第34話 普通のことなんて

「それで、なんて言われたんです」

 重々しく言われた言葉に身構えるミツキだったが、リョウタの口から飛び出したのは予想外にあっけらかんとした答えだった。


「『あら、いいじゃない。最近はそういうのもあるんでしょ』だって」

「………そんだけ?」

「それだけ。これならまだ警察に話聞かれた時の方が大騒動だった」

 犯人が捕まったことで明るみに出た過去の事件に、リョウタの両親は大騒ぎで、謝る母親に犯人をぶん殴ると珍しく激高する父親を諫めるのが大変だった、とリョウタが話していたことをミツキは覚えている。それを知っていたからこそ、今回も何かあると思っていたのだが。

「俺がそれで幸せなら、別に性別がどうとか相手がどうとかは関係ないってさ。やっぱただ空回りしてたのは俺だけみたいだわ」

 そう言ってからりと彼は笑う。それはどこかほっとしたような顔にも見えた。



「じゃあ、今日もやります?」

「お、おお」

 木枯らしに身を竦めながらもミツキが手を出し、それにリョウタのものが重ねられる。初期のころと比べれば、それはとても自然な動作だった。

「別にもういいと思うんですけどね。そこまで無理しなくても」

「……………ちっちぇえ……」

「先輩?」

「ん⁈ いやあ、はは。俺も初めと比べたら慣れたもんだろ?」

「え、ええ。そうですね」

 どこか慌てながらもリョウタはミツキの手をにぎにぎと触る。それこそリョウタが言うように、初めからは信じられない程の進歩と言えた。


「で、さ」

「はい?」

「……さっきの話聞いたろ。その、男が好きになったかもって」

「聞きましたね」

「な、なんか今になってすげー恥ずかしいこと言ったっつーか、まんま答え言っちゃったような気がしてきたんだけど」 

 そう言うリョウタの耳は寒さのせいか酷く赤い。彼はちらりと伺うように目の前のミツキを見る。その視線を一身に受けながらミツキは口を開く。


「別に同性を好きになることはなんにも恥ずかしくないですよ」

「っだ、ちが、そうじゃなくて――――!」

「今って押し付けさえしなければ割と自由な方だと思うんですよね」

「お、お、俺が言いたいのはさ」

 言いたいことがなかなか出てこないのかパクパクと口を開く彼に対して、ミツキは顔色一つ変えずにこう言った。

「だから先輩が男の人を好きでもなんにも恥ずかしくなんてないですよ」

 その言葉にリョウタは天を見上げたまま聞き取れない未知の言語でうめき声を上げたかと思うと、絞り出すような声で言った。

「………意趣返しか……意趣返しのつもりか……散々待たせたもんな……それもそうか……」

「先輩ぶつぶつなに言ってんです?」

「分かってたそんなつもりないって! 優しいもんなお前‼」

 急に呻いたり叫んだりを繰り返すミツキの頭に大量の疑問符が浮かぶ。そして彼の頭はさっきの会話と繋がり、「ああ、勉強のし過ぎで疲れてるのか」という答えに落ち着いた。


「なんかお疲れみたいですね」

「……もうそういうことにしといてくれ」

「俺に気を使って会ってくれてるならそんな無理はせずに休んだ方が」

「それはない! いや、ないというかなんというか……」

 リョウタは初めとは打って変わった小さな声でもごもごと「下心とかそういうんじゃないんだけど」とか「いざ手が繋げないと困るし」と言ったが、微かなそのどれもが北風の音に霧散し、ミツキの耳に届く前に消えていった。


「本当に疲れてるんですね。受験きついって聞きますし」

「うん……なんかもう、疲れた。どっと疲れた」

 心なしか学校にいる時よりもぐったりとしているリョウタを前に、ミツキはコンビニの袋に手を入れるとリョウタの掌に一つの包みを置いた。

「え、なにこれ? チョコ?」

「さっき買ってきたんです。糖分補給がいいって聞いたので」

 ころりとリョウタの手に転がるのは最近よく広告に載っているコンビニ限定のミルクチョコレート。銀の包装にピンクの縁取りがされた、大き目の飴玉にも見えるそれをリョウタがまじまじと見つめている最中、ミツキは咳ばらいをしてから「それに」と続けた。


「まあ、バレンタイン、的な。意味もあったり、します」

「ばっ⁈」

「……二月は、多分お互い忙しいだろうし。前もってと思って」

「ひょ、ひょっとしてこれって、本め――――」

「………コンビニので悪いですけど。一応、一番美味しそうなの選びました」

 どこか照れくさげに言うミツキの前でリョウタは三回ほどミツキと手の中のチョコレートを見比べる。そして言葉を無くしたような様子の彼に、ミツキは重ねて言った。


「俺、ちゃんと卒業式まで先輩のこと待ってるんで。今は目の前のことに集中してください」

「え」

「俺のこと考えて落ちちゃいました! じゃ洒落にならないし」

「え、え? お前、もしかして」

「だからまあ、何と言いますか。

 その一言にリョウタが固まった。それを見ながらミツキは悪戯が成功した子供のように笑って言う。けれど、彼自身は耳が燃えるように熱くなっているのを感じていた。


「観察力には自信あるんです。……俺、ちゃんとあんたのこと好きだから。安心してくださいね、先輩」


 リョウタはその言葉でようやっと戻って来たのか、深く深くため息を吐くと開口一番に「抱きしめてえ……」と小声で言った。

「ちなみに観察ってどこで判断したんだ?」

「………最近なんか手の触り方がやらしいなって」

「え⁈」

「冗談ですよ。半分」

「半分なのか⁈」


 寒空の中、どこか楽し気な声が公園に広がっていく。雲間から覗いた冬の太陽が、二人を明るく照らしていた。



 

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