第31話 先輩の過去
「まあ、なんといいますか……。体が勝手に動いてたっていうか」
「勝手に動いて不審者に飛び蹴りする?」
あの後はお祭り騒ぎが一転、とんでもない大事になってしまった。来客が少なくなり始めた夕方に事が起きたことがまだ不幸中の幸いと言えた。
不審者事件の後は後片付けもままならないまま警察の聞き取りが始まり、特に強い執着を持たれていたリョウタは特に重点的に時間をかけて聞かれたようだった。そんなごたごたが原因でもちろん文化祭の片づけがまともにできるわけもなく。他生徒と教師全員でしっちゃかめっちゃかな教室を片づけるのには随分な時間を要した。
そんな事件から一日の休校を挟んだ次の日。ようやく日常の戻って来た演劇部部室でミツキはどうしてかアキラに詰められていた。内容はもちろん事件当日のミツキの行動についてだ。
「あんたってば衣装のままぱっぱと行っちゃうし、騒ぎになってるから見に行ったららあんたが飛び蹴りしたって言われるし、着いたら衣装は埃まみれだし」
「……それは、ごめん」
「警察の人はなんて言っとたんですか?」」
話の途中にキョウヘイがひょいと顔を覗かせる。文化祭の片づけにありとあらゆる方面から頼りにされた彼は、お礼だと貢がれた大量のパンやらお菓子やらをビニール袋から「食べきれんのでよかったら」と言いながら出していく。
「やり方はあんまり褒められたもんじゃないけど、友達を助けるために必死だったんだねって」
「つまりギリ正当防衛ってこと」
「そうなる。あ、キョウヘイこのパンちょうだい」
今回は起こったことがことだし、捕まった不審者がかなり最近この近辺を騒がせていた厄介な不審者だからということらしい。
パンの山からジャムパンを選びながらミツキはそう言った。
「何回も言うけど不審者に通報どころか飛び蹴りとかありえないんだけど」
「悪かったよ。衣装はちゃんと直すの手伝うし」
「……衣装は別に直せばいい。でもあんたは刺されでもしたらどうすんの」
アキラの言葉にミツキは神妙な顔で頷く。彼女の心配している気持ちは痛いほどに伝わって来た。
「――――心配かけて、ごめん」
「………まあ、別に。こうして無事だったわけだし」
その言葉にぼそりとそう返すと彼女は誤魔化すように選び取ったチョココロネにかぶりつく。そんな一瞬出来た沈黙を埋めるように、キョウヘイの明るい声が部室内を彩った。
「まあまあまあ、ええやないですか。なんだかんだ言うてだあれも怪我せえへんかったわけやし」
それに、とキョウヘイは続ける。だが打って変わってその声色は幾分かトーンが落ちたものになっていた。
「どっかの誰かさんがとっとと返事しとけば先輩が飛び出すようなこともなかったわけですし?」
なあ? という顔はにこやかだが、目はまったくもって笑っていない。
その顔を向けられたリョウタは演劇部部室の中で身を縮こまらせていた。
※※※
「び、びびった……」
「すいません、普段はあんな言い方しないんですけど」
「……いや、これに関しちゃあいつが正しいからな」
あんたがいると怯えて話せないだろうとキョウヘイを引きずるようにアキラが出ていったのがついさっきの出来事だ。
リョウタとミツキは微妙な間を開けて、隣に座っていた。そんな一気に静かになった空間を始めに破ったのはリョウタの言葉だ。
「なあ、あの不審者のことなんだけど、さ」
「別に言いたくなければ言わなくても」
「いや。返事をするならこれは話しておきたいんだ」
というかこの前散々警察の前でも話したしな、とリョウタは言った。
「別に聞いてどうだってこともないし、気分がいいものでもないだろうけど」
「……先輩がいいなら」
「ありがとう」
聞いてほしいのだろう、と彼の言葉を聞いて何となくミツキは思った。リョウタはミツキの返答にへにゃりと眉を下げて笑うと、話し始める。
「小学生の頃にな、俺あの人に会ってるんだよ。まさか俺を追っかけてくるとは思わなかったけど」
翌日に夏休みを控えた学校の帰り道、道の隅でうずくまっている人間が彼に声を掛けてきたのだと言う。
「今思えばさ、大人を呼んできてとかじゃなくて俺に助けを求めてるのが可笑しい話だよな」
夏休み間近で浮かれていたせいか、それとも子供ながらに大人に頼られたことが嬉しかったのか。リョウタは怪しむことなく呼ばれた通りに近づいた。
「もうめちゃくちゃだったよ。べたべた触られるし、人は中々通らないし」
変質者だと気づいたときにはもう遅く、捕まったリョウタは無我夢中でそれの顎を蹴り飛ばして逃げ出したという。
「家に帰っても誰にも言えなかった。なんかさ、言っちゃいけないことをされたような気がしてさ、気持ち悪くて。何べんも体洗ったりしてさ」
それから熱さと人の肌や匂いが妙に気持ち悪く感じるようになったのだと彼は言った。
「まっ、まあ、俺がされたのなんてテレビで見るような事件に比べたら」
「先輩」
ずっと黙っていたミツキがその言葉は聞き逃せないとでも言いたげに口を挟む。
「ことの程度は関係ない、でしょう。先輩が辛いなら立派な加害です。その人は何があったって、そんなことしちゃいけなかった」
「……っ」
「俺にそう教えたのはあんたでしょ。辛さを比べるなって」
「……ほんとによくできた後輩だよ。お前は」
「良く言われます」
少し柔らかくなった空気にリョウタはほんの少し泣き笑いを浮かべた後、気合を入れるようにパンっと一つ頬を叩いてから話を続けた。
「自分の気持ちに折り合いつけられなくてさ、半グレになったりもした。まあ、母さんが倒れたのを気にすぱっとやめたけど」
「……それで、例の理想を?」
「そ。両親が言うように普通の幸せを手に入れてやるんだーって息巻いてたわけ。まあ、それ自体が俺の勘違いで空回りだったんだけど」
親はどんな形であれ、彼の幸せを一番に願っていた。ただいつしか彼らの言う「普通」でなければいけないと思い込んでいたとリョウタは頬を掻く。
「だから、まあ、なんつーかさ、その」
「はい」
「俺さ、多分すぐに答えだせない。ついこの間気づいたばっかで、今も頭の中ぐちゃぐちゃだし、正直すげえ戸惑ってる」
「はい」
「それに、多分付き合ってもキスとか、手ぇ繋ぐとか、まともにできないかもしれない。恋人らしいこととか何一つ出来ないかも」
「はい」
「……だからさ、まだ待たせんのかって思うかもしれねーけどさ。それでもまだ待ってくれるっていうんなら」
リョウタはまっすぐにミツキを見て、そして言った。
「俺、ちゃんと卒業式までには、答えだす、から。っだから、あと少し待ってて、くれるか」
その言葉にミツキは笑う。ぎこちない、不格好な笑みで。
「ちゃんと待っててあげますよ。先輩より俺は我慢強いんで」
そう、彼は答えた。窓の外で耐えかねたように赤色の葉が一枚落ちる。
冬の寒さはもうそこまで。季節はまた一つの巡りを迎えようとしていた。
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