見習い探偵は世哭き街で踊る
ジャックハント
第1章 ビターテイストはあたしに合わない
第1話 ビターオアスイート①
空は薄い雲に覆われている。時折、顔を覗かせる太陽が地表を照らしていた。天井も壁も無いこの屋上は、同じように照らされる。
「く、来るな!」
冷たい風が頬を撫でる。それでも、嫌な汗は収まらない。理由は、いたってシンプル。
「それ以上近づけば、全員こいつで死んじまうぞ!」
男が、手に持った拳銃を掲げる。もう片方の腕は、女性の体をがっちりと掴んでいた。
「カレンさん、ヤバいですよ。どうします?」
あたし、宮坂小町は今、人質を取られている。人質というのは、あの男に捕まっている女性だ。
「どうするも何も、あの男を押さえる。それだけの簡単なミッションだろ?」
ニヤニヤ顔でそう言ったのは、あたしの師匠。このGシティで一番の女探偵、橘カレンさんだ。金髪の長い髪が、風に揺られて
「どこが簡単なんですか……」
今回の依頼は、もっと簡単なものだった。依頼人の女性から、元彼を引き離して欲しいとのことだった。
話はこうだった。仕事が上手くいかず、クビになってしまった彼に、依頼人の女性はタイミング悪く別れ話を持ちかけてしまった。職と最愛の彼女を同時に失ってしまった元彼は、女性にストーカー行為をするようになった。
そして、あたし達の元に女性が依頼を持ち込んだのだが、それを知った元彼は自暴自棄になってしまう。拳銃を持って、強引に女性を連れ出し、無理心中を図ろうとしたのだ。それをあたし達は追って、現在に至る。
「まったく、恋は人を盲目にするとはよく言ったもんだ」
カレンさんは呆れ顔で、男を見た。男は凄い形相で、こちらを睨んでいる。怒りで血が上っているのか、顔は真っ赤だ。
「だが、いつまでもにらめっことはいかないな」
捕まっている女性は、恐怖で怯えて泣いていた。その様子は、あまりにも見るに堪えない。それもそのはず、男が拳銃を持っていることもそうだが、他にもこの場所が危ないという理由もあるだろう。
ここはGシティの外れにある、取り壊し工事中の廃ビルだ。男と女性の後ろは、錆びて歪んだ手すりしかない。それを越えれば、六階の高さから転落することになる。
そして、足元も亀裂だらけだ。いつ崩れるかわからない。だから、あたし達も危険だった。
この状況をいち早く打破するため、カレンさんは両手を上げながら、一歩踏み出した。
「やめときな、お兄さん。ほら、彼女も怖がってるだろう? 愛した人を、こんな顔にさせたらダメじゃないか」
「うるさい! もう他に幸せになる方法なんて無いんだよ!」
ダメだ。落ち着いて話を聞いてもらえそうにない。このままじゃ、本当に落ちかねない。
それでも、カレンさんはさらに一歩踏み出した。
「近づくんじゃなねぇって言ってんだろ!」
男は、空に向かって発砲した。大きな炸裂音が、辺り一帯にこだまする。音に怯え、女性は悲鳴を上げながらしゃがみ込んでしまった。
流石にカレンさんもこれ以上近づく訳にはいかず、二歩下がってきた。
「もうここまで来ると、止めようが無いな……」
カレンさんの言う通り、何をしても相手を刺激するだけな気がする。だからと言って、男をこのまま見逃すことはできない。依頼人の命まで、失われてしまうのだから。
「小町、あいつを撃て」
「……え?」
カレンさんは、あたしの腰のホルスターに入れている拳銃に目をやる。その目は、冗談を言っている感じではなかった。
「本気で言ってるんですか?」
「あぁ、もう奴を止めるにはそれしかないね」
「でも、それはやりすぎですよ! あの男だって、好きでこんな事やってる訳じゃないでしょう!」
タイミング悪く、不幸が重なってしまったんだ。そんな人を簡単に撃って良い訳がない。もっと穏便なやり方があるはずだ。
「なんだ、同情したのか?」
「なっ、なんでそんな言い方するんですか」
「だけどな、小町。私達が最優先にすることを忘れちゃいけない」
カレンさんの声は、落ち着いていて、冷たく感じる。
「さっきから、ごちゃごちゃうるせぇぞ!」
男が遂に、銃口を向けてきた。その狙いは、あたしだった。明確な殺意が向けられる。鋭く尖ったそれは、あたしの体の自由を奪った。恐怖で足が
「おっと、ポップコーンが弾けてしまったか」
「撃つぞ、撃つからな!」
男の人差し指が、引き金に添えられた。あたしの命は、その指の力加減で簡単に消えてしまう。その恐怖が、頭を真っ白にする。
「小町、こういう時はどうすればいいと思う?」
「――えっ?」
「死ねよ!」
すかさず発砲音がした。あたしは目を瞑り、頭を抱えてうずくまった。
数秒の沈黙後、あたしの体に変化はなかった。その代わり、男の喚き声が聞こえる。
「ぅぐ、がぁあっ⁉」
「撃たれる前に撃つ。簡単だろう?」
男の方を見ると、拳銃を持っていた手から血が
「警察を呼んでくれ」
カレンさんはそう言いながら、依頼人の女性に駆け寄っていった。男から解放された女性は、慌ててカレンさんに向かって行く。
それを横目に見ながら、スマホで警察へ連絡した。
「ありがとうございます、助かりました」
「礼には及ばないさ。これも仕事だからね」
そう言いながら、女性の手を取った。カレンさんは渾身のキメ顔を作ると、優しい声で言った。
「それにしても貴女、とっても美しいですね。どうです今晩、一緒に美味しいお酒でも飲みませんか?」
「はい?」
困惑顔の女性に、さらに迫ろうとするカレンさん。はぁ、またいつものが始まりましたよ。
「いきなり口説くのやめてくださいカレンさん!」
後頭部にチョップを決める。命中した個所を押さえながら、こっちを振り向いた。かなり睨まれている。
「ちょっと小町、今私は非常に忙しいのであっちに行ってくれるかな?」
「また女の人ひっかけようとして! カレンさんの趣味に口出しするつもりは無いですが、相手が困るようなことはダメですよ」
橘探偵事務所の所長、橘カレンは無類の美女好きなのである。美女と聞けば、西へ東へ向かうような人なのだ。
「まったく、お子様は引っ込んでなさい」
ちなみに、好みは大人の色気がある美女らしい。童顔、低身長のあたしは対象にならないみたいだ。
「って、また子ども扱いして! あたしはもう二十歳です!」
「童顔に興味はないのよね~」
そんなこんなで警察が到着し、男は確保され、そのまま病院送りになった。依頼人の女性も事情聴取のため、警官達に連れていかれたのだった。
「なぁ小町」
廃ビルから出て、あたしが屋上を見つめていた時だった。カレンさんは、真剣なトーンで話しかけてきた。
「お前はやっぱり、あの男を撃つのは反対だったのかい?」
「そりゃ、まぁ……」
でも、ハッキリあたしの判断が正しかったなんて言えない。カレンさんが撃たなければ、あたしが撃たれていただろう。今こうして、ここに立っているのは間違いなくカレンさんのお陰なんだから。
「そんな甘い覚悟じゃ、いつか命を落とす」
「……」
「一番大事なのは、依頼人の命だ。それが守れなきゃ、探偵なんて名乗れないよ」
何も言えない。確かに、カレンさんの言う通りだ。でも、あの男も助けたいって思いは間違っていたのだろうか。考えても答えの出ない問いが、しばらく頭の中をぐるぐると渦巻いていた。
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