第1話 ビターオアスイート②

 後日。あたしは、事務所でタイプライターを打っていた。アンティーク調の、お気に入りの逸品。心地よいカタカタとした音が、事務所内に響く。

 コーヒーを片手に、前回の依頼の報告書を作っていたのだ。


「うぅ、苦い……」


 やっぱりブラックはまだ飲めない。大人になれば、ブラックコーヒーを飲めるようになるものだと思っていたけど。


「いい加減、タイプライターなんてやめたらどうだい? タブレット端末とかでも作れるだろう。そっちの方が楽なのに」


 応接用のソファに腰かけながら、カレンさんは呑気な声を飛ばしてくる。


「それでもタイプライターが良いんです。カッコいいじゃないですか」


 良さを主張するように、文字を打つ手を動かし続ける。しかし、心地よいタイプ音など興味が無いらしく、カレンさんはスマホに目を落とす。


「カッコいい、か。やっぱり小町の憧れが影響しているのか」

「当たり前じゃないですか。あたしの目標なんですから」


 あたしの憧れ。それは、ドラマや漫画、小説に出てくるようなカッコいい探偵だ。どんな時も冷静沈着で、誰もが頭を抱える謎を解き明かす。そして、コーヒーとタイプライターの似合う、渋い姿。

 そんな憧れを叶えるために、あたしはGシティにやって来た。そして、街一番の探偵と呼び声高いカレンさんの元を訪ねた。あれから三か月ほど経っている。時間の流れは早いものだ。

 美しい思い出に浸っていると、突然事務所のドアが勢いよく開いた。勢い有りすぎて、大きな音を立てている。その向こうから現れたのは、元気な少女だった。


「いい加減家賃を払いなさい、カレン!」

「うげっ、シャオ……」


 ポニーテールの毛先を跳ねさせ、ずんずんとカレンさんに迫って行く。彼女は、事務所のある雑居ビルのオーナーの娘、リン・シャオリンだ。


「これが何かわかるかしら、街一番の探偵さん!」


 リンちゃんは、何か紙の束を取り出すと、カレンさんの眼前に突きつけた。それが何かを確かめる事もなく、カレンさんは嫌な顔をしながら答えた。


「督促状、かな?」

「正解、大正解。じゃあ、賢いカレンにならわかるわよね? これを滞納し続けたら……」

「ここを追い出される」


 答えると、すかさずリンちゃんは督促状でカレンさんの額を叩いた。ぴしゃり、と乾いた音が鋭く響く。


「なんだか、最近私の扱いが雑じゃないか君達」

「そりゃそうよ! 酒とキャバ嬢にばっかりお金出して、大事な家賃を収めない奴なんか誰が丁寧に扱のよ」


 至極真っ当な言葉に、カレンさんは何も言い返せず、黙って督促状を受け取った。自業自得というか、何というか。

っていうか、このままじゃあたしも追い出されてしまう。


「しっかりしてくださいよ、カレンさん……」


 これが、Gシティ一番の探偵の実態だった。ため息しか出ない。


「本当に、こんな上司の相手をするこまっちゃんが可哀想よ」

 

 リンちゃんは呆れ顔をしながら、あたしの肩をポンっと叩いた。


「心配ありがと、リンちゃん」

「いいのよ。ここが店仕舞いしたら、良い物件を教えてあげるわね」

「事務所が潰れる前提で話すのはやめてくれないか」


 渋い顔をしながら、気を紛らわすようにカレンさんはテレビをつけた。画面にはニュース番組が映し出された。

 その画面の端に、見逃せない単語が映っていた。今、このGシティの人々が一番注目している事件の名称だった。


「これって『スタッカート事件』ですか?」

「あぁ、今朝新たな犠牲者が出たようだね」


 あたしは立ち上がり、テレビ画面に近づく。モニターから、ニュースキャスターの淡々とした声が吐き出されている。


「今日、午前七時頃。Gシティ中央公園にて、資産家の茜村善蔵さん五十六歳が遺体で発見されました。警察によりますと、遺体は腹部を大きく切り裂かれており、死因は出血性ショック死とのことです。犯行の手口から、連続通り魔殺人事件の『スタッカート』と同一人物と思われます」


 スタッカートとは、先月から通り魔殺人を繰り返している怪人の事だ。殺害方法は大胆で、大きな鋭い物で腹部を切り裂くという。

今回の事件を合わせれば、計十五回目の犯行だ。今最も、Gシティの人々を恐怖で震え上がらせている。

スタッカートという名称は、二回目の事件現場で、被害者の悲鳴が小刻みに途切れて聞こえたと通行人が証言したことからきている。


「また被害者、ですか。いったい犯人は何者なんでしょうか?」

「ネットとかだと、犯人は化け物とか怪物だって言われてたわね。あぁ恐ろしい」


 それはあたしも聞いたことがある。傷からして、まるで獣の爪で切り裂かれたようだと言われた事から、そのような説が生まれたようだった。


「まさか、本当に化け物じゃないですよね……?」


 ソファで踏ん反り返るカレンさんに目を向けると、欠伸あくびをしながら答え始めた。


「そんなこと、あるわけないじゃないか。ここは現代科学の進んだGシティだ。中世ヨーロッパじゃあるまいし」

「ってことは、カレンは犯人が人間だって思ってるのね?」

「当たり前。どこぞの動物園から脱走した猛獣なら、今頃捕まっているだろうさ。そんなことより、だ」


 大きく伸びをしながら、カレンさんはワクワクしたような表情に変わった。


「殺害されたのが、資産家の茜村ってのが気になるね。Gシティでも有名人だからね」


 テーブルに置かれたティーポットを傾け、カップに紅茶を注ぎ始めた。沸き立つ湯気を吸い込み、香りを楽しんでいるようだった。


「この街は、そんな人物が殺されるような事件が多い。だから私のような、武闘派探偵と呼ばれる存在が必要とされるのさ」


 そう言うと、紅茶を一口。飲み終えると、表情はニヤニヤとしていた。まるで、悪戯いたずら好きな子どものようだった。

 そんな時、扉をノックする音が聞こえた。丁寧に三回だ。みんなの視線が、扉に集まる。


「珍しいね。どうやら礼儀をわきまえた人物らしい。小町、ティーカップの用意を」


 カレンさんは、そう指示すると扉へと歩き始めた。あたしも急いで食器棚へ向かう。

 ドアベルの、カランカランというお洒落な音色が聞こえる。それと共に、ドアの開く音もする。


「ようこそ、橘探偵事務所へ」


 カレンさんがお辞儀をするその向こうに、来客者が見える。黒い執事服を着た紳士だ。お辞儀を返し、事務所内へ入って来た。そのまま、カレンさんの案内で応接用の椅子に座った。


「初めまして、私が探偵事務所の所長、橘カレンです。早速、要件を伺いましょうか執事さん」


 すると、執事の紳士は落ち着いた様子で自己紹介を始めた。


「私はリチャード・ロバートソンと申します。ご明察の通り、私は執事をしております」


 あたしは、二人の間にあるテーブルにティーカップを置く。そして、ティーポットから紅茶を注いでロバートソンさんの前に置いた。


「どうぞ」


 そのまま、あたしもカレンさんの隣に座った。すると、カレンさんはあたしを一瞥いちべつした。


「この隣のちっちゃいのが、見習いの宮坂小町です。粗相があると思いますが、ご容赦ください」

「よ、よろしくお願いします」


 誰がちっちゃいだ。ツッコミたい気持ちは山々だったが、仕事の話が始まるので黙っておくことにした。


「私は、資産家の茜村家で執事をしております」

「茜村って……!」


 あたしは思わず口にしてしまった。カレンさんには、肘で脇を突かれてしまった。それでも驚きは隠しきれない。少し離れた場所にいたリンちゃんも、驚きの表情でこちらを見ていた。


「その反応ですと、ご存じのようですね。今日、主人である茜村善蔵様が殺害されました。犯人はあのスタッカートです」


 ロバートソンさんは深呼吸すると、ハッキリとこう言った。


「スタッカートを捕らえ、引き渡して欲しいのです」


 あたしは、開いた口が塞がらなかった。

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