第2話 光の切れ間②
現在、午後十一時。あたし達は今、茜村善蔵が殺害された中央公園にいる。辺りは真っ暗で、頼りになる街灯も点々としかない。
しかも、遺体が発見された場所は丁度街灯の光が届かないような場所らしい。
「ね、ねぇカレンさん。別に、夜来る必要はないんじゃないですか?」
「いや、これは大事なことさ。犯行が行われたと思われる時間。その時の状況を同じように見る事は大切だろう?」
あたし達は、ファルネーゼさんからもらったデータを元に、殺害現場を調べにきていた。そこには、死亡推定時刻も記されていた。だからこうして、犯行時間に合わせて現場に来ているのだが……。
「でも、それってつまりスタッカートと遭遇する確率も高いってことですよね?」
「そうなるね」
「危ないじゃないですか!」
今までスタッカートは、必ず日暮れから日の出の間に犯行を行っている。さらに言えば、この時間帯が一番犯行回数が多いのだ。今にも、すぐそこの茂みから出てきそうだ。
「むしろ、この目でスタッカートが見られればラッキーとも思ってる」
「そんなぁ」
こみ上げてくる恐怖を、必死に理性で抑え込む。
暗闇の中を、カレンさんはずんずんと進んで行く。その手にはスマホが握られている。画面には、この公園にある大きな丸い池の地図が映っている。そして、池の周囲を囲む遊歩道の一か所にバツ印が付いていた。そこが遺体が発見された場所だ。
「うん、ここだね」
カレンさんが立ち止ったのは、何の変哲もない道の真ん中だった。既に警察の調べは終わったのか、血痕なども見当たらない。勿論、規制線なども張られていない。
しかし、何かがぶつかったのか、地面は変にへこんでいる。そこだけ赤い三角コーンが立てられていた。
「これが痕跡か。それにしても、ここら辺は思っていた以上に暗いな。キャンドルでも灯したくなるね」
茂みが鬱蒼と生い茂り、街灯の灯りを遮っている。池を挟んで対角線上に街灯は見えるが、明かりとしては物足りない。
「これなら背後から襲われても、気づきにくいですね」
カレンさんの背中も、少し離れた所から見れば闇に消えてしまいそうだ。暗がりで目立たない格好をしていれば、視認はさらに難しくなるだろう。
「だけど、スタッカートはそうやって襲った訳じゃないらしい」
カレンさんはスマホの画面を見せてきた。先ほどの地図は同じだが、書き込んである文字やマークが違う。別の資料のようだ。
「私達が今いる場所はここ。で、スタッカートの足跡が発見されたのはここなんだ」
長くて細いカレンさんの指が、画面上のマークを指差していく。あたし達がいる場所はすぐにわかった。でも、スタッカートの足跡が見つかった個所は見間違いかと思ってしまうほど、遠くにマークされていた。
その場所は、ここと同じ遊歩道なのだが、場所が離れている。画面にも記されているが、直線距離にして二十五メートル。
「えっと、これってつまり、現在地から足跡が見つかった場所の間に、痕跡は無かったってことですか?」
「そういう事。このデータ通りに考えるなら、スタッカートはこの距離を飛び越えた事になる。このへこみは、着地跡になるらしい」
そう言うと、カレンさんはカーブした遊歩道の先を指差した。つまり、池を飛び越えてここで被害者を襲ったという事だ。
「は、はい? ちょっと現実離れ過ぎて、理解が追いつかないんですけど」
「まぁそうだろうね。じゃあ、実際にあそこまで行ってみるか」
歩き出したカレンさんの後を追う。その背中を追いながら考える。
二十五メートルの跳躍なんて、普通に考えたらあり得ない。人間のできる事じゃない。ファルネーゼさんの言っていた、スタッカートの正体。本当に化け物なのかもしれない。
「見えてきた。あれが、踏み込んだ跡らしい」
カレンさんの指先が示しているのは、遊歩道の柵だった。ここの遊歩道は、池への落下防止の為にお腹辺りほどの高さの柵が設置されている。
しかしこの柵は、変な形に変形してしまっている。高さも腰ほどまで下がっていた。まるで、何かが踏みつけた衝撃で歪んだように見える。
「この距離を、跳んだんですか……」
歪んだ柵の前に立ち、改めて犯行現場を見る。今いる場所が明るいので、暗がりである現場は非情に見にくい。
「この条件下で、スタッカートは正確に被害者を狙って跳んだ。人の成せる技じゃないね、完全に」
カレンさんも両手を上げ、やれやれとポーズをとる。
「このデータが本当なら、スタッカートは夜目が利いて、二十五メートルも跳躍できる化け物ってことですか。なんだが信じられないですよね」
「一応、他にも何かヒントがないか探してみようか」
カレンさんは振り返ると、来た道を戻り始める。何かスタッカートに繋がる証拠があれば良いけれど。
なんて期待したが、こんな真っ暗な中ではろくに調べる事も出来なかった。
さらに、警察が現場を調べたのは日中だ。調査環境が違いすぎる。日中見落としてしまうような個所を、こんな暗闇の中で見つけられる自信は無かった。
結局何も見つけられず、遺体発見現場にまで戻ってきてしまった。
「小町、少しここで待っていて」
そう言うと、カレンさんは駆け出して行った。急に一人になってしまった。それを自覚すると、風で騒めく木々がお化けのように見えてしまう。
「早く戻って来てよ、カレンさ~ん」
カレンさんは、またスタッカートの痕跡が残っていた柵にいた。と言っても、ここからでは、あのシルエットが本当にカレンさんか確認できない。誰かがいるというのはわかるのだけれど。
すると、突然スマホが震える。画面はカレンさんからの着信を表示していた。
「はい、どうしましたか?」
「う~ん、やっぱりここからだと小町の姿はほとんど見えないな。そっちからは、私が見えるかい?」
電話越しにそう言うと、カレンさんは大きく手を振り始めた。
「今手を振っているのは確認できました。けれど、それが誰かは判別できませんね」
「そうか。やっぱり人間にできる事じゃないんだよねぇ」
電話を切り、再び駆け足でカレンさんは戻ってきた。そして、少し離れた場所にある、街灯に照らされたベンチを指差した。あたし達はそこへ移動すると、腰を下ろした。
「調べれば調べるだけ、スタッカートの人間離れした力を思い知るよ。さて、いったいどうやって捕まえたものかね」
確かに、こんな相手は追いかけるだけでも難しい。さらにそれを捕まえろと言うのだ。警察でさえも苦戦している犯人を、あたし達だけで捕まえられるのだろうか。
「そもそも、どうしてロバートソンさんは捕まえて、なんて依頼したんでしょうか?」
「厳密に言えば、捕まえて引き渡せ、という内容だった。警察に突きだせって言っていないんだよ。それに、変な点は他にもある」
そう言うと、カレンさんはスマホを取り出した。そして、画面に何やら書面のようなデータを表示させる。上部には、依頼書と書かれていた。
「これって、今回の依頼のですか?」
「あぁ、あの時執事さんに書いてもらったものだ。ここを見て欲しい」
カレンさんの指先は、書面の下の方を指していた。そこは、依頼者の署名個所だった。でも、そこにはロバートソンさんの名前は無かった。
「茜村聡子……?」
確かにハッキリと、依頼者の欄にそう書かれていた。
「茜村聡子。ここで亡くなった、茜村善蔵の妻だよ。つまり、今回の依頼を出したのは執事のロバートソンではない。その主人の、茜村聡子だったんだ」
気が付かなかった。ロバートソンさんが、この依頼書を書いているその場に居たけれど、全く知らなかった。
「ここに来る前に、茜村家についてちょっと調べてみた。善蔵は、ニュースでも言っていたように資産家だ。そして、聡子夫人も同じく資産家なんだが、実はこの二人にはあまり良くない噂が出回っていた」
「噂、ですか」
カレンさんは、背もたれに体を預け、空を見上げた。あたしも同じように空を見上げるが、星などは見えない。近くに街灯があるから見えにくいというのもあるが、大きな原因は街全体が明るいからだ。
「良くない噂ってのは、二人は金儲けのために色々と強引な手を使っている、という内容だった。強引な土地の買収、投資先のライバル会社への圧力――と様々な話が出回っていたのさ」
それが本当なら、酷い話だ。火がないところに煙は立たない、と言うからには何かしら悪事を働いていたのだろうか。
「元々、善蔵は貧民街育ちだった。そんな環境で育ったからか、金と権力に執着するような性格だったらしい。妻の聡子も、かなり金に執着した人物らしい。結婚前から、悪い噂があったようだ。そんな二人だから、いろんな噂が絶えないんだろうね」
「なんだか、人に恨まれる理由は十分ありそうですね」
「だが、今回の善蔵の事件は怨恨の線は薄いだろう」
ニュースでも言われていたが、警察はスタッカートの犯行を通り魔だと思っている。理由は、殺害された人々の共通点があまりにも無い事らしい。
「なにか、スタッカートの狙いがわかればいいんですけどね……」
しかし、通り魔にそれがあるとは思えない。無差別に攻撃をするから、通り魔なのだ。頭を傾げながら考えるが、スタッカートに繋がるような事が思い浮かばない。
そんな時、突然悲鳴のようなものが聞こえた。遠いのか、ハッキリと聞こえはしなかったが男性の悲鳴みたいだった。
カレンさんの顔を見ると、同じように聞こえたらしい。緊張感のある表情をしていた。
「小町、行こうか!」
「はいっ!」
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