第33話 二人の帰り道

「え、じゃあ待つってこと?」

「うん」

「三月まで? 今十二月なのに?」

「……そうだけど」

 その言葉にアキラはあちゃーとでも言いたげに額に手を当てる。ミツキはそれを訝し気に見ながらも、手元の台本に新しい言葉を書き込んだ。


「なんだよ。その『やっちまったな』みたいな顔は」

「いやあ、そのね。一ノ瀬が息巻いててさ」

「は? キョウヘイが?」

「そう。それでさ、在学中に返事しなかったら僕がとっちめますみたいなことをね、笑顔で言ってたから。大丈夫かなって」

「……卒業式まではセーフかな。それ」

「まあ、ギリ許容範囲じゃない? 多分」

「一応先輩に襲撃注意の連絡はしておくよ……」」

 一応在学はしてる状態だしね、と言いながらアキラは手元の小道具たちを整理していた。

 文化祭の一件からごたついていた部室内も今は整頓され、相変わらずの静かな昼休み時間が流れている。ただひとつ変わったことがあるとするならば、それはミツキの仕事が少しばかり増えたことだろう。


「で、順調?」

「ぼちぼち。っていうかお前も練習見てるだろ」

「部長さんからの意見が聞きたいなあって」

「……慣れないことの方が多いけど、なんとかやれてる。台本ももっと酷評されるかと思ってたけど、考えてたよりは好感触だったし」

 そう言ってミツキは手の中に目を向ける。新しく作られた台本はまだ劣化が少ないものの、ページにはいたるところに演技への書き込みがされていた。


 ほんの最近に完成したばかりの台本だ。ミツキが筋を書き、部員たちと話し合って内容を決めた。

「大変ですねえ。部長兼主役だもの」

「……俺は一応、部員内で配役を決めるつもりだったんだぞ。自分で考えて自分が主役とかなんか恥ずかしいし」

 前部長が演出と総監督のような枠に収まっていたこともあり、ミツキも最初は同じようにしようと考えていた。しかし待っていたのは想像以上の大ブーイングだったのだ。


「すごかったよね。一年二年の絶対にいやだの大合唱。特に衣装係の剣幕はすごかった」

「……あいつら妙に気合入れてるからな。けどまあ、おかげで今後やるべきことが分かったよ」

「それは?」

「俺以外で主役張れるやつの育成。今までは人数が人数だったから必死だったけど、大分一年も増えたし、後続は育てないとな」

 卒業した後誰も主役ができませんじゃ困る、とミツキは続けた。

「そりゃそうだ。いつまでもあんたにおんぶに抱っこじゃ困るしね」

 そう言うと作業に一区切りがついたのか、アキラはよいしょと立ち上がる。


「今日本屋寄るけど、あんたは?」

「あー、悪い。先約」

「……この前もこの前もなんか先約って聞いたんだけど。ひょっとしてそれ先輩?」

「え、うん。時間が合うときは一緒に帰ろうって」

「ねえ……ひょっとして部活休みの時毎回一緒に帰ってんの? わざわざ連絡入れあって?」

「そうだけど?」

「もしや特訓も?」

「続けてる。あ、この間ようやく手を握れるようになったんだ」

 やっぱり冬の方が進みがいいなと言ってのける彼に、アキラは過去一頭が痛いという顔をした。


「聞くけどほんとに付き合ってないのよね?」

「返事待ちだって言ったろ」

「時間合う時は連絡しあって待ち合わせて手繋いで帰って? 付き合ってない?」

「だって告白はしたけど返事はまだだから付き合ってはないだろ」

「……あんたも大概古風だと思うけど、先輩も相当ね」

 しかしあくまで首を傾げるミツキを見て、アキラはこれ以上首は突っ込みたくないと何も言わずに扉に手をかけた。


「じゃあ、先に帰るけど。無理な迫られ方とかしたらちゃんと断んのよ」

「? 分かった」

「……分かってないなこりゃ。ごちそうさま」

 頭に疑問符を浮かべるミツキにアキラは再度ため息をついてから部室を後にした。彼女はしばらく考えてから、部活棟の近くの自販機で無糖のコーヒーを買ってポケットへと突っ込んだのだった。



※※※



「おう」

「ども」

 紺のコートに白のマフラーを巻いたリョウタは、ミツキに気づくと軽く手を上げた。何を言うでもなく、二人は並んで歩き出す。行き先は毎度の如く決まっていた。


「……最近どうです」

「まあまあ、っていうか勉強勉強ちょっと参ってるくらいかな」

 リョウタが国立の大学を目指していることはミツキも知っていた。入試を控え、最後のスパートをかけている彼は少し疲れ気味だ。

「いいんですか。お忙しい先輩が俺なんかと一緒に帰ってて」

「つれないこと言うなよ。この時間が一番の息抜きなんだから」

 そう言って笑うリョウタの姿は、あの一件を経てとても自然なものになった。さりげなく、自然に友達にでも話しかけるようにミツキに笑う。

 ただその態度が何も思っていないようにも感じられて、ミツキはほんの少し胸が痛くなる。待つと決めたのだと思ってもなお沸く不安を彼は押さえつけた。


 二人は例の公園で足を止める。リョウタとミツキの家のちょうど間にあるそれは、冬の寒さのせいか閑散としていた。北風に吹かれてきいきいとブランコが物悲し気に鳴いている。近くのコンビニで温かいものを買って、ベンチに腰掛ける。これが最近の流れだった。

 だが、今日はほんの少し違っていた。


「この間、さ。家族に言ったんだ。俺、男が好きかもしれないって」


 少しだけ言いにくそうな彼の言葉が地面にぽつりと落とされた。

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