第26話 真夏の特別公演
「えっ⁈ それで、どうなったんです」
「いや、それっきり」
「はあっ⁉」
公民館の控室の中、キョウヘイの素っ頓狂な声が響き渡る。予想よりも大きく響いた声に、ミツキは慌てて人差し指を口の前にあてた。
「廊下にまで聞こえるだろ。声抑えろ」
「す、すんません」
夏は舞台化粧の落ちが早い。汗で流れたアイラインやファンデーションを塗り直しながらミツキは言った。
「……だから、さっき言った通りだよ。俺は告白した。先輩は黙ってどっか行った。それだけ」
「それだけて。それだけで片づけてええもんじゃないでしょうに」
夏休みに入る前、ミツキはリョウタから呼び出されてそこで告白した。そして返事を聞く前にリョウタが教室を飛び出し、顔を合わせるどころか連絡も取れないまま夏休みに突入し今に至る。
特別公演を終え、観客を見送るために舞台化粧を整えながら二人は並んで話していた。
「けど先輩の気持ちも分かる。ただの後輩だと思ってたやつから急に告白されたんだ。困りもするって」
「―――ただの後輩ぃ? あんの腰抜け………」
ちっ、とキョウヘイが小さく舌をうつ。目力を強くするために引かれたアイラインが更にドスを効かせて細まった。その姿はまだつけている髪の色に合わせた尾も耳も相まって、野生の狼が唸っている様を連想させた。
「何でお前が怒ってんのさ」
「怒りますよそりゃ。大事な先輩の告白を蔑ろにしたなんて聞かされたら」
「戸惑うさ。先輩は彼女が欲しいって公言してたのに俺みたいなのに告られたんだから」
そう言いながらミツキはファンデーションを重点的に頬に塗る。舞台の上では濃くなくてはいけない化粧ではあるが、見送りだからそこまで濃くても怖いかと強く引こうとしたアイラインの手を止めた。
頬に赤みをさし血色良く、目元はぱっちりと明るい。ウェーブした栗色のウィッグを被れば、鏡に映るその姿ははつらつとした美少年そのものだ。
「俺じゃ駄目ってことだよ。俺じゃ先輩が望む、『普通』にはなれない」
「……普通普通って。何がどうすれば普通なんです」
どこかぶすくれた様子でキョウヘイが言う。
「あいつの言う普通って何なんです。本人も分かっとらんのとちゃいます?」
「うーん、普通。普通か……」
普通とは何なのか。普通の幸せとはいったいどういうものか。ミツキには上手く答えることができなかった。
「ちょっと、狼男に赤ずきん君。お話のメインが来なくてどーすんのよ」
「あ、悪い!」
「すんません、すぐ行きます!」
思考の沼に陥りかけていた二人はアキラの声に弾かれたように顔を上げる。上下黒の服で合わせた彼女は、二人の様子に呆れたようにため息を吐いた。
「さっさと行くよ。ほら、お客さん待ってるんだから」
その声に連れられてキョウヘイとミツキは慌ててアキラの背中を追った。学校近くの公民館で行われた特別講演は、夏休みのせいもあってかめでたく満員御礼となった。
少し低い舞台の上から見た小中学生のキラキラとした視線がまだミツキの目の中でちかちかと瞬いている。
空木学園の高校演劇の宣伝、という名目で行われたこの特別公演としては目立ったミスもなく、大成功と言って差し支えないものだった。
「あっ! 赤ずきんのお兄ちゃんだ!」
「狼男だ! すげーっ! こえーっ!」
三人が向かえば出演者を間近で見るために待っていたのだろう。小学生たちがミツキやキョウヘイの姿を見てきゃいきゃいと声を上げた。
「せや! ええ子にしないと喰ってまうで!」
ノリよくがおーっと狼のポーズを決めたキョウヘイに興奮したようなきゃーっと言う歓声が公民館ホール内に反響する。その中で、メイは一つ咳ばらいをしてから言った。
「えー、本日は空木学園演劇部の『狼男と赤ずきん君。森の真実へ』を見ていただき誠にありがとうございます。お気を付けてお帰りください。また、少しではありますが演者との交流もお楽しみいただけますと幸いです」
メイが言い切るか言い切らないかのうちに、待ちきれなかったように小さな観客たちが演者に向って押し寄せてくる。特に親しみやすい笑顔のキョウヘイにはかなりの人数が興奮を隠さずに話しかけてきた。
「狼男近くで見るとでけーっ!」
「何食ったらそんなでかくなんの?」
「狼巨人だ!」
「こらっ! あんたたちお兄さんが困ってるでしょ!」
「あー、気にせんとってください」
好き勝手に言う小学生たちに保護者としてついてきた母親たちが𠮟りつけるが、キョウヘイはニパッと笑って言った。
「せやなあ、おかーさんおとーさんの言うことよーく聞いて、好きな子に意地悪せんかったからかなあ」
「えー? 何でも食べたからじゃないの?」
「器が大きくなると体もでかくなるんや! ちびちゃんたちは誰かに意地悪してへんか? しとったらこの狼が――――ばくっと食べてまうで!」
そのパフォーマンスにまた子供たちがきゃあきゃあと歓声を上げる。叱りつけていた保護者までもが、今は彼らと一緒に笑っていた。
「すごいな、あいつ」
「そうね。さすが関西」
そんな彼とは対照的にミツキには人が押し寄せてくることはなかった。近寄りがたいのか、数人の小中学生が遠巻きにちらちらと彼を見ている。後ろで控えているアキラにミツキはぼそりと言った。
「……俺ここに居る意味ある?」
「大ありに決まってんでしょ。主役が何言ってんの」
「でも誰も来ないし……」
「緊張してんのよ。その顔だと特に。―――あ、ほら」
意を決したのだろう。遠巻きに見ていた子供の中から一人の女の子がおずおずと前に出る。アキラに背を押され、ミツキは彼女と同じ視線へとしゃがんだ。
「あの、お芝居すごくおもしろかったです」
「うん。ありがとう」
「えっと、えっと、それで」
ミツキは静かに彼女の続きを聞いていた。そして少女は顔を真っ赤にしながら言った。
「お芝居、って、楽しい、ですか」
「……うん。楽しい」
「お兄さん、も、お芝居好き?」
その言葉にミツキは一瞬だけ、間を開けて、そして言った。
「うん。好きだよ。大変なことも勿論あるけど、俺はこうやってみんなでお芝居するのが好きだ」
そう言ってほほ笑んだ彼に、女の子はぱあっと顔を明るくした。
初めは逃避のための、自分を守るための演技だったのに、今や誰かを楽しませることができることができる。世の中どうなるか分からないものだとミツキは思った。
走って行く少女の背に手を振りながら夏の幕はゆっくりと下りていく。結局彼のスマートフォンがリョウタからの通知に震えることは決してなく、観客の中にも彼の姿が見えることは決してなかった。
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