第30話 突撃
「ぎゃっ⁈」
「先輩っ! ほらこっち!」
呆けたままの先輩を呼ぶ。リョウタは驚いたような顔をしていたものの、ミツキの声を聞いてからの行動は早かった。地面に転がるそれからさっと離れると、素早くミツキの元へ駈け寄る。
「っ悪い! 助かった!」
「本当ですよ。何変なのに好かれてるんですか」
そう軽口を叩きながらも、ミツキの背には冷汗が流れていた。うめき声を上げながら痛みに転がっているそれは、「痛い」とか「酷い」とか言っているところから恐らく人間であることが分かる。彼の飛び蹴りで驚くほど簡単に仰け反ったそれは、泣きだしそうな声を上げながらもリョウタから視線を離してはいなかった。
初めこそ
校庭に転がる何か。シャツにジーンズをだらしなく着こなした姿は、背丈から恐らく成人していることが分かる。だがそれ以上は何も分からない。正直それを見た時、ミツキは人ではない何かがリョウタの腕にまとわりついていると思ってしまった。それぐらい異常な光景だったのだ。
彼はちらりと横目にリョウタを見る。肌は青ざめ、膝は震えている様子はとてもじゃないが普通とは思えない。リョウタのそれは、危険な目に遭った時の人間の防衛本能が色濃く出ていた。グレーテルの衣装のまま、ミツキはリョウタを背に庇う。
「一応聞いときますけど、お知り合いとかじゃないですよね。俺つい蹴り飛ばしちゃったんですけど」
「んなわけあるか!」
「でしょうね。安心しました。俺の返事放置したまま腕組んでイチャイチャとか考えたらめちゃくちゃ腹立つんで」
「っそれは」
「……やるんならせめて俺を振ってからっていうか。俺の目の届かないとこでっていうか」
少しだけ自分で言ってて悲しくなってくる。
しかし、リョウタはその言葉にオーバーなほど首を横にぶんぶん振ってミツキに向ってこう言った。
「ない! それだけは絶対ない!」
「えっ」
「絶対にないから! 俺が言っても、信用ないかもだけど……とにかくそんなの絶対にない!」
何に対しての「ない」なのかは分からなかったが、とにかく否定をしたいことだけは理解ができた。それが示す否定先は返事をしないままの交際なんてありえないという意味か、それとも。
けれどミツキがそのことに考えを回す前に割り込むような声が入る。
「う、うぁ……ひどい、ひどいよぉ…………」
ぐらりとミツキの目の前に転がっていた体が起き上がる。目の焦点は合っておらす、体に似つかわしくない幼い口調が不気味さを加速させていた。
「リョウタ君ひどい。ひどいよ。こんなことするなんて」
「……先輩、あいつになんかされました?」
「まあ、色々あったんだよ。色々な。聞きたいなら後で話してやるさ」
別に聞いて面白いもんでもないだろうがな、と言うリョウタの額には酷い汗が浮かんでいる。それを一瞥してから、ミツキは前を見据えた。
いくら出入り自由な文化祭期間中と言えど、リョウタに絡んできたこの不審人物は周囲の視線を引いていた。現に午後になり人が少なくなり始めたこの時間帯でもなお、周囲のざわめきは徐々に大きくなり始めている。そのうち誰かが警察に連絡をいれるのも時間の問題だろう。
しかし「そのうち」では駄目なのだ。
ミツキは震えの大きくなったリョウタを見る。声こそ張ってはいるものの、近くで見ればその怯えようは酷いものだった。一刻も早く、リョウタをここから引き離したい。その一心でミツキは周囲を見渡す。
そして丁度その時、廊下を歩いている集団がミツキたちに手を振った。
「あれ、リョウタじゃん!」
「っていうか、あの横にいんのかわいー! ひょっとして彼女? 彼女かな?」
「やば、激可愛じゃん。あとで写真撮らしてもらお!」
かなり前に遊園地に行ったリョウタのクラスメイトたち。彼らは文化祭を満喫しているらしく、手に手に景品や飲み物を持った状態でリョウタたちを見て話していた。
この機会を逃すわけにはいかない。ミツキは彼らに向って叫ぶ。
「この人不審者です! 先生呼んでくださいっ!」
その声に彼らはきょとんとした表情で顔を見合わせた。
「え、この声って後輩君のじゃね?」
「マジ? え、っていうか不審者って言った今」
不審者と言う言葉に段々と顔が曇り始める。そしてそのうちの一人がスマホの画面から顔を上げて言った。
「……ねえ、最近の不審者情報のってさ。あんな感じじゃなかった?」
その言葉を皮切りに、女子生徒の一人は近くの職員室に駆けだす。残された一方は即座に警察に連絡を取り始め、もう一人は声のあらんかぎりに叫ぶ。
「変な人がいますっ! 助けてっ! 助けてくださ―――いっ!」
すべてが行われるまでほんの数秒もかからなかった。周囲は大騒ぎとなり、職員室から続々と教師と警備員が駆け付けた。それは大勢の職員にあっという間に取り押さえられる。
「はなしてっ! はなしてよぉ!」
じたばたともがくものの、押さえつけられた手が離れる訳もなく。そうしている間にも警察がほんの数分もかけずに校舎の横にパトカーをつけた。
一連の騒動を見ながらリョウタはへたりと座り込みながら呆然と言う。
「……捕まった、のか」
「まあ、一応。俺たちはこれから色々話を聞かれるでしょうけどね」
「そうか。……そうかあ」
その震えは未だに止まらず、顔色も悪いままだったが。リョウタの顔はまるで悪夢から覚めた直後のようにほっとしていた。
「終わったんですよ。ちゃんと」
周囲の騒ぎが大きくなると同時に、遠くからアキラたちの声が聞こえてくる。リョウタにとっての悪夢は、今まさに終わろうとしていた。
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