第25話 間近の熱と夏の暑さ

「それは、おめでとうございます」

「おう! ありがとな」


 うまく笑えているだろうか。変な顔をしていないだろうか。

 ミツキは見えないように拳を握り込んだ。のんきに明るいリョウタの声が、暗い教室の中を異様に彩っていく。

「それで、お礼を言うためだけに呼んだんですか?」

「いやあそれもあるんだけどさ」

 リョウタが照れたように笑いながら言う。

「もうすぐ夏だろ? で、夏休み中に告白しようと思ってるんだけど」

「……その時、触れるようにの練習を?」

「そう! それだよ! 早く告ったほうがいいって思うんだけどさ、今夏だろ?」

 なるほど、とミツキは思う。リョウタは夏に交際を言い渡すために、ミツキを呼んだのだ。知らない彼女の手を握るために、ミツキに触れたいとそう言うのだ。

 


「まだほら、夏の特訓はしてなかったし。あんなことあったから正直顔出汁ずらくてさ」

「……いいですよ。じゃあ、練習しましょうか」

「助かる! 流石俺の自慢の後輩だ!」


 自慢の後輩があんたに邪な思いを抱えているなんて、知るわけもないんでしょ。

 喉まで出かかった言葉を必死に抑え込んでいつもの表情を浮かべる。ぐしゃぐしゃになってしまった初恋を片手に持ったまま、ミツキはもう片方の手を出した。

 

 やめてしまおう。告白なんて。先の分かっている展開なんて、自分も相手も傷つけるようなものだ。


 そう思いながらミツキは強く手を握った。それに合わせるように、雨脚が強くなった。



※※※



 どうしてこうなったんだろう。

「っ、てて……なんで、俺」

 手を出して、息の詰まるような、もどかしくなるような。それでいてずっと続いてほしいなんて思いを抱き始めた時だった。

 ほんの一瞬指先が触れて、もう終わりかと思った時にリョウタの驚いたような声が耳を付いたのが最後だった。リョウタの体が何かに足を取られたのだろう、つんのめったように覆いかぶさってきて――――。


「誰だよこんなとこに荷物置きやがって……」

 ぶつぶつとリョウタが言う。彼の足元には誰かが忘れていったのだろう、手提袋の片方の持ち手が床にだらりと広がっていた。彼はそれを踏んで滑ったらしい。

 けれどそんなことに構っているような余裕などミツキにはない。


 あつい。ちかい。こえがする。しんぞうがうるさい。


 熱さにおかしくなってしまいそうだった。心臓の音が間違っても相手に聞こえないか不安になった。沸騰するように頬が熱く、視界が狭まる。

「っ、悪い! どっか打ったりとか―――」

「――――!」

 ああ、駄目だ。駄目だ駄目だ。

 忘れようとしていたのに、なかったことにしてしまおうと思っていたはずなのに。


 ミツキの顔がくしゃりと歪む。それを見たリョウタは一際慌てたような声を上げた。

「どっか痛いか? 頭とか、打ったか⁈」


 あんた熱いの苦手なんでしょ。人肌も体温も怖くてたまらないんでしょ。今だってすぐにだって飛びのきたいんでしょ。腕が震えてるの分かってるんですよ。


 その声はミツキの口から出ることはなかった。ただそれでも心配そうにミツキを覗き込む茶色い目と視線が混ざり合う。

 小さく、ミツキの唇が開いた。

「どうした?」

 忘れようとしても忘れようとしても、どうしてもそこから抜け出せない。囚われて、絡めとられて呼吸だってままならない。

 恋とはこういうことか。愛とは、ここまで苦しいものか。


「―――――好きです」


 雨の音が弱まる瞬間に、ミツキの声が教室に落ちていく。

「………え? なんて?」

「あんたが好きって、そう言ったんです」

 自分よりも他者を優先してしまう優しいところが好きだ。苦手を克服しようと努力するところが好きだ。無理をして、それでも理想を目指すところが好きだ。

 そのどれもが酷く、熱くて、好きで、焦げてしまいそうで。


「そんな、嘘だろ。お前まで、そんなこと言うのか?」

 呆然としたように言うリョウタの言葉にミツキの心が軋む。けれど一度流れ出した言葉は、もう止まりそうになかった。

「すいません、先輩」

「……あいつの言葉で、変に意識しちゃったんだよな! なあ、そうだろ?」

「ちゃんと、自分で考えました。キョウヘイが言ったからとか、そんなんじゃない」

 確かに自覚の一手とはなったかもしれない。けれどそれを考えて受け入れたのはほかでもないミツキ自身だ。


「俺、先輩が好きになったみたいです」

「どうして、そんな……おかしいだろ。あいつも、お前もっ――」

 男同士で好きになるんなんて、間違ってる。その視線が痛みとなってミツキに突き刺さった。けれど、彼は視線を逸らそうとはしなかった。


「ごめんなさい。迷惑って分かってます。先輩がそんな気さらさらないって、分かってるんです」

 それでも、言わずにはいられなかった。言って楽になりたかった。

 言うなれば、これはミツキのエゴだった。


「先輩。もうこんなこと言いません。先輩の前に現れることだって、しません。だから最後の、最後の俺の我がままを聞いてください」

 頼むからその先を言わないでくれ。彼の目はそうミツキに懇願していた。けれど彼は、ぎこちなく笑みを作りながら言う。

「好きなんです。だから先輩――――」

 いつの間にか上がった雨が教室を赤く照らす。茜に染まった教室で、床に寝そべった姿勢のまま。彼は久々に、自分の意志で笑った。それは舞台のものとは違う、酷く不格好で歪な、笑いなれていない笑みだった。

 

「どうか、俺の恋を、ぐちゃぐちゃに壊して。終わらせて」


 この初恋を、俺の思いを。完膚なきまでにめちゃくちゃに。

 窓の外ではまた一つ、大きくなった雫が筋となってガラスを伝う。それは夕日に照らされて、まるでガラス細工のように光っていた。





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