった。
「誰ですか、あなた達は。ここは学校です、関係者以外は入っちゃいけないんですよ!」
ビシッと人差し指があたしとカレンさんに向けられる。
「あ、えっとね、この人達は――」
「怪しい、怪しいですね。もしかして、カサトキナさんにぶつかったのはあなた達ですか⁉」
ソフィアの声など届いていない様子で、ノース君はあたし達にまくし立ててきた。まるで闘牛のように、鼻息を荒くしている。
「狙いはなんですか、誘拐ですか⁉ そうはさせません! このジョン・ノース、学級委員長の名に懸けて生徒を守ってみせます!」
ノース君の大きな声に、周りの生徒達がこちらに視線を送ってくる。なんだか、このままでは本当に不審者扱いされかねない。
「あのね、あたし達は――」
「悪い人達の言葉などに耳を傾けてはいけません! さぁ、カサトキナさん逃げて!」
そう言うと、彼はソフィアの背中を押して、あたし達から距離を取らせた。そして、ソフィアとあたし達の間に、ノース君は体を割り込ませる。
「いいですか、あなた達なんてすぐに警察に捕まって、独房に入れられるんです! 正義は悪に屈しない! 悪がこの世に栄えたためしはないのですから!」
ダメだ、全く話を聞いてくれない! それどころか、話させてくれない!
気が付けば、周りは大観衆ができていた。楽しそうに見てくる人もいれば、本当に怯えた目を向けてくる人もいる。これでは本当に悪人になった気分だ。
「カレンさんどうしましょう⁉」
助けを求めて、視線を送る。流石のカレンさんも、この状況には呆れ顔だった。大きなため息をついて、ジャケットの内ポケットから何かを取り出した。
小さな名札のような物。それは、あたしも貰っていた物だった。
「これで満足かい、学級委員長さん」
カレンさんは、ノース君に学校の立ち入り許可証を突きつけた。あたしも、少し遅れてから同じものを差し出す。
「こっちはちゃんと手続き踏んで入らせてもらってるから。あんまり騒がないでもらえるかい」
ノース君は、カレンさんの顔と許可証を交互に見てから、石のように固まった。どうやらわかってくれたようだ。
「よかった、これで調査を再開できますね」
人混みを掻き分けて、ソフィアが安堵したように言う。しかし、カレンさんは首を横に振った。
「いや、これだけの騒ぎになっちゃったから調査はできないね。もし、犯人がこの騒ぎを聞きつければ逃げ出してるよ」
確かにこれだけの野次馬が集まってしまっては、調査も情報収集も捗らないだろう。
カレンさんはあたしを一瞥して、歩き始めた。
「ここでできる事は無いかもね。一旦引き上げだよ」
あたし達は何も収穫を得られないまま、学校を後にした。
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