第八章

第32話 巡る季節と冬模様

 文化祭を過ぎたころからか、秋は急速な弱まりを見せ始める。吹く風はひり付くほど冷たく、吐く息は白く。空が吸い込まれそうなほどに青く張りつめた季節。

「皆のおかげで、無事に文化祭では成功を収めることができた!」

 あまり暖房の効かない部室の中、メイが高らかに言う。しかしはつらつとした彼女の声とは反対に、室内にはどこかしんみりとしたムードが漂っていた。


「おいおいどうしたお前たち。揃いも揃って」

「だ、だって。先輩が卒業しちゃうんだなって、思ったら」

「卒業は三月だからまだ先の話だし、これで今生の別れってわけでもないぞ?」

「で、でもっ! もう部室に先輩いないんだなって、考えると」

 そう、文化祭終わりの冬にかけては部活動に所属する三年の引退期でもある。彼らは一足早く部活を抜け、それぞれの将来のためへの準備に入るのだ。


 もちろん演劇部も例外ではない。今日の部室内では彼女を惜しむ声がそこかしこから聞こえてきた。

 メイは困ったような顔で部員たちを慰めて回る。元気で周りを引っ張ることが得意ながらも、部員にもよく気を配っていた彼女だ。慕われるのは当然と言えた。


「う、ううう……」

「おい泣くなよ。二年にはこれから部活を引っ張ってもらわなきゃならんからな」

「だって、先輩なしじゃ」

「弱いことを言うなよ。私がいなくともやれるようにちゃんと教えただろ。それにまだ学校にはいるから、分からなければ聞きにくればいい。な?」

 そんな中でも飛び切りよく泣いているのは数の少ない二年の面々だった。彼らは演劇部が廃部寸前だった時代を良く知っている分、それを立て直した彼女への思い入れが強いのだろう。

 右を見ても左を見ても泣き声の大合唱だ。キョウヘイなんて部長が入ってきた時点でもう男泣きを見せている。メイは困り果てたように部室を見渡すと、いつも通りに立っているミツキとアキラを見て安心したように笑った。


「やあエース君たち。君らはいつも通りで安心するよ」 

「私周りが泣いてると涙引っ込むタイプなんですよね」

「右に同じく」

「そのくらい冷静な方が私としては安心するよ。皆が皆泣いてちゃ部活は成立しないからね」

 そう言ってメイはべそべそと泣いている下級生たちの頭を撫でる。その眼差しは穏やかだったがやはり寂しいのだろう。涙の粒がまなじりに光っていた。

「……それで、次の部長の件だが、私は君に任せたいと思ってる」

 君、と言った瞬間の目は確かにミツキに向けられていた。彼は表情を崩さないまま、メイに向って言う。


「部長。何回も言いますけど、俺じゃこの部をまとめるのは難しいと思います」

「私は君の推薦をやめるつもりは毛頭ない。君にはずば抜けた観察力があるからね」

「けど、俺には余裕がないとも言ってたじゃないですか」

 そう言いながらミツキは一年の頃に言われたことを思い出す。彼女がまだ部長になりたての頃、時期尚早に次の部長の話題が出た時だ。部員の一人がミツキはどうだと言った際にメイは「余裕がなさすぎる」と言ったのだ。


「『演技も観察力も素晴らしいが、その余裕のなさはいただけない』って。俺ちゃんと覚えてますよ」

 余裕のなさにはミツキも自覚はあった。自分を守るための演技も観察もどこか手一杯で、周囲に目を向けるような余裕など持ち合わせていなかった。いくら演技力と観察力があろうと、それを向ける余裕がなければ部長は難しいだろうと言ったことをミツキはしっかり覚えていたのだ。


 しかしミツキの言葉に目を伏せながらメイは返す。

「確かにそう言ったよ。実際、当時の君には余裕が全くと言っていいほどなかったからね。素晴らしい演技なのにいつもどこか追いかけられているように張りつめていた」

「――――俺が自分のことで手一杯なのは今も変わりません。だから」

「でも、それは前に受けた印象の話だ」

 そう言ってメイはミツキを見据えた。彼が何度も演技中に受けた、指導をするときの厳しくも相手を見透かす様な眼差し。


「君は変わったよ。如月光希。特にこの一年で君は大きく変わった」

「……俺が、変わったですか」

「そうだとも。特に前の君ならこんなに私の話に付き合ってはいなかった」

 確かに、一年のころであれば逃げるように部屋を出ていたかもしれないとミツキは思う。それを知ってか知らずか、メイは柔らかくほほ笑んだ。

「表情もいつにもまして柔らかくなったし、周りに目を向ける視野の広さもある。声の一つをとっても前とは大違いだ」

「そ、れは」

 馬鹿正直に恋のおかげですとは到底言えそうになかった。だが隣でニマニマとしているアキラが気に喰わず、ミツキは肘で彼女を小突く。

 それを見ながらメイは言った。


「もし君を変えたのが周りの誰かなら、とても、とてもいい出会いをしたね。ミツキ」


 ミツキはメイに何も話してはいない。それこそリョウタのことも。

 けれど彼女が何もかも見透かしたように笑うので、ミツキは全く叶わないと手を上げた。

「で、部長の件だけど」

「分かりましたよ、そこまで言うなら。……先輩の買い被りかもですけど」

「軽口を叩けるなら大丈夫だ! じゃあ、後は任せたぞエース君。……私の大事な演劇部をよろしく頼むよ」

 

 そうして、また一つの部活で代替わりが終わる。冬の冷え込みが葉を枯らし、それでもまた新しい芽が生えるように演劇部にもまた移り変わっていく。

 メイは最後まで泣くことはなかった。けれどその口がいつもより引き結ばれていたことをミツキはよく分かっていた。


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